2012年11月25日
ビアンキカップ 掛川
市 (2012年11月25日 00:12)
│Comments(2)
│語りのプラザ
セーフティ、グリップセーフティが
ちゃんと機能しているか?
弾速も安全基準値内か、、
などをキチッとチェックします。
自分の心に期するものがあってやってきた
心熱いシューターたちは、もうこのときか
らドキムネが始まり、長くやっている者は
生き甲斐を感じるわけですよ。
子供の頃、運動会の朝ってなにかこう
「キリッ!」としていましたよね?
あれの大型編なのですよ∈^0^∋
「少年と成人とのちがいとは 彼らの
趣味にかける金額の差である・・・」
「少年の心を失った成人は
動くシカバネである」
イーチェ
主催者たちです。
真ん中がオショウ、右がハヤマ、左で
人一倍喜んでいそうなのがタカシマです。
この三人は アメリカでの試合を味わって
ヤミツキになったオオバカヤローたち
なんです。ちなみにわっしは
超巨大元祖バカヤローで、バカヤローと
カタカナで書くと好意的な意味がある
わけですね∈^0^∋
ジャパンスティールもそうですが、
こういう連中が居てくれてこそ若者達が
(トシヨリも(^^)挑戦の喜びを味わえる
わけですね〜(^_^)感謝<(_ _)>市
明日はいよいよ”掛川ビアンキ”当日です。 本日の設営後の練習会も熱が入ってました。 かつてイチローさんの撒いた種が、日本で大きく咲き続けています。 いつの日にかイチローさんが訪れて頂けるのを夢に見ているのは僕だけではないでしょう。 福袋
そう想っていただけると
嬉しいかぎりです。
ケンシローとジュンがもうすこし大きく
なったら連れて行き、
「この人たちのようにオマエたちも
何かにうちこむオトナになれよ」
と教えてやりたいです。
この記事へのコメント
ジャパンスチールにしても、掛川ビアンキにしても、行って見たい。。
そして、お天道様の下で、報道カメラやギャラリーの前で、
スポーツとして認知される日がくるといいなぁ。
楽しそうなオッサンの姿を、みんなに見て欲しいなぁ
この趣味は金かかんねんでぇ~ 家族の理解もいるんやでぇ~
警察官や自衛官、海上保安官のみなさんもチームで参加されたりして。
都道府県選抜とか。。
協会とか運営から考えんといかんのでしょうね。
トイガンメーカーや、関連雑誌に本気になって欲しいなぁ
そんな夢のような世界を夢見る、酔っ払いです。
そして、お天道様の下で、報道カメラやギャラリーの前で、
スポーツとして認知される日がくるといいなぁ。
楽しそうなオッサンの姿を、みんなに見て欲しいなぁ
この趣味は金かかんねんでぇ~ 家族の理解もいるんやでぇ~
警察官や自衛官、海上保安官のみなさんもチームで参加されたりして。
都道府県選抜とか。。
協会とか運営から考えんといかんのでしょうね。
トイガンメーカーや、関連雑誌に本気になって欲しいなぁ
そんな夢のような世界を夢見る、酔っ払いです。
Posted by まう@東大阪 at 2012年11月25日 01:38
お世話になっております。
「オオバカヤローその1」でございます。
今年も掛川には全国より60名もの選手の皆様がお集い下さいました。
国内外のマッチを戦い抜いた猛者から、シューティングマッチ初心者、
また人生の大先輩や未来を担う少年まで、地域や世代を越えて
ワイワイガヤガヤとにぎやかに秋の一日を過ごして頂けたのではないかと思います。
イチローさんを始め、トモさん、イシイさんよりお土産や協賛品をたくさん頂戴しまして、
選手の皆さんにお配りすることが叶いました。
ありがとうございました。
思えば1983年の春の日に「ビアンキカップ」という稲妻が「チャレンジャー誌」により
突然私の脳天を直撃し、その日以来熱病の様に恋い焦がれたビアンキカップ。
1995年に「でっかい夢」を叶えるべく、ミズーリに連れて行って頂き、
CA(現在はGV)の土を踏みしめることが出来たのです。
その日から(この興奮を日本の選手たちにも・・)の思いをハヤマさん、タカシマさんと分かち合い
機材やルール、会場やROスタッフの体制を確立して、何とか今日を迎えることが出来ております。
理解ある家族や友人たちにも恵まれ、また掛川ビアンキを愛して止まない日本中の方達にも支えられ
これからもこのイベントを続けていく勇気に満ちております。
これからもご指導の程、よろしくお願いいたします。
おしょうでした。
「オオバカヤローその1」でございます。
今年も掛川には全国より60名もの選手の皆様がお集い下さいました。
国内外のマッチを戦い抜いた猛者から、シューティングマッチ初心者、
また人生の大先輩や未来を担う少年まで、地域や世代を越えて
ワイワイガヤガヤとにぎやかに秋の一日を過ごして頂けたのではないかと思います。
イチローさんを始め、トモさん、イシイさんよりお土産や協賛品をたくさん頂戴しまして、
選手の皆さんにお配りすることが叶いました。
ありがとうございました。
思えば1983年の春の日に「ビアンキカップ」という稲妻が「チャレンジャー誌」により
突然私の脳天を直撃し、その日以来熱病の様に恋い焦がれたビアンキカップ。
1995年に「でっかい夢」を叶えるべく、ミズーリに連れて行って頂き、
CA(現在はGV)の土を踏みしめることが出来たのです。
その日から(この興奮を日本の選手たちにも・・)の思いをハヤマさん、タカシマさんと分かち合い
機材やルール、会場やROスタッフの体制を確立して、何とか今日を迎えることが出来ております。
理解ある家族や友人たちにも恵まれ、また掛川ビアンキを愛して止まない日本中の方達にも支えられ
これからもこのイベントを続けていく勇気に満ちております。
これからもご指導の程、よろしくお願いいたします。
おしょうでした。
Posted by おしょうさん at 2012年11月26日 11:55
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