2012年12月19日
モンテとクロマリー
市 (2012年12月19日 12:49)
│Comments(2)
│タフプロダクツ




時間を盗んではモンテッサに乗っています。
トライアルバイクはわりと難しいので
用心深く 少しずつ練習しているのです。
こいつは今までで一番好きになれたバイク
だと想います。
なにしろ始動からしてすごいのですよ・・
ガソリンのコックがなく、チョークもないの
ですよね、、ただキックすればエンジンは
かかり すぐにモソモソと走りだします。
寒い日でもキック2回で簡単にかかります。
トルクの強さときたらたいへんなものでロウ
だとアクセルを回さなくても引きずるよう
に歩く遅さでノッソノッソと動くのです。
ちょいと体重を後にかけながらアクセルを
吹かそうものならドエライ底力を発揮し
ズイとフロントが浮きます。
これがコワクてオモシロイヽ(。◠‿◠。)ノ
車高は高く、座席はカカトがびたんと地に着く
低さなので安心して乗れます。
でも、荷台がないのでコレで射場に行く時は
バックパックを背負うことになります。
まだハンドルにライフルラックを付けては
いないので肩に負うこととなり、荒地走行は
ちょっとシンドイのですよね。
こういうバイクは災害時には威力を発揮すると
想うのですが、現実的にはオフロードから
市街地まで駆け抜けられるホンダのCRF250L
あたりが最適ではないかと感じますね。
それはともかく、ウチのあたりでは野山を
自由に走れるだけのテクニックは備えておく
べきかと・・。
それにバイクをやると平衡感覚が呼び戻され
る気がしてボケ防止になるような気がする
のですよね〜◠‿◠ϡ
2012年12月19日
「生きる」という映画
市 (2012年12月19日 01:08)
│Comments(20)
│語りのプラザ
自分の事でこれほど反響をいただくとは思いもよりませんでした、このブログでアドバイスやコメントを下さった方に胸が詰まる思いです。 KOさん見てましたよ、BOB CHOW, M66、CZ、SIGにあれやこれや撃っちゃって…羨ましい旅でしたね。 旅に出るのはいつだって楽しいもので、僕もいつか市郎さんにお会いしたいです。 前から僕も旅をしてみたいとは思ってました…雪が溶けたら計画してみようかなとか考えてます。 それと皆さんのコメントにお返事を。 人っていうのは気づいた時が始まりなんでしょうね、親が子に言う言葉は意味がある言葉なのだと、それがわかるのが今でも未来でも気づいた時から意味を持ち始めるのだと。 今はもう故人となってしまったのですが僕の小学校の担任の先生が市郎さんソックリのおじさん(シツレイ)でして。 なんだか心の中で重ねあう部分があるのですよ、そしてまた市さんの言葉が先生の像と重なってしみじみと過去の言葉を思い出してきました。 遅かれ早かれというのはあるでしょうが、先人の知恵と経験ある言葉は無駄ではないということなんですね。 変わり始めるのが遅くても変わり始めたことに変わりないのだと、最近黒澤監督の”生きる”を見てじわりと感じました。 昔見たって退屈だった映画がこんなに満たされたものだったなんて、価値観は変わるものです。 このブログを拝見している方でお子さんを抱えている人は結構いると思われますがどうか言葉を絶やさずに育ててやって下さい。 どんなに流されていても、いつか気づく日がやってくるでしょうから… でも、それがわからなくたってきっかけを与えてやればいいんです。 でも昨日今日で思いが変わるわけじゃなく、時間をかけてまた更に思考が達観していくのだと僕は思います。 走って急ぐよりも正しいと思える道を歩けられるといいですね。
名無し21歳
市より
>最近黒澤監督の”生きる”を見てじわり
と感じました。
昔見たって退屈だった映画がこんなに
満たされたものだったなんて、
価値観は変わるものです。
ワシがどうして「生きる」という映画を
オススメするのか書きますね・・。
あれを観たのは27か28歳あたりだった
と想います。
“うむむむ・・なるほど・・”
と、強い感銘を受けました。
そして帰り道・・
“自分にはいったいどれくらいの年月
が残されているのだろうか?・・”
と考えました。
“30年たらずではないか・・”
そう想いましたよ。
そのころは10年なんてあれよという間に
流れることを知っていたので焦る想いが
わきあがりました。
“今なら間に合う、今から行動すれば
自分の意思で生きられる・・”
そんな想いがありました。
その時のワシは、東京でカスカスながら
写真で食っており、キレイな彼女も
いました。
“しかしこの閉塞感はなんだろう??”
“見栄は張れても幸福感は無い・・”
“自由なようで、まったく不自由・・”
そういう自分が克明に観えてきました。
間借りの部屋に戻ると万年床が敷いてあり
それを立ったままじっと見つめました。
“フトンってなんて優しいのだろう・・
抱いてもらいたい・・”
そう感じてフトンに伏せました。
すると涙がにじみました。
そして涙の量はいっきに増して大泣きと
なりました。
どうして泣くのか、どうして涙って
熱いのかなどと どこかで考えながらも
長く激しく泣きました。
泣きはらすと思考が始まりました。
“いったい何歳まで生きたいのだ?”
“おどおどと生きている自分は老人に
なって貯金がないことを怖れているから
ではないか・・”
“あの映画のように、ある期限がくれば
死ぬという状況になれば未来のことなど
気にかけなくて勇気ある生き方ができる
のではないか・・”
“50歳で死ぬという覚悟があれば!!”
そんなふうに考えました。
そして自分を拘束しているシガラミを
断ち切ることにしました。
やりたくてたまらずに始めた写真の仕事、
これをまず停止することにしました。
運良く彼女にもフラレたので身が軽くなり
ました。
静岡の兄のところに行き、居候をさせて
もらいながらアメリカに行く決心を
しました。
“仕事をせんといかん・・”
そう想いながら街を歩いていたら
30mほど向こうからオバサンがワシに
手を挙げました。
なんだろう? と感じた時、黄色いタクシー
がスーっとオバサンの前に停まり、
ドアがスイと開き、オバサンは中に・・
“おっ? この仕事はバカな上司と同席しな
いですむのか?・・よしっ、これだ!”
そして黄色いタクシーの運転手になり
ました。アパートも借りて、彼女も
出来ました。
フルートでバッハのソナタを演奏できる
ようになりたくてレッスンに通い、
モトクロスもやりたかったので草レイス
を楽しむ生活となりました。
あるとき、逆ハンを切り損ねてズズーと
転びました。そのまま仰向けになって空を
見ました。
“空はなんて美しく なんと広いのだろうか
アメリカにいくまでもなく充分に幸せだ”
カストロールという香りの良いオイルの
焼ける臭いに満たされながら生まれて
初めての幸福感を味わいました。
“命はいらない、その代わりになんでも
好きなことをして生きよう・・”
と、自分に誓いました。
ホントは長いストーリーなのですが、
自分のシガラミと見栄を断ち切る機会を
与えてくれたのが「生きる」という映画
だったのです。
ですからこれを皆さんに薦めるのです。
しかし、この映画を咀嚼できるのは
苦しい境遇にあったり閉塞感に悩み、
そのために思考力と感受性が高くなって
いる人だということが判ってきました。
21歳君もいろいろと悩み考えていることが
感じられます。
親の気持ちが解りだすと悲しみも増大し
苦しいことかと・・。
ワシもどう助言してよいか解りません。
まずは家を出なさい、なんて言っても
出られるようならもう出ているわけです
からね。その闘いは君自身で決着をつけ
ることになるわけですし・・。
まあ、キーワードといえば「勇気」
これに尽きるのでしょうね。
ただ、KOちゃんが旅して自分とこに来て
いいというのなら寄ってみてもよいかと。
彼にはトンチンカンなところがありますが
それがまた面白いかと。
至る所で様々な人たちがそれぞれに
暮らしている・・これを垣間見て歩く
のってなかなか良いですよ。
多くの人が自分の生き方になんとか
折り合いをつけ、あるいは折り合いのつか
ないままにひきずりながら生きている
わけで・・・
しかし、我々は100年も経てばチリアクタ
となるわけですからね・・。
人間ってある瞬間に、つと立ち上がるもの
ですが、それは天啓によるものなのか、
あるいは風船に空気を入れ続けると弾ける
ように、たまり溜まった懊悩の爆発ゆえ
なのか・・。
いえることは、21歳君も どの瞬間だかに
決意し実行する時が来るのだろうと・・
とりとめなくなりそうなので
今朝はこのへんで・・・。
名無し21歳
市より
>最近黒澤監督の”生きる”を見てじわり
と感じました。
昔見たって退屈だった映画がこんなに
満たされたものだったなんて、
価値観は変わるものです。
ワシがどうして「生きる」という映画を
オススメするのか書きますね・・。
あれを観たのは27か28歳あたりだった
と想います。
“うむむむ・・なるほど・・”
と、強い感銘を受けました。
そして帰り道・・
“自分にはいったいどれくらいの年月
が残されているのだろうか?・・”
と考えました。
“30年たらずではないか・・”
そう想いましたよ。
そのころは10年なんてあれよという間に
流れることを知っていたので焦る想いが
わきあがりました。
“今なら間に合う、今から行動すれば
自分の意思で生きられる・・”
そんな想いがありました。
その時のワシは、東京でカスカスながら
写真で食っており、キレイな彼女も
いました。
“しかしこの閉塞感はなんだろう??”
“見栄は張れても幸福感は無い・・”
“自由なようで、まったく不自由・・”
そういう自分が克明に観えてきました。
間借りの部屋に戻ると万年床が敷いてあり
それを立ったままじっと見つめました。
“フトンってなんて優しいのだろう・・
抱いてもらいたい・・”
そう感じてフトンに伏せました。
すると涙がにじみました。
そして涙の量はいっきに増して大泣きと
なりました。
どうして泣くのか、どうして涙って
熱いのかなどと どこかで考えながらも
長く激しく泣きました。
泣きはらすと思考が始まりました。
“いったい何歳まで生きたいのだ?”
“おどおどと生きている自分は老人に
なって貯金がないことを怖れているから
ではないか・・”
“あの映画のように、ある期限がくれば
死ぬという状況になれば未来のことなど
気にかけなくて勇気ある生き方ができる
のではないか・・”
“50歳で死ぬという覚悟があれば!!”
そんなふうに考えました。
そして自分を拘束しているシガラミを
断ち切ることにしました。
やりたくてたまらずに始めた写真の仕事、
これをまず停止することにしました。
運良く彼女にもフラレたので身が軽くなり
ました。
静岡の兄のところに行き、居候をさせて
もらいながらアメリカに行く決心を
しました。
“仕事をせんといかん・・”
そう想いながら街を歩いていたら
30mほど向こうからオバサンがワシに
手を挙げました。
なんだろう? と感じた時、黄色いタクシー
がスーっとオバサンの前に停まり、
ドアがスイと開き、オバサンは中に・・
“おっ? この仕事はバカな上司と同席しな
いですむのか?・・よしっ、これだ!”
そして黄色いタクシーの運転手になり
ました。アパートも借りて、彼女も
出来ました。
フルートでバッハのソナタを演奏できる
ようになりたくてレッスンに通い、
モトクロスもやりたかったので草レイス
を楽しむ生活となりました。
あるとき、逆ハンを切り損ねてズズーと
転びました。そのまま仰向けになって空を
見ました。
“空はなんて美しく なんと広いのだろうか
アメリカにいくまでもなく充分に幸せだ”
カストロールという香りの良いオイルの
焼ける臭いに満たされながら生まれて
初めての幸福感を味わいました。
“命はいらない、その代わりになんでも
好きなことをして生きよう・・”
と、自分に誓いました。
ホントは長いストーリーなのですが、
自分のシガラミと見栄を断ち切る機会を
与えてくれたのが「生きる」という映画
だったのです。
ですからこれを皆さんに薦めるのです。
しかし、この映画を咀嚼できるのは
苦しい境遇にあったり閉塞感に悩み、
そのために思考力と感受性が高くなって
いる人だということが判ってきました。
21歳君もいろいろと悩み考えていることが
感じられます。
親の気持ちが解りだすと悲しみも増大し
苦しいことかと・・。
ワシもどう助言してよいか解りません。
まずは家を出なさい、なんて言っても
出られるようならもう出ているわけです
からね。その闘いは君自身で決着をつけ
ることになるわけですし・・。
まあ、キーワードといえば「勇気」
これに尽きるのでしょうね。
ただ、KOちゃんが旅して自分とこに来て
いいというのなら寄ってみてもよいかと。
彼にはトンチンカンなところがありますが
それがまた面白いかと。
至る所で様々な人たちがそれぞれに
暮らしている・・これを垣間見て歩く
のってなかなか良いですよ。
多くの人が自分の生き方になんとか
折り合いをつけ、あるいは折り合いのつか
ないままにひきずりながら生きている
わけで・・・
しかし、我々は100年も経てばチリアクタ
となるわけですからね・・。
人間ってある瞬間に、つと立ち上がるもの
ですが、それは天啓によるものなのか、
あるいは風船に空気を入れ続けると弾ける
ように、たまり溜まった懊悩の爆発ゆえ
なのか・・。
いえることは、21歳君も どの瞬間だかに
決意し実行する時が来るのだろうと・・
とりとめなくなりそうなので
今朝はこのへんで・・・。