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2013年04月10日

夜間部で勉強

市 (2013年04月10日 00:35) │Comments(8)語りのプラザ
第二学科は要するに夜間部です。 私は昼間に写真屋でアルバイトしながら通ってますので、時間的にも学費的にも第一学科(昼間部)にはいけない身でして・・・
キース

ワシは高校を出たらクリーニング組合で
バイトをしました。
夕方早くに仕事をきりあげて写真学校に
通えばよいといわれたからです。
で、いよいよ学校が始まると
夜まで働かないと困ると言われ(;O;)
だまされたショックは大きかったです。

仕事は辞めて学費もないので休学し
次は渋谷のケーキ作りのショップに
入りました。職安では、この店は夜学に
行かせてくれるという約束をとりつけて
くれたので住み込みにしました。

部屋付きの食付きなので住みこみ以外
の生活は考えられませんでした。

ところが、学校が始まるとなったら
ここも夜学は困ると言いだし(;O;)

しかし、助ける神ありで
レコードショップで住みこみの仕事に
誘ってもらいました。
ここのオヤジさんはカメラ店を経営して
おり高校時代からバイトをさせてくれ
後になってレコード部も始めたのです。

写真ができてベートーヴェンが大好き
だったワシをオヤジさんは喜んで雇って
くれました。
住み込み三食付きで2万円の手取りという
夜学生には充分な報酬でした。

このオヤジさんに拾われなかったら
木村パンに入っているところでした。

木村パンの部長も、ゼッタイに夜学に
行かせてやると言ってくれましたが、
音楽を聴きほうだいという職には大きな
魅力がありました。
このバイトのおかげで自由な勉強が
できました。

しかし、ここのオヤジさんとオカミさん
にはすっかり迷惑をかけて自分が情けない
ので、数年前に謝りにいきました(v_v)

当時の学校は新宿にあったのですが
復学した時には日吉に移っていました。

高校を出してもらえたら、親兄弟からは
一銭の援助も受けない、もしも飢えること
になったら黙って自決しよう・・という
硬い決心があり、とうとう自力で写真学校
を終えました。

終えた、、とはいえ卒業はしていません。
卒業制作は悪石島の人々の生活を20日間
ほどかけて撮影し、重森校長から合格を
頂いたので、もはや卒業試験を受ける必要
などなかったのです。

前衛たれ、カタチに拘るな、果敢に撮れ、

そういう校長の教えだったので
「前衛たるものが卒業証書などもらって
喜べるものか」という自負とプライドが
あったのですよ。

そういうわけで、ワシは写真学校中退
というカタチです。

人の価値は、卒業証書や履歴の華やかさ
などではなく、
「いま、何ができるのか?」
「実行力はあるのか?」
「荒野に放たれて自力で生きられるのか?」

と、そういう所にあるとワシは想うので
常に捨て身であり、攻撃的でした。

命を含め、ワシには失うものがないの
です。失うものがあると受け身になり
行動を妨げられます。

「30年間のサラリーマン生活よりも
三日間のフリーランスが良い」

こういう危険思想(^○^)がワシには
あるのですよ。

「親にカネをもらって学校に通ってもろくな
人間になれないのではないか、、
奨学金ももらえないで大学に通って
どうしようというのだ」

「自力で生活できない自分は愚か者だ」

そういう思想がワシにはあり、
これは薩摩ジゲン流の教えというわけ
です。というか永田家の家風でしたよ。

キースさん、
苦しく辛いときは床に手をついて
苦しみをよく味わってください・・
そして、こうつぶやいてください

「負けてたまるか!・・・」

そしてニヤリと不敵に笑い、ズイと
立ち上がるのです。

ワシは幾度もそうして自分を力づけて
きました。

生きる勇気、それも武器ですよ。



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Posted by 市 at 00:35Comments(8)語りのプラザ
この記事へのコメント
市郎さん。
私もちょうど20年前、愛媛大学夜間主コースに入り、
最初の3年は道路工事のガードマンをしながら、
そして4回生から6年間自衛隊で勤務し、
その前半半年は教育のため休学し、
あとの2年半昼は糧食班で勤務し、
夜は大学に行くという生活をしてました。

なんせ成績が悪かったので、
4年で済むところを7年半在籍し、
その結果、大型免許など普通なら取れるものを
棒に振ってしまいましたが…。

だから知ってる人間からはよく税金泥棒といわれてまして…。

まぁ、そうかなぁ!?

でも私の場合、
関西の某有名大学の夜間をたった2年で中退。
しかもろくに行かずの結果にもかかわらず、
卒業したとなぜかうそぶき自慢する馬鹿親父とは違う!!
という意地もあって、
私にとっては卒業は何よりの目標であり、
学士ではありますが、
その学位は私にとっては勲章でしたし、
自分の金で生活をし、学費も払っているということで誰にも文句は言わせない。
という気持ちもありました。
(もっとも、入学費と半年分の学費10万は払ってもらいましたが…。)

でも決して、市郎さんのような中退者を卑下するわけでもありませんし、正直私の学位証には華やかさはありません。
今の自分に役に立っているのかといえば正直役に立ってません。

でも、自分はこれをやりきったという自負はあります。
ですが鼻にかけてるつもりはありません。
というかそんなこと鼻にかけたら人間終わりです。

夜間学生というのは結構特殊な環境やと思います。
またそれが醍醐味かもしれません。

キースさん。
今のその時間を大事に、ただ我武者羅に一生懸命がんばってください。
そして、迷ったり苦しいときは溜め込まずに吐き出して…。

ぼちぼちやりましょう。

何かワケわからん文章失礼しました。
Posted by kimi at 2013年04月10日 01:12
こんばんようさんです。

キースさん
写真のおべんきょ、楽しんでくださいね。
いつか作品が、我々に衝撃を与えるのかな?和ましてくれるのかな?
それとも、写真用機材の分野に行かれた方も、企業内写真の担当で一生名前は出ないけど縁の下で支えてる方も知り合いにいます。
写真学校の先生になってるかもしれない。。。
基礎を学ばれた方の強みをいろんな分野で活用できる将来が待ってますね。

写真の基礎を学んでない まうおじさんより。(説得力ないですね)
おじさんは、師匠やトモさんのおっしゃることを実践しようとしてるのに、やたら周りの写真先輩から言われる指導がバラバラで混乱中です。ネオパンSSから出直します。
Posted by まう@東大阪 at 2013年04月10日 02:47
こんにちワン!
私はダメダメの甘えん坊将軍でしたね〜。 何を学びたいのか分からないまま皆もそうしているから、と、自分の偏差値に合わせた大学を受験し、親のサポートで大学へ行かせてもらいました。 しかも遊びすぎて留年してしまい、かなり時間とお金をドブに捨てたようなもんです。ドラ息子ならぬドラ娘! 大学で学んだ事ってあんまり覚えていません。 しっかり何を学びたいか分かっていて然るべき学部でお勉強した人とは大違いです。 夜遊びしている間に得たものはたくさんありますが^_^;; 
そもそも偏差値が高いから頭がいいとは限らず〜、試験を受けるテクニック等はあっても実社会で役立つ事はほとんどなく〜。。。

>人の価値は、卒業証書や履歴の華やかさなどではなく、

おっしゃる通りですね! 学歴や肩書きにこだわる人ほど中身が充実していないような気がします。
有名な大学を出て大企業の重要ポストについて満足しているだけではマズいですよね。 会社から言われたことだけハイハイってやっていて、ある日いきなりリストラされた日には路頭に迷う他ありません。 いまでは4年制大学のディプロマがあっても就職出来ない人が日本にもアメリカにもたくさんいるそうですし。

アメリカ射撃界はそういうのとは無縁かなと思っていましたが、去年逆バージョンに遭遇しました。 職場等で認められなかったりして、そのうっぷんをレンジオフィサーのチーフとしてはらしている人。。。オレが言う事が正しい、オレが、オレが、オ〜レ〜がぁ〜〜みたいな!! この人、CROの資格を剥奪されたらどーなっちゃうんだろうって心配になりましたよ(゚д゚lll)

しかし、ケーキ作りとは意外や意外!!(*´∀`*)  by先週モンゴルから「9mm/124gr JHP」3750ヶX3箱が届いたはいいけど室内へ運んだ後筋肉痛になった乙女
Posted by リリコ at 2013年04月10日 04:18
お世話になります。渡邉智彦です。
イチローさんのリアルで力強く、心にずしんと来ます。私も27年の仕事の中、会社員だった時期は3年鑑で後はフリーでマンガ家。デザイナー。イラストレーターをしていますが、パソコンの普及やクライアントの倒産などいろいろあります。きつくて仕方ない時期がずっと続いています。父の死んだ時生きる方向を失いかけた事もあります。ふと、横を見ると深い失意の井戸がたまに口を開けて手招きしているように思える事もあります。それでもなんとか踏ん張って頑張っています。メルマガを通じてイチローさんの真の人なりに少しでも触れることが出来た事を宝物だと思っています。これからも応援しています。
Posted by 渡邉智彦 at 2013年04月10日 09:13
渡邉智彦さんは、お父さんと仲良しだったのですね〜(^-^) これはとても良いことで、その関係があっただけでも大した心の財産ですよ(^_^)ワシの甥もディザイナーで新聞全ペイジのマンション広告などを製作していましたがジリ貧となりタクシー運転手となりました。そして釣りなど始めたのでちょっと安心していたら過労死で突然いなくなってしまいました。。「今はよくても未来を見つめて舵をきらないと衝突するからな」とワシは逢うたびに言ったのですが「舵の切り方が解らないよ」と悩んでいました。。。人間、皆家族。智彦君がワシの書いたことから何かを得てくれたら本当に嬉しいことです。失意の時は、いつでもここに書き込んでください。ワシも真剣に受け答えしますからね(*^^)v
Posted by 市市 at 2013年04月11日 00:54
お世話になります。
渡邉智彦です。イチローさんのコメント、心から感謝いたします。今では、全くイチローさんの印象が変わりました。ただただ、GUN誌の中の憧れの方かた、人生を含め、こうしてコメントまで頂けるかけがえのない存在になりました。ありがとうございます。私の父は子供と接するのが苦手でした、しかし、大人のなり、子供が出来ると父の気持ちがよくわかります。今、私は、父との距離を自分の子供を通して縮めています。そんな時父が夢に現れ、今のお前にはわかるだろう。と言われハッとしました。ようやく父の気持ちがわかりました。私は3人兄弟ですが、私が一番父に似ていると言われます。父が夢に出てくるのも私だけです。キツイ時期はしばらく続くかもしれませんが、頑張って生きてみようと思います。これからも応援しています。
Posted by 渡邉智彦 at 2013年04月11日 01:16
イチローさん、オハ今晩わ!
久々に改めてイチローさんの若き日の時代の話、心に響きました。
前にイチローさんが仰っていた「土台が違うんだよ、育ちが違う」が正に胸に刺さりました。
私の若かりし日を思い出し、あまりの違いに打ちのめされます。ただその両肘両膝、額を地面に付けている時に、「負けてたまるか」、新たな言葉がインプットされました。下を向いたまま、地面に対しての言葉かもしれませんが。

ただこんな時、鉄砲の面白さ、危険さ、奥深さを美しい写真と共に紹介してくれた方がとこうして知り合え、忌憚ないお話を頂ける。あの時にイチローさんが創めてくれたこのブログが、どれほどの人の心に染み入っている事でしょう。
あの虹色に輝くバレルとチェインバーの写真を何故か思い出しながら。
               TROOPER(村野 浩)
Posted by TROOPER(村野 浩) at 2013年04月11日 02:14
>>「土台が違うんだよ、育ちが違う」TROOPER君、ワシはごく普通の人間ですが、たしかに育ちは違います。そのことを説明するには中学時代を書く必要があります。「苦労は買うてでもせい」という言い伝えがありますが、ワシの土台作りには凄まじいばかりの大金がかかっているのですよ(^ニ^)それと多くの命もね(;O;)いくらかかったか知りませんが、なにしろ太平洋戦争に使われたカネのことですからね〜(゜◇゜)ガーン!!! そこには戦艦大和に費やしたカネも入っていますし、玉砕した先輩たちの命も(゜◇゜)ガーン。。。日本が米国によって滅多打ちされているさなかにワシは育ち、初めて覚えた言葉は「タイヒー、タイヒー!」という叫びだったと姉が教えてくれましたよ(;O;) これは爆撃があって防空壕に逃げる時の大人達のかけ声で「退避」のことです。。そして家は焼夷弾で無残に焼かれ、焼け跡の中からぺんぺん草が生えたようにワシも育っていくのです。。この巨大な費用と犠牲と壮絶な破壊がワシの土台となっているのです。。ここから日本人は猛烈に強くなっていきました。そういうことをいつか書きますね・・・。
Posted by 市市 at 2013年04月11日 04:04
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