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2011年09月24日

退屈しのぎにどうぞ(^_^)むふふ

市 (2011年09月24日 01:46) │Comments(11)タクティカルライフ
日本は連休だそうですね〜
ではここらで長い夜のために長文などの
贈り物を・・・

でも、もう読んだ方々も多いかと、、
でもまた読んで笑ってくださいな。


     市郎の
    タクティカル ライフ 2
     ★ 玄米を食べよう ★
   
 えー、今回は電車の中とか公衆の面前で読まないこと。君が健康な人だったら“ぎゃははは”と独りして笑ってしまうからだ。
 それと、ウン子の描写が続くので、イヤだったら飛ばして読んでくんろ。一度くらいはハメをハズしてクソネタを書きたいのだよ。これも表現力へのチャレンジの一環なんだ。すまんね。
 それでは独りになって・・・ハイ始まり。

 ゲン米を食べ始めるとウン子が恥ずかしげもなくデッカクなるんだよ。
 そして臆面もないほどに長ぁ〜くなる。これがモノスゴイのだ。
 ねっ? 笑いの予感だろ?

 じつは、オイラは村の1番のウンコヒリのちゃむぴおんなのだ。
 ウンと威張っちゃうが、これが最高に自慢なのだ。ワールド ウンコンテストがあったら必ず勝てるという自信も充分にある。
 村一番くらいでは大したことないと想うだろうが、実力としては世界の舞台で堂々たる勝負をするだけの素養をこの身の内にシメているのだ。いわば、小さな村に潜んでいる無冠の帝王なんだと考えてくれてもいい。
 なにしろオイラが投下するゴンブトサイズは、そこらのアンちゃんたちが必死の形相でリチミながら絞り出すようなヒカラビタ中指サイズのウン子とは比較にならないのだ。
 オイラの生み出す芸術品ときたら新鮮そのものに湯気がたち、そのヌッコリとした様子は生のままで再食可能とさえ想わせる。そのコッテリとした長モノは品評会に出しても一等を穫れる立派さだ。
 “四尺ものじゃな” と釣り師に言われたこともあるが、長さはゆうに1mを超えるのだ。
 どーだ? いちめーとるだど! ほんとだど。
 おお、その健やかさ、ああ、そのふくよかさ。それは知性さえ感じさせ、シロート離れした大胆そのものな容姿は、献上品なみの豪華さにゃのだ。
 大きな銀盆にうやうやしく盛りつけてテイブルに飾れば、エゲレス王朝のエリザペス姫も顔を赤らめながら鑑賞してくれ、ヒリ主の拝謁を許してくれるハズなのだ。ここでエリザベスと読んだ人はマチガイだよ、ベスでなくてペスなんだからな。
 招かれたオイラは四頭だての馬車でパッキンガム宮殿に行き、金装飾で縁を飾られた赤や紫のドゥレイプリーに囲まれた特設ヒリ場で山吹色の素晴らしい作品をブドーンと落として見せる。ヴェルヴェットの紫地に純金刺繍の入った長い枕の上に神々しくも横たえられたそれは、なみいる善男善女、およびエゲレス国の紳士淑女たちを感動と涙の渦に巻き込むのだ。
 辺境の地で育ったこんな能なしのオイラがエゲレスでここまで礼賛され世界のベンピー族による嫉妬を一身に浴びるようになったのは、ある秘密兵器があったからだ。これは秘密兵器だから秘密は漏らしたくないので秘密にしておきたいが、秘密は秘密なほど話したくなるものだから、その秘密をしゃべって秘密を公開することにする。秘密兵器とは「玄米」なのだ。玄米を食べはじめて数日たつとウン子がグイグイと大きくなるのだ。大きくなると出にくくなると想うのはシロートのアハハカサなのだ。大きく太くなってるのになぜかヌルヌルッと気持ちよく出てしまうのだ。とにかく玄米を食べ始めてみるとアハハカな人にもオイラの言うことが判って信じてもらえるであろうと想うよ。
 ここからは、すごく知的に書く・・・
 できれば「ノグソ」がオススメだ。これほどの大物は、水に流さずに大自然に抱かれながら鑑賞することで価値は倍増する。屋外だと、そのサイズを知るにも一目瞭然で便利といえる。足の間に細い紙を敷き、投下しながら前方に引けば長さがハッキリする。ワシはリポーターだから、そこまでやって証明すべきなのだが、そのよーな写真を撮ってもイナバ編集長や千葉ちゃんが掲載するかどうか疑問なので実現してはいない。そこまでやってクサイ仲だと思われるのもワルイしな。
 とはいえ、各自の体質もあってか、誰でもが「1メートル イッキ投下」に至るとはかぎらない。これは神に選ばれた厚顔無恥な人間だけに与えられた特技なのかもしれない。
 スティルチャレンジやビアンキカップに出るイチローGUN団メンバーには強制的に玄米を食べさせられるのでデータの集積に役立つ。
 今までの人体実験によると、トモも確実に1メートルを超えたようだ。 
 “1メートル単体でないときは、数本のスリコギを束ねて投げたような惨状となります”
 と、トモは言う。これはワシ自身で視認してはいない。ワシはリポーターなので自身で確認すべきなのだが、根が臆病なので直視を怠っている。すまないことだ。

 “私がまず驚いたのは、その流星のような初速です。自分ではそのリコイルの感触から12センチ程度だろうと想像しながら射出したモノを見るとナント60センチを超える大蛇がトグロを巻いているではありませんか!”
 これは石井選手の談話だ。とはいえ、これも直視どころかワシの根性の弱さゆえ20m以内には近づけないでいる。望遠レンズで撮ればいいものを、そんなクソ度胸さえワシは持ち合わせていない。すまないことだ。

 LEMサプライのヤダ選手のばあいは、1メートルの代わりに「小刻みタイプ」のようだ。つまり、1日に5回ほどに分けて出るということ。1回で30センチはあるから小刻みでなく大刻みだろうが、総計すると1メートルを軽々と超えることになる。
 “あんまり出るんでコワイです” とヤダ選手は快感に満ちた顔で報告した。もちろん、これも確証はとれていない。もうそこら中がノグソだらけなので、草むらにも入れなくなってノイローゼなのだ。恐怖は直面すれば消滅するという言葉はあるのに、ワシにはフン切りがつかない。すまないことだ。
 そして、他のシューターたちも例外なく玄米効果の恩恵というかウン恵を受けているが、だいたい上の3人と同じようなことだ。

 わが愛妻の場合、ネコサイズが週1回きりだったのが毎日出るようになり長年のベンピーが直った。毎日シッカリ出るようになることで余計なプルーンジュースやらコンニャクゼリーやらを食べる必要がなくなりカロリーカットもできるのか自然にやせていった。毎日の運動が快くなり顔色も明らかによくなった。

「すぐに行け、玄米ウン子は待ってくれない」
 という標語を作る必要があった。
 脳が便意を察知してから投下までの時間がモウレツに短いのだ。もし、5分間待てというのなら、快感が拷問に変わる。
 撮影中にウッ、来たな・・・と感じる。でもライティングもできているし構図を決めるのはすぐだからワンショット撮ってからにしよう、というのが人情だ。そしてキャメラを覗き込むために腰を落とす。と、もう爆音がそこに聞こえるのだ。ひどい時は1分と持たない。ううっ、とこらえる、すると油汗が噴き出す。うわ〜っ、と叫びながらストゥディオから家に駆け込む。その距離わずか20mだが大股で走るのは自殺行為なので膝と膝を密着させたままチョコチョコと走る。その体感時間の長さったらない。顔面蒼白でウウウウウウウと唸りながら移動する。さて目的地に着く。ところがテキは北朝鮮のように待ちきれず、もうサイロのハッチをこじ開けて弾頭を出している。座るために足など開いたら投下口で自爆する。嗚呼、ワシはこの最後の瞬間に幾度しくじったことだろう・・・。
 あるときのことだ、いつものように撮影室から家まで駆け込んだ。しかし、このときは悪い予感がした。無事に20mを駆け抜ける自信がなかった。走り出すのが10秒は遅れていたのだ。コー門をシッカと閉じ、両のヒザを合わせながら足先だけで浜千鳥のようにツツツツと走った。血圧が上がり気が遠くなりながらもチドリはケナゲに走った。そしてヨロメキながらもとうとうベンキーに座る。足を開く間もなく投下が始まった。
 “ふー・・・なんとか無事だった・・・”
 すっきりとした気分でトイレを出る。そのとき入れ違いに細君がトイレに入った。直後、
 “きゃ〜!” という悲鳴があった。彼女は顔をそむけながら床を指さす。見るとフランクフルト ソーセイジがコテリと落ちていた。それはベンキーの2m手前にあった。
 うう、やはり気が遠くなったあの瞬間に出たのだ・・・それにしてもチビリのくせしてなんという立派なたたずまいだろう・・・厚生労働省の指針よると「チビリ」というのはクスリ指のアタマくらいで形状としてはビチョッとしたミジメなものなハズなんだが、コイツときたら桜島の裏にいたナマコのように立派な体躯を誇っているのだ。それも60cmの高さから落下したはずなのにイササカの型くずれもなしに壮健な姿を保っている。
 いや〜、我ながら大したもんだよ、うん。
 しかしショクン、自分のウン子ってこんなにイヂラシクくてカワユくてソンケーでき、慈愛に充ち満ちた気持ちをこめてシーゲシーゲと眺められるのに、他人のは見られないというのは異常ですかね? なに? 君らもそう? もしかしたらこれが本当の「フン別がある」ってヤツかもね。

 ところで、どうやら玄米を食べる人って案外多いらしい。なのにあまりニュースにはならず、表舞台には出てこない。米国での玄米ブームは秘匿されていると推察するしかない。その理由をカッパ市郞氏が喝破するに、二つの可能性が浮かんできた。

推量その1: 
 玄米はあんまりに素晴らしいので他人に教えるなんてゼツタイにイヤ。この身体を突き抜ける毎日の快感は最愛の人にも味わさせたくない。独り占めしたい。ましてやマスコミに流して流布させミーハーに偉大なる恵みを与えるなんてもってのほか。なぜなら他人で知らない人って基本的には敵だから。

推量その2:
 “自分のウンコ量を知られるのが死ぬより辛い” という人々が玄米をアンダーグラウンドに押さえ込んでいる。
 トークショウなどでキレイなオネーちゃんがフリフリのドレスを着て“私は玄米を食べてますのん・・・”なんて言ったらサイゴ、テレビ局にはメイルとファックス、そして臆面もなくデンワもじゃんじゃんかかってくる。
 質問の内容は一様だ。全員が彼女のウンコサイズを綿密に聞きたがる。匂いはどうだ、硬さはどうだ、色はどうだ、できたら薄切りにして販売してほしいだとか、生だと長持ちしないから乾燥させてくれだとか、中国人製ではないだろうなだとか、1本まるごとの真空パックで桐箱入りのサイン付きなら200万円出すだとか、なかには、フンはいったん完全にアルカリ化して三日間寝かせ、その後にペーハー9に調整すると石けんのような香りとなって美味に食することができるみたいなウンチクをたれる学者まで現れる。
 やがて社会現象となって人々の挨拶や会話にも変化があらわれる。例えば以下のようにだ・・・

“あーら、お元気そうね? 今朝はとても大きなモノをおヒリ遊ばしたようなお顔ですわよ”

“はいおかげさまで・・・実をいうと931ミリを肥えましてプロヒリ アソシエイション認定もいただけたんでございますのよ”
注※ プロヒリ認定基準の931mmといのは、931すなわちクサイを超えるという根拠に基づいて決定されたという経緯がある。【フンキペディアより】

“んまあ! それはおめでとうございますこと。これからは公式フンストラクターとして活躍されますのねっ!”

“はい、それでこれからフンジテレビやら週間糞春などの取材を受けるんでございますのよ”

“それはけっこうなこと・・・あなたはここまでくるのにフン闘されましたものね・・・”

“ええ、とくにあの偽装玄米を食べてしまった後は人生転落の詩集でしたわ”

“ああ、あの国産と偽って売られていた玄米のことね、あれには減糞剤が混入されていたそうじゃございません?”

“あの「ヒッチャイナ米」事件はショックでしたわ、減糞剤どころか停糞剤そのものでしたのよ。あれのために生出しコンクールでは大恥などかいたのでございますのよ。でも今では子供達も学校で鼻が高いと喜んでくれてますのよん、あなたはいかがですの? オヒリンピックに出られたくらいですからますますなんじゃございません?・・・”

“あのね、それがウチの玄米をゴシビカリからアギタゴマヂーに変えてみたところいっきなり長くなりまして主人も驚いてミツトヨのオフィシャル フンゲイジで計ってくれたんですの、そしてね、その結果は1807mmだったんですのよぉ〜! なので乾いて縮まないように一家総出でサランラップに巻いて大急ぎで糞化会館に持ち込んで検査を受けたところ、切れ目どころかいささかのクビレさえ見あたらない逸品デスみたいに言われちゃって主人も踊って喜んでましたわぁ・・・”

“まあ、世界記録! では人糞年鑑のヘッドラインを飾れるわけね? それは本当にフンフン気分ですわねー!”

“それでねぇ、宅では新しいベルトフンベアーを導入したんですのよぉ!”

“それ、ひょっとしてあのゾニーの新製品の「一直線」じゃないのぉ? ベルトの巾がわずか5センチで、しゃがんだときに両足の間にムリなく収まり、自動感応で糞の落下速度を計算しながら一直線に伸ばしてくれるってゆー・・・ねう、ちがう?”

“そうなのよ、これまでと違って前方にも送れる「逆フン射装置」があって、瞬時にして自分の長さを視認できるの。消臭機能もカンペキですので私なんか客間でやってますわ。そうそう、真空ラップまでが自動なのよ!”

“それなら競技者にもってこいだわね。でもこのごろって、記録に挑戦するのはいいですけれどオーヒリ製薬とかが出しているゼン動促進剤なんか使う人がいてよくないわね”

“ああ、あの「ブリリオリール」のことね? そうよね、腸のぜん動運動が激しくなりすぎて大腸がそっくり肥だめに流れ落ちたってニュースをチービーエスの生番組でやってましたものね・・・”

“ねえねえ、ところで来月はフンバット マガジン主催でイチローさんの実習会があるそうよ、ご一緒しません? ”

“ああ、あの「人糞カンプン」や「今朝もフンダラケ」「たかがフン、されどフン」
「ウンコう異常なし」「ヒリキリトンボ」「紫電のダップン」などの本の著者ね? ロマンと迫力満点で好きだわぁ! ぜひ!”
注※ この1807mmという驚異の記録を達成した女性は斯界の女王となったが嫉妬族によって1807は「イヤオンナ」などと喧伝された。(斯界はシカイ、喧伝はケンデンと読む)
【フンキペディアより

 ところで、
 この原稿の取材でサンフランスィスコの玄米屋へ取材に行った。そこへは、ふとしたことで知り合った闇屋が案内してくれた。
 その店はチャイナタウンの路地の奥にあった。木造3階建ての上階にあり、古びたアパートの1室だった。看板などは無論なく、紹介なしには入れない。そこのオヤジは丸メガネの縁の上から一瞥をくれただけでニコリともしなかった。押し黙ったまま足下にある長い箱を開けてくれた。暗い部屋にワラの香りが立ちのぼった。箱には仕切りが3カ所にあり4種類の玄米があった。数粒ずつの玄米を手にとり匂いをかぎ噛み砕く。砕いた玄米を指先で口からつまみ出し香りをかいで再び口に入れて噛み、粒状になったところで飲み込んだ。間に水を飲みながら4種の米をすべて試した。
“ふむ、どれもモミ摺りは万石式だな、それも手動だ、ふるいに使った唐竹の香りがある・・・”
 そうつぶやいた。
 それまで無関心そうに眺めていたオヤジの目が光った。ボソリと中国語で闇屋になにか言った。
“あんたは並のプロじゃないと言ってる”
 そう闇屋は言った。
“これには命がかかってるんでね”
それを闇屋が通訳する。オヤジは破顔した。いったん笑うと人なつこくなった。
 なんでも教えるからオマエの知識もくれ、と言った。オヤジは博識で2時間ほど費やしながら様々な情報をくれた。玄米といえども胚芽の質次第で効能に差がでる。痩せた胚芽だと栄養が少ないし、脱穀機によっては米に傷が付き、モミ摺り機が悪いと茶色の皮膜に剥離がおこり肝心な胚芽を削いだりもする。そういったことの見分け方が会話の中心だった。オヤジからはサンプルとしての玄米をもらい再会を約して別れた。
 狭い階段をゆっくりと下りて外に出る、と視線を感じた。駐車場までは2ブロックある。拳銃はクルマの中だ。まずいなと想った。さりげなくそれを闇屋に知らせ互いに反対方向に分かれることにした。尾行者がどちらをつけるのか知る必要があった。ショウウインドウの前に立ち止まって携帯電話をすぐに闇屋にかけられるように番号を打ち込んだ。ウインドウを覗きながらガラスの反射で尾行者を探す。しかしその必要はなかった。“ヘイ!” と声がして3人の男が近づいてきた。視線を感じた時にいきなり全力でクルマまで走るべきだったと後悔した。
“なんだ?”
 と、市彦と闇屋はふりかえった。
“その米をもらうぜ・・・”
 市彦がぶら下げている木綿の米袋を指さしながら東洋人が言った。他は黒人と白人だった。屈強な男達だったが、ナイフも銃も手にしてはいなかった。しかしシャーツのスソが外に出ているので拳銃を隠しているだろうと想えた。市彦も闇屋もイオタックの短パンにシャーツをたくし込んでいるので丸腰だと油断しているようだった。
“どうする気だ? 渡さなかったら・・・”
 と、市彦は聞く。
“場合によっては殺す、その玄米がマスコミに渡っては困る機関があるんでな”
“よし、持ってけ”
相手の言葉が終わる間もなく市彦は米袋をストンと落とした。3人の視線が地面に注がれた瞬間に市彦の裏拳が黒人の顔に飛んだ。正確には裏拳ではない、拳の小指側が先になっていた。ただし、その右手にはタクティカル ペンが握りしめられていた。ガスッと鈍い音が2回あった。黒人は鼻に、東洋人はテンプルに横からの打撃を受けた。二人は傷口を両手で押さえながらうずくまろうとした。続いて白人の顔に市彦の左手がかぶさった。白人は夢中で振り払う。が、払ってガードのなくなった顔面に正面からクナイの一撃が強烈に命中した。3人とも身体を前に折ってお辞儀をしているように見えた。その後頭部に次々とクナイの先端がめり込む。航空機の素材で造られた頑丈そのものなクナイは頭蓋骨を楽々と貫通する。3人は衝撃で土下座する格好になり、そのまま崩れるように倒れ身体を痙攣させながらエビのように丸くなった。市彦は東洋人のシャーツをめくって拳銃に手をかけた。それを防ぐように東洋人の右手が押さえる、が、その手をクナイの乱打が襲う。“うぁー!” と、そのときになってようやく悲鳴が出た。
 “スタームルガーの自動拳銃か、おまえら大した組織じゃないな・・・”
 市彦はチェンバーにカートリッジが装填されているのを確認しながら、そう言った。市彦がガンポイントしている間に闇屋が他の2人からもルガーを奪う。黒人は昏倒していた。クナイの一撃は鼻の下から歯茎、そして口の裏まで貫通していた。想像を絶する激痛に気を失ったのだ。
 3人は身分証明書とバッジを持っていた。「玄米統制局」の実行部隊だった。 
 玄米がメイジャー化し市民が強健になることが政府機関によって抑圧されていることがこれで証明されたようなものだ。

 なはははは、フンだらば、フンざけてないでブリブリと本題に入ろうかね。
 
 三脚って、君も知ってるだろ?
 そう、キャメラを乗っける、あの3本足のトライポッドだよ。
 ワシもよくアレの世話になるよ。シャッター速度を1/60秒よりもスローでいくというときに使うんだ。とくにブツ撮りをするときなんかシャッターが2秒とかになるので三脚なしには難しいわけだよ。
 三脚のそれぞれの足はガッシリしていないとイケナイ。どの足も独立した強さを持っている必要がある。この強い三本足があってこそキャメラは不動の体勢となり安心した撮影ができるというわけだ。
 そんな三脚を、なんとなく見ながらツラッツラ〜と考えていたら三本足の理論がドタマに浮かんできた。
 そこで、今回は三脚という考え方について考えようではないか。
 「三脚理論」を識れば、人生を見直しすることになり、君の未来を豊かなものにすることになるかもしれないのだ。
 「三脚の理論」だって? ふふふ、笑っちゃうナ。そんな大げさなもんではないのさ。
 まあ聞いてくれよ。

 我々が幸せになるには何を目標にすればイイのか、そしてどんなものが大切なのか?
 と、そんなことは君も考えるだろう。 
 自分のショボクタイ脳みそをかき回しながら考えた結果、あることに気がついた。
 この矛盾とバカらしさに満ちたドロドロの闇のような人間世界でワシ自身が目指すべき遠い星、それは「幸せ」だということ。これは若いときから理解していた。だが、幸せとはナンゾヤ、となると、これまた理解が難しいかもしれない。幸福というのは、その人の「強欲さ加減」でピンからキリまでありそうだからね。

 「食べ物を1日に3回食べられること」

 これがワシの幸福の基本で、これ以上は何も望んではいけない、と自分に言い聞かせながら生きてきた。そうなった理由は他の章で書くことにするよ。
 んで、人が幸せになるためには、いったい何が必要なんだろう? と考えたところ、以下の三つに絞ることができた。

 「健康」「愛」「オカネ」

 これが幸福の三原則ではないかと想うわけだ。これらのどれかが欠けると、ちょっとオモシロクなかったり、世の中がイヤになったり、あるいは自殺したい気持ちになったりするのだと想う。
 どうだい? 世の中にこれ以外に幸福の原則になりそうなコトはあるかい?
 なに? 有名になれば幸福だって?
 誓って言うが、それはダメ。そのような価値観で生きていると自分を見失い、大切な人まで失うことになる。有名であることそのものには「実」なんてまったく無く、かえって虚飾の世界に迷いこむ危険が渦巻いている。それはダメなんだよ。他人を見返すために金持ちになるとか、射撃が巧くなるとかしても得られるのは虚しさのみよ。まあ、青いうちはせいぜいトライして自分自身で体験しないと解らないものではあるけどね。それに、すっごいカネモチになればしぜんに有名にもなるしね。だから有名もカネで買えるっちゅうことで・・・。
 だいたいカネがあれば、かなりの悩みを解消できるものではある、けども愛や健康はそーもいかん。「ミーハーの安直なる愛」とか「瀕死の長生き」くらいは、なんとかカネで買えるけどね。

 〔健康という足、愛の足、オカネの足〕

 どーだ? 人間の悩みで、このどれかに属さない分野があるかい? えっ?・・・
 なぬだとぉ? 手で羽ばたいて飛べないのが悩みだって? だったらオカネ稼いで冷凍人間になって700年後に解凍してもらいたまえ。そのころは小型ラドンの翼手を移植できて飛び回れる時代になってるよ。
  
 健康、愛、オカネ。この三本足のバランスが良ければ、その上に乗って暮らしている君の心は安定し、幸せになれる。そういうものではないのだろうか。
 だから何だって?
 まあ考えてくれよ。幸せという漠然とした言葉を追うのは濃霧の中をさまようみたいなもんだけど、ようするにターゲットは「健康とオンナと金」なんだと認識できれば具体的に進む方向が見えるではないか。まあ、愛の対象はオンナだと決めてしまうのにはモンダイありだが、そういうことはノチノチになって自然に解ってくるからいいとしよう。愛について咀嚼できたら人間道の有段者なんだから、まあゆっくりいこうぜい。

 そこで、だ。
 若いうちはカネも稼げないし、人間力が弱いために上等な愛もなかなか得られるものではない。青いうちは愛と性欲を混同してジッタバッタしているという成長期にあるからムリもないんだけどね。
 それらは後の課題とし、まずは三原則のうちのその1本を確保する方法を考察してほしいのだ。とにもかくにも「健康」がなんたって大切なのだよ。
 カネはあっても健康でないから成せないということは多い。メタボになったら賢いオナゴも寄ってこないかもしれんよ。メタボは知的とはいえんもんね。メタボは良い仕事にも就かせてもらえないかも知れないよ。メタボからはカネも遠ざかるばかりかもよ。メタボは愚行の証なんだから自分を律してメタボにならんようにせんといかんのだね。
 ワシとしてはメタボだからキライだとかバカだとかはゼンゼン想わない。「愚行中の人」だなと想うだけ。食っちゃ寝る食っちゃ寝るという愚行を長いこと続けているだけの人なんだと想う。これくらいの愚行には誰でもが陥るので、風邪を引いてるていど、つまり「愚行病」に罹ってる最中だくらいに想っている。やがては治るだろう、人によっては病院のベッドで細くなって死に至るが・・・と淡々と考えている。どうせ愚行をした人は、必ずそれなりの代償を支払う時がくるので、とくにワシからの批判などはいっさいない。しょせん、人間は何をやっても愚行なのかもしれないしね。
 でも、だよ、健康であることは素晴らしく楽しいのだ。汗をかきながら早足で駈ける喜びには輝けるものがある。努力の喜び、達成の喜びを味わえる。敢然として人生に立ち向かうという意志があるなら、健康は第一と考えたほうが良いよ。

 今は貧しくて孤独でも、たくましい身体を維持していればチャンスがきたときに有利な展開ができるというものだ。ワシはいつもそう考えながら生きてきた。
 雌伏八年という言葉がある。
 しふく、と読む。
 実力を秘めた人が自分の活躍できる日々をジッと耐えながら待つという意味だ。
 下積みで苦労する期間のことだ。
 おそらく誰でもが体験するものだろう。
 八年だったら短くてラッキーだ。ワシなど市伏三十壱年だったゾ。
 チャンスは誰にでも訪れる。そのときまで身体と精神を強く保ちながら待つのだよ。

 未来をターゲットとするタクティカル ライフ野郎にとっての健康は、なくてはならない強力な武具なのだ。
 このことをホンマにマコトに真実に心底から重要だと真剣そのものに誠意をもって意識している人は多くはなさそうな気がする。
 健康は、空気みたいなもんで急病になって入院でもしないとその大切さが解らない。人は病気にでもならないとタバコや大酒を止められないものだが、これは健康に対する意識の低さを証明しているようなもんだ。
 ほどほどに食べてよく運動することの困難さは判る、が、身体が必要としていないのに脳神経が狂って食いまくり、血圧が高くなったり脂肪を増やしたり糖尿病にかかるというのは恥ずかしいことだ。

 健康は大切だという意見にはイチオーは誰でも賛成だろう。
 健康とは、早く走れて食欲があって病気をしない、という単純なものではなく、たとえ手や足が無くても、あるいは不治の病でもうすぐ死ぬという人でも「精神の健康」があれば心が救われるし、誰でもトシとって衰弱してゆくが、そのときも精神が健康であれば幸福な気持ちで死と対面できるのだ。が、ここでは、そういった高次元の健康についてではなく「身体の健康」にしぼって書く。
 なにしろ、三本足のうち、もっとも楽チンに確保できるのは健康なのだ。しかし、これは早いうちからテを回しておかないと手遅れになってしまう。
 さて玄米のハナシにいこう。 

 40才手前のころだったろうか、身体がダルくなった。物事がおっくうになってきた。ときどき変なメマイも始まっていた。便通が乏しくなった。走るのも辛くなった。日常の仕事はできて表向きは健康体だが、じつは半健康と言ったほうがよさそうな状態だった。
 人生の折り返し地点を過ぎて、下り坂にさしかかり体調も衰える時期なのだろうと考え、すこし寂しい気持ちだった。
 そんなある昼、いつものように白米を食べていた。そのとき、なぜかワシは白メシをジッと見つめていた。そして、
 〈・・・コイツが犯人かもしれない・・・こうして毎日食べている白米は、身体にイイことはないのではないか・・・〉
 と閃いたのだ。中学の家庭科での授業を思い出していた。丸メガネをかけて平凡そのもので生徒を笑わせるスベも知らない伊地知先生が、黒板に米の絵を大きく描いて説明をしてくれた。
“白米というのは米の大切な部分であるハイガを削り落としたもので、食べやすくはあっても人の身体に良いとはいえない”
 と言ったのだ。嫌う人は多くても、玄米こそが本当の主食となるべきだ、とも先生は言った。白米はいけないとハッキリ言った。
 こいは良かこっを習ろた、と薩摩語で想った、がそのころの我が家は極貧まっただ中で麦メシはおろか昼は水を飲んで空腹感を抑えるという生活をしていたので米には縁がなかった。胸焼けのするサツマ芋を食いながら、胚芽の件はそれきり忘却の彼方にかすんでしまった。
 そして中年になったある日、そのことを突如として想いだしたのだ。
 毎日毎日、体内に注入する食料。健康に良いものもあれば悪いものもあるだろう。肉を主食とする者は米と魚を食べる人より短命のようだし、菓子類を多く食べる子供は軟弱な身体になる。なにを食べているかで長い間には大きな差が出るだろう。健康を失った時点で自分の人間世界は終わりだ。が、ここで主食を替えると身体の衰退速度を緩慢にできるかもしれない。ここでひとつ玄米とやらにチャレンジしてみようか、効果がなければ止めればいい、と考えた。
 チマタでは、玄米は身体にイイが不味いんだと言われている。不味いと聞くと、なおさら挑戦したくなった。なにしろ美味な食べ物は身体に悪いという例が多すぎる。
 ゲンマイをさっそく探しに行く。健康食の店に行ってみた。なんと、そこには玄米セクションがあり、長いのから短いのまで様々なカタチのが並んでいた。いったいこの不健康主義のアメリカの誰が玄米を食うのだろうかと不思議だった。なんでも激しいダンスなどをするプロたちも食べていると聞く。子供用の食品にも玄米モノが増えていた。
 とにかく、ショートグレインという、日本の米と同じ体型のヤツを買う。そして普通の電気ガマで炊いてみた。それは食えた、が、固くてボソボソして美味くはなかった。しかし噛んでいると奥の方に美味が潜んでいるという確信が得られた。そのテの本を読むと玄米は圧力釜で炊くのだという。キッチン関係の店をまわって、スイス製の圧力鍋を買った。なるほど、ガラッと味が違う。ぜんぜん不味くなんかないのだ。白米よりは少し固いが、自然な歯ごたえであり、そもそも白米のほうが柔らかすぎるのだという印象があった。凝り性のワシなのでイタリヤのラゴスティーナ圧力鍋もゲット。これはディザインに惚れたのだが圧力もなかなか上がって美味しくなった。玄米食が楽しくなり始めた。そうこうしているうちに「暮らしの手帖」だったかで圧力釜の一番良いのはナショナル製だという記事を読んだ。これはさすがにアメリカでは入手困難ではあったが日系の食料品店でやっと見つけることができた。今ならインターネットでモノを探せるが昔は自分の「足」で探したもんよ。
 そのナショナル圧力釜は、普通の電気釜と同じでスイッチを入れるだけで炊くことができた。他のはガスコンロにかけて付き添って火加減を見ている必要があったのだ。
 ナショナルは、玄米炊きのネックだった面倒くささをイッキに解決する画期的な武器で、ワシは子供たちと小躍りして喜んだよ。そして何よりも愉快だったのは、この釜は抜群に美味しく炊けるということだった。詳しいことは知らないが、なんでも圧力と温度の上がりかたが他の釜よりも高いので玄米が柔らかくなり、そのリッチな味を引き出すのらしい。この釜で炊くようになってからの玄米は白米よりも美味しいと感じられ、もはや「米の残骸」といえる白米にはいっさいの未練が無くなった。本当の米の良さと栄養を満喫することになる。
 ところでワシが初めに使っていた釜は、ナショナルSR-100Pだったと想うが、その後ジェネレイションが代わり、幾度か買い換えてきた。今はメイカー名がパナソニックに変わり、SR-P32Aというのが最新型だと想う。しかし、これはまだアメリカのヴォルテイジに変換されたモノが見つからないのと、今使っているのが健在なので次期炊飯器導入の予定として楽しみにしている。
 なお、ワシはキャリフォニア米のオガーニック玄米を愛用している。有機栽培という米だ。これは農薬を使わないというのだが、あまり信じてはいなかった、が、ときおり玄米の中にコクゾウ虫という可愛いのがワンサと住んでいるのを発見したことから信用するようになった。まさか、農薬大好きの虫なんていないだろうからね。こんなときは、太陽の当たる場所に布を敷き、そこに玄米を広げるとコクゾー君たちはサッサと外に出ていく。
 日本でも無農薬玄米があるハズだから探してみるといいよ。

 そこでオカズなんだが、
 今は奈菜リンが冬になると大量に仕込む自家製の味噌があるので安心な味噌汁が毎日楽しめる。健康ウヨクの奈菜リンはダシの素を使いたくないそうで、忙しい朝でもかつお節をシュコシュコと削り煮干も加えてダシをとるのだ。さらに、奈菜家庭菜園からは、ニラや小松菜、オクラやナス、サヤエンドウ、アスパラガスなどの野菜が収穫できる。
 味噌汁と玄米、それに納豆があれば朝は充分だ。納豆は日系のマーケットで入手できる。この店まではウチからはクルマで90分もかかるのでめったに行けないが有り難い存在で、
たまには、油揚げ、ナメコなどのキノコ類が手に入り豪華な味噌汁にありつくこともある。
 でもイキナリそんなに凝るのはタイヘンなので、オカズはなんでもよい。主食さえしっかりしていればいいのだとワシは考えて玄米食を始めたものだ。
 オーリヴ オイルでタマネギを炒めてメンツユをジャッと加えるのも簡単で美味い。
 カップラーメンもたまにはイイと想う。今朝は早起きしたので独りしてラーメンと玄米を食べた。このラーメンはそこらのマーケットで売っている米国ニッシン製で人気が高い。容器が紙のようなものでマイクロウエーヴで温めてもイイらしい。でもワシは家では磁器のドンブリに移してお湯を注ぐことにしている。とくに発泡スティロールの容器は避けている。食べる前に親指サイズのガーリックを刻んで入れるのも決して忘れない。
 ベーコン、ソーセイジ、ハムなどは簡単ですごく旨いのだが、これらは君の命を縮める悪食の代表選手たちなので常食はやめるべし。たまの外食ではワシも食べるけど・・・。身体に悪いもんほど旨いんだよね。
 それとワシの飲み物はお茶が圧倒的。コーラなどの炭酸飲料やフレンチフライ、ポテトチップス類は禁止にしている。間食はメッタにしない。お菓子も常食はしない。コンピュータやテレビを見ながら間食して太るのは向上心のある男がすることだとは想えない。
 ところで、ニンニク、ニラ、ネギ類が好きでよく食べる。とくにニンニクは子供のころから一家の守り神のようにイメイジさせられ食べさせられた。インスタントラーメン類にも、刺身醤油にもガーリックを入れる。ビフテキにも刻んだニンニクをドッと乗せてショーユをかける。これは美味い!
 豆腐はオカズのヒーローだ。冷やヤッコで美味しく、汁物にもよく、万能選手そのものといえる。トーフは、たいていのアメリカのスーパーで売っているので嬉しい。味もなかなか良い。ワシは綿ごしが好きだ。絹ごしは好かん。ちなみに昨日の昼は奈菜園のナスとオクラとピーマンでテンプラを作ってもらって食べたよ。ワシの奥ちゃんは奈奈という名前だが
“奈菜にしたらどうです?” と我が家の農事相談役である「荒さん」の提案でそのように書くことにした。荒さんとは荒谷さんのことで、識る人ぞ識るの日本にとって得難い人物だ。自民党はこういう人を政治家として育てればチンケな政党に負けることなどないのだが・・・。そのうちにインタビュー記事を書きたいと考えている。

 君が独身だったら玄米をサランラップなどで小分けして冷凍し、インスタント味噌汁やコンビニのちょっとしたオカズとで食べると便利だよ。味は少し落ちるけど、冷凍しておくとなにかと便利だ。もしも塩鮭とかアジやサバでも焼けるようだったら嫁イラズの生活といえるな。実を言えば、コンビニの食品はどれくらい信用できるのかワシには判らないのだよ。

 ところで大和玄米族にとって、大きな悩みは旅行だ。玄米の握り飯を6個ばかり準備して飛行機に乗るわけだが、それも夜には尽きてしまう。翌朝からはホテルでハムだのソーセイジだのといったジャンクフードを食べなきゃならん。すると翌日からのバクダンは目に見えて細り始める。ハムのような特大サイズがウインナモドキになってしまうのだ。砲弾だったのがセンコ花火になるようなもんだ。身体は正直だよ。
 しかし、最近は「ご飯の真空パック」というものが出ている。チンするかお湯で熱くすればよい。なんとこの玄米編も売られているのだ。これは日本でもアメリカでも買える。
 出張撮影だの訓練だのに出かけるときは、この真空パックを持ってゆく。オカズはサバやサンマのカンズメにインスタント味噌汁だ。補助としてカップラーメンも持って行く。ホテルでのワシの朝食はいつもコレなのだ。カップラーメンはコワイ気もするが月に3回ほど食べるだけだし、常に玄米との組み合わせで食べるのでハンバーガーよりはマシだろうと妥協している。
 手軽に玄米を試したかったら、このパック玄米がイイと想う。買ってきてチンするだけ。しばらく食べてみてよかったら本格化すればよいではないの。

 で、君が所帯持ちだったら、よほど奥さんの健康に対するマインドが高くないかぎり困ったことになる。
 ある家庭の例を話そう。
 そこのダンナは、あることから健康食に目覚めた。彼は玄米食を決めた。ところが、彼の奥さんと子供たちが美味しくないと言ってイヤがった。同居していた奥さんの母親もイヤがった。彼は子供たちに健康の大切さを教え子供たちは納得し食べ始めた。が、奥さんとオバアチャンは玄米を拒否し自分たちの分として白米を別に炊くという生活になった。女二人は、ダンナが留守のときは白米だけを炊いて子供たちにも食べさせていた。
〈自分の子供の健康が害されている・・・〉
一家の長としてのダンナは最愛であるハズの人との価値観の違いに哀しいものを感じていた。
 別の例。ある父親が自分の建てた家に息子夫婦とその子供二人を同居させた。ところが、彼らの食事がウインナやらパンやらの現代食で煮付けや焼き魚、漬け物などの日本食を食べてきた父親には耐えられなかった。そこで彼は自分の食事は自分で作り、自分の部屋で食べるようになった。このことを嫁は自分に対する嫌がらせだと受けとった。そうして親子や孫たちとの会話はなくなり、気まずい沈黙のまま日々が過ぎていった・・・。
 これは、ある大工さんの家族だが、こういったことはよくあると想う。
 
 聡明。【ソウメイ】とは知的で物事に理解があり賢いということだ。
 頑迷。【ガンメイ】とは「愚かで物事の道理が解らない」という意味よ。
 玄米が身体に良いというなら試してみようとか、タバコは身体に悪いから止めようとか、そういった明快なことが普通にできるというのは聡明さからくる。イコジになって自分の悪習を続けるのは頑迷人というわけ。
 聡明になることは難しいことではないんだよ。学校での学習はできなくても聡明な人になら誰でもなれるんだよ。ただ目の前にある状況を素直に直視して理解すればイイだけのハナシなんだ。
 君のまわりにもワカラズ屋みたいなのがウジャウジャいるハズ。
 変にガンコなヤツ、やたら意地を張るヤツ、自分だけが正しいと信じているヤツ、威張ってるヤツ、柔軟でないヤツ、他人の話を聞かないヤツ、排他的なヤツ、人をイジメるヤツ、カワユクないヤツ。コイツらは皆「頑迷族」だ。人類の大多数はガンメイ族だと想う。ただ、よく磨かれた人はガンメイ度が低くなっているだけなんだとワシは想うんよ。
 君の頑迷度は何度だ?
 重度? 中度? 軽度?
 より軽度になるように努力しようナ。
 せっかくなら〔聡明な人〕になろうぜ。

 ずっと以前のハナシ、
 ワシのボスだった人は御馳走が大好きで大酒飲みで煙草プカプカ族だった。
 大金持ちだったので、オカネをそういった方向にうんとこさ使った。体格は典型的なメタボだった。腹が前に出ておりヨタヨタと歩いていた。ワシは健康の大切さを説明したが、ぜんぜん相手にしてもらえなかった。
“オレが酒と煙草を止めるのは死んだ時だ”
 と豪傑ぶっていた。頑迷の標本だった。
 ある日、突然に倒れた。
 重い糖尿病だった。それから闘病生活が始まった。1万円もするインシュリンを毎日注射するのだと言っていた。そしてゆっくりと衰えてゆく。若い時は強健で、それほど年齢がいってるわけではないのに回復することはなかった。酒ももらえず、タバコも取り上げられ、段階的に衰えていった。不快な闘病生活を2年ほどして絶命した。
 彼は、お金持ちなので、なんでも旨いものを食えた。1泊10万円のホテルに泊まり数万円の食事もした。こうして自分の体内に「高価な毒」を注ぎ込んでゆく。終着駅は糖尿病だ。自ら2年間の精神的拷問にかかるために大金を費やしたのだ。
 糖尿病のことは聞いてはいたが、これほど恐ろしいものだとは知らなかった。これはゼータク病とも言われている。旨いものばかりを食う者がかかる場合が多いのだと聞く。
 糖尿病の多くは、御馳走からの復讐であり飽食者への刑罰なのだという気がする。気をつけようナ。
 
「この国の人間の背丈や体格はほぼ我々と同等で、たくましくてとても強い人種である」
 と、オランダ人だったかスペイン人だったかポルトガル人だったか忘れたが、こんなような日本人の印象が書かれていたという。そのころの大和民族は玄米を主食としていたので大きくて強かったという学説だ。
 これは、ありうるハナシだと想う。ワシが言えることは、玄米を食べるとウン子がゲキ的に多くなり、毎日が素晴らしく爽快だということ。ワシ自身の人体実験では玄米は最高の主食だということ。
 ウチの2才の子は離乳食から玄米がゆで、今ではふつうの玄米を毎日2回は食べている。
“アンマイ、アンマイ”と剣士郎は嬉しそうに食べる。オシメひとつで2kmくらいの散歩には喜んでついてくる。純粋の玄米育ち。この子がどうなるのか楽しみだ。
 奈菜リン情報によると、良食生活が遅れているアメリカですら、数年前から玄米と精製してない食品のブームで、白いパンがいかに悪く、選択肢があるなら中身が茶色のパンを選ぶべきだと不健康なデブちゃんたちですら認識するほどになっているそうだ。スパゲティセクションも精製してない大豆や玄米でできたパスタが多く並ぶようになった。大手のお菓子会社も、競ってクッキーやクラッカーに精製してない粉をつかい、離乳食にも玄米がどっと進出してきているという。

 とはいえ、日本では玄米食はよくないという言い分もある。身体のどこかが虚弱で受け付けられない人もいると想う。ワシは彼らの言葉はゼンゼン信じてないがインターネットで読んでみてくれ。
 ワシとしては長生きが目的で玄米を食べているのではない。50才まで生きたら充分で、その後はオマケだと考えて生きてきた。
 食生活と癌に罹るということは別なことと想っている。食事によって癌を防げる可能性は低いと観ている。ただ、癌になるまでは強健を維持し走り続けていたいだけだ。

 そこで、やねん!
 食ったら運動せんとアカンのや。
 燃料入れたら走らんといかんのや。
 食べたら燃やさんとならんのや。
 いくら身体に良いモノ食っても燃焼せんと太るだけ。玄米食ってりゃ健康になるってもんじゃないんやい!
このこと忘れたらアカンでぇ、ええか?・・・
 なぜか関西弁になった。
 運動は主にランニングだ。脈拍を上げ汗をかくというのがワシの運動だ。時間の許すかぎりなるべく毎日8キロ走る。なんで8キロかというと、よくFBI訓練で8キロ走らされたからだ。忙しくて時間のない日は400mだけ全力で走る。
 息をハアハアさせ心臓をドキドキさせながら
汗をかく。これがワシの運動だ。歩くだけでも運動にはなるらしいが、ワシにとっては充分ではない。日に一度くらいはエンジンである心臓と肺を高回転させて熱を与えてやらないと劣化しそうな気がするんよ。脚力がなくなると老化する、と日本拳法の森先生もよく言っていた。

 しかし、運動していない人がいきなり走り出すとバテる。翌日は身体が痛くてヤル気もなくす。たった1日で挫折する例は多い。
 なのでリラックスして始めよう。まずは万歩計を買うんだよ。2000円以下のモノでよい。これを朝にリセットして1日の歩数を見てみよう。夕方にチェックして、1万歩を超えてなかったら歩きに出よう。外に出られないなら部屋を歩き回るかピョンピョン跳んで1万歩を達成しよう。1日1万歩を歩くことを日課とするんだよ。
 これを週に5回ずつ1ヶ月続けられたら、君には見込みがあるゾ。続けられない人は、今は見込みナシだが、いつかは出来るときがくるかもしれないので万歩計は飾っておこう。たまには万歩計を眺めて「心が澄まない・・・残念だ」と心で語りかけようではないか。その気持ちがあれば火は灯っているのだ。
 できる人は6ヶ月続けてみたまえよ、身体が軽くて敏捷になっている自分が自覚できることを保証するよ。そうなってくると走りにチャレンジしたくもなってくる。そこから走りたくなったら走ればいいのさ。
 まずは万歩計という無言のインストラクターと仲良くなることよ。これとて普通の人にはナッカナカ出来ないこっちゃけどね。 

 やろうっ! とは誰しもが想う。
 しかし実行できる人は100人に1人いるかどうかだね。
 神は人間に怠惰の心を与えた。
 それは、全人間が成長して上に集まらないようにするためなのだと想う。上にある澄んだ空気は人類の5%分もないのだ。
 タイダとは「ナマケ」のことよ。大多数の人間なみの生活を受け容れる気持ちがあればナマケ者でよい、が、向上したいと願うなら怠惰と決別する必要がある。
 向上心がある人は善であり、無い者は悪である。なんてことはゼンゼンない。ただ悪人であれ善人であれ、向上心のある人は人生を楽しく過ごすことができるとは言える。そして活発な悪人というのはナカナカ高い向上心を武器にしている場合が多いと想う。
 自分はビーヴァーのような働き者であり、なるべく美しいダムを造りたいものだとワシは願っている。
 君も「働き者」になれるか?
 ナマケモノをやめられるか?
 なに? “ソノウチニヤリマス・・・” だって?
 それが大多数の人の答えだナ。
 大多数というのは平均的な人たちということで、それはそれで基準を満たしているのだから素晴らしい存在だ。なにもゼンゼンわるくない。上等そのものだ。モンクなし。むしろ、多分そこにいるほうが無難だし幸せなのだと想う。無理は言わない。
 ただ、もし君に「野心」があるなら、群から離れた生活態度が必要となる。ヤシンといのは「心に抱く大きな望み」のこと。なんでもイイから、そこらの人とは違った世界に住みたいという願望だよ。大多数の人間がもっている常識なんかクソくらえ、とそういう反骨精神だよ。ハンコツ精神というのは、時代の風潮にも逆らうという根性だよ。もっと自分には異なった世界があるハズだ、と真剣に考えることなんだよ。

 【風雲の志】ふううんのこころざし。
 竜が強風に乗って雲を蹴立てながら天に駆け上るように、人が身を立て出世するという意味なのだとワシは理解している。
 いいじゃないか、そんな気持ちを胸に秘めて自分の心と身体を頑張って鍛えるなんて・・・。
 もし君が大多数の群から抜けたいという人だったら、たった今から未来に向けて心と身体を動かすんだ!
 強い気持ちでターゲットを見据える。すると身体は自然にそちらに向くものだ。

 さてさて、健康なんて大勢の人が得ていることだが、次なる「愛」と「オカネ」を得る方法はガゼン複雑な様相を呈することになってくる。でも、いったんここで「志」を立ててしまうとあとは自動的に解消してゆく可能性もある。
【志を立てる】とは、いったいどういうことなのか、考えてみてくれ。この言葉を古くさいと感じる人は脳が硬化している。ワシにとって、この言葉はいつも新鮮で冒険に充ち満ちている。自分のブレを修正してくれるパワフルな言葉なのだよ。

 ま、なにはともあれ、エリザペス姫が感心してくれるようなゴンブトをヒリ出すこと。そこからやっていこうじゃないか。なっ?
 ではまた!
                 市