2017年01月17日
JWCS 休止
市 (2017年01月17日 13:09)
│Comments(10)
│語りのプラザ
関係者各位
お世話になっております。バトンTradingの大塚です。
2014年の創設以来、みなさまに支えられてきたシューティングマッチ『JWCS』ですが、誠に申し訳ございません、諸事情により弊社による運営を休止させていただきます。
『シューティングマッチ『JWCS』 運営休止のお知らせ』
http://baton.gunsmithbaton.com/e826330.html
…「諸事情」は、ぶっちゃけ弊社の経営不振です。
昨年、アキバ店の売り上げ低迷による閉鎖、そして弊社全体の現状の売上高に見合った社員数まで大規模な整理解雇を行いました。
現在も非常に厳しい経営状況は続いており、私は経営再建に全力を投入しなければならず、また、人員削減で減ったマンパワーは私が補わなくてはならず非常に忙しいため、今後、私一人でJWCSの運営まで行うことは難しく、苦渋の決断となりました。
ですが、WCSチャンピオンシップがなくなっても、マリポサピストルクラブのWCSローカルマッチは残るように、弊社の運営がなくなっても、ご自由に
JWCSというシステムを使ってシューティングマッチを楽しんでいただければ幸いですし、私も各地のイベントを可能な限りサポートさせていただきたいと
思っています。
みなさまには大変にお世話になり、本当に
ありがとうございました。JWCSの運営は休止しますが、
私はこれからもずっと、シューティングマッチを
みなさんとともに楽しでいきたいと思います!
これからもよろしくお願いいたします。
-------------------------------------------------------------------
株式会社バトンTrading 代表取締役 大塚正樹
Baton Trading Co.,
とても残念なことです。
エアガン史上、あんなに立派な射場は他になかったのではないかとワシは想っています。
あれをきっかけとしてエアガンを使う新しいスポーツがジャパンで広がるのではないかという気がしていたのですが、なかなかサバゲのようには広がりませんでしたね・・・。
銃やホルスタをそろえ、しっかりと練習し、独りずつ舞台に立って速射力を競うというゲイムなので努力が要求され プレッシャーに打ち克つだけの精神力も必要となるために 安易にはできないというハードルの高さがあるのでしょうね・・・
バトンTradingは、小さな新進の会社だけに業界で生き延びることには困難があるようですが、なんとか持ち直せるよう応援しています。
市
お世話になっております。バトンTradingの大塚です。
2014年の創設以来、みなさまに支えられてきたシューティングマッチ『JWCS』ですが、誠に申し訳ございません、諸事情により弊社による運営を休止させていただきます。
『シューティングマッチ『JWCS』 運営休止のお知らせ』
http://baton.gunsmithbaton.com/e826330.html
…「諸事情」は、ぶっちゃけ弊社の経営不振です。
昨年、アキバ店の売り上げ低迷による閉鎖、そして弊社全体の現状の売上高に見合った社員数まで大規模な整理解雇を行いました。
現在も非常に厳しい経営状況は続いており、私は経営再建に全力を投入しなければならず、また、人員削減で減ったマンパワーは私が補わなくてはならず非常に忙しいため、今後、私一人でJWCSの運営まで行うことは難しく、苦渋の決断となりました。
ですが、WCSチャンピオンシップがなくなっても、マリポサピストルクラブのWCSローカルマッチは残るように、弊社の運営がなくなっても、ご自由に
JWCSというシステムを使ってシューティングマッチを楽しんでいただければ幸いですし、私も各地のイベントを可能な限りサポートさせていただきたいと
思っています。
みなさまには大変にお世話になり、本当に
ありがとうございました。JWCSの運営は休止しますが、
私はこれからもずっと、シューティングマッチを
みなさんとともに楽しでいきたいと思います!
これからもよろしくお願いいたします。
-------------------------------------------------------------------
株式会社バトンTrading 代表取締役 大塚正樹
Baton Trading Co.,
とても残念なことです。
エアガン史上、あんなに立派な射場は他になかったのではないかとワシは想っています。
あれをきっかけとしてエアガンを使う新しいスポーツがジャパンで広がるのではないかという気がしていたのですが、なかなかサバゲのようには広がりませんでしたね・・・。
銃やホルスタをそろえ、しっかりと練習し、独りずつ舞台に立って速射力を競うというゲイムなので努力が要求され プレッシャーに打ち克つだけの精神力も必要となるために 安易にはできないというハードルの高さがあるのでしょうね・・・
バトンTradingは、小さな新進の会社だけに業界で生き延びることには困難があるようですが、なんとか持ち直せるよう応援しています。
市
2017年01月17日
練習がこわい・・・
市 (2017年01月17日 02:41)
│Comments(11)
│訓練




拳銃というモノは、
ただブッパナスだけでも
すごく面白いものです(^^)
でもね、
ビアンキカップのコースを撃つというのは、もう(^o^)それはそれは\(^O^)/
倒れるターゲットでしょ(^○^)
回転するターゲットでしょ(^o^)
走るターゲットでしょ(^◇^)
エーガの活劇ドラマがそのままリアル体験できるのです・・・っちゃあオーゲサかなあ(?_?)・・・
これまでに様々な拳銃の訓練所で教えを受けてきましたが、それらのどれもこれもビアンキカップの訓練に比べると、ハッキシ言って、てえしたもんじゃありませんでしたよ(^○^)
ビアンキカップの良さは「一撃必殺」であることです。
ミスったらいけないという必殺射撃。
この大切さは、拳銃を携帯し始めると重く受け止めるようになります。
自分の身を守るために発砲するということの重大さが解ってくる、ということです。
ともあれ、
どうも今年は、このアクション射撃を始められないでいるという自分があるのです(^_^;
理由としては、
寒さで体調を崩したために射場に行くのがオックウになった・・・
ムーヴァーがあまりにも難しいので攻略法を見失った・・・→つまりいくらチャレンジしてもダメッポイという気持ちになっているということ(>_<)
今日は行こう、明日は行こう、、と決めながらも延ばしノバシなのですよね (;。;)
でも・・・
明日は行こう!!!
今朝は、そう決めましたよ(^^)
市
2017年01月16日
初弾訓練



テツマウリョウが渡米していた時は、ほぼ毎日のように雨で、雲間が切れたときには水害対策をうんとやってくれました。
こういうヘビーな仕事を頼むとタメイキをつきながらイヤイヤする人も散見されるものですが、この3人はむしろ嬉々として楽しみながら、しかもパワー全開でテキパキと動いてくれます♪
で、プレイトを撃たせてみると、ドロウに無駄な動きが見られるので、これを直すためにWCSで初弾を1秒以内に撃つための訓練をしました。
「鍛錬とは、同じ事をくりかえすことなり」
銃を抜いて撃つまでの動きは、毎回違うもの・・・
なので、とにかく長い反復練習を必要とするのです。
動画をご覧くださいナ(^-^)/
↓
初弾訓練その1
https://youtu.be/yIiL7U83IEE
初弾訓練その2
https://youtu.be/x_JfQWAelhQ
初弾訓練その3
https://youtu.be/VRs2ZrXMX0E
初弾訓練その4
https://youtu.be/M6OzbbQgeUo
2017年01月15日
ピギヨシトモ来たりて青空もどる♪
市 (2017年01月15日 16:00)
│Comments(8)
│語りのプラザ


低地では洪水に遭うところが続出した長雨が終わり、ずくずくに濡れた大地の上に燦燦と太陽が輝きました。
切なくなるほどに雨を欲していたキャリフォニアンたちも、さすがに嬉しい上天気です♪
樹木もたっぷりと水分が捕れて葉うらに緑がしたたる風情です(^^)

そんなタイミングでやってきたピギヨシトモは、射撃よりも この美しい天気を味わいたいと まる一日を屋外で過ごしていました(^o^)
だいたいに自然の美しいマリポサですが、本日の天気は格別にすばらしく、美味しい空気と林のシジマに酔わされるというか、とにかく家には入りたくないという気持ちにさせられ、暗くなるまで火を焚いてくつろいでいました。
食べたものといえば、朝はナットーと焼いたサケと玄米、昼は野菜たくさんのラーメン・・・これがまたどのように高額な懐石料理よりも美味しいのですよね(^-^)
なにかしたわけではないのに
とても幸せな一日でした。
市
2017年01月14日
トランプは大統領になれるか??
市 (2017年01月14日 01:04)
│Comments(4)
│語りのプラザ
おはばんよ〜(^-^)/
夜が明けて来ました・・・
薄暗い空に まるい月がこうこうと輝きながら浮かんでいます♪
大晦日からほぼ毎日降り続いた雨はようやく止んで、今日は久々のキャリフォニアン ブルースカイが日本晴れのように広がりそうです。
風邪がなおりきった・・・かといえばそうでもなく、ときおりすごい色の鼻汁がまとまってドッと出ます・・・この黄緑色のネトネトのカタマリは自分の身体と病原菌との闘いの跡なので一種美しいと感じるのです・・・想わずフォトを撮ってアップしようかと想いましたが、この美を解ってくれるのは自分の子の親くらいくらいのもので、さすがの小雪さんだって・・・(^○^)
さてさて・・・
世の中が面白くなってきた・・・ちゅうちゃナンなんですが(^^)
まずはトランプさんの「ロシヤ疑惑」ですね〜(@_@;)
高級売春婦とやってるところの映像をロシヤが入手したとか、プーチンに不適切なカネの流れを把握されているとか・・・
ウソかホントか、元ゼームスボンドの仲間が公表したとか・・・
トランプ就任式を阻止するために、クリントン陣営が最後の攻撃をしかけ、トランプ側も激しく応戦、、という水面下の争いが続いているのではないかと。
トランプは大金持ちなので売春婦の百や二百を買っていようと 脱税もさんざやっていてもフシギではなく、そんな過去があるからといって大統領の座を追われる、、などというのは人間の狭量さをしめすものだとワシは想っているのですがね。
ただ、元KGBのプーチンにとってはトランプの身辺調査をするのは難しいことではなく、この独裁者が裏で脅しをかけているという可能性は充分にあるわけで・・・これを証明できると、トランプは大統領に就任できなくなる可能性もあり、いまごろはヒラリーが怖ろしい形相でカナキリ声をあげながら調査団を叱咤しているのではないかと・・・
これからどういう展開となるのか?
毎日のニュースに興味シンシンですよ。
それと韓国も大変ですね〜(@_@;)
日本を怒らせてしまった。
チャイナからも嫌われた。
経済が大ピンチ。
次期大統領もロクデナシ模様。
いったいどうなるのでしょう??
おっと・・・朝食に呼ばれています^_^;
では、また(^O^)/
市
夜が明けて来ました・・・
薄暗い空に まるい月がこうこうと輝きながら浮かんでいます♪
大晦日からほぼ毎日降り続いた雨はようやく止んで、今日は久々のキャリフォニアン ブルースカイが日本晴れのように広がりそうです。
風邪がなおりきった・・・かといえばそうでもなく、ときおりすごい色の鼻汁がまとまってドッと出ます・・・この黄緑色のネトネトのカタマリは自分の身体と病原菌との闘いの跡なので一種美しいと感じるのです・・・想わずフォトを撮ってアップしようかと想いましたが、この美を解ってくれるのは自分の子の親くらいくらいのもので、さすがの小雪さんだって・・・(^○^)
さてさて・・・
世の中が面白くなってきた・・・ちゅうちゃナンなんですが(^^)
まずはトランプさんの「ロシヤ疑惑」ですね〜(@_@;)
高級売春婦とやってるところの映像をロシヤが入手したとか、プーチンに不適切なカネの流れを把握されているとか・・・
ウソかホントか、元ゼームスボンドの仲間が公表したとか・・・
トランプ就任式を阻止するために、クリントン陣営が最後の攻撃をしかけ、トランプ側も激しく応戦、、という水面下の争いが続いているのではないかと。
トランプは大金持ちなので売春婦の百や二百を買っていようと 脱税もさんざやっていてもフシギではなく、そんな過去があるからといって大統領の座を追われる、、などというのは人間の狭量さをしめすものだとワシは想っているのですがね。
ただ、元KGBのプーチンにとってはトランプの身辺調査をするのは難しいことではなく、この独裁者が裏で脅しをかけているという可能性は充分にあるわけで・・・これを証明できると、トランプは大統領に就任できなくなる可能性もあり、いまごろはヒラリーが怖ろしい形相でカナキリ声をあげながら調査団を叱咤しているのではないかと・・・
これからどういう展開となるのか?
毎日のニュースに興味シンシンですよ。
それと韓国も大変ですね〜(@_@;)
日本を怒らせてしまった。
チャイナからも嫌われた。
経済が大ピンチ。
次期大統領もロクデナシ模様。
いったいどうなるのでしょう??
おっと・・・朝食に呼ばれています^_^;
では、また(^O^)/
市
2017年01月12日
「一粒の砂」 その壱
市 (2017年01月12日 13:59)
│Comments(7)
│一粒の砂
「ビアンキカップへの道」を書いていたケンが新しい長編小説をMJマガジンに連載することになりました。
そこで、より多くの人に読んでほしいと想い ここに転載させてもらうことになりました♪
お楽しみくださいな(^-^)/
市
『一粒の砂 Ichiro 永田 伝』
その壱:大蒜
“ お~い、トモ。そろそろ昼食にするかぁ”
パワーカスタムを相棒とし、ムーヴァー撃ちに三昧となっていたイチローだったが、朝練用にと準備した実包を撃ち終えたこともあってか、一緒にムーヴァー練習にはまっていたトモにそう言うと、
“ ケンとテツヤにも声を掛けてきてくれ! ”
と、続けた。
“ わかりました~! ”
返答したトモはムーヴァーレンジ横にあるプラクティコウレンジへと走った。すぐ隣のレンジと言っても200m ほど離れており、叫んだくらいでは声は届かない。しかも、ケンもテツヤも練習中となればイヤマフを着けているだろうし、何よりも、自分たちの射撃に夢中となっている二人に余所の声が届くはずもない。
“ ケンさ~ん! テツヤさ~ん! そろそろ昼食にしませんか~!! ”
15 ヤード先の2 枚の的に向かいウィークハンドでの6 連射を繰り返すケンとテツヤに走り寄ったトモは、二人の背中に叫んだ。イヤマフを着けていようと、これなら確実に聞こえる‥‥という大きな声だった。
“ あれ? もう、そんな時間? ”
イヤマフを外したテツヤは振り向きながら答えた。
“ ええ。こっちは実包も切れましたし、イチローさんも、そろそろ昼食にしないかって‥‥”
事務的に答えたトモは、そこで少しばかり目つきを変えて、
“15 ヤードからのウィークですか。やりますね‥‥”
と、ケンとテツヤの練習ぶりに感心の様子を見せた。
イチローとトモが、そしてケンとテツヤの四人が、来る日も来る日も取りつかれたようにガンを撃ち続けるのは、一ヶ月後、ミズーリ州はコロンビアで開催される射撃大会『ビアンキカップ』出場のためだった。年に一度、5 月の末に開催される『ビアンキカップ』は、全米はもとより、世界各国から射撃を愛するシューターたちが集まる場でもあった。
その『ビアンキカップ』だが、試合は四種の競技から成っている。一つはイチローとトモが撃っていたムーヴァー(ムーヴィングターゲット)であり、もう一つはケンとテツヤが取り組んでいるプラクティコウであり、それ以外にもバリケイド、プレイト(フォウリングプレイト)がある。
プラクティコウという競技では、近くは10 ヤードから、遠くは50 ヤードからの射撃を求められるが、ルール上、10ヤードにおいてウィークハンド(左手)のみでの射撃も含まれており、多くのシューターたちを悩ませてきた。どう攻略するか、どう自身の射撃力を鍛えるかが問われる。
10 ヤードでのウィークハンド射撃は難敵。
それを熟知するトモは15 ヤードからのウィークハンド練習を繰り返すケンとテツヤの狙いを汲み取ると、≪次は自分もっ!≫ と、心のうちに自身に言い聞かせていた。
“ やっぱり、15 ヤードから撃っておかないとね”
ケンが答えた。
過去の試合でウィークハンド射撃の奥深さと難易度を痛感しているケンは、15 ヤード練習は必須だと断言する。そこはテツヤも同意見だったことからプラクティコウの練習時間のほとんどを、15 ヤードからのウィークハンド特訓に費やしていた。
“ ちょうど腹も減ったし、食べたら午後は50 ヤードかな”
15 ヤードラインに立ったケンは後方の50 ヤードラインを見ながら言った。
“ そうだよなぁ。50 ヤードも撃っておかないとなぁ”
テツヤも、遠くの50 ヤードラインに目を向けると同じことを言った。
“ じゃあ、車を回しますから‥‥”
四人が乗りこみ、トモがドライブする車は、トモの彼女のアキが昼食の用意をしながら待つ家へと向かった。
順番が逆になった感もあるが、射撃練習に打ち込む彼ら四人と、その射撃を自由に行えるこの地について少し触れておきたい。
日本人シューターたちの師となるイチローは、1970 年代に日本の銃器専門誌である『月刊 GUN』にリポーターとしてデビューした。卓越した写真と親しみ溢れる文章によって多くの読者を魅了し絶大なる人気を博すと、わずか数年の内に月刊 GUN の発行部数を十倍に引き上げ一大ガンブームを巻き起こす。イチロー自身は「自分は読者代表としてガンの魅力と楽しさを伝えるだけ」と公言してきたが、その想いが読者と交響したのか、「イチローの記事は面白い!」といった葉書が月刊 GUN 編集部に毎日、毎週、毎月届くと、それに応えるよう第一特集を任され、時には、2 本、3 本と複数の記事を担当することも増えた。
読者の生の声に、喜ぶ様にやり甲斐を感じたイチローは、日本のガンマニアたちに人気のガンを意識して選び、紹介を続けた。
が、あるところで、不安を覚える。
≪すでに、人気のガンのほとんどを紹介してきた。名のあるガンは紙面に載せてきた。今後、どういった記事を書けばいいのか? 続けられるのか‥‥≫
イチローが抱いた不安は、モノを紹介するリポーターとして至極まっとうなものであった。ガンの種類は多い。一つずつ、一梃ずつ紹介して行けば、その全部を見せるのに何年も何十年も掛かるだろう。しかし、それでいいのか? ガンなら何でもいいのか? ただ紹介すればいいのか?
改めて「ガンリポーター」の意味を、そのあるべき姿を想ったイチローは一つの答えにたどり着く。
≪自分の言葉でガンを語れるリポーターになろう。誰かからの受け売りではなく、巷にあふれる書物の書き写しでもなく、自身で良し・悪しを語れるリポーターになろう!≫
ガンの良し・悪しを語れる。自分の意見を真っ直ぐ言える。
その裏打ちとして、イチローは自身の射撃の腕前を上げることを目指した。誰もが認める射撃力を身に着けることで、そこを基準としガンを評価できるはず‥‥という判断だった。一つの道具を見事に使いこなせる技を身に着けたとき、その道具に対してブレない自分を確立できると信じた。
「世界一ケンカが強い男は嘘をつかない」
そう語ったのは空手家の、故・大山倍達だが、イチローの判断はそこに通じるものがある。
決心からすでに十余年。イチローは拳銃射撃の世界にどっぷり嵌ると、今も、射撃大会の一つである『ビアンキカップ』にのめり込んでいた。
そんなイチローを師と仰ぐ一人がケンだった。
幼少のころからガン好きだったケンはイチローの月刊GUN での記事に感化されると、19 歳の時に初めてアメリカの地を踏んだ。縁あってイチローとの付き合いが始まるや、その伝手もあり、大学を卒業すると同時に月刊 コンバットマガジンにおいてモデルガン リポーターとしての仕事をスタートさせていた。
≪いつか、ビアンキカップの大舞台でガンを撃ちたい!≫
29 歳の時、ケンのその夢は叶った。イチローの助けによって実現した。
それ以降、毎年、春になるとイチローの元を訪ね、イチローを師とし、他の日本人シューターたちと射撃練習に明け暮れる日々を送ってきた。
ケンと同じく、毎春に渡米してはビアンキカップを目指す男がテツヤだ。
高校卒業後に勉学と就職のため、実家のある三重県は津市から東京へと移り住んだテツヤは、モデルガンメイカーのMGC が主催するガンショウ会場でケンに出会うと、それを切っ掛けに親交を深め、共にモデルガンを、エアガンを、そして実銃を撃つ仲間として行動するようになっていた。自然とイチローを師とし、ケン以上に射撃に没頭している。
もう一人、イチローやケンと同じく、月刊 コンバットマガジンでリポーターとして活躍する男がトモだった。トモがリポーター稼業に就いた裏にはケンとの出会いがあったが、そこには、知られざるイチローの想いと助言が絡む。
何はともあれ、イチローはもちろんのこと、彼ら四人の人となりについては後々、ゆっくり語る機会もあると思うが、ここでは、イチローを求心力とし、ガンと射撃の魅力に強く惹かれた男たちが一心に、飽くなき練習に身を投じる‥‥といった状況にある。
さて。
毎日、四人が自由に、好きなだけ射撃練習に励める環境だが、その地は、アメリカはキャリフォルニア州のマリポサという街に位置する。「街」と書いたが、シューティングレンジは人里離れた山中にあり、それは、世界に名を轟かす名シューター、ミッキー ファアラの私有地内に設けられていた。
1970 年代後半。アメリカでのアクションシューティング界が変貌を遂げ始めたその時期、ミッキー ファアラは現れた。スピード射撃において世界一の座に輝き、数々の記録を打ち立てたミッキーは、彼が運営する射撃スクールに生徒としてやってきたイチローと出会う。
いつしか、「射撃の先生と生徒」の関係を超えた付き合いがミッキーとイチローとの間に芽生えると、二人は「親友」となり、人生を歩み始める。
後に、ミッキーはマリポサに800 エイカー(約320 万平米=約100 万坪)という広大な土地を購入し、移り住むと、それを機に私有地の一角に射撃場を造った。ビアンキカップ練習のための射撃場を完成させた。さらになお、その環境をイチローが自由に使うことを認め、許した。
結果、イチローを師と仰ぐ日本人シューターたちは、イチローの指導の下、我が物顔でプライベートの射場を使えるという幸運を得る。
大自然の中の専用射撃場。
そこからは日本でも有名なヨセミテ国立公園の山々を遠くに望め、特に、水と空気が綺麗な土地であった。
加えて、キャリフォルニアは空気が乾燥しているため、夜になると星空が眩しいほどに広がった。星と星とが限りなく近づき、まるで、黒い画用紙の上に大さじ一杯の砂糖をぶちまけたように「白い点々」が重なる。
余談になるが、ケンが生まれ育った埼玉県の田舎は国立・天文台も設けられるほどに星の観察に適した地ではあったが、そんな田舎で見あげた夜空の、十倍もの星座と宇宙の大きさを眺められる贅沢ぶりに、ケンは毎夜、感動した。
特に、クッキリと帯状に伸びる天の川の美しさは例えようもなかった。
トモがドライブし、四人を乗せた車が向かった先には小さな平屋があった。
小さな‥‥と言っても日本ふうに表現すれば「2LDK」となるだろうか。見た目は山小屋だがシャワーもトイレも完備された快適なる空間であり、日本からやってきたシューターたちの「我が家」だ。
“ ただいま~! ”
“ ただいま~! ”
一人一人がそう口にしながら家の中へ入ると、アキは昼食作りの最中であった。
トモの彼女のアキは射撃には興味がないが、自然の中での暮らし、生活への憧れもあり、ビアンキカップ挑戦のために渡米したトモと一緒にマリポサへとやって来ていた。そして、何かお手伝いがしたいと、自ら調理役を買って出たことでシューターたちは練習時間を増やせると同時に食生活の充実も図れ、アキには深く感謝していた。
“ もう少しでできますよ~! ”
明るくアキが言った。その手にはフライパンが握られ、5~ 6 本のソーセイジが踊っている。そのソーセイジだが、日本のお弁当箱に入れられる小ぶりの可愛いサイズではなく、コンビニのレジ横で見かける、アメリカンドッグやフライドチキンと並べられる大ぶりのものだった。近年、日本のスーパーマーケットでも取り扱いの増えたジョンソンヴィル社のソーセイジだった。
ジョンソンヴィルのソーセイジにはチーズの入ったものや燻製されたものなど、何種類もの風味が揃っているが、日本人カップシューターたち(ビアンキカップを撃つシューターたちを、短くそう呼ぶ)にとっての定番となっているのがガーリック風味だった。イチロー、ケン、そしてテツヤもトモもガーリック好きで、色々な種類のソーセイジを一緒に求めるも、ガーリック風味だけはいつも多めに購入していた。
なるほど。台所に限らず、家の中はどこもかしこもガーリックの香りで満ちている。
香りに釣られフライパンの中のソーセイジをよく観ると、ツルっとした姿ではなく、「これがソーセイジか?」と疑いたくなる形をしていた。あちこちから「芽」が出ていると言えばよいのか、それとも「棘」と表現すれば近いのか、何かがポツポツと飛び出しているのだ。
“ おお。きょうも特製ガーリック ソーセイジか。これでないと食った気がしないからな”
フライパンの中を覗き込んだイチローが言った。
「特製」というのは、太くて長いソーセイジに先のとがった包丁を何度も何度も突き刺して切れ込みを入れ、そこに、スライスしたガーリックを挿し込んだものだった。1 本のソーセイジにガーリックを何個も詰め込む。通常、香り付けや薬味として利用されることの多いガーリックが、ここでは「具材」となっていた。いや、ソーセイジの大きさに対して使われるガーリックの量を見ると、もはや、「ガーリック風味のソーセイジ」なのか「ソーセイジ風味のガーリック」なのか、意見は分かれるに違いなかった。
見た目にも香りにも、容赦も可愛げもない。手加減がない。
そんなソーセイジに手際よく、アキは醤油やみりんや砂糖で甘辛く味付けをする。
“ おお、いい感じだな。でも、まだガーリックが足りないんじゃないか? ”
まな板の上に残っているガーリックを見つけたイチローは、さらなるガーリックの追加を訴える。“ 遠慮するな、ガンガン入れろ” と、促す。
“ は~い! ”
軽く、そして明るく答えたアキは、フライパンの中に、さらに大さじ3 倍分の刻みガーリックを加えた。
ジュワワ~。
両目をシバシバさせながらも、アキは菜箸でフライパンの中身を馴染ませる。
“ よしよし。これでこそ本物のガーリックソーセイジだな”
イチローも満足げだ。
と、そんなフライパンの中を眺めていたからか、気が付いたようにイチローが言葉を付け足した。
“ そういえば、アレも、そろそろ呑みごろか‥‥”
イチローが「アレ」と呼んだのは、焼酎にガーリックをたっぷりと漬け込んだ「ガーリック酒」のことだった。元気がないと練習も満足にできないからと、練習開始の時期と合わせ仕込んだものだった。
“ 後で、試してみるか‥‥”
そう言ったイチローの目の前には、皿に盛られた特製ソーセイジがあった。
“ いっただきま~す! ”
そう叫ぶが早いか、四人が四人とも、一斉に椀に盛られた玄米を口に運んだ。もちろん、特製ソーセイジも次々と消えていく。
“ うまいな~ ”
“ うまいな~ ”
“ アキちゃん、料理がうまいよね”
トモ、ケン、テツヤは、モグモグと口を動かしながらアキの料理を褒めた。
“ 特に、このソーセイジがいいな”
イチローも、そう続ける。
“ そんなことないですよ~ ” と、アキは笑顔で応える。
“ あれですかね、やっぱり、ガーリックが効いているのがいいんですかね”
ケンだった。そう言いながら2 本目の特製ソーセイジを口に押し込む。
“ だろうなぁ。みんなしてパワーが必要だからなぁ”
イチローが話を進める。
“ いや~、ソーセイジもイイですけど、この生のカリフラワーもイイですよね。アメリカへ来て、初めて生でカリフラワーを食べたけど、美味いですねぇ‥‥”
今度はテツヤが言った。
日本では、カリフラワーは茹でてサラダなどに使われることが多いが、カップシューターたちは5mm ほどの厚さにスライスしたものを生で食べた。塩コショウを振った後にレモンを絞ることもあれば、多めにキューピーマヨネーズを掛けることもあった。
“ これか。これは美味いな。ワシがFBI のスワットトレイニングに参加したとき、昼時、カリフラワーを齧る隊員がいてな、真似たら美味かったから、それからはこのスタイルだな‥‥”
イチローだった。
「FBI のスワットトレイニングに参加‥‥」という件からして、すでに世界観が普通ではないが、特製ソーセイジや生のカリフラワーにむしゃぶりついているケンやテツヤやトモにとっては日常の話らしい。そこには誰も、少しも驚いたふうがない。
“ そうですね~。本当に、コレうまいな~ ”
カリフラワーを口に運んだケンが言うと、誰もがウンウンと頷く。
ただ、異口同音に、美味い、美味しいと彼らは叫ぶが、その食べっぷりを見ていると、本当に味が分かっているのか? 味わっているのか? との疑問が浮かぶ。
丼ぶりに山と盛られた玄米が、大皿に溢れたソーセイジが、そしてカリフラワーが無造作に消えていく様は、「食を楽しむ」という姿からは遠い。それはまるで、午後からの本格的な練習を前に、身体に力を貯め込むための仕業とさえ思えた。口の中に、肚の中にパワーを押し込む作業と映った。
“ 今から思うと、昔は昼も弱かったですよね。カップラーメンだったし‥‥”
少し寂しそうな声でテツヤがつぶやいた。
“ あのころは食事の大切さが分かっていなかったな。それに時間が惜しかったからな”
イチローが返す。
食事時間よりも練習時間優先だった時代を思い浮かべる。
“ ああ、でも、イチローさんが作ってくれたネギサラダは最高でしたよ”
そう口を挟んだケンは、目の前のカリフラワーの中に「ネギサラダ」を思い浮かべたのか、幸せそうな眼を向けた。
ケンが「最高だった」と懐かしむネギサラダというのは、通常の、よく見かける親指ほどの太さのネギではなく、九条ネギのような、エンピツほどの太さのネギをぶつ切りにしたものに、タップリのキューピーマヨネーズを掛けたシンプルなものだった。ピリっとしたネギの辛みと、マッタリとしたマヨネーズの甘みが絡み合い、得も言われぬ風味に仕上がっていた。
“ ああ、あれも美味かったな”
今度もイチローが応えた。
思いもよらぬ食事談義が進む中、誰も彼もが二杯目の玄米飯を盛っていた。
そこでイチローは、トモが日本から持ってきた梅干しに箸を伸ばす。
その梅干しは梅の名産地として知られる和歌山県で造られた名のある品で、通常、デパートあたりで贈答品として買い求められる逸品だった。イチローが大の梅干し好きと聞きつけ、トモが用意したのだ。
“ いやぁ。この梅干し、確かに美味いが、ワシらみたいなナラズ者には似合わんな”
梅干しを口に運んだイチローはそう言った後、「上品すぎる」と付け加えながらも満足した顔を見せた。
“「ナラズ者」って、なんだかカッコいいですね”
テツヤが笑いながら言うと、
“ まあ、ワシらみたいに、玄米喰って、山の中でテッポー撃ってる者は、世間から見ればナラズ者よ。う~ん。ナラズ者はいいな。死ぬまでワシら、ナラズ者でいような! ”
と、ここでもイチローが応える。
“ 確かに、シアワセ者ですよねぇ。何がどうなって、こんなにシアワセになったのか‥‥”
ケンには似合わぬ、少しだけ真剣な口調だ。
昔はモデルガンで遊んでいて、バカだ、クズだ、落ちこぼれだと蔑すまれていたというのに、気が付けば、大好きなガンと射撃に夢中になれる毎日があり、しかも、それが仕事の一部になっている。
それはどういった経緯からなのか。
考えて分かるコトではないが不思議な流れだけに気にもなる。それはテツヤもトモも同じだった。運が良かったのか? たまたま、そういう星の下に生まれたのか?
“ そうだよなぁ。ワシも昔はアメ横へ通ってモデルガンを買っていたのになぁ。いつの間にか本物のテッポーだからなぁ‥‥”
イチローさえも同じ意味のことを言い出すと、さらに、
“ それにしても、昔のアメ横はすごかったな。雨が降るとぬかるんでなぁ。田舎の養鶏場みたいな臭いもしたっけなぁ。本物のテッポーが欲しければ、ガード下の怪しげな暗がりに行けば、いつでも手に入るって感じだったなぁ。ケン、そうだったよなぁ”
と、自然に、ケンに同意を求めた。
“ いや~。アメ横に通い出したころには、街も道もきれいでしたよ。立派なビルもいっぱい建っていましたし‥‥”
ケンが答えると、驚いたふうの口調となったイチローは、
“ えっ! そうなのか? ケンがアメ横へ行ってたころは、道はぬかっていなかったのか? ワシとケンは、幾つ違うんだ? ”
“ 十七歳、違いです”
ケンが即答すると、イチローはさらに驚いた口調となって、
“ えーっ! じゅうななーっ!! そんなに違うのかー!! ”
と、返したかと思うと、直ぐに落ち着いた口ぶりを取り戻して続ける。
“ いつも、何でも知ったふうな、エラソーなことを記事に書いてるから、ワシとは同じ部活の、先輩・後輩くらいだと思ってたよ。 ふ~。あぶない、あぶない”
そこでみんなして笑い転げる。
肚もくちくなると直ぐには射撃練習も始められない。少しの休憩も兼ね、ケンとテツヤはディロン社製のローディングマシンで練習用の実包を造り始めた。そのマシンは1時間に1000 発の練習弾を造れる性能を持ち、カップシューターたちは1日おきに1000 発から1500 発の実包を造ることが習わしとなっていた。
“ あのさ~。こうやって練習弾を造るってだけでも、楽しいよね~ ”
マシンを操作しながらテツヤはケンに話し掛けた。
“ うん。これ、おもしろいよな”
テツヤの作業と並行し、ケンは空薬莢の選別を行いながら答える。
空薬莢の選別というのは、ビアンキカップの練習中、空薬莢を繰り返し利用し実包を造っていくと、ヒビ、その他の変形があらわれるため、それの発見・確認を行い、不備が見つかったモノを排除する‥‥という作業だった。
“ でもさ。さっきも話が出たけど。気が付いたら、俺、スゲーことやってるなって、ときどき思うんだよ。なんで俺がケンさんやイチローさんと一緒に射撃練習できて、しかも試合にも出られるんだろう‥‥って、思うんだよ。ヘンだよね”
何がどうヘンなのかの説明は抜きに、テツヤは、さらに自身の想いを語り始めた。
テツヤはその辺、気が回る性質ではなかった。
“ 前にも話したけどさ。以前、イチローさんと一緒にピッツバーグのポリスレンジで射撃した時さ、途中で昼食ってなって、リラックス気分で食べ始めてね‥‥。ほら、あそこって広くて景色もいいし、ピクニック気分だったわけよ。ああ、俺、ガンマニアとして、最高の時を味わっているなぁって。そこで気を良くしてさ、手元のガンを構えて、空撃ちしたんだよ。そしたら、バーン!って弾丸が発射されて‥‥。昼食で、みんなイヤマフ外してたんだよね。ああ、いやさ。イヤマフを外してたとか、そういうレベルじゃないよ。セイフティエリアで、いきなりバーン! だよ。もう、その場で撃ち殺されても文句の言えない失敗したんだよね。俺‥‥”
いつもは陽気なテツヤだったが、過去の失敗を思い浮かべたせいかどうも元気がない。
“ でさ。その失敗だけでも充分に出入り禁止だと思うけどさ、ケンさんも知ってのとおり、俺って、何度も何度も失敗してるだろ。それでも、今、ここで射撃ができてるのって、自分でも何だか分からないんだよね”
テツヤは、何かをケンに相談したいという気持ちからではなく、ただただ、整理しきれないながらも自分の過去と現在とを思い浮かべ、自分なりに自身の生きざまを理解しようと努めているのだった。
“ う~ん。まあ、テツヤも失敗は多いからなぁ。でもな、それを言い出すと、コッチは、テツヤ以上に震えるような失敗をしでかしてるからなぁ‥‥”
真顔となったケンは自身の過去を想い浮かべると、そう返答した。
“ 二十歳になったばかりのころだよ。イチローさんの大事な三脚を足蹴にしたんだよ。あれを想い出すと、本気で死にたくなるな‥‥”
元気のないテツヤに逆に心配されるほど、ケンの声は小さくなった。よく見ると今にも泣き出しそうだ。
“ おおっ! あの話だね。あの、「ビアンキカップへの道」でも書かれていた話だね”
と、失礼なほど嬉しそうに反応したテツヤは、少し元気を取り戻す。
“ あのさ。ケンさんは大変だと思うけどさ。俺、カップを撃ってて、スゲー嬉しいんだよ。だって、試合が終わった後、ケンさんの「ビアンキカップへの道」を読めるだろ。あの記事の面白さはさ、ただの読者じゃダメだよね。一緒にカップを撃ってるから分かる部分ってあるからさ。今年も楽しみなんだよ‥‥”
と、ますます元気になったテツヤは実包造りにも熱が入る。
その辺の単純さもまた、テツヤの性質だった。
重いのか、それとも他愛がないのか。どちらとも取れる会話を続けながらもケンとテツヤの二人は快調にマシンを動かし続け、1 時間半ほどで2000 発の実包を造り上げた。
“ どうする。直ぐに練習に行こうか。午後は50 ヤードも撃ちたいし”
大量の実包をアンモバックに詰めながらケンが言った。
“ そうだね。でも、もうすぐトモちゃんも戻ってくるだろうから、それまでもう少し練習弾を造っておこうぜ”
と、テツヤが提案する。
ケンとテツヤの二人が練習弾を造っている間、先に午後練習に出かけているトモは、そろそろ休憩と自身の練習弾造りのために戻ってくるはずで、それと入れ替えに出かけようという話でまとまった。
そこで実包造りを再開すると、ほどなくトモは戻ってきた。家に入るなり、
“ いや~、ダメですね。いくら撃っても「一発病」から抜けられません‥‥”
そう切り出した。
トモの言う「一発病」とは、気持ちよく、良いグルーピングで射撃ができているにもかかわらず、なぜか、一発だけ、突発的に外すという症状だった。もちろん、突き詰めていけば、外すのは未熟だからであり射撃力の低さが原因ではあるが、どこでどう外すのかが見えていないため練習のしようが、対策の練りようがないことが問題であった。
“ おいおい、トモちゃん。一発だけならいいよ。こっちは外しっぱなしだから‥‥”
苦笑まじりにケンが答えるとテツヤも笑った。
そこにイチローも戻ってくる。
ケンとテツヤが射場に向かおうとすると、さすがにこの時間帯では暑すぎるから、もう少し後で一緒に出掛けてはどうかとイチローが誘った。確かに、午後2 時前後の日差しは
容赦がない。
そこへ、タイミングを見計らったようにアキはウーロン茶を入れると、それぞれに手渡した。
そのウーロン茶を口に運びながら、唐突にテツヤは話し始めた。
“ イチローさん。さっき、実包を造りながらケンさんとも話してたんですけど、やっぱり、俺、スゲー運がいいっていうか、何でみんなと一緒にカップに出られるのかって、思うんですよ”
テツヤの中では順序も筋道も通っているようだが、脈略はデタラメだった。
そこで、そこからのテツヤの話を要約すると、イチローさんもケンさんも、そしてトモちゃんも雑誌でライターとして活躍しており、そこに一人、部外者の自分が加わっていられるのは望外の幸せ、幸運だと力を込めるのであった。
すると、それを聞いたトモが、
“ テツヤさんがそう言うなら、自分こそ、たまたま‥‥”
と、こちらもまた自身の過去を話し始める。
フムフム‥‥と、イチローもケンも、トモが語るがままに聞いていたが、そっちの話も要領が悪い。何をどう伝えたいのかが見えてこない。そこでトモの話も簡単にまとめると、昨日・今日、仲間に加えてもらった新参者の自分に、こんなに良くしてもらってどう応えればよいのかが分からない‥‥と、しんみりとした。
“ まあ、細かいことはどうでもいい。アメリカで好きなテッポーを撃ててるってことは、それだけでハッピーだからな”
イチローはそう纏めると、少しだけ説明口調で、
“ 何がどうなって、今の自分の人生があるのかなんて分からんしな。ワシも、まさか、アメリカで好きなテッポーを撃って、それで生活するようになるなんて思ってもいなかったからな。テツヤ、想像できるか? テッポーの写真を撮って、そのテッポーがイイとか悪いとか好きに書いて、それで暮らせてるんだぞ。そんな人生ってあるか? ”
と、投げかけた。
イチローの口から「そんな人生ってあるか?」と問われると、テツヤはもちろん、トモにもケンにも答えようがなかった。確かにとんでもない人生とも思えるし、イチローの能力からすれば当然とも考えられる。
“ 何がどうなって、ワシはこんな人生を歩んだのか、説明なんてできんだろ”
なるほど、誰にも説明はできない。たまたまかもしれないし、イチローのたゆまぬ努力の結果かもしれない。が、説明はできない。
“ そうですねぇ‥‥”
そうテツヤは独り言ちした。
何かを納得したふうのテツヤだったが、そういえば‥‥と、改めて話を続ける。
“ イチローさんは、どういった理由でアメリカへ渡ることになったんですか? 決めたんですか? ”
これまで、イチローに纏わる話は数多く、直接本人から、もしくはイチローを知る人々の口から聞いてきたが、「なぜアメリカへ?」は、テツヤも知らなかった。
“ あれ? 話していなかったか? ”
そう答えたイチローは視線を窓の外へと向けると、一瞬、自身の過去を振り返る様子を見せた。
が、ほどなく、ゆったりとした口調の中にも確固たる意志を感じさせながら、言葉を選び、それでいて、いつもの柔軟さを保ったまま、三人に向かい、話し始めた。
“ 昔、日本に居たころ、写真を撮っていてな。仕事で写真を撮っていてな‥‥。でも、自分の人生を自分でハンドルできないってことに耐えられなくて‥‥。もう、生きていてもしょうがないなって気がして、死ぬことにしたんだよ。でな、どこで死のうかって、東名高速を駆りながら考えてな‥‥。それなら富士の樹海がよさそうだって‥‥”
ケン、テツヤ、トモの三人はイチローの言葉を聞き逃すまいと自然と前のめりになる。
そんな彼らの想いとは関係なく、イチローの話は淡々と、いや「粛々」と続くのであった。
そこで、より多くの人に読んでほしいと想い ここに転載させてもらうことになりました♪
お楽しみくださいな(^-^)/
市
『一粒の砂 Ichiro 永田 伝』
その壱:大蒜
“ お~い、トモ。そろそろ昼食にするかぁ”
パワーカスタムを相棒とし、ムーヴァー撃ちに三昧となっていたイチローだったが、朝練用にと準備した実包を撃ち終えたこともあってか、一緒にムーヴァー練習にはまっていたトモにそう言うと、
“ ケンとテツヤにも声を掛けてきてくれ! ”
と、続けた。
“ わかりました~! ”
返答したトモはムーヴァーレンジ横にあるプラクティコウレンジへと走った。すぐ隣のレンジと言っても200m ほど離れており、叫んだくらいでは声は届かない。しかも、ケンもテツヤも練習中となればイヤマフを着けているだろうし、何よりも、自分たちの射撃に夢中となっている二人に余所の声が届くはずもない。
“ ケンさ~ん! テツヤさ~ん! そろそろ昼食にしませんか~!! ”
15 ヤード先の2 枚の的に向かいウィークハンドでの6 連射を繰り返すケンとテツヤに走り寄ったトモは、二人の背中に叫んだ。イヤマフを着けていようと、これなら確実に聞こえる‥‥という大きな声だった。
“ あれ? もう、そんな時間? ”
イヤマフを外したテツヤは振り向きながら答えた。
“ ええ。こっちは実包も切れましたし、イチローさんも、そろそろ昼食にしないかって‥‥”
事務的に答えたトモは、そこで少しばかり目つきを変えて、
“15 ヤードからのウィークですか。やりますね‥‥”
と、ケンとテツヤの練習ぶりに感心の様子を見せた。
イチローとトモが、そしてケンとテツヤの四人が、来る日も来る日も取りつかれたようにガンを撃ち続けるのは、一ヶ月後、ミズーリ州はコロンビアで開催される射撃大会『ビアンキカップ』出場のためだった。年に一度、5 月の末に開催される『ビアンキカップ』は、全米はもとより、世界各国から射撃を愛するシューターたちが集まる場でもあった。
その『ビアンキカップ』だが、試合は四種の競技から成っている。一つはイチローとトモが撃っていたムーヴァー(ムーヴィングターゲット)であり、もう一つはケンとテツヤが取り組んでいるプラクティコウであり、それ以外にもバリケイド、プレイト(フォウリングプレイト)がある。
プラクティコウという競技では、近くは10 ヤードから、遠くは50 ヤードからの射撃を求められるが、ルール上、10ヤードにおいてウィークハンド(左手)のみでの射撃も含まれており、多くのシューターたちを悩ませてきた。どう攻略するか、どう自身の射撃力を鍛えるかが問われる。
10 ヤードでのウィークハンド射撃は難敵。
それを熟知するトモは15 ヤードからのウィークハンド練習を繰り返すケンとテツヤの狙いを汲み取ると、≪次は自分もっ!≫ と、心のうちに自身に言い聞かせていた。
“ やっぱり、15 ヤードから撃っておかないとね”
ケンが答えた。
過去の試合でウィークハンド射撃の奥深さと難易度を痛感しているケンは、15 ヤード練習は必須だと断言する。そこはテツヤも同意見だったことからプラクティコウの練習時間のほとんどを、15 ヤードからのウィークハンド特訓に費やしていた。
“ ちょうど腹も減ったし、食べたら午後は50 ヤードかな”
15 ヤードラインに立ったケンは後方の50 ヤードラインを見ながら言った。
“ そうだよなぁ。50 ヤードも撃っておかないとなぁ”
テツヤも、遠くの50 ヤードラインに目を向けると同じことを言った。
“ じゃあ、車を回しますから‥‥”
四人が乗りこみ、トモがドライブする車は、トモの彼女のアキが昼食の用意をしながら待つ家へと向かった。
順番が逆になった感もあるが、射撃練習に打ち込む彼ら四人と、その射撃を自由に行えるこの地について少し触れておきたい。
日本人シューターたちの師となるイチローは、1970 年代に日本の銃器専門誌である『月刊 GUN』にリポーターとしてデビューした。卓越した写真と親しみ溢れる文章によって多くの読者を魅了し絶大なる人気を博すと、わずか数年の内に月刊 GUN の発行部数を十倍に引き上げ一大ガンブームを巻き起こす。イチロー自身は「自分は読者代表としてガンの魅力と楽しさを伝えるだけ」と公言してきたが、その想いが読者と交響したのか、「イチローの記事は面白い!」といった葉書が月刊 GUN 編集部に毎日、毎週、毎月届くと、それに応えるよう第一特集を任され、時には、2 本、3 本と複数の記事を担当することも増えた。
読者の生の声に、喜ぶ様にやり甲斐を感じたイチローは、日本のガンマニアたちに人気のガンを意識して選び、紹介を続けた。
が、あるところで、不安を覚える。
≪すでに、人気のガンのほとんどを紹介してきた。名のあるガンは紙面に載せてきた。今後、どういった記事を書けばいいのか? 続けられるのか‥‥≫
イチローが抱いた不安は、モノを紹介するリポーターとして至極まっとうなものであった。ガンの種類は多い。一つずつ、一梃ずつ紹介して行けば、その全部を見せるのに何年も何十年も掛かるだろう。しかし、それでいいのか? ガンなら何でもいいのか? ただ紹介すればいいのか?
改めて「ガンリポーター」の意味を、そのあるべき姿を想ったイチローは一つの答えにたどり着く。
≪自分の言葉でガンを語れるリポーターになろう。誰かからの受け売りではなく、巷にあふれる書物の書き写しでもなく、自身で良し・悪しを語れるリポーターになろう!≫
ガンの良し・悪しを語れる。自分の意見を真っ直ぐ言える。
その裏打ちとして、イチローは自身の射撃の腕前を上げることを目指した。誰もが認める射撃力を身に着けることで、そこを基準としガンを評価できるはず‥‥という判断だった。一つの道具を見事に使いこなせる技を身に着けたとき、その道具に対してブレない自分を確立できると信じた。
「世界一ケンカが強い男は嘘をつかない」
そう語ったのは空手家の、故・大山倍達だが、イチローの判断はそこに通じるものがある。
決心からすでに十余年。イチローは拳銃射撃の世界にどっぷり嵌ると、今も、射撃大会の一つである『ビアンキカップ』にのめり込んでいた。
そんなイチローを師と仰ぐ一人がケンだった。
幼少のころからガン好きだったケンはイチローの月刊GUN での記事に感化されると、19 歳の時に初めてアメリカの地を踏んだ。縁あってイチローとの付き合いが始まるや、その伝手もあり、大学を卒業すると同時に月刊 コンバットマガジンにおいてモデルガン リポーターとしての仕事をスタートさせていた。
≪いつか、ビアンキカップの大舞台でガンを撃ちたい!≫
29 歳の時、ケンのその夢は叶った。イチローの助けによって実現した。
それ以降、毎年、春になるとイチローの元を訪ね、イチローを師とし、他の日本人シューターたちと射撃練習に明け暮れる日々を送ってきた。
ケンと同じく、毎春に渡米してはビアンキカップを目指す男がテツヤだ。
高校卒業後に勉学と就職のため、実家のある三重県は津市から東京へと移り住んだテツヤは、モデルガンメイカーのMGC が主催するガンショウ会場でケンに出会うと、それを切っ掛けに親交を深め、共にモデルガンを、エアガンを、そして実銃を撃つ仲間として行動するようになっていた。自然とイチローを師とし、ケン以上に射撃に没頭している。
もう一人、イチローやケンと同じく、月刊 コンバットマガジンでリポーターとして活躍する男がトモだった。トモがリポーター稼業に就いた裏にはケンとの出会いがあったが、そこには、知られざるイチローの想いと助言が絡む。
何はともあれ、イチローはもちろんのこと、彼ら四人の人となりについては後々、ゆっくり語る機会もあると思うが、ここでは、イチローを求心力とし、ガンと射撃の魅力に強く惹かれた男たちが一心に、飽くなき練習に身を投じる‥‥といった状況にある。
さて。
毎日、四人が自由に、好きなだけ射撃練習に励める環境だが、その地は、アメリカはキャリフォルニア州のマリポサという街に位置する。「街」と書いたが、シューティングレンジは人里離れた山中にあり、それは、世界に名を轟かす名シューター、ミッキー ファアラの私有地内に設けられていた。
1970 年代後半。アメリカでのアクションシューティング界が変貌を遂げ始めたその時期、ミッキー ファアラは現れた。スピード射撃において世界一の座に輝き、数々の記録を打ち立てたミッキーは、彼が運営する射撃スクールに生徒としてやってきたイチローと出会う。
いつしか、「射撃の先生と生徒」の関係を超えた付き合いがミッキーとイチローとの間に芽生えると、二人は「親友」となり、人生を歩み始める。
後に、ミッキーはマリポサに800 エイカー(約320 万平米=約100 万坪)という広大な土地を購入し、移り住むと、それを機に私有地の一角に射撃場を造った。ビアンキカップ練習のための射撃場を完成させた。さらになお、その環境をイチローが自由に使うことを認め、許した。
結果、イチローを師と仰ぐ日本人シューターたちは、イチローの指導の下、我が物顔でプライベートの射場を使えるという幸運を得る。
大自然の中の専用射撃場。
そこからは日本でも有名なヨセミテ国立公園の山々を遠くに望め、特に、水と空気が綺麗な土地であった。
加えて、キャリフォルニアは空気が乾燥しているため、夜になると星空が眩しいほどに広がった。星と星とが限りなく近づき、まるで、黒い画用紙の上に大さじ一杯の砂糖をぶちまけたように「白い点々」が重なる。
余談になるが、ケンが生まれ育った埼玉県の田舎は国立・天文台も設けられるほどに星の観察に適した地ではあったが、そんな田舎で見あげた夜空の、十倍もの星座と宇宙の大きさを眺められる贅沢ぶりに、ケンは毎夜、感動した。
特に、クッキリと帯状に伸びる天の川の美しさは例えようもなかった。
トモがドライブし、四人を乗せた車が向かった先には小さな平屋があった。
小さな‥‥と言っても日本ふうに表現すれば「2LDK」となるだろうか。見た目は山小屋だがシャワーもトイレも完備された快適なる空間であり、日本からやってきたシューターたちの「我が家」だ。
“ ただいま~! ”
“ ただいま~! ”
一人一人がそう口にしながら家の中へ入ると、アキは昼食作りの最中であった。
トモの彼女のアキは射撃には興味がないが、自然の中での暮らし、生活への憧れもあり、ビアンキカップ挑戦のために渡米したトモと一緒にマリポサへとやって来ていた。そして、何かお手伝いがしたいと、自ら調理役を買って出たことでシューターたちは練習時間を増やせると同時に食生活の充実も図れ、アキには深く感謝していた。
“ もう少しでできますよ~! ”
明るくアキが言った。その手にはフライパンが握られ、5~ 6 本のソーセイジが踊っている。そのソーセイジだが、日本のお弁当箱に入れられる小ぶりの可愛いサイズではなく、コンビニのレジ横で見かける、アメリカンドッグやフライドチキンと並べられる大ぶりのものだった。近年、日本のスーパーマーケットでも取り扱いの増えたジョンソンヴィル社のソーセイジだった。
ジョンソンヴィルのソーセイジにはチーズの入ったものや燻製されたものなど、何種類もの風味が揃っているが、日本人カップシューターたち(ビアンキカップを撃つシューターたちを、短くそう呼ぶ)にとっての定番となっているのがガーリック風味だった。イチロー、ケン、そしてテツヤもトモもガーリック好きで、色々な種類のソーセイジを一緒に求めるも、ガーリック風味だけはいつも多めに購入していた。
なるほど。台所に限らず、家の中はどこもかしこもガーリックの香りで満ちている。
香りに釣られフライパンの中のソーセイジをよく観ると、ツルっとした姿ではなく、「これがソーセイジか?」と疑いたくなる形をしていた。あちこちから「芽」が出ていると言えばよいのか、それとも「棘」と表現すれば近いのか、何かがポツポツと飛び出しているのだ。
“ おお。きょうも特製ガーリック ソーセイジか。これでないと食った気がしないからな”
フライパンの中を覗き込んだイチローが言った。
「特製」というのは、太くて長いソーセイジに先のとがった包丁を何度も何度も突き刺して切れ込みを入れ、そこに、スライスしたガーリックを挿し込んだものだった。1 本のソーセイジにガーリックを何個も詰め込む。通常、香り付けや薬味として利用されることの多いガーリックが、ここでは「具材」となっていた。いや、ソーセイジの大きさに対して使われるガーリックの量を見ると、もはや、「ガーリック風味のソーセイジ」なのか「ソーセイジ風味のガーリック」なのか、意見は分かれるに違いなかった。
見た目にも香りにも、容赦も可愛げもない。手加減がない。
そんなソーセイジに手際よく、アキは醤油やみりんや砂糖で甘辛く味付けをする。
“ おお、いい感じだな。でも、まだガーリックが足りないんじゃないか? ”
まな板の上に残っているガーリックを見つけたイチローは、さらなるガーリックの追加を訴える。“ 遠慮するな、ガンガン入れろ” と、促す。
“ は~い! ”
軽く、そして明るく答えたアキは、フライパンの中に、さらに大さじ3 倍分の刻みガーリックを加えた。
ジュワワ~。
両目をシバシバさせながらも、アキは菜箸でフライパンの中身を馴染ませる。
“ よしよし。これでこそ本物のガーリックソーセイジだな”
イチローも満足げだ。
と、そんなフライパンの中を眺めていたからか、気が付いたようにイチローが言葉を付け足した。
“ そういえば、アレも、そろそろ呑みごろか‥‥”
イチローが「アレ」と呼んだのは、焼酎にガーリックをたっぷりと漬け込んだ「ガーリック酒」のことだった。元気がないと練習も満足にできないからと、練習開始の時期と合わせ仕込んだものだった。
“ 後で、試してみるか‥‥”
そう言ったイチローの目の前には、皿に盛られた特製ソーセイジがあった。
“ いっただきま~す! ”
そう叫ぶが早いか、四人が四人とも、一斉に椀に盛られた玄米を口に運んだ。もちろん、特製ソーセイジも次々と消えていく。
“ うまいな~ ”
“ うまいな~ ”
“ アキちゃん、料理がうまいよね”
トモ、ケン、テツヤは、モグモグと口を動かしながらアキの料理を褒めた。
“ 特に、このソーセイジがいいな”
イチローも、そう続ける。
“ そんなことないですよ~ ” と、アキは笑顔で応える。
“ あれですかね、やっぱり、ガーリックが効いているのがいいんですかね”
ケンだった。そう言いながら2 本目の特製ソーセイジを口に押し込む。
“ だろうなぁ。みんなしてパワーが必要だからなぁ”
イチローが話を進める。
“ いや~、ソーセイジもイイですけど、この生のカリフラワーもイイですよね。アメリカへ来て、初めて生でカリフラワーを食べたけど、美味いですねぇ‥‥”
今度はテツヤが言った。
日本では、カリフラワーは茹でてサラダなどに使われることが多いが、カップシューターたちは5mm ほどの厚さにスライスしたものを生で食べた。塩コショウを振った後にレモンを絞ることもあれば、多めにキューピーマヨネーズを掛けることもあった。
“ これか。これは美味いな。ワシがFBI のスワットトレイニングに参加したとき、昼時、カリフラワーを齧る隊員がいてな、真似たら美味かったから、それからはこのスタイルだな‥‥”
イチローだった。
「FBI のスワットトレイニングに参加‥‥」という件からして、すでに世界観が普通ではないが、特製ソーセイジや生のカリフラワーにむしゃぶりついているケンやテツヤやトモにとっては日常の話らしい。そこには誰も、少しも驚いたふうがない。
“ そうですね~。本当に、コレうまいな~ ”
カリフラワーを口に運んだケンが言うと、誰もがウンウンと頷く。
ただ、異口同音に、美味い、美味しいと彼らは叫ぶが、その食べっぷりを見ていると、本当に味が分かっているのか? 味わっているのか? との疑問が浮かぶ。
丼ぶりに山と盛られた玄米が、大皿に溢れたソーセイジが、そしてカリフラワーが無造作に消えていく様は、「食を楽しむ」という姿からは遠い。それはまるで、午後からの本格的な練習を前に、身体に力を貯め込むための仕業とさえ思えた。口の中に、肚の中にパワーを押し込む作業と映った。
“ 今から思うと、昔は昼も弱かったですよね。カップラーメンだったし‥‥”
少し寂しそうな声でテツヤがつぶやいた。
“ あのころは食事の大切さが分かっていなかったな。それに時間が惜しかったからな”
イチローが返す。
食事時間よりも練習時間優先だった時代を思い浮かべる。
“ ああ、でも、イチローさんが作ってくれたネギサラダは最高でしたよ”
そう口を挟んだケンは、目の前のカリフラワーの中に「ネギサラダ」を思い浮かべたのか、幸せそうな眼を向けた。
ケンが「最高だった」と懐かしむネギサラダというのは、通常の、よく見かける親指ほどの太さのネギではなく、九条ネギのような、エンピツほどの太さのネギをぶつ切りにしたものに、タップリのキューピーマヨネーズを掛けたシンプルなものだった。ピリっとしたネギの辛みと、マッタリとしたマヨネーズの甘みが絡み合い、得も言われぬ風味に仕上がっていた。
“ ああ、あれも美味かったな”
今度もイチローが応えた。
思いもよらぬ食事談義が進む中、誰も彼もが二杯目の玄米飯を盛っていた。
そこでイチローは、トモが日本から持ってきた梅干しに箸を伸ばす。
その梅干しは梅の名産地として知られる和歌山県で造られた名のある品で、通常、デパートあたりで贈答品として買い求められる逸品だった。イチローが大の梅干し好きと聞きつけ、トモが用意したのだ。
“ いやぁ。この梅干し、確かに美味いが、ワシらみたいなナラズ者には似合わんな”
梅干しを口に運んだイチローはそう言った後、「上品すぎる」と付け加えながらも満足した顔を見せた。
“「ナラズ者」って、なんだかカッコいいですね”
テツヤが笑いながら言うと、
“ まあ、ワシらみたいに、玄米喰って、山の中でテッポー撃ってる者は、世間から見ればナラズ者よ。う~ん。ナラズ者はいいな。死ぬまでワシら、ナラズ者でいような! ”
と、ここでもイチローが応える。
“ 確かに、シアワセ者ですよねぇ。何がどうなって、こんなにシアワセになったのか‥‥”
ケンには似合わぬ、少しだけ真剣な口調だ。
昔はモデルガンで遊んでいて、バカだ、クズだ、落ちこぼれだと蔑すまれていたというのに、気が付けば、大好きなガンと射撃に夢中になれる毎日があり、しかも、それが仕事の一部になっている。
それはどういった経緯からなのか。
考えて分かるコトではないが不思議な流れだけに気にもなる。それはテツヤもトモも同じだった。運が良かったのか? たまたま、そういう星の下に生まれたのか?
“ そうだよなぁ。ワシも昔はアメ横へ通ってモデルガンを買っていたのになぁ。いつの間にか本物のテッポーだからなぁ‥‥”
イチローさえも同じ意味のことを言い出すと、さらに、
“ それにしても、昔のアメ横はすごかったな。雨が降るとぬかるんでなぁ。田舎の養鶏場みたいな臭いもしたっけなぁ。本物のテッポーが欲しければ、ガード下の怪しげな暗がりに行けば、いつでも手に入るって感じだったなぁ。ケン、そうだったよなぁ”
と、自然に、ケンに同意を求めた。
“ いや~。アメ横に通い出したころには、街も道もきれいでしたよ。立派なビルもいっぱい建っていましたし‥‥”
ケンが答えると、驚いたふうの口調となったイチローは、
“ えっ! そうなのか? ケンがアメ横へ行ってたころは、道はぬかっていなかったのか? ワシとケンは、幾つ違うんだ? ”
“ 十七歳、違いです”
ケンが即答すると、イチローはさらに驚いた口調となって、
“ えーっ! じゅうななーっ!! そんなに違うのかー!! ”
と、返したかと思うと、直ぐに落ち着いた口ぶりを取り戻して続ける。
“ いつも、何でも知ったふうな、エラソーなことを記事に書いてるから、ワシとは同じ部活の、先輩・後輩くらいだと思ってたよ。 ふ~。あぶない、あぶない”
そこでみんなして笑い転げる。
肚もくちくなると直ぐには射撃練習も始められない。少しの休憩も兼ね、ケンとテツヤはディロン社製のローディングマシンで練習用の実包を造り始めた。そのマシンは1時間に1000 発の練習弾を造れる性能を持ち、カップシューターたちは1日おきに1000 発から1500 発の実包を造ることが習わしとなっていた。
“ あのさ~。こうやって練習弾を造るってだけでも、楽しいよね~ ”
マシンを操作しながらテツヤはケンに話し掛けた。
“ うん。これ、おもしろいよな”
テツヤの作業と並行し、ケンは空薬莢の選別を行いながら答える。
空薬莢の選別というのは、ビアンキカップの練習中、空薬莢を繰り返し利用し実包を造っていくと、ヒビ、その他の変形があらわれるため、それの発見・確認を行い、不備が見つかったモノを排除する‥‥という作業だった。
“ でもさ。さっきも話が出たけど。気が付いたら、俺、スゲーことやってるなって、ときどき思うんだよ。なんで俺がケンさんやイチローさんと一緒に射撃練習できて、しかも試合にも出られるんだろう‥‥って、思うんだよ。ヘンだよね”
何がどうヘンなのかの説明は抜きに、テツヤは、さらに自身の想いを語り始めた。
テツヤはその辺、気が回る性質ではなかった。
“ 前にも話したけどさ。以前、イチローさんと一緒にピッツバーグのポリスレンジで射撃した時さ、途中で昼食ってなって、リラックス気分で食べ始めてね‥‥。ほら、あそこって広くて景色もいいし、ピクニック気分だったわけよ。ああ、俺、ガンマニアとして、最高の時を味わっているなぁって。そこで気を良くしてさ、手元のガンを構えて、空撃ちしたんだよ。そしたら、バーン!って弾丸が発射されて‥‥。昼食で、みんなイヤマフ外してたんだよね。ああ、いやさ。イヤマフを外してたとか、そういうレベルじゃないよ。セイフティエリアで、いきなりバーン! だよ。もう、その場で撃ち殺されても文句の言えない失敗したんだよね。俺‥‥”
いつもは陽気なテツヤだったが、過去の失敗を思い浮かべたせいかどうも元気がない。
“ でさ。その失敗だけでも充分に出入り禁止だと思うけどさ、ケンさんも知ってのとおり、俺って、何度も何度も失敗してるだろ。それでも、今、ここで射撃ができてるのって、自分でも何だか分からないんだよね”
テツヤは、何かをケンに相談したいという気持ちからではなく、ただただ、整理しきれないながらも自分の過去と現在とを思い浮かべ、自分なりに自身の生きざまを理解しようと努めているのだった。
“ う~ん。まあ、テツヤも失敗は多いからなぁ。でもな、それを言い出すと、コッチは、テツヤ以上に震えるような失敗をしでかしてるからなぁ‥‥”
真顔となったケンは自身の過去を想い浮かべると、そう返答した。
“ 二十歳になったばかりのころだよ。イチローさんの大事な三脚を足蹴にしたんだよ。あれを想い出すと、本気で死にたくなるな‥‥”
元気のないテツヤに逆に心配されるほど、ケンの声は小さくなった。よく見ると今にも泣き出しそうだ。
“ おおっ! あの話だね。あの、「ビアンキカップへの道」でも書かれていた話だね”
と、失礼なほど嬉しそうに反応したテツヤは、少し元気を取り戻す。
“ あのさ。ケンさんは大変だと思うけどさ。俺、カップを撃ってて、スゲー嬉しいんだよ。だって、試合が終わった後、ケンさんの「ビアンキカップへの道」を読めるだろ。あの記事の面白さはさ、ただの読者じゃダメだよね。一緒にカップを撃ってるから分かる部分ってあるからさ。今年も楽しみなんだよ‥‥”
と、ますます元気になったテツヤは実包造りにも熱が入る。
その辺の単純さもまた、テツヤの性質だった。
重いのか、それとも他愛がないのか。どちらとも取れる会話を続けながらもケンとテツヤの二人は快調にマシンを動かし続け、1 時間半ほどで2000 発の実包を造り上げた。
“ どうする。直ぐに練習に行こうか。午後は50 ヤードも撃ちたいし”
大量の実包をアンモバックに詰めながらケンが言った。
“ そうだね。でも、もうすぐトモちゃんも戻ってくるだろうから、それまでもう少し練習弾を造っておこうぜ”
と、テツヤが提案する。
ケンとテツヤの二人が練習弾を造っている間、先に午後練習に出かけているトモは、そろそろ休憩と自身の練習弾造りのために戻ってくるはずで、それと入れ替えに出かけようという話でまとまった。
そこで実包造りを再開すると、ほどなくトモは戻ってきた。家に入るなり、
“ いや~、ダメですね。いくら撃っても「一発病」から抜けられません‥‥”
そう切り出した。
トモの言う「一発病」とは、気持ちよく、良いグルーピングで射撃ができているにもかかわらず、なぜか、一発だけ、突発的に外すという症状だった。もちろん、突き詰めていけば、外すのは未熟だからであり射撃力の低さが原因ではあるが、どこでどう外すのかが見えていないため練習のしようが、対策の練りようがないことが問題であった。
“ おいおい、トモちゃん。一発だけならいいよ。こっちは外しっぱなしだから‥‥”
苦笑まじりにケンが答えるとテツヤも笑った。
そこにイチローも戻ってくる。
ケンとテツヤが射場に向かおうとすると、さすがにこの時間帯では暑すぎるから、もう少し後で一緒に出掛けてはどうかとイチローが誘った。確かに、午後2 時前後の日差しは
容赦がない。
そこへ、タイミングを見計らったようにアキはウーロン茶を入れると、それぞれに手渡した。
そのウーロン茶を口に運びながら、唐突にテツヤは話し始めた。
“ イチローさん。さっき、実包を造りながらケンさんとも話してたんですけど、やっぱり、俺、スゲー運がいいっていうか、何でみんなと一緒にカップに出られるのかって、思うんですよ”
テツヤの中では順序も筋道も通っているようだが、脈略はデタラメだった。
そこで、そこからのテツヤの話を要約すると、イチローさんもケンさんも、そしてトモちゃんも雑誌でライターとして活躍しており、そこに一人、部外者の自分が加わっていられるのは望外の幸せ、幸運だと力を込めるのであった。
すると、それを聞いたトモが、
“ テツヤさんがそう言うなら、自分こそ、たまたま‥‥”
と、こちらもまた自身の過去を話し始める。
フムフム‥‥と、イチローもケンも、トモが語るがままに聞いていたが、そっちの話も要領が悪い。何をどう伝えたいのかが見えてこない。そこでトモの話も簡単にまとめると、昨日・今日、仲間に加えてもらった新参者の自分に、こんなに良くしてもらってどう応えればよいのかが分からない‥‥と、しんみりとした。
“ まあ、細かいことはどうでもいい。アメリカで好きなテッポーを撃ててるってことは、それだけでハッピーだからな”
イチローはそう纏めると、少しだけ説明口調で、
“ 何がどうなって、今の自分の人生があるのかなんて分からんしな。ワシも、まさか、アメリカで好きなテッポーを撃って、それで生活するようになるなんて思ってもいなかったからな。テツヤ、想像できるか? テッポーの写真を撮って、そのテッポーがイイとか悪いとか好きに書いて、それで暮らせてるんだぞ。そんな人生ってあるか? ”
と、投げかけた。
イチローの口から「そんな人生ってあるか?」と問われると、テツヤはもちろん、トモにもケンにも答えようがなかった。確かにとんでもない人生とも思えるし、イチローの能力からすれば当然とも考えられる。
“ 何がどうなって、ワシはこんな人生を歩んだのか、説明なんてできんだろ”
なるほど、誰にも説明はできない。たまたまかもしれないし、イチローのたゆまぬ努力の結果かもしれない。が、説明はできない。
“ そうですねぇ‥‥”
そうテツヤは独り言ちした。
何かを納得したふうのテツヤだったが、そういえば‥‥と、改めて話を続ける。
“ イチローさんは、どういった理由でアメリカへ渡ることになったんですか? 決めたんですか? ”
これまで、イチローに纏わる話は数多く、直接本人から、もしくはイチローを知る人々の口から聞いてきたが、「なぜアメリカへ?」は、テツヤも知らなかった。
“ あれ? 話していなかったか? ”
そう答えたイチローは視線を窓の外へと向けると、一瞬、自身の過去を振り返る様子を見せた。
が、ほどなく、ゆったりとした口調の中にも確固たる意志を感じさせながら、言葉を選び、それでいて、いつもの柔軟さを保ったまま、三人に向かい、話し始めた。
“ 昔、日本に居たころ、写真を撮っていてな。仕事で写真を撮っていてな‥‥。でも、自分の人生を自分でハンドルできないってことに耐えられなくて‥‥。もう、生きていてもしょうがないなって気がして、死ぬことにしたんだよ。でな、どこで死のうかって、東名高速を駆りながら考えてな‥‥。それなら富士の樹海がよさそうだって‥‥”
ケン、テツヤ、トモの三人はイチローの言葉を聞き逃すまいと自然と前のめりになる。
そんな彼らの想いとは関係なく、イチローの話は淡々と、いや「粛々」と続くのであった。
2017年01月12日
負けるも、また愉しからずや♪
市 (2017年01月12日 12:25)
│Comments(5)
│語りのプラザ
雨にも・・負けて
風邪にもすっかり負けて
夏の暑さにも負けて
冬の寒さには完全にやられ
訴訟だろうがなんだろうが
ほっておいて
ただひたすらに家にこもる・・・
そんなワッシになっちゃった(^◇^;)
はい、夜になりました・・・
ずっと家にいましたよ〜ん(^○^)
一日中、ずっとアホなアクション映画を観てすごしましたよ♪
だって読書しても脳に入らないので(^_^;
するとノドの痛みは消えました・・・
けどアタマは重く、腰がギシギシ(◎-◎;)
ナナ奥も同じ症状で、もっとひどいです(>_<)
なんと長いフルーでせう・・・
ヘンリー君はダイジョブかな・・・?
市
2017年01月11日
何もしないのも難しいデス
市 (2017年01月11日 12:44)
│Comments(14)
│語りのプラザ
こちらは、夜になりました。
今日も冷たい雨がずっと降っていました。
雨を見やりながら3日間ばかり
ナニもしないでゆっくりしたいと
願っていたのですが・・・
ついつい水路を作るための
労働などやってしまい
低体温症気味になって
思考力低下をきたし・・・(^_^;
と、
そんなわけですから
明日こそは
外に出ないでいようと・・・(^^)
で、
明日も雨なのだそうです・・・
ほぼフルーが治ってきた市(^-^)/
2017年01月10日
ストーム
市 (2017年01月10日 14:37)
│Comments(2)
│語りのプラザ

キャリフォニア州の中部→マリポサ周辺ではナントヤラという名前のストームが吹き荒れており、20年ぶりというほどの大雨が降り続いているのです♪
そのためにメダカも住めないほどに乾いた沢が このように まるで鮭が登ってくるのではないかと想われるほどの急流に(^○^)
ストームとはいえ気候温暖なキャリフォニアの場合、日本でいえば「そよ風と普通の雨」ていどなのですけどね(^◇^)
ヨセミテにもドカ雪がたまり、これで今夏の水不足は回避されるもようなんですよ(^-^)
今日は病院には行きましたが 検診の結果が良かったという確認だけもらい、フルーについては黙っていました、、なぜって、だってなるべくは自然治癒で治したいですからね(^^)
まだノドが少し痛み、軽い頭痛だの鼻水が出るなどしていますが軽いジョギングはできるようになりました♪・・・でも雨の中を走ったので ちょいと身体が冷えてしまい 午後はベッドにもぐり込んで映画など観てすごしましたけどサ(^0^;)
しかし、今年は寒いです。
なんだか地球が冷え切っているみたいに寒いですよね(^_^;
中国の経済もかなり冷えているようなので、今年あたりはいよいよチャイナ発の経済クラッシュが起こるかもしれませんね。
トランプ占いで見るに(^o^)アメリカとチャイナは仲良くできない年になりそうなので、そこから飛び散る火花が日本にどう影響するのか・・・
なんだかビアンキカップに浮かれているどころではないような気がしながらエントリーの手続きをしましたよ(^_^;
2017年01月09日
カズヤが去る・・・
市 (2017年01月09日 05:09)
│Comments(18)
│語りのプラザ
イチロー様 ご体調の優れぬところ、ぶわかものどもをお世話いただき、まことにありがとうございました。 私も来年末あたりにお邪魔したいと考えていたのですが、どうやらしばらく延期になりそうです。 一昨日のことですが、勤務先のブログにて、私の退社を公に発表いたしました。
http://gunsmithbaton.militaryblog.jp/e824267.html
社員の退職をこんな形で発表するなんて、ちょっと前代未聞ですよね(汗) わざわざコメント欄に書き込むことでもありませんが、TACTICAL LIFEを通じて知り合えた皆様にもお知らせすべきかと思い、この場をお借りいたしました。 もちろんこれからも、イチローさんのファンであることに変わりはありませんので、今度は仕事抜きで、皆様とお付き合い出来ればと思います。
ご体調の悪いところに、あまり楽しくない話しを持ち込んでしまって、大変失礼いたしました。 どうかゆっくりとご自愛くださいますよう、お願い申し上げます。
カズヤ
精一杯に書いたらしい淡々とした無駄のない文章の行間からは、カズヤの慟哭や歯ぎしりが伝わってくるよ。
長い懊悩があったと察せられる。様々な角度からのトラブルがあったのだと想う・・・。
こうなったのは、カズヤの中にある不器用な正直さゆえだったのかもしれない、とも想う。
カズヤの心にあふれる情熱がために、決断力が適切な時点で発揮されなかったのではないかと・・・とも考えている。
さいわい、今の日本は働き口がいろいろとある。
できたら、新しい職を決める前に、このイチローにちょいと相談してほしいよ。
とくに干渉などしない・・・ただ、カズヤがワシに相談することだけで自分の意思が固まるということが多いのでね
自分の心は誰にも解らない、と想っていても、ときには自分よりも他人のほうが全体像を把握できることもあるんだよ。
ともあれ、
新しい仕事が見つかったら、そこに通うために使ってほしいモノをテツヤたちに托したので受け取ってくれ。
勇気をもて、カズヤ!!!
土壇場でニヤリと笑うだけの意思力を持て!!
市
http://gunsmithbaton.militaryblog.jp/e824267.html
社員の退職をこんな形で発表するなんて、ちょっと前代未聞ですよね(汗) わざわざコメント欄に書き込むことでもありませんが、TACTICAL LIFEを通じて知り合えた皆様にもお知らせすべきかと思い、この場をお借りいたしました。 もちろんこれからも、イチローさんのファンであることに変わりはありませんので、今度は仕事抜きで、皆様とお付き合い出来ればと思います。
ご体調の悪いところに、あまり楽しくない話しを持ち込んでしまって、大変失礼いたしました。 どうかゆっくりとご自愛くださいますよう、お願い申し上げます。
カズヤ
精一杯に書いたらしい淡々とした無駄のない文章の行間からは、カズヤの慟哭や歯ぎしりが伝わってくるよ。
長い懊悩があったと察せられる。様々な角度からのトラブルがあったのだと想う・・・。
こうなったのは、カズヤの中にある不器用な正直さゆえだったのかもしれない、とも想う。
カズヤの心にあふれる情熱がために、決断力が適切な時点で発揮されなかったのではないかと・・・とも考えている。
さいわい、今の日本は働き口がいろいろとある。
できたら、新しい職を決める前に、このイチローにちょいと相談してほしいよ。
とくに干渉などしない・・・ただ、カズヤがワシに相談することだけで自分の意思が固まるということが多いのでね
自分の心は誰にも解らない、と想っていても、ときには自分よりも他人のほうが全体像を把握できることもあるんだよ。
ともあれ、
新しい仕事が見つかったら、そこに通うために使ってほしいモノをテツヤたちに托したので受け取ってくれ。
勇気をもて、カズヤ!!!
土壇場でニヤリと笑うだけの意思力を持て!!
市
2017年01月09日
やっと寝正月を・・・
市 (2017年01月09日 03:40)
│Comments(10)
│語りのプラザ
今日も雨です・・・
大晦日の練習は冷たい雨の中でやり
元旦の試合は白い息を吐きながら、やっともちこたえ・・・
体調を崩したままで さらに練習をつづけ、ついに一晩ダウンしました(@_@;)
でも、ヴワカモノ組をほっておくことはできず、治ったフリをしながら熱っぽい身体でオツキアイ(^0^;)
時間があるときは ひたすらに身体を休めており、そのためにブログも書けませんでした(+_;)
そしてブワカモノ組は帰途に・・・♪
昨夜は早々に寝て朝は9時に寝覚めました。
咳はまだとまらず肺の奥に痛みが・・・
なんとナナ奥さんも同じ症状で(>_<)
2人ともフルーにやられているようです。
でも、子ども達はピンピン♪
さいわいにも明日は血液検査の結果を聴きに病院にいくのでクスリか注射でも打ってもらおうかと想っています。
で・・・
朝食の後は暖かいベッドに寝転んでヴワカモノ組が運んでくれたソニーの4Kテレビで映画などを観ているのです。
こうしているかぎりは頭痛と耳鳴りはあるものの、なかなかカンフィーです(^^)
4K放送ではなく普通のNETFLIX映画なのですが、これまでよりもずっとシャープで鮮明に映ります(^-^)
これで、ようやく寝正月が始まりました (^。^)
市
大晦日の練習は冷たい雨の中でやり
元旦の試合は白い息を吐きながら、やっともちこたえ・・・
体調を崩したままで さらに練習をつづけ、ついに一晩ダウンしました(@_@;)
でも、ヴワカモノ組をほっておくことはできず、治ったフリをしながら熱っぽい身体でオツキアイ(^0^;)
時間があるときは ひたすらに身体を休めており、そのためにブログも書けませんでした(+_;)
そしてブワカモノ組は帰途に・・・♪
昨夜は早々に寝て朝は9時に寝覚めました。
咳はまだとまらず肺の奥に痛みが・・・
なんとナナ奥さんも同じ症状で(>_<)
2人ともフルーにやられているようです。
でも、子ども達はピンピン♪
さいわいにも明日は血液検査の結果を聴きに病院にいくのでクスリか注射でも打ってもらおうかと想っています。
で・・・
朝食の後は暖かいベッドに寝転んでヴワカモノ組が運んでくれたソニーの4Kテレビで映画などを観ているのです。
こうしているかぎりは頭痛と耳鳴りはあるものの、なかなかカンフィーです(^^)
4K放送ではなく普通のNETFLIX映画なのですが、これまでよりもずっとシャープで鮮明に映ります(^-^)
これで、ようやく寝正月が始まりました (^。^)
市
2017年01月06日
ブラックホールのご案内
市 (2017年01月06日 01:10)
│Comments(12)
│タクレット





★★★注目★★★
◇TUFF “タクレットMB” プロダクションプロト発売!!◇
イチローさんディザインの最新作!
あのタクレットのPCバッグバージョン「タクレットMB」が登場です!
バッグにホルスターとマガジンパウチを標準装備した、ディスクリートなビジネスバッグなんです。
ノートPCや書類、周辺機器をまとめて収納でき、さらに“エキスパンダブル”仕様で、メインコンパートメントの容量を約3倍に拡張できます!
しかも手提げ、ショルダーバッグ、バックパックの3Wayです。
スッキリした見た目と、充実のタクティカル機能。ビジネスバッグの決定版!!
そのプロダクションプロトが新春浅草ブラックホールで先行発売です!! 30個限定。量産前の試作ですが、実用には問題ありません。価格38,000円(税込)のところ、なんとプロト特別価格30,000円で販売!!
ご期待ください!
TUFF タクレットMB(プロダクションプロト)
カラー:ブラック
価格:税込30,000円(税抜27,778円)
★★★注目★★★
◇特設ステージ◇
「戦闘射撃とホルスター」
プレゼンテーター/トモ長谷川
〇午前の部
「バッグを活かしたセルフディフェンス……新型バッグ“タクレットMB”」
日常生活におけるセルフディフェンスについて、役立つバッグと小物の使い方を披露。
また「ビジネスバッグからの高速ドゥロウ」をはじめ、最新作“タクレットMB”の特徴と効果的な使い方を解説。
〇午後の部_その1
「戦闘射撃とホルスター」
“ホルスター”は戦闘射撃において必要不可欠なアイテム。
しかしその種類を的確に選ばないと機能を発揮できません。
状況に合う最適なホルスター、目的ごとに異なるホルスター選びの“ツボ”について解説します。
〇午後の部_その2
「タニオコバ小林さんとトモ長谷川のトークショー」
新世代モデルガンの快調ブローバック性能、魅力について掘り下げるトークショウ。GM7やM4の開発秘話や新製品、生トークならではのアクシデント的お話も飛び出します。お楽しみに!
※特設ステージ開催時間は、ブラックホール会場の掲示板をご覧ください。
★★★注目★★★
◇“ミッキー”の“ホルスター”コレクション特別販売◇
あの名シューター“ミッキー ファラ”が愛用してきたホルスターの数々を展示&即売。デイヴィス、テッドブロッカースなど、コンバットマガジンや各専門誌で紹介された名作ホルスターの数々。早い者勝ちです!お見逃し無く!
※ミッキーファラ氏についてはこちらを参照(イチローさんのブログより)
http://ichiro.militaryblog.jp/e820668.html
★★★注目★★★
◇イチローさんディザイン“ビースト”シャツ&缶バッジ◇
イチローさんがディザインした最新シャツ“Be Strong !!”。
通称「“ビースト”シャツ」を販売。
◇特設シューティングレンジ◇
この機会にぜひ戦闘訓練を体験してみませんか。ショウステージの内容をうけ、実戦における実践力を鍛える内容です。皆さんの愛用ガンをお持ち下さい! ※レンタルガン(1回100円)もあります。
●ガンファイルやマガジンパウチ、バッグなどTUFF製品、シューティングタイマー(エアガンにも対応)、R226レイルマウント、9mm拳銃用レイルなどを販売します。
ぜひお手にとってご覧下さい!!
また、EOTACタクティカルウェア冬物を各種特価で販売します。
※今回も3日間の出店、1月7日(土)午後1:00からスタートします。皆さまのご来場をお待ちしています。
新春浅草ブラックホール
http://blackholeshow.iza-yoi.net
2017年1月7日(土) 1:00pm〜5:00pm
8日(日)10:00am〜5:00pm
9日(祝)10:00am〜4:00pm
場所:東京都立産業貿易センター台東館
2017年01月05日
沖縄の ゥオリヤー
市 (2017年01月05日 01:10)
│Comments(0)
│訓練

きれいに治癒していて安心しました♪
思い起こせば、私は小さい頃から小柄で、転校も何回かしており、塾に通っているということでイジメの対象になったことがあるのですよね~(^^;) そこで子供心に思ったことは、「まず攻撃されるシチュエイションを避けよう」「1対多数は絶対的に不利だ…」などなど様々でした。 そこから格闘技の本を読み漁り、中学で柔道、大学は空手、琉球古武術をやりました。 トモさんの〝戦闘ナイフ〟に衝撃を受けたのも中学生の頃でした。 で、格闘技をやるのですが練習してもなかなか体格、体重やリーチの差を埋めることが できず悩んでいた時期もありました。そのまま就職しうやむやになってしまっていましたが。 昨年は新潟へ出向しており、イチローさん訓練@田村学校の情報を得て、よし行こう!と決意し参加させて頂いた次第なのです。
その後たびたび田村学校へ護身術、ラぺリング、RBTとお邪魔させていただくようになりました。沖縄に戻ってからも、月に1度の休みは隙があれば東松山通いをしています。
なぜそこまでして行くのか?と自問してみると、もちろん訓練を通じた自分のレベルアップや雰囲気の良さに惹かれていることも大きいですが、自分の中の疑問を明確化し、それに対する答えを持ち帰れるところにあるのではないでしょうか。 例えば護身術では、これまでの経験上ストリートでの闘いでは打撃、投げ、関節技を彼我の間合い、スピード、体格まで考慮してシームレスに変化させなければならないことはわかっていたのですが、自身の習ってきたものの寄せ集めであり、なかなか一貫した答えが見つかりませんでした。「これだけじゃあナイフにも多人数にも対応できないなー、でもやられるわけにはいかんよな」、と。 田村学校では、具体的なシチュエイション、しかも相手も全力でかかってくる想定下での練習ですので、自分がこれまで持っていた技術、新たに習った技術を統合させて自分の中で体系化できる、それがとても新鮮であり大きな喜びでした。 射撃に関しても、撃たれず撃つにはどうしたらよいか、そのためにとれる戦術、そこに必要な技術とは?どうやったら敵やアンノウンの潜む家屋をクリアニングすればよいか?という疑問に必要な技術と知識を学び、試してみてそこから生まれた疑問について質問し、また試行錯誤を重ねていく、という過程が楽しいんでしょうね。まだまだ下手くそで万年伸び悩み中ではありますが(笑) (ちなみにこれまでやってきた柔道・空手も役に立っているとは思いますが、実戦的な技術は琉球古武術が一番だったかなーと思います。うちの道場結構マリーンも来てましたし。ちなみにマリーンの銃剣格闘は琉球古武術の棒術をベイスにしている、という話も聞きました。確かに似てますよ。空手はジゲン流の影響も大きいですしね。ノーライトでの組手もやったりと色々やってました。) 「戦って勝つ、あるいは生き残る確率を上げるためには、具体的な戦術、それに関する知識、そして何よりそうなったときのマインドセットが必要なんだな…」 戦術、知識、マインドセット。これについて毎回新たな学び、気付きがあるのが、田村学校の魅力なのだと思っています。 イチローさんの訓練でも昨年、今年と新たな学び、気付きがたくさんあり、あっという間の2日間でした。
長文失礼しましたm(_ _)m
こちらではもう大晦日ですが、永田家の皆さまもよいお年をお迎えください。 やっとERが落ち着いてきた田舎の病院より
外科三十郎

あの時は、ドクターがいてくださり本当に助かりました <(_ _)>
沖縄に行ったら左翼の攻撃を受けて負傷するかも知れませんから、そのときはじゃんじゃん縫ってくださいね (^○^)
外科三十郎さんが格闘&射撃においても そんなに高いレヴェルの方だとは嬉しいかぎりです。
受講者のほとんどは格闘に関しては経験がなく、したがって訓練内容は闘いのコンセプトを伝えるというものになってしまいます。
しかし、参加の皆さんは想ったよりもずっと理解と順応が早く、今回の「殴り方」の講座でもスムースに受け容れられたという印象がありました。
そこで、来年はアドヴァンスクラスにしたいと考えています。さらなるレヴェルアップのための「実技編」を計画してみるつもりです。
このためには、面や胴のプロテクターを準備しなければならないので トモやタムヤンと相談してみようと想います。
市
2017年01月04日
報道のタマシイが疼く
市 (2017年01月04日 23:36)
│Comments(2)
│語りのプラザ
イチローさんへ ご質問の件について、私が見聞きした感想でしかありませんが、この手の話題を分析している一人の見立てということで、現状や今後の展望を書かせていただきます。
先に真子さんのなまりについて書いておきますと、考察されているとおり鹿児島の訛りにつながる、沖縄本島北部のなまりです。沖縄方言は「独自の言語である」とする主張があるようですが日本の古語で、万葉集などに出てくる言葉が残っていたりするそうです。 たとえば「いらっしゃいませ」は「めんそーれ」と言いますが古語の「参り候え」が訛ったもので、真子さんの出身地名護の沖にある伊江島では「いめんしょり」、奄美では「いもりんそーれ」と変化します。鹿児島にも訛りとつながる方言があるかもしれません。
さて、現県知事のオナガ氏ですが長い間那覇市長を勤めていて、当初は経済振興や観光なども含めて良くやっている市長だと見ていました。2000年頃の印象です。 NHKのドラマ「ちゅらさん」が放送され沖縄ブームだった頃はよかったイメージがありますが、普天間飛行場の辺野古移設が具体的に実行されるようになった頃から本省をあらわした感じです。 非常に欲深い人物であり、そのためには何でも利用するということは概ね間違いないかなと思います。 あと体裁を気にする人物と感じます。身なりや姿勢(=態度ではない)はきっちりしていて、独特のヘアスタイルにも現れていますw 県知事選挙においては前々回は保革一騎打ち状態でしたが、保守系の仲井真前知事が勝利しました。高齢ということやメディアの偏った報道もありましたが、仲井真氏の勝利。 革新系の声が強い沖縄ではありますが、革新系単独では勝てない状況なのです。 オナガ知事という人物は元々は自民党の人間であり仲井真市の選挙対策委員長を務めた人物としても知られています。欲が出たのだと思います。 マスコミで連日バッシングを受けていたオスプレイ配備反対や辺野古問題を盾に保革の枠を超えた「オール沖縄」として革新側に寝返ったわけです。 保守系の一部や政治姿勢ではなくオナガという人物を支持する人+革新+メディアの支援で現在の状態になったのではないかと思います。 県政及びオナガ知事の流れを組む現在の那覇市政においては、那覇の入り口、ホテル街に大陸向けの意味不明な龍のオブジェを中国に発注したり意味不明なことばかりしていて、那覇市も平和平和の連呼とLGBTばかりで両者ともに経済振興そっちのけです。 いわゆる革新不況というやつだと思います。不満を持っている人も実際はたくさんいるみたいです。ただ、親戚関係や地域のつながりや輪を崩したがらない沖縄では、近所の無駄話で終っているのかもしれません。 革新不況といえば同じような反基地ばかりやっている名護市は、プロ野球キャンプ地として活用されている市民球場に関して球団側(日ハムだったかな)から改修の要望があったことを放置し、キャンプ地から外れたとか外れなかったとか(笑) 改修するさいに防衛省の補助金が入ったりするのですが、断ったのでしょうか。 リコールの話ですが県民の半分がリコールを訴えないといけないですから、今の報道とネット情報だけでは現実的に難しいと思います。 しかし面白いことに、辺野古埋め立て訴訟敗訴で「承認の取り消しの撤回」したため、革新側からもリコールの声が上がっています(笑) しかしながらオナガ氏は単独では票を取り込めない革新系のよりどころですから、マスコミは悪く書きたがらないのです。 「埋め立て承認の取り消しの撤回」などとまわりくどい書きかたをしています。仲井真さんとかであれば「事実上の承認」などと騒ぎ立てるのでしょうけど。 革新系やマスコミのよりどころである「オール沖縄」の崩壊は何としても避けたいのだと思われます。現実的にはオール沖縄勢力(元自民党・新風会)で県議会選挙に出た候補者はことごとく落選しています。 那覇市議会ではオール沖縄という泥舟に乗っていたことに気づいて新風会から抜けたり距離を置いている議員もいるみたいです。 一方で本来の保守系の知事候補者が育っているかと微妙なところです。マスコミ報道とともにこれがネックになっているのではないかと思います。 那覇市と名護市以外の首長には若くて優秀な市長が多いので、近々のこととしてまずはこのような方々に知事になってほしいなと思います。 沖縄の観光や産業など経済にとっても良い流れを作ってくれると思います。 前のコメントにありましたが、沖縄には利権構造が強くあると思います。オナガ氏はまさに利権の塊のような人物でもあり、欲の強い人物なのでいろいろやらかしているようです。 スキャンダルにつながりそうな訴訟もいくつか起こされていますが、ことごとく報道されていません。マスコミがこんな状態ですから報道されることはないでしょうが、文春砲みたいのが入ってくれることが一番早い気がします(笑)
sacom
ありがとうございます<(_ _)>
うーん・・・♪
まったく解っていなかった霧の向こうにある沖縄の全体像がうっすらと見えかかってきました。
昔、写真学校の卒業制作で、トカラ列島の悪石島に1ヶ月住んで島の人々の生活を撮影したのですが、同じ日本人でありながら、東京の住民や鹿児島の人々とはまたちがった「島民性」をつよく感じたものでした。
米国に住んでいると、メキシコ人やイタリヤ人、ロシヤ系、イギリス、フランス系といった多くの国々の人たちと交わるわけですが、その国民性にはそれぞれに特徴があることが判ります。
沖縄の状況とこれからどうすればよいのかを調べるためには、沖縄の家庭にホームステイし、何軒かの家をまわり、県民性や地域性といったことを理解しなければならないと考えています。
若かったころのように、問題意識を高めて、キャメラを携え、純粋な報道写真を撮るために沖縄に行きたいものだという気持ちがフツフツと湧いてくるのを止めがたい気持ちです。
収入もないのに家族をほって売れもしない作品を創るために取材活動をする・・・これが私的難関なのですがね・・・(^_^;
もしも、そのせつはsacomさんにもお逢いしたいのでよろしくお願いします<(_ _)>
市
先に真子さんのなまりについて書いておきますと、考察されているとおり鹿児島の訛りにつながる、沖縄本島北部のなまりです。沖縄方言は「独自の言語である」とする主張があるようですが日本の古語で、万葉集などに出てくる言葉が残っていたりするそうです。 たとえば「いらっしゃいませ」は「めんそーれ」と言いますが古語の「参り候え」が訛ったもので、真子さんの出身地名護の沖にある伊江島では「いめんしょり」、奄美では「いもりんそーれ」と変化します。鹿児島にも訛りとつながる方言があるかもしれません。
さて、現県知事のオナガ氏ですが長い間那覇市長を勤めていて、当初は経済振興や観光なども含めて良くやっている市長だと見ていました。2000年頃の印象です。 NHKのドラマ「ちゅらさん」が放送され沖縄ブームだった頃はよかったイメージがありますが、普天間飛行場の辺野古移設が具体的に実行されるようになった頃から本省をあらわした感じです。 非常に欲深い人物であり、そのためには何でも利用するということは概ね間違いないかなと思います。 あと体裁を気にする人物と感じます。身なりや姿勢(=態度ではない)はきっちりしていて、独特のヘアスタイルにも現れていますw 県知事選挙においては前々回は保革一騎打ち状態でしたが、保守系の仲井真前知事が勝利しました。高齢ということやメディアの偏った報道もありましたが、仲井真氏の勝利。 革新系の声が強い沖縄ではありますが、革新系単独では勝てない状況なのです。 オナガ知事という人物は元々は自民党の人間であり仲井真市の選挙対策委員長を務めた人物としても知られています。欲が出たのだと思います。 マスコミで連日バッシングを受けていたオスプレイ配備反対や辺野古問題を盾に保革の枠を超えた「オール沖縄」として革新側に寝返ったわけです。 保守系の一部や政治姿勢ではなくオナガという人物を支持する人+革新+メディアの支援で現在の状態になったのではないかと思います。 県政及びオナガ知事の流れを組む現在の那覇市政においては、那覇の入り口、ホテル街に大陸向けの意味不明な龍のオブジェを中国に発注したり意味不明なことばかりしていて、那覇市も平和平和の連呼とLGBTばかりで両者ともに経済振興そっちのけです。 いわゆる革新不況というやつだと思います。不満を持っている人も実際はたくさんいるみたいです。ただ、親戚関係や地域のつながりや輪を崩したがらない沖縄では、近所の無駄話で終っているのかもしれません。 革新不況といえば同じような反基地ばかりやっている名護市は、プロ野球キャンプ地として活用されている市民球場に関して球団側(日ハムだったかな)から改修の要望があったことを放置し、キャンプ地から外れたとか外れなかったとか(笑) 改修するさいに防衛省の補助金が入ったりするのですが、断ったのでしょうか。 リコールの話ですが県民の半分がリコールを訴えないといけないですから、今の報道とネット情報だけでは現実的に難しいと思います。 しかし面白いことに、辺野古埋め立て訴訟敗訴で「承認の取り消しの撤回」したため、革新側からもリコールの声が上がっています(笑) しかしながらオナガ氏は単独では票を取り込めない革新系のよりどころですから、マスコミは悪く書きたがらないのです。 「埋め立て承認の取り消しの撤回」などとまわりくどい書きかたをしています。仲井真さんとかであれば「事実上の承認」などと騒ぎ立てるのでしょうけど。 革新系やマスコミのよりどころである「オール沖縄」の崩壊は何としても避けたいのだと思われます。現実的にはオール沖縄勢力(元自民党・新風会)で県議会選挙に出た候補者はことごとく落選しています。 那覇市議会ではオール沖縄という泥舟に乗っていたことに気づいて新風会から抜けたり距離を置いている議員もいるみたいです。 一方で本来の保守系の知事候補者が育っているかと微妙なところです。マスコミ報道とともにこれがネックになっているのではないかと思います。 那覇市と名護市以外の首長には若くて優秀な市長が多いので、近々のこととしてまずはこのような方々に知事になってほしいなと思います。 沖縄の観光や産業など経済にとっても良い流れを作ってくれると思います。 前のコメントにありましたが、沖縄には利権構造が強くあると思います。オナガ氏はまさに利権の塊のような人物でもあり、欲の強い人物なのでいろいろやらかしているようです。 スキャンダルにつながりそうな訴訟もいくつか起こされていますが、ことごとく報道されていません。マスコミがこんな状態ですから報道されることはないでしょうが、文春砲みたいのが入ってくれることが一番早い気がします(笑)
sacom
ありがとうございます<(_ _)>
うーん・・・♪
まったく解っていなかった霧の向こうにある沖縄の全体像がうっすらと見えかかってきました。
昔、写真学校の卒業制作で、トカラ列島の悪石島に1ヶ月住んで島の人々の生活を撮影したのですが、同じ日本人でありながら、東京の住民や鹿児島の人々とはまたちがった「島民性」をつよく感じたものでした。
米国に住んでいると、メキシコ人やイタリヤ人、ロシヤ系、イギリス、フランス系といった多くの国々の人たちと交わるわけですが、その国民性にはそれぞれに特徴があることが判ります。
沖縄の状況とこれからどうすればよいのかを調べるためには、沖縄の家庭にホームステイし、何軒かの家をまわり、県民性や地域性といったことを理解しなければならないと考えています。
若かったころのように、問題意識を高めて、キャメラを携え、純粋な報道写真を撮るために沖縄に行きたいものだという気持ちがフツフツと湧いてくるのを止めがたい気持ちです。
収入もないのに家族をほって売れもしない作品を創るために取材活動をする・・・これが私的難関なのですがね・・・(^_^;
もしも、そのせつはsacomさんにもお逢いしたいのでよろしくお願いします<(_ _)>
市
2017年01月04日
プレイトの日
市 (2017年01月04日 02:56)
│Comments(5)
│訓練

マウに例のデカバーガーを食べさせるために町にくりだしました。
これを食べると他のバーガーは敬遠したくなるのです (^^)





二日目の訓練は、ヴワカモノ組が1番やりたいプレイト撃ちです。
15ヤードから6秒間で6枚倒すというゲイムです・・・が、なかなかこれができません。
ワシもアイアンサイトでトライしたのですが、2回連続達成は成らず(^_^;
この基本訓練の大切さを再認識しましたよ。
今年のビアンキカップ攻略練習には これを取り入れようと決めました。

ところでマサはダットサイトをグロックに着けたものを使っているのですが、試合中に突然故障してしまい、観るとこのようにトゥリガー内のセフティーレヴァーのネジが飛び出していました
(@_@;)
これまでにけっこうグロックは撃ったのですが、こういうのは初めてですよ。
こういうところにネジを使うのは、ちょっと良くないディザインだと想います。
さて、三日目の今日は なにをしようかと相談中で・・・まずはウドン鍋に餅を入れてタラフク食べて、ドカタ組と野球組とに別れて腹ごなしをしています♪
市(^-^)/
2017年01月02日
強靱になりましょう
市 (2017年01月02日 17:41)
│Comments(10)
│射撃試合
みなさぁ〜ん (゜◇゜)
あっけまして おめでとうございまーすっ!!
ヽ(^0^)ノ

マリポサピストルクラブの門をマウが開けています。
2017年の元旦は、マサテツリョウマウたちとWCSマッチで銃撃戦をくりひろげる、、という始まりでした(^^)
こんなすごい元旦は始めてです♪

さむーい朝です。
家庭を優先するアメリカ人たちですから、さすがに人は集まらないだろうと想っていたのですが、21人がやってきました(^-^)

ジャパニーズたちは嬉しくて嬉しくてニマニマが止みません(^○^)
一年間をイッショケンメに仕事して、自分へのビッグプレゼントというわけです♪
オカネでモノを買うと、その物が残ります。オカネを使って射撃をすると、その想い出が残ります。
良いモノ、良い想い出・・・
いずれも価値が高いですよね。


本場ローカルでの小さな試合・・・これがじつは大きなコンペティションよりもアメリカの雰囲気をより多く味わうことができるのです。
腕自慢の凄い選手が集まるわけではないのでキリキリしてなく、緊張感もなく、アメリカの一般人たちが趣味でノドカに撃っているというワキアイアイな雰囲気なのです。メンバーたちはジャパンからやってきたシューターたちに大いなる祝福をおくってくれました。
キャリフォニア州は雨期のまっただ中、今にも降り出しそうな厚い雲のもとで終日撃ち、かなり老骨が疲れましたよ。
夜はヴワカモノ組が持参したオトソにカマボコにコブマキなどなどのオセチをいただき、17時にはバタンQしました(^◇^;)
そして目が覚めると元旦の夜ふけ、まもなく2日になるところでした。
さてさて・・・・・・
今年は、去年にも増して世界はより熾烈な様相を呈してくるのではないかという気がしています。
自分の生きる道は自分でドライヴできたとしても、世界で起こる大波は避けることができないわけですから、ワシも覚悟して臨みたいと気持ちを引き締めています。
皆さん、お互いに強靱な心を磨きながら乗り切っていこうではありませんか。
きょうじんとは、
しなやかに強いということ。
ねばり強いということです。
頑を張るのはできるとしても、
しなやかな強さを持つことは、
より難しいですからね・・・
より柔らかく、より粘りを強くし、
ふところ深くなろうでは
ありませんか。
(^-^)/ 市
あっけまして おめでとうございまーすっ!!
ヽ(^0^)ノ

マリポサピストルクラブの門をマウが開けています。
2017年の元旦は、マサテツリョウマウたちとWCSマッチで銃撃戦をくりひろげる、、という始まりでした(^^)
こんなすごい元旦は始めてです♪

さむーい朝です。
家庭を優先するアメリカ人たちですから、さすがに人は集まらないだろうと想っていたのですが、21人がやってきました(^-^)

ジャパニーズたちは嬉しくて嬉しくてニマニマが止みません(^○^)
一年間をイッショケンメに仕事して、自分へのビッグプレゼントというわけです♪
オカネでモノを買うと、その物が残ります。オカネを使って射撃をすると、その想い出が残ります。
良いモノ、良い想い出・・・
いずれも価値が高いですよね。


本場ローカルでの小さな試合・・・これがじつは大きなコンペティションよりもアメリカの雰囲気をより多く味わうことができるのです。
腕自慢の凄い選手が集まるわけではないのでキリキリしてなく、緊張感もなく、アメリカの一般人たちが趣味でノドカに撃っているというワキアイアイな雰囲気なのです。メンバーたちはジャパンからやってきたシューターたちに大いなる祝福をおくってくれました。
キャリフォニア州は雨期のまっただ中、今にも降り出しそうな厚い雲のもとで終日撃ち、かなり老骨が疲れましたよ。
夜はヴワカモノ組が持参したオトソにカマボコにコブマキなどなどのオセチをいただき、17時にはバタンQしました(^◇^;)
そして目が覚めると元旦の夜ふけ、まもなく2日になるところでした。
さてさて・・・・・・
今年は、去年にも増して世界はより熾烈な様相を呈してくるのではないかという気がしています。
自分の生きる道は自分でドライヴできたとしても、世界で起こる大波は避けることができないわけですから、ワシも覚悟して臨みたいと気持ちを引き締めています。
皆さん、お互いに強靱な心を磨きながら乗り切っていこうではありませんか。
きょうじんとは、
しなやかに強いということ。
ねばり強いということです。
頑を張るのはできるとしても、
しなやかな強さを持つことは、
より難しいですからね・・・
より柔らかく、より粘りを強くし、
ふところ深くなろうでは
ありませんか。
(^-^)/ 市
2017年01月01日
大晦日のゴチソー♪
市 (2017年01月01日 15:56)
│Comments(10)
│訓練


気温3度くらい、
ものすごく寒い・・・
それに雨が降りしきって・・・
でも屋根があるのでWCSのフルコースを(^^)
昼はリョー亭の辛いラーメンです♪

こちらはあと一時間ほどで来年になります。
明日、元日はいきなりWCSの試合なんです
(゜◇゜)
大晦日に練習して元日に試合だなんて、なんとラッキーなヴワカモノたちなんでしょう(^^)
皆さんも、それぞれに
良い新年をお過ごしください(^-^)/
眠くて眠くて
元旦の朝まで起きてはいられません(^_^;
これがほんとの睡魔せん、、です(^○^)
2017年01月01日
今年の終わりの朝・・・
市 (2017年01月01日 00:13)
│Comments(10)
│語りのプラザ
おはばんわーん♪
ジャパンはオーミソカの夜ですね。
こちらキャリフォニア時間は日本に17時間遅れていますので大晦日の朝となりました。
そして・・・

またもヴワカモノ組がやってきて正月射撃にチャレンジすることになっているのです。
帰国後、ワッシも忙しくてまだイッパツも撃っていないので、ここらで心をビアンキカップにフォーカスしないとならないと考えています。
73歳というこの年、健康で生き続けられ、日本では300人超という方々と訓練ができたことに感謝し、来年もまた頑張ろうと考えています。
皆様も「今日という一日を生き伸びる」というマインドセットをもって、苦しみや悲しみに耐え、大胆不敵に笑って来年を迎えてください。
市(^-^)/
ジャパンはオーミソカの夜ですね。
こちらキャリフォニア時間は日本に17時間遅れていますので大晦日の朝となりました。
そして・・・

またもヴワカモノ組がやってきて正月射撃にチャレンジすることになっているのです。
帰国後、ワッシも忙しくてまだイッパツも撃っていないので、ここらで心をビアンキカップにフォーカスしないとならないと考えています。
73歳というこの年、健康で生き続けられ、日本では300人超という方々と訓練ができたことに感謝し、来年もまた頑張ろうと考えています。
皆様も「今日という一日を生き伸びる」というマインドセットをもって、苦しみや悲しみに耐え、大胆不敵に笑って来年を迎えてください。
市(^-^)/