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2013年03月04日

今、だけが自分の抑制下にある

市 (2013年03月04日 02:25) │Comments(8)語りのプラザ
お疲れ様ですm(__)m 先程は、禿げ増す私の心を強くして頂ける励ましのお言葉、ありがとうございましたm(__)m こちらを昨夜、マルパソさんから頂きました時、市郎さんにも若かりし頃があったのだな〜と当たり前でありますが感慨深いものがありました。 マルパソさんイチオシのお写真で、私も画になるお姿と思いましたのでお送りしてしまいました(汗) 最近、時間について考えておりまして、佐治晴夫さんという感性豊かな理学博士の作品をまた読み出してますが、 「人生とは何か?」と聞かれたとき、その答えのひとつは、日々、新しいことや人との、出あいや別れと言ってもよく、それらは、すべて現在、つまり、「いまという瞬間」との出あいであり、別れであるということ。 そして、「使える時間」は「過去」のものでも、「未来」のものでもなく、この瞬間の時間だけしかない。 いちばん大切なことは、 「いましかない、ということと、向き合うこと」 であり、 「これから」が「これまで」を決める という言葉にひとり感動しておりました。 「これまで」が「これから」を決めるという考えが一般的ですが、過去に固執し振り回されている私では市郎さんの「ゼロ拘泥のススメ」に触れることが出来なくて悩んでおりましたf^_^; 黒髪のワンピース姿の女性が描けましたら、お送りさせて頂きますm(__)m 「であい」位は漢字付きで普通に書けても良いと思うむうたでした。
むうた

うむむむ、素晴らしい!・・・
記憶したいので ちょっと整理しましょう。

「人生とは新しいことや人との出逢いと別れ」

「今という瞬間との遭遇と別離」

「自分が使える時間はこの瞬間だけ」

「過去も未来もすでに自分のものではない」

これだけを咀嚼するだけで
かなり人生が解るのではないかと。
でも人生経験が不足していると
実感を伴わなくてムリかな〜・・

でも心に留めておくと、TOMさんのように
時限バクダンとしてハレツする日がきます
からね(^-^)

>>過去に固執し振り回されている私では
市郎さんの「ゼロ拘泥のススメ」に触れる
ことが出来なくて悩んでおりましたf^_^;

で・・
「ゼロ拘泥のススメ」ですが、それは
ここで書きましたっけ??

強い行動力を身につけたかったら、
強力な推進力がほしかったら、、
これはまず心でマスターしないと
いけないことなので、また書きたい
と想うのですがね。

しかし・・むーさん、
君のように震える心で真理を追っていて
しかもよく学んでいるような人がですよ、

「拘泥するべからず」

という言葉に触れた時に(゜◇゜)ガーン!!!
いや〜まったくだぁ〜\(^O^)/
と瞬時に悟れないというのは どうして
なのですか?・・・

そこのところの心のメカニズムを
説明してもらえると、ワシもこれからの
ブログの書き方をもっと明解にできると
想うのですよ。

なにしろ、今のままでは時折ワシが
精魂こめた直球をハッシとばかりに
投げても暗闇の彼方に飛んでいくだけで
バスっと受け捕ってくれ、瞬時に剛球を
投げ返してる人がいなくて
孤独感が増すのですよね〜(^_^;)

“諸君、振り返るな! 遠い星を求めて
まっすぐに進め〜!!!”

と、ワシが叫んだら
“おおおおおおおお〜!!!”
という轟きが返ってくるといいのにな〜

これって安っぽいロマンなのでしょうが
たまにはあってもいいよね〜∈^0^∋



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Posted by 市 at 02:25Comments(8)語りのプラザ
この記事へのコメント
人生とは、
経験すること。
そして、
すべては結果であると、
今のところはそう思っています。

経験するために生まれてきて、
すべての経験が現在の自分を形作り、
今、この瞬間は、すべてその結果。

そんな自分が「場」を作り、その場にいる人たちが、家族や集団、地域を形作り、そこから文化が生まれ、社会となり、国となり、そして地球レベル、宇宙レベルで、ひとつの大きな意識のようなものを形作っているのではないかと、イメージしています。

なので、自分が見聞きする物事すべてもまたその結果であると、思う時があります。

自と他を区別しない意識の状態を、自然と言うそうです。

「自然」と書いて、
「じねん」と読みます。

自も他もない状態。
ただそこに世界があり、
己も含めて、ひとつの世界。

自らの生命力により、
生成し、変化し、発展し、
そして、進化していく状態。
それが自然(じねん)です。

世界のすべてが生命であり、自分もその大いなる生命の一部だという捉え方を、日本では「山川草木悉皆仏性」と言うそうですね。

日本には、自他の区別のない、自他一体や自他一如といった考え方が、根本にあるのでしょう。人間と自然、人工と自然を分けるといった、二項対立的な発想は、日本にはもともとなかったのかもしれませんね。

自分と他人(ライバル)、自社と(競合)他社、自国と敵国、、、これからも続くのでしょうかねぇ。

自と他を分け、人間と自然を分け、「地球にもっと優しく」とか「環境を大切に」といった、人類中心主義の二項対立的な発想、操作主義的な発想では、本当の意味で、地球環境問題を克服する日は訪れないと思います。

自分を広げていくと、
人間と自然が一体となり、
自らが然るべき状態になるとしたら、
皆さんは、どんな状態にありたいですか?
皆さんは、どんな姿がイメージできますか?

「格闘技の神様」と称えられた合気道の塩田剛三さんが、ある時、弟子に、「合気道で一番強い技は何ですか?」と、聞かれ、塩田さんは、「それは、自分を殺しに来た相手と友だちになることさ」と、答えたそうですね。

そんな「場」を創り出せる人になれたらいいなぁと思っています。

とはいえ、だからといって、何でも差し出せ譲歩しろ、譲れ飲み込めガマンしろと言っているのではありません。

自然だの亡己利他だの思っているのは僕の自己満足であり、僕の自己満足の丸逆を生き甲斐としている人がいて当たり前で、それもまたその人の経験であり結果です。

どうしても相容れない場合、そのような場から離れる(逃げる)ことができれば良いのですが、それができない場合、昔なら刀を、今なら銃を抜かなければならないとしたら、やはりきちんと扱えるスキルと心構えは、普段から備えておく必要がありますよね。個人レベルから国家レベルまで、その規模に関係なく。
Posted by 武蔵 at 2013年03月04日 03:32
こんばんようさんです。

師匠の精魂つまったボールを瞬時に投げ返すには、我ら練度が不足なり。

ただ、ボールをキャッチこそすれど、いつもと違うボールだと気付いたとしても、
汚れを拭いたり、ほつれた縫い目を修繕したり、はたまた新品に戸惑ったりで、
すぐに返球ができない人の方が多いと思います。

そら中には、見送りや捕球ミスしたり、ワテのように無理矢理打ってファールする場合もあります。

当然、観客に徹する人もいらっしゃいます。

だから、これからもボールは、投げてくださいね。
m(__)m
Posted by まう@東大阪 at 2013年03月04日 12:58
お邪魔します。

あるところに丁度今日書いた文章が、ここのお話の趣旨に近いかなと思い、お伝えします。

ちょっと過激な物言いなので、表に出すかどうかはご判断下さい。




拘(こだわ)りは捨てろ

「こだわりの逸品」「こだわりの味」「こだわりの~」・・・

世にこだわりは数あれど・・・

いつからだっけか?
何でもかんでもこだわり始めたのは?
マスコミが。というか広告業界が重宝に「こだわり」を利用し始めたのは。

こだわるってのが、なんか高級品や凝ったモノや食い物のお飾りになっちゃったんだよな。


拘(こだわ)るって辞書でひいてみな。

元々良い意味なんか無いんだから。

それは物事や考えにとらわれて動けなくなる事って意味なんだから。

こだわればこだわるほど、自由な発想や発展や進歩を阻害する。
なのにみんな最近はこだわりまくりだよね(笑)

なんかについて、人に「こだわってますね~」って言われると、ちょっと脳の奥がピリッとする。
(別にこだわっちゃいね~よ、たまたまあれこれしているうちにこうなっちまったんだよ)と思いつつ、口にゃ出さずにニヤけてみせたりね。

あーいやだいやだ、そんな自分が嫌になるぜ( ̄▽ ̄υ)アセ…

本人褒めてるつもりなんだろうが、褒めてる事になってねえんだよ。

じゃあどうすんだよ?って話になるんだが、とっととこだわりってのを捨てちまえ。こだわってんじゃねーよと。

そのかわりと言っちゃなんだが、最高の言葉があるぜ。

「究める」だ。

研究、追究、真理を究める。

これならどこまでも果てしなく向上出来るじゃないか。

最後はもう宇宙の真理だよ。


ちょっと話が行き過ぎちゃったな( ̄▽ ̄υ)アセ…

例えばさ、自転車を例に出すよ。乗ってるから。

ロードレーサーって自転車は、公道上を人力で最も早く移動出来るマシンだ。

そいつはこだわりじゃなく、勝つ為にあらゆる要素を最適化して、現状のアイディアや技術を究めたマシンだ。で、そいつでレースをすると。

だけど、普通に趣味で乗っていて、レースには出ない人の方がはるかに多いのね。眺めてるだけならそれでもいいけど、まあ休日のツーリングとかで乗るわな。

レース用のウエア着て、なんも積めない自転車だからポケットに最小限の物持って出かけるのよ。
ロードレーサーに乗るっていうのはレーサーへの憧憬だから、そのスタイルに「こだわり」があるのね。

だけどさあ、ツールドフランスとかのレースは、サポートカーが伴走してて、必要な補給食やら水やらなんやらみんな運んでくれるからな。

ツーリングなら全部自前で運ばなきゃならん。

ロードレーサーはこうなんだ!なんてどうでもいい。
俺はサドルにデカいバッグ付けてる。

つまらねえ拘りよりも、子供にお土産買えた方がいいもん。
Posted by Elan at 2013年03月04日 13:11
>>つまらねえ拘りよりも、子供にお土産買えた方がいいもん。(^-^)よく書けていますね〜 Elan さん。いつの間にか「頑固で拘る」のは良いことになって流行しており、言葉のアヤによって本当のところが見えにくくなっているのはまずいですよね。時代は軽薄に早く進んでいるので流されないように気をつけていきましょうや。
Posted by 市市 at 2013年03月04日 13:54
>>これからもボールは、投げてくださいね。(*_*)よしっ!! 「血液型を信じる者は愚か者だ、道理に合わないことを信じるのは ただちにあらためよ」っちゅうのはどうですかい? この直球ストライクをバットの芯で撃ち返してほしいねん。(^捕^)
Posted by 市市 at 2013年03月04日 14:23
お疲れ様ですm(__)m
考えても分からないのでありのままを書かせて頂きます。

「ゼロ拘泥」を市郎さんが提唱されたとき、「出来上がった」絵画や作品を観せられた感触がありました。
なるほど!と合点は行きました。

ですが、それを私自身に浸透・活用出来る様にするには、私は私の「手持ち」の「知識・体験・知恵」で組み・作り上げていく作業が必要でした。

機械を作動させる為に歯車などの部品をはめ合わせる様な感じでした。

頭の片隅に、これは!という言葉や体験は残ってます。それは体験から来る直感が自分に必要と感じたからこそ残るもので、でもそれらは複合的に作用しあってはじめて動かせるものが多いです。

そこに、背負ってしまったもの、背負わされてしまったものをおろしていかないと、それは余分な部品なので組み込んでしまうと上手く作動出来ません。

その、「これまで」と言える背負っても仕方ない「しがらみ」の様なものを下ろすことが「ゼロ拘泥」を起動させる第一条件かと思います。
それを対峙するでも、目を反らすでもなく、「受け流せる」様な「きっかけ」というスイッチが入らないと起動出来ませんでした。

私自身の整理の一助となった言葉は、
「過去の記憶」は、かつて経験した「ほんとうの過去そのもの」ではありません。
にもかかわらず、私たちは、過去のできごとをなつかしく思ったり、あのとき、こうしていればよかったなどと後悔したりして、いつまでも、ないはずの過去に、こだわっています。
過去の時間って、不思議ですね。
(14歳のための時間論・抜粋)

星空を眺めて、あの星の光は300万年前、あっちは500万年前のもので、「違う過去の時間」を「今という瞬間」に「同時」に眺めている不思議を感じ、宇宙の広大さに触れて、私という個体の意識を少し手放してみたら楽になれました。

そして、今生きている人より、過去の人の数の方が圧倒的に多く、その中には私が苦しいと感じる状況を凌駕する無慈悲、不条理に晒された人達なんてそれこそ無数です。
これも自分を手放す一助になりましたが、これは、市郎さんの、海辺の一粒の砂と同じ考えですね。

そして、拘泥を助長する最大は、腐れ儒者の、「心を伴わない美徳の押し付け」の蔓延が元凶だとも思います。
観点のすげ替えに気付かなかったので私は、自責の念により更なる迷路に入り込みました。
Posted by むうた at 2013年03月04日 14:53
こんばんようさんです。

>「血液型を信じる者は愚か者だ、道理に合わないことを信じるのは ただちにあらためよ」

直球ですねぇ 沢山スラッガーが打ち返す前に、打線に入りました。

☆血液型って親から受け継ぐんでんな。
☆親の育て方で子どもの性格が形成されまんねん。
☆子は親の鑑やさかい、こぴーが出来上がりまんねん。
☆統計とったら、性格伝承と、血液型に因果関係あるで、と誰かが言わはりましてん。
ただそれに、飛び付いただけ。

O型やのに協調性ねない奴や、B型やのに貴重品な奴は、いっぱいいまっせ。

★悔い改めへん?★

と、打ったらこんな言葉が、ボールに書いてましたよ
「PM2.5で、騒いでまっけど、あんさんのタバコのほうが、もっと細かくてヤバイよ。」

師匠のお言葉が、先走ってますかぁ?
Posted by まう@東大阪 at 2013年03月04日 20:31
「こだわる」っていうのは、そもそもあまり良くないニュアンスを含んだ表現のようです。
今はそれが薄れて、「無農薬栽培にこだわった~」とか
「地元産食材にこだわった~」のような褒め言葉っぽい表現として使われることが多いみたいで(苦笑)。

さてさて。私のような凡俗としては、
こだわりを全て捨て去るのはなかなか難しいです。
「こだわりを捨て去るぞ」と決めた瞬間に、
それ自体が自分を縛る『こだわり』と化すわけで。

そこで、私の場合には
「ただ一つのことを守り抜くために、他のことに対するこだわりを捨ててみる」
で行ってみようかと。

その『ただ一つ』は人によっても違うでしょうし、
早く見つけることが良いとも言いきれませんが、
ともかく実行中です。

その結果・・・「たとえ犬の糞呼ばわりされても平気な顔をしていられる」ように
なりつつある自分がちょっと怖い(笑)。
Posted by ルシファ at 2013年03月04日 21:43
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