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2012年08月31日

かすかに光る星はあるものです

市 (2012年08月31日 12:58) │Comments(2)語りのプラザ
市郎さん。 このように、私のことを取り上げていただいて、 かなりビックリでした。 いや~!!そこまで影響あったかなぁ!? 何か申し訳ないっす。(><) 私の鬱病の話は、ホントです。 10年前自衛隊除隊後、 決められたレールに乗るのがイヤで、 約10ヶ月、カナダに逃げました。 その後、帰国して介護職をやったのですが、 なかなか仕事が思うように行かず(元々どんくさい性格だったので余計に。)叱責も日に日にきつくなっていき それで自分を追い込むようになり、 そのあと段々気力がなくなり、寝れない日が続き、 仕事の事と同時に、 寝れない事がストレスになっていき それが爆発しそうになりました。 やがて、介護職を辞め、 医薬品会社の倉庫で働いたのですが、 単純なミスを繰り返し、 ここも半年でクビ。 集中力がないと言うか、 単純な事ができないんです。 例えばその倉庫の仕事と言うのが、 紙を見ながら、 台車にそこに必要な医薬品を積んでいくわけなんですが、 そんなに難しいものではありません。 だけど出来ないんです。 そして町の心療内科に行くと、 軽度の鬱病と診断されました。 しばらくして、症状は改善されたのですが、 6年ほど前、ある機械製造の会社に入りました。 そこでは全く経験がないのに、 全く指導や指示を受けることがなく、 わけが解らず無駄に一日が過ぎるというのがしょっちゅうでした。 もちろん現場の上の人間に指示などを聞いたりしたのですが「自分で考えろ」の一点張り。 そこでもやはり「あいつはできない(使えない)」と陰口をたたかれるようになり、やはり何も出来ない自分を追い込むこととなりました。 冬、インフルエンザになったときなんか仮病を疑われたこともありました。 結果、やはりわけもわからない不安に襲われたり不眠症状態になり、 夜一週間寝れないということもありました。 受診の結果、やはり鬱病でした。 やがて、会社に誘導されるように辞めたんですが、 そのあとが大変でした。 病気で、休業補償を取ろうとしたけど取れなかったんです。 その後、労働基準監督署にも訴えたり、 挙句に、金がなかったので、自分で裁判やったりもしたのですが、結果は敗訴。 このときから、日本の司法制度が信じられなくなりました。 鬱病の一番つらかった時って、 もちろん、その時病気で雇用保険の停止手続きをとってしまったりもしたんで、一文無しになってしまい、 経済的にもつらかったんですが、 それが精神的にも堪えました。 ただ、どういうわけかどこかで「このまま引きこもってしまったらおしまい」と考える事が出来た部分があり、 なるべく、外に出て人と接する事は心がけました。 私の場合、話がうまいわけでもなく、愛想があるわけでもないんですが、人と接するのは好きだったので、 そこで救われたのかもしれません。 そうやって、すさんでいってる時に、 私を拾ってくれたのが、ここでも何回か言ったことがある、 アメリカ人の女性のボスでした。 彼女は大学の先生で、 長年留学生の世話をボランティアでやってる人だったのですが、 大学の事が忙しくなり、 なかなか手が回らなくなってきてました。 そんな時、あまりお金は出せないけど、 これをやってくれないか? と言われ、そのことをやるようになり、 精神的不安定に関して格段になくなりました。 ただ、夜寝ることは出来ないという症状がどうにも治らず、 未だに二週間に一回通院して薬を貰っています。 以前医者に私が銃が好きな話をしたら 「君なら所持に問題はない。と言う診断書かけるよ。」 とも言ってもらえる状態にもなり、最近に至ってます。 でも最近ですが、 実は5月でそのボスの家庭の事情 (単身赴任だった主人が定年退職で帰ってくるのと、その主人はこういうことに結構なお金が使われていることに、反対だったため。)で、 もう“給料”が出なくなってしまいました。 そういうわけで、今仕事を探してるわけなんですが、 10回ぐらい面接いったんですが、 全部アウト。 さすがに落ち込むし、 何か、鬱病のきつかった時に戻りそうな感じになることがあります。 それに最近は、 何もないとき ついついどこにも出ず“引きこもり状態”になるようにもなりました。 でも、私がここまで生きてこれたのは、 実際においても、 そしてこういったウェブという顔の見えないところにおいても、 本当にいい人ばっかりにめぐり会ってコミュニケーションとってるからだと思います。 そのことが、市郎さんの言うところの“人薬”なんでしょうね。 その人薬が、私の人徳にもなってます。 もちろん、市郎さんが人薬になってる事も事実です。 でも鬱病って、やっぱり原因とか現れ方とか人それぞれなんでしょうね。 人間は機械じゃないから、 微妙でデリケートな部分があるんだと思います。 でも、市郎さんのその知り合いの方の鬱病と言うのが どんなものなのか気になります。 特に子供たちがどのようにあぶない状況になってるのか? それに私はそうでもなかったんですが、 鬱病の人は心を開きにくい人が多いですから、 原因もなかなかわかりにくいでしょうね。 そのことをいつか言っていただけると、 私を含め、ここにいる人達から何かいい方法が出るかもしれませんね。 かなり長々としたものになってしまい、 申し訳ありませんでした。 もちろん、このことは公にしていただいて差し支えありません。 そのことによって、何かがクリアできるかもしれませんしね。 失礼しました。
kimi

市より、
マックの講習会からもどり、鹿児島にいる
兄に電話をしてうつ病についてあらためて
聞きました。
その兄は、内科が専門でしたが、医院を
経営する前は精神病院で働いていました。

たしかに今は世の中が複雑化し、現代人は
社会に対応できにくくなっているそうで、
それはムリもないことだそうで、、

そして今のうつ病は、個人差がはげしく、
一人一人が異なった症状を示すようです。
まったく一概にはいえないと言ってい
ました。
そして今、もういちどkimiさんの文面を
読み通し、そこで解ったことは、もっと
何回もこの文章を読んで咀嚼しないとなら
ないということです。

kimiさんのこの文章はワシにとっては
活きた教科書のように想われます。
そしてこれを公にしてよいという許可に
感謝しています。

ワシは写真学校を中退したあと、神田の
印刷会社の写真部に就職しボーナスをも
もらう身分になったことがあります。

そこで3ヶ月経ったころ強く感じたことは
「このままでは自分の一生が台無しになる」
というものでした。
そのまま勤め続ければ自分は発狂して
自殺するだろうという予感におそわれた
のですよ。

早起きして満員電車で通い、夜は毎日の
ように残業で、間借りした部屋にもどる
のは11時で、風呂に入る時間を惜しんで
早く寝ないと明日の出勤に差し支える。
週一日の休みには、掃除と洗濯をしなけれ
ばならず、未来のための勉強も読書もでき
ないという境遇に恐怖さえいだきました。

「こんなことの繰り返しで生きる価値
などどこにもない」
と毎日考えるようになりました。

そしてやがて黒澤明監督の「生きる」
という映画を観て涙が止まらず・・・

「自分も生きるんだ」と決めました。
そうなると会社を辞めることなど大した
ことではなく、仕事を辞めないことには
何も始まらないのだと想いました。

そのあたりから、真っ暗だったワシの空に
1点の星がかすかに輝きはじめたのです。

「あれに向かって進もう、紆余曲折でも
曲がりくねってもいい、ときおり星を
見上げて そっちに向き直ればいいのだ」

と、そんなふうに決めました。

天空高くで 君に向かって
かすかに輝く星・・・

kimiさんにも
それをみつけることができますよう。





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Posted by 市 at 12:58Comments(2)語りのプラザ
この記事へのコメント
お邪魔しますm(__)m
今更ですが、

好きなトイガンがあります。
触ったり撃ったり眺めたりして、楽しい時間が過ごせます。

トイガンだね・・・そう。
触って、撃ってなんなの?眺めるけど「只の物体」が置かれている。

何にもない。楽しいとか感動するいう情動が「虚」でしかないので、何をしても、見てもなんにも感情面に反応がないです。

ただ、空虚。何もしたくない。動きたくない。
セロトニンなりなんなり脳内の出る物質が疲労なりで出なくなってしまい、とにかく動くことすら「したくない」ではなく「出来ない状態」になってますが、大概が「したくない」と表現してしまうのでうっかりすると怠け者の様に見えてしまいます。

買い物に付き添って、レジへ。
さりげなく作業をこなす店員さん。
それを見ると「私には出来ない!怖い出来ない!」
昔はぶっつけでこなしていたじゃない?と言われても、「虚ろ」だから「恐怖」しか産まれませんでした。

私は鬱病ではなく、鬱状態でもなく、鬱様障害で鬱に似た症状なのでなんともですが、空虚感が恐ろしくて、ど真ん中の状態の時は考える余裕があった時はどうやったら楽に自殺出来るか?色々な自殺の文章とか読んで、考えて。
一瞬で首が飛んで楽になれるので、鉄板をグラインドして、落っことす簡易のギロチン作ることを考えまして、そういう自分が消えてしまえるということには思考や動くことは比較的容易でした。

だから、自殺をはかる時子供とかいると一緒に連れていこうとするのは、虚ろの世界に残しておくことが恐怖である。みたいなこともひとつの考え方としてあるのではないかと。

上記は私の体験とそこからこう考えたというものでして、あくまで私一個人のものです。

今でも薬飲んだときと飲まない時では身体機能や情動などに差が出ます。

先生が厳しい方なので、いずれは薬を飲まない方向でというスタンスなので、私も自発的に薬やめたり減らしてますが、圧倒的にスペック変わります。
ブラホの時はしっかり、ガッツリ飲んで行動しました。
なので、能動的になれてました。
Posted by むうた at 2012年08月31日 14:35
イチローさん、オハ今晩わ!
kimiさん、むうたさん、こんばんは。

実は私も鬱病と診断されました。過去形ですが、やはり今も投薬治療中です。不眠症というのが一番辛いです。ただでさえアトピーで痒いので、全うな睡眠が取れません。このような時はやはり薬があると、規則正しい睡眠が取れるので助かります。
事の起こりは「ガンもナイフも嫌だったの、怖い」と言われうちのに実家に帰られたところから始まります。どうも朝起きられない。目は覚めても異常なほどの体調の悪さに、起き上がれない。それと連動して、経営状態が悪かった私の店がいよいよ行き詰る。自宅を処分して融資をすべて返済する。
そしていまの社長を紹介され、工場長として普通に働くことが出来るようになった矢先、交通死亡事故を起こしてしまう。これには参りました。逮捕拘留から公判までは気が張っていたのですが、その後とうとう動けなくなりました。目が覚めても体を動かせない。起きても倦怠感でまた横になってしまう。とにかく酷かった時は1日に1度か2度トイレに行くだけで、後は寝たきりになってしまう。そんな状態でした。心療内科で欝と診断されました。
しかし救いは今の社長でした。懲役に行っても待っている。無期限休養でよいと言ってくれました。
そしてイチローさんが始めてくれたこのブログ。そして知り合ったKO-1さん皆さんとの交流の為のブラックホール。後酷い話ですが、人を殺してしまった事も、時が癒してくれ、心の大きな穴がいくらか埋まりました。
今ではブラックホールも楽しみに出かけていく、エアガンも買いに行く、と、ここまで回復しました。

皆さんの中にもまだ欝の方もいらっしゃるかもしれません。kimiさん、むうたさん、とても辛い時をお過ごしのこととお察しします。治療はもちろん大切です。その辛い時間の先に私の様な時の流れの力があるかもしれません。決して無理せず薬を飲んで、心の友ガンを握り、お過ごしください。

イチローさん、欝とは消して怠け病から来るものではありません。ほかの病と同じくなりたくてなるものでなく、誰にでも訪れる可能性のあるものです。励まされても頑張るだけの精神力が残っていないのです。でも、今まで通りのイチローさんの生命力を見せて頂けると、それこそ人薬となるのではないでしょうか。

長文にて失礼いたしました。
Posted by TROOPER(村野 浩) at 2012年08月31日 21:35
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