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2017年01月25日

教養とは

市 (2017年01月25日 17:25) │Comments(1)語りのプラザ
本当にご無沙汰しております。
三十郎改め四十郎です(笑)
さて、市郎さんに与えられた命題 「教養とは何ぞ」 であります。まだ、考え中です・・・ かつて、「学ぼうとする心」というところでなんとなく納得したわたくしでありますが、何度も何度も考えるうちにもう少し根底にあるものがあるのではないかと思いました。 ただ、実験で証明できるわけではないので自分の精神の奥底と向かい合わなくてはならない、いい加減に生きてきたわたくしにはつらい作業です。 かれこれ数年前、いろんな方が教養について語ってくれました。 なるほど、確かにそれらは教養あるとされる方の行動として異論はありません。 しかし数学としての必要十分条件ではなくあくまで必要条件にしかすぎず、そこにやきもきしておりました。 そして市郎さんからのヒントでたどり着いた答えですら、一年もたたずさらなる統一理論の可能性を感じてしまいました。 学び続ければ教養があるのか。 ウィキペディアが教養か。PCやネットが教養かと。 そうでないことは明白であります。 また、迷宮に迷い込みました。 そして2017年。今の私で絞り出した教養に対する答えは、 「ストーリを馳せる」 であります。目に見えない部分を想像し、その真理を想像する。妥当性のあるストーリーにたどり着くためには多くの知識や経験が必要で、そのためには日々学ばなければならないと。 ではなぜ人は教養(ストーリー)に惹かれるのか。 それはもう「恐怖」に他ならないかと。わからない・知らないところから発生する不利益から身を守るためには知らなければならず、考えを巡らせて妥当性のあるストーリーを紡ぎださなければならない、のではないかとの考えに至りました。 ただの現象に対するストーリーだけでなく、人間関係や人類の発展など考えるべきストーリーは多くあり、その場その場の行き当たりばったりではいずれ身の破滅に至ると。 その結果、市郎さんがお好きな 「予防が最も確実で安全」 も教養のなす技として説明がつきました。 医療の世界も、ある数値だけ見て治療や投薬を行うのは下の下で患者さんがなぜこんな症状を呈したのか、生活に・社会に問題はないのかまで思いを巡らせる医者というのはやはり素晴らしいわけで、「どこまでストーリーを考えることができるか」というのは大脳が発達した人間だけに許された(課せられた)物ではないでしょうか。 それが2017年、1月におけるわたくしの「教養とは何ぞや」に対する答えです。 もちろん、まだまだ変わる可能性はあります。 さらに奥底のストーリーを見つけるために。 来月から寒波の真っただ中、ロシアに行きます。 新しいタクレットMBを持っていきたかったのですが・・・ 財政難の風は私の財布も直撃であります。 結局5.11で全身を固めることになるのですが、そうすると必ずロシアの空港でマークされるんですよね・・・・ 悪いことしてないので問題ないのですが。 ロシアも雪を見ながら思索に耽るのにはぴったりです! 白鳥の湖なんて聞くと、心の奥底から納得するものがあります。やはりあの土地でこそのチャイコフスキーなのですね。 では、市郎GUN団の方々におきましてもごじあいくださいませ。
麻酔四十郎


教養とはなんぞや?・・・
ほんとメンドクサイ課題を出したものですわ
(^o^)

眼満七十二郎が想いますには、
たとえば「あの人の教養の程度に見当をつけたい」と想っても なかなかピンとこないわけで・・・
そこで「教養度→人格度」と、いったん定義してみると点数を付けやすいという気がするのですよね(^^)

大学出でも人格の低い人だからけですし、教授でも医者でも人格の低い人が多いですし、物知りなのに人格がついていかない人だらけですしサ(^○^)

教養とは、教育の程度であるのでしょうけど、受験勉強から教養がえられるかというとそうともかぎらず、むしろ自分自身で物事を深く考えることで思考力が鍛えられ、この積み重ねが洞察力に変化し、これが人格を形成する源となるような気もしています。
四十郎さんのいわれる「ストーリーを読み解くチカラ」とは、ようするにこれも洞察力のことではないかと想うのですよね。

ほんじゃ洞察力とは何か・・・となりますが、これについてはもっと考えますけど、ワシが1番にほしいもの、それが洞察力だということを覚えておいてくださいな。
なんとか人格度70点がほしいと願う市 (^-^)/







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Posted by 市 at 17:25Comments(1)語りのプラザ
この記事へのコメント
教養に洞察力。
共に判定基準や絶対解が存在せず、教養にいたっては有無を判断するのが他人になってしまうから余計ややこしい。
自分では学歴も良いし知識も豊富だから教養があると思っても、人への接し方、行い一つで相手の教養に対する印象は変わってしまうし。
洞察力は人にも物にも文字にも言葉にも当てはまるからこれまた難問。

私が思っていた教養とは、「 知識の外への使い方 」。
私が思っていた洞察力とは、「 知識の組み合わせ方 」。

教養は会話をしなくても立ち振る舞いを見れば分かる場合もあります。
あたりまえな事をあたりまえに行う。それだけで、其れこそ洞察力が相手に備わっていれば教養の有無、高い低いが分かってしまいます。

教養は、専門的な高度な知識量では無く、
自分が今持っている知識で、
いかに、その人に相応しく接するか。
いかに、その物に相応しく扱うか。
いかに、その場所に相応しい行いをするか。
を、特別意識する事無く出来てこそ、自分に相応しい教養なのかと。

何が相応しく、何が相応しくないのか。
その判断基準の一つとして洞察力は重要だと思います。
洞察力とは事象の本質を見極める能力。
行動、思考、表現の深い領域まで考えようとする意識。
次に起こり得るだろう行動予測。

その洞察力を高めるには前にも書きましたけど、
知識を高めその知識を活かした経験を積むこと。
と考えています。

神の方程式が存在して、絶対解はこうだ!。
こんなのが在ればどんなにラクか。
Posted by MIZ at 2017年01月26日 10:26
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