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2016年06月09日

良いハナシ・・・

市 (2016年06月09日 10:34) │Comments(6)語りのプラザ
すみません、迷信しました、再送です。
ここに書くべきことかわかりませんが、昨日、大学の後輩と話して感動し、同時に命の重みや人間の尊厳を感じたので書かせて頂きます。 その後輩は2こ下の女の子です。ある日、部活で九州祖母山に登りに行った時いつも元気なその子が歩き遅れ、隊列の後方のさらに後方に下がっていきます。ついに「しんどい」と言って、歩けなくなってしまいましたが、その時は皆「女の子だし、そういう日もあるんだろう」位に軽く思っていました。 悲劇の一報は献血センターからもたらされました。献血した血液に異常が見つかり、至急病院で精密検査を受けられたし、とのことでした。病院で分かった病名は白血病。まだ急性にはなっていなかったものの、急性に転じれば余命は2年です。もし進行が早ければ20歳で亡くなる計算です。同じ部活の私たちは当然全員骨髄ドナー登録をしました。が、マッチする血液保持者はいませんでした。彼女と付き合っていた男は、家が医療系の仕事をしていたのをフルに利用してドナーを探しましたが見つかりません。そうこうしているうちに彼女は急性に。 彼女の行動は徐々に荒んで行き、無理に登山やケービング(洞窟探査)についてきては、安全確保を無視した危険な振る舞いをするようになってきました。同じ部活の私たちは、生きてる間にできるだけ思い出を作らせてやろうと、彼女がボロボロなのに活動についてくることを黙認し、無茶な行動にも目をつぶっていました。誰も、彼女をどうすることもできなかったんです。 彼女の家族、特に父親はとんでもない行動力を発揮し、日本中ドナーを求めて探し回り、骨髄ドナー登録を呼びかけ、国内でマッチする人がいないとわかるとアメリカでドナーを探し始めました。しかし、それでもドナーは見つからず。彼女はそう遠くない未来に死んでしまうだろう、そんなことを考えながら私は大学を卒業し、就職しました。 彼女と会う機会はなくなりましたが白血病ドナー登録を呼びかける事は続けていましたし、一度などは私がマッチドナーとしてコーディネーターさんに呼び出されたことがあります。その時は、検査の結果、私よりも患者さんに近い血液の方が見つかったそうで話は流れましたが。 さて、私は忙しく働く毎日を過ごす中で、彼女の事は気にかかっていたものの忙殺されて連絡も疎遠になっていました。それが、部活の同期の結婚式に出てみると、元気に生きている彼女がいたんです。「生きてたんだ〜!!」と、喜びあいました。話を聞くに、成人ドナーは結局見つからなかったものの、臍帯血移植で命を救われたんだとか。日本でニ例目の臍帯血移植成功者だそうで。その時は、ヨカッタヨカッタで、別れました、それが約10年前。 今年、部活の同窓会があるので、10年ぶりに彼女に連絡を取ったのが昨日です。そしたら、彼女は今、大学に通い直してるそうで。それも医学部。自分を救ってくれた医学に自分も貢献したいと、医師を目指して今医学部6回生、今年度国家試験だそうで。命を救われてからの数年、学費を稼ぎ、同時に勉強し、18歳の子たちに混じって30超えて受験し、合格して見せ、38歳で国家試験に挑む。それもその原動力は、死にかけていた自分を救ってくれた医学への感謝の思い。「じゃあね」と電話を切った後、この後輩が崇高な存在であるように感じられ、何故か涙が流れました。私も早く病院を出て社会のためにならなければ。
dnag(ドナグ)



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Posted by 市 at 10:34Comments(6)語りのプラザ
この記事へのコメント
お世話になります。
渡邉智彦です。
私の知り合いにも白血病で余命3年と言われた方がいます。
その方も治療のおかげで6年経った今でも元気にいます。
dnagさんのお話で感じて事は、私の知り合いも、周りの人を疲れさせる位、ものすごく濃い生き方をしている事です。
聞くとやはり一度あきらめた命が救われた事で、生きつづける事の意味を考えたそうです。
私の実家が寺なので生死についてよく考えていたつもりでいましたが、本人が体験するのでは意味が全く違いますね。
dnagさん早く治る事を願っております。
Posted by 渡邉智彦 at 2016年06月09日 11:40
市郎さん、大きく取り上げて頂いてありがとうございます。

私としては、技量さえ伴っていればどんな医者も医者に代わりはないんでしょうが、できればこの後輩のような人間に医師になってもらいたいです。経済的に安定するから、とか、親のあとを継ぐために仕方なく、とか、受験戦争を戦い終えたらたまたま医学部に入っていた、と言った理由でなった医者とは、根本のマインドセットが違うと思うんですよね。

ここで取り上げて頂いた彼女は、間違いなく命の重みをわかった、安心して我が子だったり我が親だったりを任せられる医師になると思うんですよ。
Posted by dnag(ドナグ) at 2016年06月09日 12:26
とてもよいお話デスね!でも本当にヨカッたですね~この世に生かされてる奇跡に感謝して、毎日精一杯生きていきたいと思います(^^)
Posted by 薩摩小雪 at 2016年06月09日 13:01
私も医者やいろんな方々に支えられて生きているので命の事に関しては他人事ではないと、いつも考えています。本当にこのような話は良いですよね。
Posted by 晴れ晴れショー at 2016年06月09日 16:49
 ドナちゃんいい経験してるね。オイラはいつ死んでもいいと考えが決まってるよ。これも本心からはつい最近。小雪さんは駄目よ。まだ子供小さいから。人生万事塞翁が馬なんでしょうね。私の従姉弟二人、医者になりました。彼と彼女の3きょうだいの一人が先天的病いで20位で亡くなりました。彼女の存命中から救いたいと医者を志しました。彼女がそう長くは生きられないと分かったのは、従姉弟二人が小学生位だったかもしれません。ア、従姉弟二人と私は歳はなれてます。
Posted by 佐伯 at 2016年06月09日 23:33
市郎さんたびたびすみません、また迷信したようです、もし二重送信になっていたら片方削除をお願い致します。

渡邉さん、小雪さん、晴れ晴れさん、佐伯さん、レスポンスありがとうございます。

今、大学生のころの記憶が蘇って来ているのですが、記事の後輩と似た人生を歩んだ学生をもう1人知っています。病気では無いんですが、遭難からの生還です。Windows95が出た年だったと記憶していますので1995年の事だったと思います。鹿児島県沖永良部島の白鳳洞という洞窟にケービング(洞窟探査)に入ったある大学生のパーティー(チーム)から1人遭難者が出ました。白鳳洞は大きく広く、内部は三層になっており管道が多く、入り口から最奥地まで進むのに12時間、往復で24時間かかります。地上で雨が降ると水没する地点や、尖った石灰岩が天地にビッシリと突き出す通路、20mを超えるピット(穴)と危険がいっぱいで、迷ったら最期、冷たい地中の迷路を力尽きるまで彷徨って死ぬことになります。私の大学で、私の属するパーティーが行った時は行進とマッピングを同時に行い、進むと同時に地図を作って行ったものです。安全テープを引いて、いつでも来た道を引き返せるように二重三重に安全対策を講じたものです。ところで、なぜそこまでして危険をおかし洞窟に入るのかといえば、地上では決して見られない純白の石灰岩の、「石の花」が咲き乱れる幻想的な光景を見たいためだったり、未攻略の洞窟を自分の手でマッピングして後世に名を残したい欲求だったり、窮屈な天然のトンネルやピットをザイルとラダーを駆使して進む、ロッククライミング的楽しさだったりが混じりあっています。洞窟とは、私たちにとって、攻略の難しいゲームのような場所でした。市郎さんにとってのビアンキカップに相当すると言って差し支えないかもしれませんが、あのチャレンジする感覚は分かる人にしか分からないものです。さて、この洞窟探査、判断を間違えると命を落とすのですが、冒頭言いましたある大学のパーティーが、その判断を誤りました。そのパーティーは十分なマッピングも安全テープも無いまま進み、洞窟外にいた後続隊に伝令を1人出しました。洞窟探査中、厳に慎むべき単独行動を十分なバックアップなしにさせたんです。案の定この伝令は道に迷い、後続隊のもとにたどり着くこともできず、先遣隊のもとに帰ることも出来なくなりました。このパーティーが、この遭難に気付いたのは遭難者を除く全員が洞窟からでて、1人足りないと分かったあとの話。始め自分たちで遭難者を探そうとしましたが、手がつけられず。その時点で遭難から1日経っていました。パーティーは警察、役場に救助要請。最終的に全国のケービング愛好家や大学探検部員が集められ、一大捜索隊となりました。私の大学にも捜査協力を求められたのですが、私たちは南アルプス縦走に出払っていた為、留守番係が、それまでに作ってあった分の白鳳洞のマップをファックスして間接的に協力しました。生命の危機と言われる3日経っても彼は見つかりませんでした。計算では食料もライトの電池も切れ、身動きつかず、低体温症になっている恐れや、深いピットに落ちて負傷している可能性が考えられました。誰もが最悪の事態を覚悟していた遭難4日目に、彼は見つかりました。無傷で。奇跡でした。本ルートから離れた枝道にいました。

前置きが随分長くなりましたが、本題は、彼のその後の進路です。これに懲りてもう2度と洞窟探査や野外探検の世界から身を引くかと思いきや、彼はある決意を秘めてますます探検の世界を極めました。彼の決意とは、レスキュー隊員になって、次は自分が遭難者を助けようということでした。そしてそれを実現しました。

自分がしてもらったことに、「恩」という概念と感情を持ち、それを返そうという気持ちを持つという事は日本人の大きな美点かと思います、先日載せて頂いた医学部生にしても、この投稿の洞窟探査隊員の大学生にしても。

、、、私は返さなければならない恩を大量に抱えたまま、返すことができず不良債権化しています、、皆様、いつかお返しします。これからの人生、これまでに受けたご恩をどれだけ返していけるかがテーマだと思っています。

長話を何度もすみません。
Posted by dnag(ドナグ) at 2016年06月11日 20:57
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