2014年12月15日
LOWE'Sで楽しむ♪
市 (2014年12月15日 11:54)
│Comments(3)
│語りのプラザ
この土曜日はLOWE'S(ロウス)のキッズデイ
にやってきました♪
(アルイミデウラギリモノダガ ^_^;)
ホームディポとロウスは優劣をつけられない
ような日曜大工店なのです。
とくに道具類は扱うモノが異なるので
両方を見てから決めるのがカシコイのです。
子供の日は店内のアイルを占拠して
開かれていました。
ここには大勢は入れないので予約制です。
定員になると締め切ります。
もちろん無料なんですよね♪
子供達は真剣ですが、親たちはもっと
はるかに真剣ナンデス(^^)
我が子たちも無事に出来ました(^-^)
とても誇らしげですよ(^。^)
Build and grow
(造って育とう)
なんと良い言葉ではありませんか (^_^)
ワシの工作好きは子供の頃からなの
ですが、もしも5歳のころから毎月
このようなのを作らせてもらえていたら
どんなに豊かな少年時代になったこと
かとシミジミと想ってしまいましたよ。
時代がどのように変わろうとも
カナヅチやノコギリがなくなることは
なく、それらを使えることで創造力も
発達するのだと想うのですよね (^^)
アメリカの一面でした(^_-)-☆
市
この記事へのコメント
私の父は技術者で、家で何かが壊れると修理のやり方を教えてくれて黙って見ていました。
口出しされないので自由に作業して楽しくて、そうやって物を作るのが好きになっていきました。
口出しされないので自由に作業して楽しくて、そうやって物を作るのが好きになっていきました。
Posted by ゴードン at 2014年12月15日 12:15
我家を見渡すとブラインドはロウス、電気コンセントはホームデポ、LEDランプにツールはロウス、バケツとペンキはホームデポ。
見渡せば我家を構築する殆どがロウスかホームデポのお世話になっています(笑)
見渡せば我家を構築する殆どがロウスかホームデポのお世話になっています(笑)
Posted by TUCSONちゃん at 2014年12月15日 12:38
日本だって負けちゃいないぜ
ってんで、場所もお金も、自由もないなか、其の隙間を縫って、親の目を盗んで、作るもんです。
万引きさえしないで、小遣いやら、バイトやらで稼いで、家に入れて、残ったカネをためて、作ったものが、今でも、ついてまわっています。
転んでも(脳血栓と梗塞ね)ただ起きない、いや、すぐ起きられないのですが、、褥瘡が無くなるまで、寝返りうって、見返りでふらついて気持ち悪くても、なれることで、タイれなくなって、また歩けるようになって、、そしたら、防具つけて、小走り出来るようにして。
人間、ちっとやそっとじゃ死にません。
同時に、僕の手の中で、本当にたくさんの命がなくなっていきました。人生いろいろです。
まだまだ僕なんか、苦労知らずですから、頑張っていきますよ。周囲はいい人だらけだもん。
ぼかあ、しあわせだなあ、、(よこはなごしごし)
https://www.youtube.com/watch?v=Ua9MNSok8H4
うちも貧乏でしたが、父親がシベリア抑留から帰ってきて、結核だったがゆえに、郷里では仕事につけず、東京に出てきて母親と一緒になって、結構な高齢出産と、戦後復興を過ごして来たと平行して僕らを育ててくれました。昭和30年代、40年台の会社は、正月のたった一日のみしか、休みがなかったです。静かに、寝坊できるのはその日その時だけ。
でも、いまは、ずっと休めています。一つの人生を終えたから。
母はもう少し前に、先に旅立ちました。
でも、ラスト十数年は、日本で二番目に貧乏な嬬恋村に、家土地建てて、畑も、小さいの作って、お庭もやって、老人二人で住んで、僕ら姉弟は、東京で働いてツキイチで、クルマで、食い物運んでいってて、ができたんで、幸せです。少々体がぶっ壊れてても、工夫すりゃ仕事は出来るもんで、
まあ、なんとかなるさと、これからも、思ってます。
なにせ、マルイの226E2とクラウンの686が、買えるようになったですからね。
ヘッドショット一秒のみから、ずっとやってます。
ってんで、場所もお金も、自由もないなか、其の隙間を縫って、親の目を盗んで、作るもんです。
万引きさえしないで、小遣いやら、バイトやらで稼いで、家に入れて、残ったカネをためて、作ったものが、今でも、ついてまわっています。
転んでも(脳血栓と梗塞ね)ただ起きない、いや、すぐ起きられないのですが、、褥瘡が無くなるまで、寝返りうって、見返りでふらついて気持ち悪くても、なれることで、タイれなくなって、また歩けるようになって、、そしたら、防具つけて、小走り出来るようにして。
人間、ちっとやそっとじゃ死にません。
同時に、僕の手の中で、本当にたくさんの命がなくなっていきました。人生いろいろです。
まだまだ僕なんか、苦労知らずですから、頑張っていきますよ。周囲はいい人だらけだもん。
ぼかあ、しあわせだなあ、、(よこはなごしごし)
https://www.youtube.com/watch?v=Ua9MNSok8H4
うちも貧乏でしたが、父親がシベリア抑留から帰ってきて、結核だったがゆえに、郷里では仕事につけず、東京に出てきて母親と一緒になって、結構な高齢出産と、戦後復興を過ごして来たと平行して僕らを育ててくれました。昭和30年代、40年台の会社は、正月のたった一日のみしか、休みがなかったです。静かに、寝坊できるのはその日その時だけ。
でも、いまは、ずっと休めています。一つの人生を終えたから。
母はもう少し前に、先に旅立ちました。
でも、ラスト十数年は、日本で二番目に貧乏な嬬恋村に、家土地建てて、畑も、小さいの作って、お庭もやって、老人二人で住んで、僕ら姉弟は、東京で働いてツキイチで、クルマで、食い物運んでいってて、ができたんで、幸せです。少々体がぶっ壊れてても、工夫すりゃ仕事は出来るもんで、
まあ、なんとかなるさと、これからも、思ってます。
なにせ、マルイの226E2とクラウンの686が、買えるようになったですからね。
ヘッドショット一秒のみから、ずっとやってます。
Posted by 須田浩之スダヒロシ at 2014年12月15日 17:22
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