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Posted by ミリタリーブログ at

2012年12月30日

「生きる」を観ました・・

市 (2012年12月30日 15:34) │Comments(4)語りのプラザ
身構えたつもりはないのに
緊張感をもって観ました

とても新鮮です
次々と発見があります

はやいうちに・・
バカ息子が出てくるあたりから
すでに涙が流れました

画面の隅々に
音楽の使い方に
小道具にも大道具にも
黒澤監督の息吹が感じられます

とても とても・・・感動しています

しかしながら
「蛍の光」の場面はありませんでしたよ

よく考えたら
あれはたしか「スキャンダル」でしたね

なさけねえですだ〜(*^^)vとほほ



  


Posted by 市 at 15:34Comments(4)語りのプラザ

2012年12月30日

チャレンジは尊し

市 (2012年12月30日 03:40) │Comments(8)語りのプラザ




イチローさん、こんにちは! 武蔵です。

ご無沙汰しておりますが、
お元気でお過ごしのことと思います。

先週、シアトルに戻ってまいりました。

寒いですね。ウチのアパートのお向かいにいつもいたホームレスのお爺さんが、警察に保護されました。36年前の殺人事件の容疑者だったそうです。あ、保護ではなくて、逮捕されたんですね。でも屋根付き食事付きのジェイルのもとで、罪を償えるうえにこの寒さをしのげるのであれば、それはそれで彼には運というか、何か意味があるのでしょう。

今年の7月くらいから始めたジョギングですが、フォアフットランニングという走法を知り、8月からサンダル履きで走る練習をして、10月のグアムでのハーフマラソンと、12月のハワイでのフルマラソン、どちらも完走することができました。

簡単に走り方を説明します。

フォアフットランニングは、着地の際にかかとから接地するのではなく、母趾球とその内側にある横アーチと呼ばれる辺りで接地して、親指から(体重を)抜くといったスタイルで、アキレス腱やふくらはぎの筋力を利用して走ると走法です。

フォアフットというよりも、ミッドフットと呼んだ方が合っていると思います。

はじめのうちは、ふくらはぎがパンパンになりますが、慣れてくると準備運動も不要ですぐに走り始められるようになります。

10月のはじめに東京に行く機会があったので、シミュレーションを兼ねて、新宿都庁前のホテルから吉祥寺まで往復してみたりしましたが、練習不足からか、帰りは途中から歩きました。

小銭を持っていたら吉祥寺駅から電車で帰ってきてしまうような気がしたので、手ぶらで走ったのですが、水すら買えずエライ目に遭いました。最近は、公園にも水飲み場がないようですね(だれも飲まないのカナ?)。

今回の自分の密かな目標は、

「ツラくなったら、すぐにリタイヤすること」

でした。

最近は、

「モチベーションは要らない」
「頑張らない」
「遠慮しない」

というのが自分にとっての課題なので(すが、なかなかできない)、そういう意味においては、スパッとリタイヤするのって、完走よりも難しいカナと、、、

自分が楽しめない状況や喜べない状態は極力排除しているので、もしも現状に感謝できないような気分になってしまった時には、すぐにリタイヤしようと思っていました。

当のマラソンですが、実際に走ってみると、自分の肉体がこんなにも分かりやすくなるのかと、それが一番新鮮でした。足がつりそうになった時に水を飲むと治まったり、ひとたび止まると足が動かなくなったり、、、

身体が自分の意志で動かなくなるほど運動したことなんて、その前がいつだったかを思い出せないくらい久しぶりです。

アタマで考えたことがその通りにできない。すべてが言い訳。マラソンを通して、そんな状況に自ら望んでもっていける贅沢(それもお金まで払って)。とても幸せでありがたい気持ちになりました。

走り方は慣れだと思います。特に、タイムを求めなければ、誰でもそれなりに走れます。とはいえ、距離はごまかせません。長かったです。40何kmといえば、妙円寺詣りのコース(鹿児島〜伊集院)を往復ですもんね。

ホノルルマラソンでは、30km地点あたりから10kmくらい歩きました。

幸い、心おだやかに走ることができたので、肉体的にはキツイと感じることはありましたが、精神的にツライと思うことはありませんでした。楽しく明るい気持ちでゴールできました。

次回のホノルルマラソンには、
先日エントリーしました。

来年はもっと走ります。

2013年、イチローさんはもちろん、イチローさんにとって大切なすべての方々、そしてこのブログを読んでいるガンナッツの皆さんにとって、笑いがたえないステキな一年になりますように。
日本をよろしく。
ムサシ

よくぞやったムサシ(^ニ^)

つらつら想うにですよ、
物事にチャレンジすることはとても尊い
ことではないかと・・・

誰にとって尊いのかといえば
自分自身にとって尊い行いではないかと
ワッシは考えるのですよね。

他人を助けるのは尊いのだという風潮が
ありますが、自分を励まして努力を積み
重ねながら向上することのほうがまず
第一なのではないかと考えるのですよ。

余力がないと人助けなんてムリではない
かと想うのですよ。うちひしがれた人が
人助けをすることで自分が救われることは
多いのですが、これとて本人が持てる最後
の余力をふりしぼった結果ではないかと。

ただ走るという単純なことに挑戦し、
あらん限りの我を注ぎ込む・・・

これは無益な行いと想われますが、
ほんとうにこれが無益なら、世の中には
有益なことなど存在しないとも言えるの
ではないのでしょうか。

エアガンをホルスタに入れてパッと抜いて
決めた時間内にピシッと当てる。
これにもかなりなチャレンジが必要で
本物を撃つこととの差異などそれほど
ないと想うのですよ。

本物を撃てるワシは人から一目おかれ、
エアガンを撃つ人は程度が低いと考えら
れるのが一般的な日本人の価値観だと
想うのですが、、

では値段のはる棒きれを持って互いに
叩き合う剣道とエアガンで撃ち合うのと
の差ってどこにあるのでしょうね??

居合いをやる人は高尚で、ナイフ格闘を
学ぼうとする人だと低脳あつかい・・・

そういう価値観の人にかぎって、
頼まれもしないのにスポーツ選手の
ファンとなって、その選手やティームが
負けると不機嫌となる、、

オリンピックに出るなら勝たないと意味が
ないという暴言がまかりとおる、、

日本と外国との対戦だけにはちっぽけな
ナショナリズムを丸出しにする・・

みなさん、、
来年はひとつ、こういう価値観というもの
を熟考し、自分の心の弱点に太陽の光を
当てて殺菌し、明確な価値観を構築する
という年にしようではありませんか !!!
今夜あたり、ワシは黒澤監督の「生きる」
を久しぶりに観ることにしています。

あの映画の中で「蛍の光」を合唱する
場面があります。救われない人たちや
悲しい運命にあるバーの女たちも混ざって
皆で歌うという場面です。
あそこをむしょうに観たくなりました。

ワシも人知れずして、ああやって音痴な
声で歌います。
(カラオケなどのように人前で歌うのは
大嫌いですがね)

日本は明治以降なのか、戦後のことなのか
軽佻浮薄(思慮の浅い愚か者)な時代が長く
続いてきました。
でも、今は自浄作用ともとれるような
落ち着きの風が吹き始めたような気が
なんとなくしているのです。

まもなく、物事の道理をわきまえた
叡智の時代の幕開けがありそうな予感が
あるのですよね。

叡智というのは多くのチャレンジによる
結晶ではないかという気もしています。

というわけで、
“挑戦しようぜ〜\(^O^)/”

ウチの子供達はヴィエラさんから
贈られたローラースケイトに挑戦して
います。すってんころりんを繰り返し
ながらもイッショケンメに立ち上がる
その姿に
“もっと自分にも勇気を・・”
と自身に言い聞かせています。
  


Posted by 市 at 03:40Comments(8)語りのプラザ

2012年12月30日

追っかけとは・・

市 (2012年12月30日 01:12) │Comments(2)語りのプラザ
アイドルの追っかけですが、あっと言う間に脱落したのでなんともですが、まず、 具体的な最終目標は持ってはいけません。 考えてもいけません。 この瞬間がよければ良い!のです。 集団でひとつの方向に向かう一体感、陶酔感、祭りと同じ様なものです。 そこから、エナジーが溢れてくるのです。 (私は枯渇しましたが) アイドルはシミュラークルと言うカテゴリーに属します。 「見せかけ」とか「模造」「幻影」という意味です。 アイドルも、人間です。 が、生身を晒しつつ、そこに作られた自分、キャラ付けを行い、あたかもそれが真実だと演じます。 それにファンは喜びを覚えます。 そしてアイドルは、そこに自身の喜びを見出だすのでしょう。 アイドルは、自身のエゴをどれだけ発揮出来るかに意義を見出だす存在に感じました。 私が彼、彼女達でしたら、こんな連中、ファンによって自分が成り立っているのは嫌だと断言します。 大勢に笑顔で応える握手会、撮影会、その他諸々。 若い身空で立派です。 しかし、眼が恐いです。死んでます。 笑顔が可愛い? これを可愛いとみるのか? 狂笑なら納得します。 そんな彼ら彼女らが自分を滅し、まさに「自身を捧げて」偽りの自分を膨らませる姿は美事です。 その行き着く先は? 華厳滝ダイブの藤村操さんではないですが、「不可解」です。 少し探りも入れましたが、私はうんざりし、見るに耐えきれず、さっさと撤退しました。 眼や顔つきを観、気持ちや心を考え、感じる時点で私はアイドルの追っかけ失格と言われました。 そして、アイドルとファンが交わることはありません。 あくまでシミュラークル、幻想な存在である限り輝けるものです。 そしてそれは「虚ろ」であり、そこに意味を求めても、どこまでも空っぽです。 意味に囚われ過ぎた故のアイデンティティ不在からくる、近代人に普遍的な苦悶が逃げ場を求めて具現化したものだと感じました。
むうた

うーん、、さすがムーさん、よく描けて
いますね・・・
ありがとう、よく解りました<(_ _)>

むかし高校生の女の子が追っかけをした
ときのことを話してくれましたよ。

“私の処女をもらってくださ〜い”
という気持ちで必死な気持ちで追っかけ
たそうです。けっきょく断られて頭が
覚めたそうで・・・彼女からは熱狂的に
なったことした伝わってきませんでした。

わっしも高校生の時に有名女優の撮影会
に2回だったか行きましたよ。
でも一番に感じたことは、撮影している
おじさんたちがすごく不気味で・・

さぞかしキャメラを持った立派な芸術家
たちが集まってくるのだろうと期待し、
そんな人たちを見習いながら撮影をする
のが楽しみだったのですが、現実は
まったく違う人種の集まりでしたよ。

それと、こういった撮影会は
「撮るのではなく撮らされる」ものであり
だれでもそこそこキレイな写真が撮れ、
かといってそうして作画したものが世の中
で通用するかといえばゼンゼンで・・。

けっきょく後になってそれは美に溺れた
自己満足の世界なのだということを読んで
知り、早々とやめることができました。

そのうちに、土門拳の「筑豊の子供達」
という写真集を見てワシはそちらに傾倒
していきました。

「生活している人たちを活き活きと撮る」
このリアリズムが人を撮るときの基本と
なっているのですよね。

  


Posted by 市 at 01:12Comments(2)語りのプラザ