2012年01月04日
心散漫にて
市 (2012年01月04日 01:06)
│Comments(1)
│語りのプラザ
おはばんよん♪
元旦から沢山のブログ年賀をいただき
リクツ抜きに嬉しいです(^^)
お盆や暮の付け届け、それに年賀状など
は「虚礼」と感じておりいっさいやりま
せんでした。メイルにしても年賀が
届くと、とくに用事もないのに
「おめでとーことしもよろしくー」
などと決まり文句を書くのってワシには
苦痛なのですよ。カワリモノなので(*^^)
でも、このブログでドドドドドドゥ〜と
年賀をいただくと、ぜんぜん迷惑だと
想うどころか嬉しいのですね〜(^_^)
なぜなのかはこれからゆっくり分析します
が、、基本としてはワシのエゴの喜びでは
ないかと。
“おっさん、それを言っちゃオシマイだよ”
by トラさん。
目立つ喜び、
人に評価される喜び、
羨望嫉妬される喜び、
こういった欲求が人間にはあり、ワシ自身
にもそれがあり、そんな自分を感じると
反省してショゲることの繰り返しなのです。
年賀が沢山きた→嬉しい→これで喜ぶワシ
は愚か者→もっと自分を引き締めよ。
と、こういった思考がまわるのですね。
でも、それとは別に
このブログで知り合った人たち、、
逢ったこともない人たち、、
そういう方々から明るい挨拶を受けると
気持ちが明るくなるわけで、とても
励まされるのです。
そしてワシがちょっと人生の先輩ぶった
ことを書いて若い人たちの参考になったり
共感をよんだりするという関係は貴重で
ありインターネットならではの成果だと
感じ入っています。
と、そういうことでトリトメもないの
ですが、いただいた年賀に対して個々に
コメ返しをしたいとは想うのですが、
あまりにも多く、さりとて心にとまった
年賀だけにコメントをするというのもエゴ
が出そうで“こまったな〜”という気がし
て、これまた小悩みなのですね。
世の中、すべての事が「good & bad」
ですよね。表裏一体というわけです。
ともあれ、今 言いたいことは
「コメ返しができなく澄みません」
ということです。
書き始めたら用事ができて
散漫になっちゃいましてね〜(^_^;)
元旦から沢山のブログ年賀をいただき
リクツ抜きに嬉しいです(^^)
お盆や暮の付け届け、それに年賀状など
は「虚礼」と感じておりいっさいやりま
せんでした。メイルにしても年賀が
届くと、とくに用事もないのに
「おめでとーことしもよろしくー」
などと決まり文句を書くのってワシには
苦痛なのですよ。カワリモノなので(*^^)
でも、このブログでドドドドドドゥ〜と
年賀をいただくと、ぜんぜん迷惑だと
想うどころか嬉しいのですね〜(^_^)
なぜなのかはこれからゆっくり分析します
が、、基本としてはワシのエゴの喜びでは
ないかと。
“おっさん、それを言っちゃオシマイだよ”
by トラさん。
目立つ喜び、
人に評価される喜び、
羨望嫉妬される喜び、
こういった欲求が人間にはあり、ワシ自身
にもそれがあり、そんな自分を感じると
反省してショゲることの繰り返しなのです。
年賀が沢山きた→嬉しい→これで喜ぶワシ
は愚か者→もっと自分を引き締めよ。
と、こういった思考がまわるのですね。
でも、それとは別に
このブログで知り合った人たち、、
逢ったこともない人たち、、
そういう方々から明るい挨拶を受けると
気持ちが明るくなるわけで、とても
励まされるのです。
そしてワシがちょっと人生の先輩ぶった
ことを書いて若い人たちの参考になったり
共感をよんだりするという関係は貴重で
ありインターネットならではの成果だと
感じ入っています。
と、そういうことでトリトメもないの
ですが、いただいた年賀に対して個々に
コメ返しをしたいとは想うのですが、
あまりにも多く、さりとて心にとまった
年賀だけにコメントをするというのもエゴ
が出そうで“こまったな〜”という気がし
て、これまた小悩みなのですね。
世の中、すべての事が「good & bad」
ですよね。表裏一体というわけです。
ともあれ、今 言いたいことは
「コメ返しができなく澄みません」
ということです。
書き始めたら用事ができて
散漫になっちゃいましてね〜(^_^;)
この記事へのコメント
虚礼はよろしくないと思いますが、「礼」は重要かと思います。
ご恩を受けたかた、お世話になった方に年の節目に於いてご挨拶をし、新たな年が身を迎えるにあたって真摯な気持ちで迎える。これはこれで素晴らしい伝統であると思っております。
本来は直接ご挨拶に向かうところ、お手紙で失礼いたします というのが本来でありますから写真やら印刷やらで商業用のクリスマスカードになると???ですが、自分の文章と言葉で書かれた年賀状はいつでも心を打つものであります。
このブログの方々は自分の言葉で市郎サンに向き合っているから、その心に打たれているのではなかろうかと勝手に分析いたしました。
これからも「虚礼」ではなく「礼」を持って対応できるような徳の高い人間になりたいものであります。
ご恩を受けたかた、お世話になった方に年の節目に於いてご挨拶をし、新たな年が身を迎えるにあたって真摯な気持ちで迎える。これはこれで素晴らしい伝統であると思っております。
本来は直接ご挨拶に向かうところ、お手紙で失礼いたします というのが本来でありますから写真やら印刷やらで商業用のクリスマスカードになると???ですが、自分の文章と言葉で書かれた年賀状はいつでも心を打つものであります。
このブログの方々は自分の言葉で市郎サンに向き合っているから、その心に打たれているのではなかろうかと勝手に分析いたしました。
これからも「虚礼」ではなく「礼」を持って対応できるような徳の高い人間になりたいものであります。
Posted by 麻酔三十郎 at 2012年01月04日 01:14
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