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2013年04月16日

写真とは・・・?

市 (2013年04月16日 02:37) │Comments(7)語りのプラザ
>こんにちは  僕も 学生時代から写真が好きで、写真部とかに入って、コンテストに入賞したりして、天狗の鼻に なっていましたが、あるときから気づいたら、写真オタクではなく、ただの「カメラ(機材)オタク」になっていることに気づき、嫌になってこの世界から、足を洗いました。もっと言えば、自分の感性のなさに失望と落胆を一気に感じ最近ではほとんど撮影しません。(携帯デヴァイスでもです!)  僕が、写真の世界に入り込んだきっかけのひとつには、市郎師匠の「月刊GUN」の写真を見てからだったんですよ。で、先日市郎師匠の「写真とは、フレイムから余計なものを取り除くことだ。」(ニュアンスはこんな感じだと記憶しています。)との言葉を受け、かなりの衝撃を受けました。  この言葉、自分の人生のすべてにおいて欠けていたものではないかと・・。なんでもかんでも取り込んでも何一つ消化できないまま、ただただ、満腹感で満足していた。そんな人生に気づき、あるがままに生きていこうと思いました。  感性がなければ、もうそれでいい。無いなりの写真を撮ればいいだけ。誰に見せる訳でなく。自分の記憶の中に残せれば、それでいい。  そんな人生があっても いいかなと・・・・・・。
FOX

>自分の感性のなさに失望と落胆を一気に感じ・・

まず、こう感じるのは感性のある証です。

>「写真とは、フレイムから余計なものを取り除くことだ。」との言葉を受け、かなりの衝撃を受けました。

これはかなり写真を真剣に考えた証。

>この言葉、自分の人生のすべてにおいて欠けていたものではないかと・・。

このような連想力は、言葉へのセンスと咀嚼する練度が高いということです。

FOXさんの鑑賞力と造詣の深さは、文章の隅々に及んでいますね (^_^)

ワシの写真歴も懊悩の連続でした。
アートを追求するというのは、そういうものだと想います。

写真を撮り始めると3カ月もしないうちに「撮れなく」なりますよね?
これは表現するための「在庫」が尽きるわけで(^_^;
ここからが写真との勝負が始まりで、一生それはつきまとうわけで・・。

トイレといっしょなんです、
レヴァーを押すと水はイッキに流れ落ち、
溜まる前に押してもカチャカチャと虚しく
響き・・(^○^)(^_^;)(;O;)

なにが苦しいかって、自分の撮った作品が初めは良く見えても三日もたつと見るに堪えない絵に想えてくること・・に対して年がら年中耐えるひつようがあることで(>_<)

とくに作為の出ている絵には自分としても腹が立ちます。しかしそれなくしてはダイナニズムが表現出来ず(×_×)

圧倒的な技術に支えられた素直な作画、そして観る人の眼を奪うストライキングなパワー。
これまでは、そういうフォトを追求してきました。

でも、それも燃焼期が過ぎました。
これからはチェロのカザルスや、ピアノのルービンシュタインの境地を目指して行きたいのですよ。
このことは長くなるのでいつか説明しますね。

FOXさんの作画力はかなり高いと感じます。
でも、自分の気負いを抑制できなでいるのではないかと想います。

その打開作戦として、このことを考えてみてください。

「キャメラとは、人類の歴史の一コマを記録するためにある」

という言葉があります。
写真学校の重森校長から習いました。

ワシは、いつもこの言葉を想います。
ここに写真の原点があると想うのですよ。
この言葉がワシの作品をナチュラルに保ってくれるのです。

今朝、細君と娘が畑にはまりこんで収穫と手入れをしていました。
ワシはキャメラでそれを撮りました。
それはただの家族の記念写真です。

でも、そこにはワシの心をこめて撮りました。

“この平和な光景を観てやってください、ワシはすでに死んでいますが、生きてこの場面を観たときにはとても感動し、返らぬ美しい日々を懐かしむように、すぎゆく時間を惜しむ気持ちでシャッターを切りました”

と、そういうメッセイジをこめて未来の家族にプレゼントするためのフォトとして撮りました。

撮る瞬間、その絵を20年後の家族が観るという視点で撮ったのです。

「歴史の片隅の小さな出来事」を記録したわけです。

カシオの安いキャメラで気負いもなく、力も入れず、誰でもがとるような普通の構図、普通のライティングでです。

写真に一生をかけてサクセスした技術の高いフォトグラファーが撮っただなんて誰にも解らないでしょう。そこには長年培ってきた技術力も作為もまったく感じられないからです。でも、じつはその裏に「作為の極致」が潜むわけで、これはワシとしても痛快きわまることなのです (^o^)

えー、フォトをやる人のために、今朝はちょっとコートーなことを書きました。今は解らなくてもショクンが70歳になれば解ると想いますので覚えておいてくださいナ (^。^)

ところで、
これは、FOXさんが「そうかっ!!!」と再び衝撃を受けてまじまじと自分のキャメラを見つめてくれるように計算して書きました
(^-^) なのでそうなったらとても嬉しいです。←という文もFOXさんの決心を後押しするために書きました(^o^) とはいえウソ偽りなどありません。FOXさんが写真を撮り始めることでワシはなんら利益があるわけではなく、目的意識としては純度が高く、見返りも期待せず、長くかかって築いた自分の写真学を気前よく無料提供し (^◇^)・・・←と自己弁護をする必要もないのに取り入るようなことを書き(^○^)

皆さん、こういう面白いイチローとブログでやりとりできている現象を、宇宙の歴史の彼方にたって見つめると、これがいかに奇跡的なできごとなのかは明瞭に理解できるわけですから、ゆめゆめこのブログを粗末にしてはいけませんぞヨ∈^0^∋

だから何???

おっちゃん、それを言っちゃあオシマイよ!!
風天の市トラ!(^^)!

感動なきもの、生きたまま死すべし。
イーチェ



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Posted by 市 at 02:37Comments(7)語りのプラザ
この記事へのコメント
“20年後の家族写真”

なんと心に贅沢で豊か、かつ、20年前の当たり前と当時思う一瞬を切り取ってくれた撮影者に、20年後、はかりしれない感謝の想いを抱けることでしょうか。

20年の間に、家族の中で諍いがあり、それから回復できていないかもしれません。あるいは、突然、神に召される順序が狂って、思わぬ人が鬼籍に入るかもしれません。

しかし、“20年前の家族写真”には、家族の成長の歴史だけじゃなく、毛布をかけてくれるような愛おしい温もりがあります。

こう感じるのは、一度は私が死の淵を覗き、また仕事柄多くの老若男女をお見送りしてきたこと、そして、日曜日に私の経験した阪神淡路大震災と同じような地震があったからもしれません。

二度目のお願いですが、白寿を迎えられたイチローさんをケンシロー君が家族写真を撮られるのを切に願っています。
Posted by Ignacio,M.D. at 2013年04月16日 04:39
>>白寿を迎えられたイチローさんをケンシロー君が家族写真を撮られるのを切に願っています。。Dr イグナ、それは九分九厘だめです(^_^;) 青寿=77歳←本日から決まった(^○^)で勘弁してください。。ワシが死よりも怖れていることは、自分が認知症になって自決の時を見失うことなのですよ・・やがて癌に罹るか認知症になるかのどちらかだと想っているのですが、家族に迷惑をかけるなんて生き恥そのものだと想うわけで・・・自分に認知症の自覚症状が出たら自決の時なのですが、この判断は難しいことのような気がするのですよね。今でもときどき「誤診」しそうでね〜(^_^;) でもこうして文章が書けているうちはよいかと・・・(^-^) できたら認知症の自己診断方法を教えていただきたいのですが、殺人幇助みたいでいやでしょうね???・・・
Posted by 市市 at 2013年04月16日 05:14
お言葉をよく咀嚼できてないなぁ。
本を読む量も少ないからだ。

今までのお言葉も含めて、反芻します。
予習が足らないんやから、復習しないと。反省。
Posted by まう@東大阪 at 2013年04月16日 10:05
「自然に反逆しつつ自然に返る」
~開高健~
酒の究極の姿は水。
この考えに納得出来る方はかなり酒に身銭を注ぎ込んでいます。
天上的な(→味、香りだけでなく値段も(笑))赤ワインを飲むとよく分かります。
全身全霊を込め、人智を尽し自然と最もかけ離れた所にあるのが、自然そのもの。

この豊潤な無駄。

これだから、人生は面白く、人間は興味深い。

FOXさん、健闘を祈ってます。
Posted by CYPRESS at 2013年04月18日 00:22
>>この豊潤な無駄。。市は開高健の文章力に才能の威力を強烈に感じていた。そして彼の小説を読みあさった。そしてあるとき開高のエッセイの一つにこのような文を見つける。「アメリカの飛行機は喫煙を禁止しておりケッタクソ悪い」と・・・。市は、これほどの大作家が周囲の人に毒煙を吸わせることに罪を感じないことを知って驚愕する。やがて大作家は食うことと吞むことばかりを主題にしてぶくぶくと太っていく。どんどん食って飲んだ開高健は58歳のときに食道腫瘍に罹って墓場に入る。。以来、市は「人の幸せとは何か?」という問題を見つめるようになってゆく・・・。
Posted by 市市 at 2013年04月18日 01:20
お疲れ様です(´∇`)

神様はもっと人間に便利なスペックを与えるべきでした!

知識は知識でしかなく、経験・体験をして、それらが融合して初めて智恵として活かせる( ;∀;)

知識の伝授は出来ても、個人の人生の体験は自身の子孫にすらコピー出来ず、それが出来たら人間全体がもっと昇華された存在になれるのに。

全知全能の神様が作った割には欠陥だらけで、でもその都合の良い神様は結局、人間が作ったというものでして(* ̄∇ ̄*)

無が、完全無欠の無(無に完全無欠もへったくれもないですが)ではなくて、ゆらぎという欠陥を内包していたから宇宙や私達の存在というものが出来た訳で、だから欠陥こそが本質なのでしょうし、変化をもたらす素材なのでしょうね。

繁栄と絶滅を繰り返しながらも手探りで続けられる種の多様性の維持の試み、生存競争がそれらを証明してますし、だからこそ宇宙を含むあらゆる存在が変わり続ける中で蠢くことだけが変わらない真理なのですね。

故に人間はやたらにどうでも良いことに捕らわれたりして迷走したり、業が深くなりますが、だからこそ面倒くさくもあり、面白みがあるのだとも思いました。
Posted by むうた at 2013年04月18日 10:25
むーさん、そこまで解っていれば人生も気楽に過ごせるとゆーもんですね〜(^-^) うっ^_^; やはりそーもいきませんかね〜・・・とKOちゃん風に応える市でアッタ(∩.∩)
Posted by 市市 at 2013年04月18日 15:12
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