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2015年11月11日

MJマガジンの記事

市 (2015年11月11日 01:22) │Comments(12)訓練記事
おはばんわぁ〜\(^O^)/
MJマガジンの最新号がとどきましてね〜(^^)
日本でのバットン射場訓練が記事になっていましたので作者のケンに頼んで本文を掲載させてもらうことにしました。
ここで使用したフォトはバットンたちが撮ってくれたものですがMJ記事には、あのときのフォトが満載されていますので、訓練に参加した方々はゼシとも本誌をみて自分の姿をみつけてくださいナ(^^)

あのときの皆さんの熱く輝く瞳はとても嬉しく、ワシの一生の想い出となっています(*^_^*)
では、どうぞ・・・




久々にイチローさんが来日し、射撃訓練の場を設ける‥‥という情報は、ブログ記事を通じて全国へ伝わった。射撃の基本を、戦いの基本をレクチャーしてくれるというのだ。
思い返せば30年前、モデルガンメイカーのMGCが主催していたガンショウ会場において、「ホルスタからガンを抜き、撃つ」という「新情報」を、「新技術」を、ガンファンたちに伝承したことが日本におけるエアガンシューティング隆盛の始まりだった。
それが今、「射撃訓練」という形で繰り返される。が、今回の射撃訓練はシューティングマッチ対策ではなく、「撃ち合い」を想定しての、実戦を考えてのトレイニングだ。

9月23日。
茨城県に位置するJWCS公式レンジにおいて射撃訓練は行われた。
朝早くから参加者は続々とあつまり、その数は50名を優に超える。
それぞれに挨拶を交わし、射撃訓練のための準備を進める中、イチローさんはエアガンでの試射を始めた。5m先の的をゆっくりと撃つ。
数発を放ったところで、「ああ、なるほどね‥‥」と呟き、続けて、「エアガンは実銃とは違って、反動で銃口が下がるんだね‥‥」と、ひとりごちした。エアガンマニアでも気づきにくい特性をピンポイントで指摘できる観察眼は、インストラクターとしての能力の高さを示すには充分すぎた。

射撃訓練の一歩目は、ホルスタに収めたガンを抜き出し、もしくは銃口を下げた状態から振り上げ、初弾を放つという基本から始まった。ハンズアップ(両手を上げた構え)から腕を振りおろし、ガンを抜き、的を狙い、そして撃つ。エアガンシューターたちにはお馴染みの、そして「いまさら」の基礎の基礎だ。わざわざ、教えてもらうほどの技術ではない。
が、この「初弾撃ち」の重要性をイチローさんは説く。
易しいとはいえ、百回、千回、万回と繰り返す中には、必ず握り損ない、撃ち損ないがある。それはなぜ発生するのか? どうすれば正確に、素早くガンを抜けるのか、撃てるのかを考えさせる。そして試させる。
たった一発を放つだけのシンプルな動きの中に無限の思考が存在する。

わざわざアメリカからやってきて、イチローナガタともあろうものが「射撃訓練」と称して勧めるのがホルスタからの抜き撃ちとは‥‥。
と、「自称・実戦派」であれば声を上げるかもしれないが、参加者たちは空撃ちの一発・一発に真剣に取り組む。意味を考えながらトゥリガーを引く。どの目もマジだ。
もし、この訓練を開始するにあたり、「ワシは天下のイチロー様だ! ワシの言うことは正しいから、ガンバって初弾練習をするよ〜に!!」と、言い放っていたらどうか? 
「ナニ言ってんだ? そんなのとっくに知ってるよ。サギ師め!」
と言い返し、フリはしても、真剣には訓練に取り組まないだろう。
が、イチローさんは「射撃は難しいので、ワシも含めて一緒に練習しよう!」と誘い、続けて、初弾練習の何がどう大事なのかを、論理的に、科学的に、なおかつ誰もが理解できるよう説明していったのだ。
「初弾練習は最も大事」と納得しての訓練は、自然と熱がこもる。







ハンズアップの姿勢から腕を振りおろしホルスタからガンを抜いて撃つというアクションは、技術力を鍛えることで進歩する。精度もスピードも高められる。が、それだけでは戦闘の場では役立たない。そこは「自称・実戦派」が指摘する部分でもある。
競技では的の数も大きさも決まっており、なおかつ配置される場所も距離も最初から分かっている。そんなものをいくら撃っていても、千変万化する実戦では役立たないという論だ。
一見、それは正しく聞こえるが、決定的な誤解がある。
競技という、役立たないはずの、易しいはずの、そんな基本さえもまともに撃てない輩が、どうして実戦で強く戦えるというのか?
先の論は「小学生の勉強抜きに、いきなり中学生の問題を解け」というほどに滑稽な話で、役立たない。
基本を学ぶ。
その重要性を理解する。
その後の「実戦」が意味を持つ。
射撃訓練・壱で、ガンを抜き撃つという基本を学べたところで、本格的な射撃訓練、実戦訓練へと移った。


射撃訓練・弐だ。
これは、参加者たちを2グループに分け、二重の輪を作らせ、一方は時計方向に、もう一方は反時計方向に歩かせることからスタートした。
あくまでも自然に歩く中、イチローさんが叫ぶ“ファイア!”の合図とともに全員が体を反転させ、別グループの胸に吊られた的を狙い撃つのだ。


イチローさんの合図によって、別グループの参加者の胸に吊るされた的を撃つ‥‥と書いたが、これは、誰の、どの的を撃っても良いというルールではない。自分が首から下げている的と同じ色を吊った相手を探し出し、その的のみを撃てる。つまりは、合図を耳にした後、ガンを抜きつつ敵を探し、正確無比なる必殺弾を叩き込むという訓練だ。
射撃訓練・壱と同様に、こちらも単純明快ながら奥深い。


実は、人の脳は同時に2つのことを処理できない。通常はできない。
それが、「思考」と「運動」という2つであれば可能だが、「思考」と「思考」はできない。自転車に乗りながら歌は唄えても、歌を唄いながら、心の中で九九は唱えられない。
この射撃訓練・弐は、通常は2つの思考、2つのアクションである、「ガンを抜いて撃つ」と「敵を探し出す」を一つの思考、一つの動作として行い習得するのが狙いだ。俗に言われる「身体が覚える」という行動のことで、改まっての思考なしに自然とガンを抜き、的を探し出し、撃てることを養う。





何かを学ぶとき、それが易しそうな所為に感じられたとしても、決して一足飛びにはたどり着けない。基礎の基礎から一歩ずつ、着実に歩を進めるのが確かな方法だ。近道だ。
射撃訓練・弐は、これだけで一ヶ月間でも二ヶ月間でも、いや、いつまでも続けられる基本練習の一つだ。身体が意思の助けなしに自然と動き、ガンを撃てるようになった後でも基礎訓練としての価値がある。
射撃訓練・弐の応用編として、今回は二人フォーメイションでの動きもレクチャーされた。敵を倒すよりも優先し味方同士での誤射を避け、常に安全を確保するよう心がける。
「思考」が追加される度に難易度は上がるが、それを学べることの喜びを見出し、身につけるべく行動する彼らの顔は生き生きとしていた。

射撃訓練・参は、JWCSのコースを利用して行われた。
JWCSとはスピードシューティング競技のことで、アメリカで、実銃を使っての競技だったものを日本へ持ち込み、エアガン用にコース設定をアレンジし作られたものだ。
メインとなるコースは全部で7つあり、各コースに5つの的が並ぶ。
通常、5つの的を、どれだけ早く撃ち終えられるかを競い、それを7コースで繰り返す。合計タイムが短いほど好成績となる。
そんな射撃競技の的を使い、コースを活かし、射撃訓練・参の内容が発表された。
訓練は7つ並んだコースの一番端から撃ち始め、連続的に1つずつ、7コース全てを撃つというものだった。つまりは全部で35個の的を撃つ。
スピードは重視せず、全弾必中を目標とした射撃訓練だ。

7つのコースを連続的に撃ち続ける。35個の的を全てヒットする。タイムは競わず、ひたすら精度を求める。
それが射撃訓練・参だ。
今回の訓練に参加している面々の中には、名の知れたシューターが何人も交じっており、それ以外にもエアガンを撃ちなれたベテラン組みが大挙しており、ゆっくり撃つなら簡単にクリーン(満射)できるはず‥‥といった空気の中、スタートした。
この俺が一番乗りだ!
と、意気込んで撃ち始めるも、最初の1コース目ですでにミスショットを出す者もいれば、2コース目、3コース目で失敗する参加者も多い。
誰もが、自信を持って、時間をかけて射撃を進めるものの、最後の7コース目が遠い。遥か彼方だ。
繰り返しての挑戦も許されているため、ポツリ、ポツリとクリーンも見られるが、その数は少ない。全体の10%まで届くかどうかだ。
この射撃訓練・参を通じて、「外さずに撃ち続ける」ことの難しさと重要性を誰もが思い知らされる。
信じられないかもしれないが、7コース目の最終弾を、35発目を外した挑戦者は数えただけで6人もいた。
1発だけなら誰でもヒットできる。
5発や10発なら簡単に当てられる。
しかし、最後の最後まで集中力を切らさず、35発の全弾を命中させるのは容易ならざる技だ。ここでもまた、訓練の奥深さを知らされた。


イチローさんが「射撃訓練」の場を設けると知ったとき、最初はエアガンシューティングの基本をレクチャーする「射撃教室」のことだと、勝手に理解した。それはそれで日本のファンにとっては最高のイベントに違いないが、今の時代に、エアガンシューティングが広く知られた時代に、その必要があるのかと、疑問も浮かんだ。
ところが、話をよくよく聞いてみると「射撃教室」ではなく「射撃訓練」だと分かった。
まあ、最初から、「射撃訓練」と発表していたわけだが‥‥。

エアガンを使い、撃ち合いの場を想定しての訓練を行う。
射撃教室よりも、もっと無意味で需要のなさそうなこのイベントに対し、喜んで参加したいと手を挙げるファンが大勢あらわれた。
日本で、エアガンを使って、撃ち合いをどう有利に進めるか、生き残るのかの訓練に意味があるのか?
そんな疑問を持つ、意見を持つ人がいてもおかしくない。
あからさまに、「そんなの意味なんてないよ!」と、声高に叫ぶ者がいても不思議ではない。
意味があるのか? ないのか?
実は、その発想というか「分類」を人が求めるのは不安の現れだと、心理学の世界で説明されている。
日本人の多くが「血液型性格判断」を信じるが、それもまた、未知の人に対し情報不足からくる不安を解消するための方策として用いられていると、解明されている。

もちろん、世の中のいくつかの現象や人々の行動の中には、納得できるだけの「意味」を語れるものもあるが、多くの場合に意味などない。
言うなれば、人の行動は、それが面白いと感じられれば近寄り、面白くないと判断すれば離れるに過ぎない。
 
今回、「イチロー射撃訓練」の取材を通し、何らかの目標を持って、何かに向かって生きている人達にとって、「この企画は面白い」と受け止められたはずだと思えた。
 
射撃訓練。すなわち撃ち合いの場におけるノウハウの伝授。
そこには、もちろん意味などない。 少なくとも、日本の地においては実用性も生産性もない。
が、全くの無意味でありながらも、射撃訓練を受けた者の胸に広がる充実感、充足感は、他の何かをもって代え難い満足感として残った。
それはなぜか?
と、問われれば、参加者の多くは、自分はエアガンが好きで、射撃が好きで、縁のない(有ってほしくない)未知の世界の話ではあるものの、「撃ち合い」の状況での戦い方に興味を持っていたから‥‥と答えてくれると思う。そこにウソはなく、事実だ。
ただし、それは、「一つの事実」でしかない。
他にも重要な「事実」がある。

私が初めてイチローさんに会えたのは1979年のことだった。36年前だ。
それからの長い年月で、直接、そして間接的に多くの教えを受けた。
その36年間の経験から断言するなら、イチローナガタの魅力と価値は、射撃の上手さや写真の巧さにはない。ガンファンを唸らせる豊富な知識や経験も、ほとんどオマケに近い。
イチローナガタの真の魅力と価値は、彼が、物事に対し、呆れるほど素直に、そして真っ直ぐに向き合えるという哲学にある。
成功も失敗も正面から見つめる。 成功も失敗も正面から受け止める。
それを実践し、追求している稀なる人物がイチローナガタだ。
そして、それらの成否の経験を肥やしに自己の成長を求め、進むのがイチローナガタだ。
そのため、「射撃は難しい」と言い切る。自分は勉強中だと語る。
「オレ様」感は微塵もない。
そんなイチローナガタの言葉だからこそ、人は耳を傾け、信じ、頼れる。
不安が渦巻く社会において、信じ、頼れる言葉を直接に聞ける時間と空間は心地よいに決まっている。
別の重要な「事実」とは、他の誰でもない、イチローナガタの「射撃教室」だからこそ心が躍り、同時に、真っ直ぐに自分を見つめる男の言葉だからこそ心温まるのだと断言する。
by KEN











  


Posted by 市 at 01:22Comments(12)訓練記事