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2011年08月26日

tactical life

市 (2011年08月26日 04:32) │Comments(6)タクティカルライフ
  イチローのエッセイ集
   タクティカル ライフ 1 

 人生は出逢いのドラマだ 

 「幸せ」
 これが目標なのだと想う。
 大金を握りしめるとか、有名になるとかの目標を持っていたとしても、それはそれでよいが、そこからくるブレのために痛い精神の代償を支払うことになる。それより、もっと遠いところにある「幸せ」というターゲットを見失ってはイケナイと想う。

 幸せは、たまに天から降ってくることもあるけど、それをうまくキャッチするにしても、あるいは自分で幸せを構築してゆくにしても、物事を深く考えて理解するという習慣を身につけておかないと、その幸せは消えたり逃げたりする。
 自分の心を磨くというのは、まずよく考えるというところから始まるのだよ。
 よく考えるとは「熟考」のこと、そうジュッコウだよ。この言葉は覚えておこうぜ。

 せっかく好きになれる女性と出逢えても、自分を好きになってもらうための資質が自分の中に無かったらアワビの片想いになってしまうものね。資質がないとは、物事を考えるチカラがないということなのだ。そして思考力を磨かないといくらトシとっても愚かなままで、ろくでもない人生をおくることになってしまうわけだよ。
 運動をすれば身体は鍛えられる、が、熟考の習慣がないとアタマはカラッポのまま年月を経てしまい硬化してしまうんだね。
 水準を超えた佳い女性というのは、こまったことに思考力の弱い男を好きになってはくれないもんなんだよ。愛を得るためにも仕事を得るためにも思考力は欠かせないものなのだ。
 人生の武器、それが思考力さ。どう? ひとつ鍛えてみない?
 なに? 貧乏でいいしバカオンナと暮らしたいだって? それは自分が納得さえしていればゼンゼンかまわないよ。心がカンフィーであるなら、それでいいのさ。じっさい、そういった役柄がないと世の中は成り立たないようだしね。気が変わってやり直したくなったら、そんときチャレンジすればいいのさ。ワリと世の中なんでもアリだよ。
 
 幸せとは何か?
 それは、たとえばこんなことだよ。
 「ちょっと気の合う女房がいて、子供がいて、子供の美しさと可愛さに感動でき、一緒に食事をし散歩をし、遊ぶことのできる環境があること」
 かといってディズニーランドに来ている家族づれが全員幸せかというと、そうでもないだろうね。その環境にどれだけ感謝し家族を慈しんでいるかを言っているのであって、行楽中でありながらも不倫相手のことばかり考えてる男もいれば、稼ぎの悪い旦那にイヤミを言いながらカリカリした気持ちでアトラクションの順番を待っている女房君たちもいるだろうね。

 もちろん、年齢や環境によって幸せのあり方は多様に変化するが、ようするに「心が穏やか」であるならなんでもいい。刑務所に居ようが、ホームレスであろうが、穏やかな気持ちになれたら、それが「幸せ」なのだよ。
 金持ちが幸せでない場合は多い。それはカネが貯まるほどに不安もストレスも貯まり、もっと悪いことに「欲」も増大するからだ。往々にして欲は毒へと変化して自分をダメにしてしまうものなんだ。
 ついでに言っておくけど、札束を目の前にしたら人間の人格は流れ星のように落ちる。そうでないと言う人は、そういった機会を経験したことのない人だ。このことは解りにくいかもしれないが、君がビジネスなど始めたらゼッタイに覚えておく必要がある。
 「渡る世間に鬼はない、が人を見たら泥棒と想うべし」
 これは、ワシの座右の銘のひとつだ。
 世の中の仕組みというのは複雑であり様々なタイプの人がいるから正義とか法律なんてほとんど意味をなさないことも多いんだな。
 ハナシを変えよう。

"おまえ、カンフィーかい?"
 と、たまには自分にたずねてみよう。
 カンフィーとはカンファタブルのこと。
 comfyとスペルする。
 安らげる。気を張らないで落ち着ける。苦痛がない。と、そういった意味だよ。
 カンフィーな気分だったら、自分が幸せなんだと考えてもよいと想う。

 カンフィーであるためには、まず「裕福」である必要がある。
「裕福とは、一家が日に3度飯を食え、季節をしのげる衣服と住居のあること」
 これがワシの考える裕福だ。これ以上を望むのはゼイタクであり、やがて罰があたるだろう、とワシは考えている。

 とはいえ、クルマやケータイやパソコンや薄型テレビも欲しい。それにできたらマンションのひとつもあるといい。だって周囲がみんなそうなんだもの・・・
 うん、それもそうだね。そういった物欲を我々の心から取り除くには無理がありそうだし、それが向上心につながる場合もあったりするんだからいいと想う。
 ワシが言いたいのは「裕福の基本」を忘れないでということ。解りやすく言えば、

"バカヤロー! クルマ買えないからってベーベー泣くんじゃねえよっ!! 毎日3度3度のメシを食えてることへの感謝を忘れやがってテメエは大馬鹿野郎だぁ!!"

 といった基本の心を常に根底に持て、という意味よ。価値観のモンダイさ。
 でも、正直に言うと、ゼイタクはイヤだが潤沢ではありたいと想うね。ジュンタクとはウルオイがあるということ。ちょっとユトリがあるという意味よ。日本はドン底から劇的な経済復興を成し遂げたんだから、これくらいの気持ちでもいいかと・・・。

 一家がささやかに生きていられる、ということを「小さな幸福」みたいに言うヤツがいるが "バッキャロー!! なんも識らんくせにエラそうに言うなっ!!"と優しく静かにさとしてあげたいものだ。

 実は、一家の幸せこそが我々の究極の目標なんだとワシは信じている。小さいも大きいもあるもんかい、ドアホ!
 タクティカル ライフを通じて、ワシはこのことを訴えたい。

 幸せになるための思考
 幸せをゲットするための努力
 価値観の構築
 こういったことのノウハウを書きたい。
 
 しかし、ワケの解ってない君たちに、これを説明するのは至難のワザだと想う。
 どうして解ってないと断言するかというと、君たちは「苦労知らず」だからだ。苦労知らずが悪いわけではない。だって君たちの時代には空襲や機関銃掃射や原爆などでひどい目に遭うということがなかったのだから。
 ただ、苦しみや困難を乗り越えるための知識すらないと「世の中は手強い」と尻込みしてしまうことになってしまう、これがモンダイなんだよ。苦労知らずだと打たれ弱いので、ちょっとしたことでメゲてしまい引きこもりたくなってしまう。これだと負のスパイラルに巻き込まれ、下へ下へと沈んでゆくことになる。これでは面白くないのだよ。
 今はキレやすい人が多い、これは劣等感のせいもあるが典型的な苦労知らずの症状だともいえる。キレると、ときには幸せの絆までも切ってしまうので気をつけようぜ。

 ワシの生まれは、とてもラッキーだったのかもしれないと想う。根性を自動的に身につけられる環境下に生まれたからだ。君たちの想像を絶する世界で育ったのだよ。

 "タイヒー、タイヒー"
 姉が言うには、イチローが最初に覚えた言葉はこれだったそうだ。
 生まれたのは1943年。ようやく言葉を覚えるころの鹿児島はアメリカ軍の残虐な空襲下だった。
 昨日まで笑顔で挨拶していた隣近所の人々が一夜にして焼き殺され、蒸し殺され、圧死させられた。罪なき人々の死体は累々と横たわり、子を殺された親たちが狂乱し、親を爆死させられた子供たちは呆然となった。まさに地獄の光景だったのだ、と兄たちが後になって教えてくれた。
 サイレンが鳴り渡る。住民たちはいっせいに家を飛び出して防空壕に向かって走る。
"待避、待避、待避・・・"大人たちは声をかけ合いながら家族を誘導する。いつしかワシも
"タイヒー、タイヒー"と叫びながら走っていたのだそうだ。
 そんな市郎の姿を観た思春期の姉は心が深く傷つき、戦争反対の闘士になった。当のイチローは「闘いには負けるな」とこれまた反対側のウヨクになった。
 やがて、とうとう我々の町も空襲で焼かれた。永田家の本屋も廃墟となった。裕福だった家族には財産ひとつ無かった。川で捕ったウナギを売ったり、ハゼを食ったりしながら命を長らえた。次兄は米空軍の戦闘機に狙われて機関銃掃射を受けたが竹藪に飛び込んで至近弾を浴びながらも生き延びた。父と母、そして7人の兄弟たちは必死に食う道を模索するが次第に離散してゆく。
 敗戦の8月にはワシの弟が産まれたが、衛生管理もできないうえ、母親が母乳をだすための食べものすらない中で静かに亡くなっていったという。
 まさにワシは「赤貧洗うがごとし」という環境で育った。せき貧とは、持ち物のいっさいをザブリと洗い流したように何もかも無いという意味、まっかな貧乏という意味だ。
 貧乏人にはあらゆるカタチの厄災が襲いかかる。子供だったワシにすら飢えの恐怖は身にしみた。野良猫のように用心深く、大胆になっていった。
 「兄たちのような食い逃げの名人になる」これがワシの最初の夢だった。なので速く走って逃げる練習までやった。
 これでなんとなく解ってもらえたと想うが君らとワシはスタンダードが違うのだ。ワシは頑強な馬車馬として育つ必要があった。人前でクソをひり落としながら荷物を引っ張るくらいの根性があった。もしもメシを食わせてくれるなら世の中の精神的悩みはすべて引き受けてやるから持ってこい、といった気持ちで成長した。死を恐れない心も芽生え、これが大人になって大いに役立つ。

"心が傷ついただって? へっ・・・バーカ!"
 じっさい、我々の世代はそうして育った。  
 飢えを体験すると、ものごとの基準が変わり価値観も異なるのだ。とくに上がるのは、目的を持ったらシツコク食い下がるコンジョのレヴェルだ。
 君の周囲には「団塊の世代」というオジサン達がいると想う。1947年のころから49年あたりに生まれた人々だ。今は60才前後になった人たちだ。この世代が敗戦し崩壊した日本を復興させてきた。彼らには戦争体験などなく、戦争責任もなく、いきなり最悪な状況にある日本に生まれ、残骸の片付けを命じられ、復興の主力兵とされ、ドレイのように働くしかなかった。
 日本人は勤勉だというイメイジは彼らが作った。歴史に残れる最高の仕事人たちだろう。トヨタやソニーなどが世界の覇者として誇れるのは団塊の世代のおかげなのだ。
 ただ、とても残念なことは、彼らは忙しすぎたために子供達を本当の意味で教育することができなかった。子供が寝てるうちに会社に出かけ、戻ってくるのは子供が寝てからというのが典型的な日本人の生活だった。
 家庭で父親からの愛情に満ちた人間教育を受けられないままの子供たちは学校の柵内に入れられ、ベルトコンヴェヤーに乗せられ、学校は画一的な学習を押しつけ、勉強、試験、大学、サラリーマンという枠内での「狂育組織」に育てられた。
 飢えた野良犬の子供たちは高度なブロイラーとして育てられたのだ。
 こういった環境下で育ったのが君たちだ。無理が歪みを発生させ、人としての本能をないがしろにされた子供たちは虚弱になったり学級崩壊を起こしたり、感覚が麻痺して犯罪にはしったり、人への哀れみや優しさといった人間としてとくに大切なことから遠ざかってしまう。これで社会がオカシクならないはずもない。

 人間であるかぎり、大志とまではいわなくても、何かに対して夢を持ち、心を熱くして生きるのが良いんだとワシは考えている。こんな気持ちが削がれるような世の中だと生きる価値すらないと想うのだ。
 このごろの若けえもんは弱い、なんてエラそうに言いたかない。
 ただ、識ってほしいのは、いったん夢を持ったらフツーじゃイカンよ。死を賭してぶつかるしか無えんだよ、ということだ。
 ちなみにワシの夢は「毎日メシを食えること」だった。ビアンキカップに出るとか宇宙に行くとかではない。一家が食えてるかぎりはワシの夢は達成されているのだ。
 夢のタイプやスケイルは時代や環境によって異なる。どうあれ、夢をもって生きると心に活力が宿る。ワシは夢が大好きだ。読者の中で夢をもたんヤツがいたらワシの文など読まないでくれ。夢を失うことのない男たちにだけ読んでもらいたいのだ。

"幸せを目標に・・・"
 などとワシが書くと、
"ああ、そーなんですよねー"
 と君も思うだろう。

ちがうっちゅうの!
解っとらんちゅうの!
涙も流さず軽薄に賛成するなっちゅうの!

 幸せを得よう、
 ああ、たったこれだけのテーマを君に解ってもらうことでワシはこれからどれだけの時間と文字をつかうことだろう。これは、途方もないチャレンジなのだ。

 幸せは遠い・・・
 うん、そういうものだ。
 なぜ遠いのか?
 それは、幸せを目的とした思考と実行がないからではないのか。学校では教えないし、親もなかなか教えてはくれない。先生も親も、その価値観が自分のエゴから発生しているのだから期待するほうがムリなんよ。

 幸せになるためには、まず我々の住んでいる社会というものを理解する必要がある。そして人生って何なんだろうかと熟考し戦術をもって対処しないといけないと想う。その生きる戦術がタクティカル ライフだというわけだよ。
 人生って何かというのは難しい問題かも知れない。だけど、手探りで進んでゆくと、おぼろげに解ってくるものでもある。
 とにかく、ものごとが解らないことには何も始まらない。人生がどういうものか識らないでは幸せの意味も不明なままだ。
 解るか解らないか判らないが、とにかくワシの観察を書いてみよう。
 ところで「知る」と「識る」では意味合いがちがうのだよ。知るは、知覚するていどだが、識るは物事の本質を深く理解して認識することだとワシは考え区別している。ホントはどーでもイイんだけどね・・・。
 
 人と人とが出逢うと、そこからドラマが始まる。それは単なるすれ違いにすぎない場合もあるけど、ときには会話などがあって知人となり、あるいは家族のように親しい友人にまで発展することもある。異性の場合だと一生連れ添うことになったりもする。
 いったん知り合った人々は一緒に学んだり、泣いたり笑ったり、または怒ったりなどと感動を分かち合い、かと想うとケンカして別れたり、あるいは仲直りして再び笑い合ったりもすることになる。ひどいときには殺し合いにもなるナ。
 人と知り合うということで互いに感情の交流が始まるわけで、ここから人間のドラマが始まるのではないだろうか。
 他人との出逢いから始まるストーリーのことを「人生」なのだと認識すると自分の世界が観えやすいと想う。君は、その物語のなかの主人公だというわけだ。そこで晴れ晴れとした善役を演じるのか、嫉妬深い悪役を演じるかは君が決める。君は脚本もやれば監督も演出もやるわけだ。なにしろ物語の構成は君に任されている。人生をドライヴするのは君自身なのだ。
 人生とは人との出逢い。これを兄から聞いたとき、霧のなかにあった人生というものがワシにもパアッと観えたものだ。 
 ある娘にこれを言ったら、
"私は人生は白いキャンヴァスで、これから描いてゆくものだとおもう・・・"
 と答えた。これはこれでよいとは想うのだが、彼女は新しい言葉に対してワシのようには感動しなかった。人に伝えるというのはとても難しいことだ。
 君はどうだ? 言葉にたいする感性をもっているか? ある言葉にハッとして自分が変わったりすることはできるか?

 ともあれ、自分がどんな人に巡り会って交際するかで、人生に変化が訪れるのは事実。
良いと感じた人が悪人だったり、つまんないと想った人が実は素晴らしかったりと、目くるめくドラマが展開する。
 良いドラマを作りたかったら、良い脇役を見つけるために動く必要がある。そして相手がジェイムス ディーンであろうが石原裕次郎であろうが、君の人生では君が主役を演じることになる。それだけの自分を育てる必要もあるということだ。

 人が自分や他人の世界を本当に観ることができたら、たいていの、あるいはすべての悩みを解消できるのではないだろうかと想う。
 「見る」と「観る」という漢字をワシは使い分けるようにしている。国語的にはどちらも同じ意味なのだろうがワシにとっての見るは「視界に入る」であり、観るは「心の眼で観察する」という意味がある。これもホントはどーでもイイことなんだけどね・・・。
 ま、とにかく物事は観ないことにはハジマランのだよ。
 見てはいても観てはいない場合が多い。見ているのに観えてはいない自分もある。
 この意味は、解っているつもりなのに解っていないということ。眼に入っているのに認識できていないということ。たとえば、
"自分は、なかなかのものだ"
 と考えている場合は、そう見ているだけで、じつは自分が観えてはいないと想って間違いはない。慢心は、エゴや嫉妬のように自分を腐らせる病原体なのだ。だから自分はスゴイなんて言葉は冗談以外には一生つかってはならない。本気で自分がスゴイと想うなら、それこそ妄信というものだ。
 とくに「自分が識らないのだという事実を知らない」という人は恐ろしい存在だ。この「自信過剰で無知なヤカラたち」が家族や後輩や組織を間違った方向に導いてゆくのだ。そしてこのタイプで世の中は埋め尽くされているのだから油断はキンモツだよ。
 ワシも他人のことを非難できる身分ではないが、犯罪者だからこそ犯罪はイケナイヨと説得できるものではないのか。そうだろ?

 砂浜を思い浮かべてくれ。
 すべての人間は例外なく、この浜にある「砂の一粒」だとワシは考えている。
 オレは大きいだとか、ワタシは色がきれいでしょ、なんて価値観が砂粒たちにあったとしても、それがなんだというのだ。目立つ浜辺にあろうが、人のいないビーチにあろうが、砂粒の役割と価値には変わりはない。
 他人に尊敬されたくて高価なクルマに乗ったり、有名ブランドのオベベを着たりしてイイ気になるのは、自らを不幸に追いやる愚行だということを識るべきだ。グコウだよグコー、愚行はイケナイんだよ。
 オカネ持ちで堂々たる着飾りをして会社を運営し、従業員を見下しながらエラそうな顔で接する。カネ目当てのオンナにもモテる。羨望の目で見られるのがたまらなく嬉しい。こんなシャチョーや幹部は多く、彼らは一様にカンフィーそうに見える。カンフィーだと信じ込んでいると想う。自分は偉くて立派な仕事人だと信じて満足しきっている。
 これが「愚行のスパイラル」だ。
 食事の後でタバコをス〜と深く吸うと不健康な身体がハァ〜とイヤされる。最高に気持ちがイイ。この上に酒を飲むとコマゴマとした問題点、あるいは直面しつつある重大な危機にたいして鈍感になれ楽しい気分にさえなる。ほっとけばイイんだと考える。今が良ければイイんだと決めてしまう。
 この両者は、自分の船の胴体に「沈没丸」とか「早死号」と書かれているのを観ることができない。そして船がどこに向かっているのかを認識できていない。緩慢なスパイラルの速度を感じながらも直視をさけて悦楽の中に逃げ込む。
 やがて船は座礁に乗り上げ、仕事は失い、病気になって伏すことになる。
 「おごれる者は久しからず」この言葉を忘れてはイケナイのだ。
 自分がカンフィーと想っていても、実は本当にはカンフィーではない。このことを識るには優れた洞察力が必要になる。
 ああ、洞察力・・・ワシが狂おしいほどに欲っしているのはコレなんだ・・・。イチロー丸の年期の入った羅針盤とレイダーにもまだ洞察力の存在位置は映っていない。

 だいたい君は高級輸入車に乗っただけの人を尊敬するかい?
 ブランドで着飾った人をウヤマウかい?
 金持ちだからって敬服する気があるかい?    
 しないよね?
 ワシは、見栄に生きる人をカワイソだと想ってしまうんよ。没個性丸出しでミエの被害者にしか見えないんだ。
 だから君がそういったナリを出来たとしても、周囲の人の関心など得られないのさ。だいたい他人の関心を得たがることからして間違いなんだけどね。
 今の我々の世界は、ハリウッドのヒーロー主義やカネが一番というエタイのしれない歪曲した価値観に毒されているということを認識し、その呪縛から自分たちの心を解放すべきではないのだろうかと想う。
 芸能人がならんで旨い料理だのニュースだのとやってる番組をチンタラと見ている人は、即刻やめよう。
 自分の自由時間をそんなことに使うのは「人生の浪費」なんだよ。その代わりに気の利いた本を読んだり、質の高い映画を観たり、何かを学んだり、独学などもしてみようぜ。
 NHKスペシャルやガイアの夜明けなどは別格として観たほうが良いけど、民放からは遠ざかったほうがイイよ。あれらは成長の妨げにしかならないからだ。
 もちろん、君が成長する必要のない人種だったら、バカ番組で時間をつぶすのもOKなんだけどね。たしかにそんなんでイヤされる人たちが多いんよ。でも夢をもち、遠くの星に向かって歩く者は無意味に時間を浪費しちゃいかんのよ。良い人との出逢いにそなえて、自分がその人に匹敵できるようにするという努力をしないとせっかくのチャンスも流れてしまうのだ。

 出逢いのドラマにハナシをもどそうか。
 君が、人の世への嫌悪感に耐えきれず、家にひきこもって誰とも会わないでいるとしてもストーリーの流れはある。ただじっとしていても心の中では喜怒哀楽がぐるぐると錯綜し、それはそれで迫力のあるドラマ展開そのものだろう。
 うん、実は基本的にはワシも人間の世界に耐えられないタイプなんだ。
 サラリーマンとして生きるしか無いという社会でしかなかったら、とっくにワシは自決していると断言できる。どこにも属さないフリーランスという危うい小舟に住んでいるのは人間世界が嫌いだからにほかならない。
 嫌いなら、いっさい人間に逢わなければいいだろう、という考えでは無神経にすぎる。
 世の中が嫌いだという人のほとんどは、人間が好きで好きでたまらず、そのためにオーヴァーランしただけだと想うのだよ。その人がたまたま精神的に不器用で、走れなかったり走りすぎたりしているだけなのではないのかと考えている。
 「自決」という文字を使った。この言葉は自殺とは意味がまったく違う。これは大切なことなので、いつかじっくりと書きたい。

 とくに人と逢わなくても君に生命あるかぎりはドラマの舞台に乗せられることになる。なので、人との出逢いで始まるドラマが人生だと定義するのは的中だとは想わない。
 定義なんて実は大げさかもしれない。「出逢いこそが人生」というのは、自分と他の人たちとの関係で成り立っている世界を客観的に理解するためのキーワードのひとつとして理解してほしい。
 ところで、
 人間の数も多いけれど、アリやイワシや牛やニワトリ、それに昆虫やハエや蚊などの一匹として生まれる可能性もありだと考えると、人としての生命を受けるということは奇跡ではないのかと想ってしまうこともある。
 人は、どこにどのように生まれ落ちるのかまったく見当もつかない。
 北朝鮮で政治犯という濡れ衣を着せられた家庭に生まれるのと、日本で東大教授の家に生まれるのとでは運命がまったく違ってくるのではないかと想える。
 人間を含めた地球の生き物の世界というのは、平等なんてまったくの幻想で、すべてが気まぐれな「運」という時のなりゆきによって決められているように観えてしまうが、そんなことはないのだろうか? うん、そう決めてしまうのがすでに愚かさの始まりかもしれないから気をつけよう。しかし、いくら気をつけても人間の愚かさには変わりはないのだから、ときには大胆に発言するのもよいかもしれないね。
 さて、人間の子は、君やワシがそうだったように自分のチョイスなどまったく無視されて、まるでテキトーな感じでどこかに生み落とされる。運がいいのかどうかということは、精子君が頑張って泳ぎ、競争に勝ち、ようやく卵子ちゃんにしがみつく、その瞬間に決まってしまうのだと考えてもよさそうだ。
 無実の罪の政治犯でもジョンイル君が萎えきってしまい、もしも心の熱い人が政権を握るとストーリーはがらりと変わることになる。君のお父さんは正義を貫いたヒーローであり、君の兄さんを殺した共産党員たちは法の裁きによって死ぬまで拘置されることになる可能性は充分にあるし、東大の教授だって国からの補助金を私利私欲に使ってマスコミに追われ、その子供は甘やかされて育ったために自立心の無い弱虫になることだって充分すぎるほどにありうる。つまり、初めの運の良し悪しからでは50年後を読むことは不可能だと言いたいのだよ。
 66才になったワシなんだけれど、多くの人の生き様を観察し見聞した結果、どうやら人の道というのは運だけではなく、思考力を磨いて行動すれば、あるていどの舵取りは可能なんだという気がしている。少なくとも、川に半分沈んだ木ぎれのように、ただ下流に向かって流され続けるのではなく、常に上に浮かぶ努力をしていれば一陣の風が吹いたときに方向を変えるチャンスが訪れるのだと想えるのだよ。
「運命は切り開けるか?」と考えると、
「自分の舵取りによって進行方向くらいは変えられる」ということは確かなことだ。まあ、人生を切り開ける運命にあったのだと考えれば、そのとおりなんだろうが、物事はやってみないとワカランのが事実でもあるぞ。
 疲れてクタクタになりながらも、悲しくて涙を流しながらでも、精一杯の力を出しながら人生という小舟の櫓を漕ぎまくっていれば、誰でもいつかは輝ける精神世界に入っていけるのだとワシは考えている。
 ところで、櫓とは舟をこぐ「ろ」だがヤグラとも読む。ヤグラは矢倉、つまり武器を入れておく倉庫だよ。さらに周囲を見渡すための「タワー」という意味もある。これはなかなかの意味深だね。

 人は、自分の人生は自分でドライヴし、行きたい方向に向かって進むことができる。目的に到達できるかどうかは別として、目的の方向に向かうことはできるのだ。運命はどうあろうと、これは事実だ。
 道の数は多かったり、あるときなどはヒトツしかなかったりするが、進むかどうかは常に自分が決定すること。この部分を果敢に受け止められるとネガティヴからポズィティヴへと変換できるかもしれない。
 世には「ポズィティヴ」と「ネガティヴ」があり、その中間帯がある。我々はすべて、この中間帯のどこかに在るのではないだろうか。ポズィ気味の人、ネガ気味の人、というわけだな。
 ポズィはイエスであり、ネガはノーであるという使い方はある、が、生きる姿勢から観た場合、ネアカがポズィでネクラがネガだなんていうような単純なモノではない。そこでワシはポズィティヴとは物事をまず正面から観ることだと考えている。
 自分の未来は暗いと想う人と、明るいと考える人は、どちらも正しく観ているとは想えない。それではアホな経済学者と同じだよ。もっとも利口な経済学者なんていそうもないけどね。
 人間は2秒先すら予知できないということを識るべきだ。
 
 「人生は出たとこ勝負、何が起ころうと死ぬまでは元気に挑戦しながら生きていこう」
 と、こういった精神的な姿勢で自分の進行方向を見つめ、恐れることなく立ち向かうのがタクティカルライフのスタンスなのだ。いわば自然体というやつだね。

 勝ち組とか負け組とか言われるが、ようするに魚のいそうな場所に行って吟味したエサの付いた釣り糸をたらすのか、それをオックウがって家で寝ころんでしかいないのかといった違いによる結果なのではないだろか。地道な努力を続けている人にはチャンスの訪れる回数がはるかに多いことだろう。
 戦術に長じた者と、そうでない者とが闘うとすれば勝負は観えている。それは空手を3年修行した人と受験勉強しかやってなかった学生がケンカするのだといえばわかりやすいだろう。ただし、カラテ君は受験戦争は苦手なので一流大学は敬遠するかもしれない。
 ケンカの強い二流大学生とヒ弱な一流大学生とでは、どちらが良いか?
 これは質問が間違っている。良いと悪いとの仕分けができる問題ではない。それは殺した者は悪人であり、殺された人は善人だと決めつけるほどに乱暴なことだと想う。ようするに君のチョイスなのだ。
 自分として好きか、嫌いか。そのように自問自答するところから思考を展開するほうがイイと想う。
 ものごとを単純に善か悪かに分けるというのでは、世の中を理解するうえで大きな障害になるのではないだろうか。
 人間には、理性が備わっていると想われているようだが、ワシが横浜にある朝倉脳外科診療所の手術室の見学に招かれたとき、ガンと婦人科専門のドクター朝倉が美人女性インターンの脳内に理性計測ゲイジを挿入し、特殊コンピュータでの解析画像を見せてくれたが、そのグラフを読むと「感情が99.99%」も占めているのを確認できたという真実がある、というのはウソだけど、あははは、ワシはそう想っている。
 少なくとも、ワシの心には理性などまったくない。あるのは100%の感情だ。自分を動かす動力源は感情だけだと信じている。ワシが理性的に見えるとしたらそれは「理性モドキ」であって、感情の波がきたら瞬時に吹き飛ばされるような幻影なのだ。
 ちなみに理性の意味は「感情に左右されず筋道をたてて判断する能力」だと。おお、ワシは小者なのでそんな能力などないわい。そして理性のある人なんて見たことないし、そんな人がいるなんてとうてい考えられない。
 動物を含め、我々にあるのは直感力、分析力、判断力、決定力、実行力といったもので、これらの力を使いながら日々を生きているのではないだろうか。

 意識する→判断する→決める→実行

 これが我々の物事に対する感覚サイクルではないのだろうか。
 人は、何かを見るか聞くかすると、これに対して直感や記憶などで、それが何であるかを分析し判断する。そこで自分がどう反応するかを決める。そして実行する。

 目覚まし時計が鳴るのが聞こえる→なんだ時計の音か→止めよう→止める

 前から人がくる→上官なので挨拶しようと決める→敬語を使おうと決定する→テイネイに挨拶する

 男がきた→いやなヤツだ、殴られないよう気をつけよう→避けよう→逃げる

 いきなり蹴られた→暴力男だ→反撃しよう→次の蹴りをよけて正拳をいれる

 ワシの場合だけど、
 日本で育ち日本を認識→日本がイヤになったので出ようと考える→米国行きを決定→計画を立て実行

 このように、人は常に同じようなパターンで身辺にせまる変化の波に対応しながら生きているのだと想う。

 こうして観ると、判断力と実行力こそが強大な武器だと解るではないか。
 ほんとは、人間として最も大切なことは「洞察力の鍛錬」なんだと想うのだが、このテーマで書くにはワシは未熟なので少し時間をもらいたい。
 ともあれ、熟考による正しい判断はまず大切なことである、が、判断できても実行しなければ、それはゼロに等しい。
 実行力とは決断力。人目を気にしたり、失敗を怖れる人にはこれが欠ける。
「優しくて柔らかな人だが気が弱くて決断する態度がない」これが優柔不断とゆーヤツ。
これは、つきあっててもオモロクないタイプだね。ヤッパ「打てばよく響く」という人になりたいもんだよ。

 試合やゲイムが一種の闘いであるように、人が生きるということも闘い以外のなにものでもないのでは、と、ワシはつらつらと考えてきた。こんな大切なことなのに、ワシが生きるための哲学を明確に認識できたときは、すでに28才という年齢に達していた。それから長きに渡って勉強と努力をすることになる。それまでのワシは、アタマが弱く、愚かで自分勝手で粗暴な悪人でしかなかった。まあ、今も大した変わりはないが、なんとか人様に迷惑をかけない程度には達している。自分のおかした失敗から学んだわけだよ。

 世には、親は金持ちで学校の成績が良くて女にモテて幸せいっぱいな若者は多い。しかし、親は貧しく学校にも行けず、貧困に苦しんでいる若者、あるいは、そうなる予感に悩まされている中高校生はあふれかえるほどに多いのではないだろうか。
 とくにワシの記事を読んでくれる読者は学校的な優等生ではないのだと想う。学校の学習や教科書にはない、なにか現実的な手応えを期待しながら模索しているタイプが多いのだと想う。学習の嫌いな人は夢を持っている場合も多い。ワシがそうだから。
 そういった人たちに、随筆のプレゼントをしたいと数年ほど前から考えていた。
 悩んでいる人を、ちょっとした言葉がハッとさせ目標を明確に示してくれることがある。もしも、ワシが拾い集めた言葉によって何かを見つけてくれる人がいればとても嬉しい。

 人のタメ、と書いてイツワリと読む。
 「人」と「為」という文字を合わせてみると「偽」となる。「人の為というのは偽り」だという意味だ。人のためというのはウソであり偽善だというのだ。
 「偽」という文字はテキトーに作られたとは想えない。でも、熟考の末に作られたとしたら、その洞察力の凄さにめまいがする。いったいどなた様が作ったのか・・・。
 そう、誰だって他人のために何かを行うのではなく、自分のために行動するものだ。
 ワシが書くのも自分のためであって君のためだけではない。君がもしワシの言葉に感動してくれたら "そうかよかったな、それを聞いてワシはもっと嬉しいぞ、ただしワシのおかげなのを忘れるな" とイイ気持ちになって自分の存在を誇示したいだけのことさ。
 "・・・いや実は、そんなんでなくて若者達や自分の息子たちに生きるための指針をあげたいのだ・・・" と内心で想わなくはない。しかし、冷静に判断すると結論はそうなのだ。
 それと、"諸君、ワシのディザインしたタクティカルペンを見てくれたか? 山下刃物のHPを見てくれよ。イオタックはどーだ? パラベラムのHPを見てよね" などとプロスペック ディザイン社で扱う品物を宣伝したいという気持ちも大有りなんだ。
 ところで、このエッセイ集はワシのブログに載せて公開するつもりだ。
www.ichironagata.com
 11月にはオープンの予定。自分の文章を無料で提供する代償として商品の広告をさせてもらえるというわけだ。写真と文でメシ代を稼いでいるワシは無料奉仕をやれるほど金持ちではないのさ。
 しかし、自分の為だからこそ、マチガイをおかさず真剣にやるというものではあるね。人のためになれば、自分も嬉しいと感じられる「善」のようなものが人にはある。まあ、これもなにかの錯覚なのだろうが、それが群れる動物にとって全体を護るという方向に作用しているのは確かだ。
 では、初回のしめくくりを・・・

 "これはオマエのためにやっているのだ"
 という言葉は慎もう。

 それを言う人の真意は何なのかということは、すくなくとも疑ってみたり分析する価値はありそうだゾ。熟考しちまうのだ。
 たとえば、自分の子供を1流大学に入れて高給サラリーマンにしたいと願う親は多い。が、それは本当に子を愛しているからなのだろうか、それとも自分の見栄張りと老後に面倒をみさせる作戦のひとつなのだろうか。そういう親は、えてして"オマエの将来のためだからネ"とイングラムのように連発するものだ。
 ハッキシ言おう。
 "オマエのためだ" なんていうヤツにはロクなヤツはいないんだ。
 我々の社会には "オマエのためだ" という言葉が犯罪者のように横行し氾濫している。これは大嘘でありサギに近いんだが警察も誰も取り締まらない。
 君は、このことを常に認識し自分の嗅覚を鋭く保とうぜ。

 ワシには、ゼロ才と2才の子供がある。
 2才の剣士郎はやたらに突っ走る。ガラガラ蛇のいる方向、崖のある方向、池の中、あたりかまわず突っ走る。
"ストップ! "
 ワシはケンシの腕をグイとつかむ。そして叱りながら想う。
"・・・ケンシにケガなどされてはワシが困る。死なれでもしたら悲しくて辛い日々をおくることになる・・・気のどくだが、当分はワシ自身のためにケンシの自由を束縛させてもらうことにする・・・"
 自分がたいした親だとは想ってない、が、この自覚だけは持ち続けていようと想っている。この剣士郎という子供に出逢ったことで、ワシの人生に新しいドラマが始まった。それは嬉しいながら不安でもある。例によって先の読めないストーリーなのだ。
 君にも出逢った人とのドラマ進行があるだろう。それを大切にしたまえよ。そして周囲の役者たちをシッカリと見つめてみようぜ。

 追伸
 これを書き始めてみてエライこっちゃと想った。書くのが難しい。添削に集中力と時間がかかる。読み返すほどに自分の未熟が観えてくる。書き足りていないのに文が長すぎると想う。発表するには恥ずかしい。やれやれ困ったもんだよ。
 この第一回だけでも2ヶ月間はかかったよ。まあヒマをみてはの随筆だけどね・・・。
 もう眼をつぶって出稿するわい。
 9/21/09
              市郎
古いエッセイですが、新しい人のために再度載せてみました。
ほんとは一行20文字にしたいのですが、そういう方法ってあるのですかね〜??

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この記事へのコメント
再録ありがとうございます。ところでミリブロはあまり長い文章になると一度に表示されず「つづきを読む」指示が現れ、それをクリックしないと全文が読めない形式なんですね。うーん、なんだか不便に感じるのは私が無精だからなんですかねぇ。それともとのTacticalLifeのアーカイブは無くしませんよね?良い話が沢山埋まっていますから視たい時に掘り出せるのがいいのですが。
Posted by センセ at 2011年08月26日 10:13
子供のころ借家住まいの家の前を毎日朝夕”予備隊”さん達が隊列を組んで演習地を行き来していた。担いでいたのは米軍払い下げの”ガーランド”であった。
「わぁ~いわぁ~い」と喜んでいると「おりゃ~」っと言ってガーランドを向けられ逃げ回り再び「わぁ~いわぁ~い」と別の隊員に。。。毎日の繰り返しで楽しんでいた。

遊びは近くの大木の枝に”基地”を造り砂糖水をヤカンに入れて夏を楽しんだ!砂糖水といっても”甘くはない”のだ(●^o^●)それが楽しくてしようがない。

昆虫を取っては”基地”の竹で編んだ入れ物に”確保”近所の叔母さんから野菜をもらって”餌”としていた。

探険ごっこも楽しみの一つで近くの(2ジ時間あまりで近くなのであったが)山へ出かけて楽しい一日がかりの遊びであった。

団塊の世代。。。全くである。。。働き働き。。。。学生運動。。。。三島由紀夫割腹。。。”盾の会。。。

夢を追い続けて其々を達成しまだまだ夢を追い続ける、、、多分死ぬまで(●^o^●)

エッセイを読みながら想いだした。
Posted by モリケン at 2011年08月26日 10:48
ぎょっ!! モリケンさんはもう読んだのですか?パソ子さんで読んだのですか? ケータイだと大変でしょうね〜
Posted by 市市 at 2011年08月26日 12:13
前略、熟考できる人間になるために必要なのがやはり経験ではないかと思っています。現代日本人が普通に生活して経験できる範囲は知れています、私は超凡人なので少しでもそれを補おうと毎日の読書を習慣にしています。最近、戦時を知る方々がどんどん社会からリタイヤされて、私にはとてもそれが不安でした。今回起きた震災はとても不幸な事でしたが、今後日本を変えてくれるのは東北の子供たちではないかと思っています。私は日本人でいたいので、労働と納税、経済活動等により少しでもよき日本を彼らに渡したいと思っています。
このブログを見始めたのは今年の3月くらいからでしたので、未発見でしたあ。
Posted by ヨーキク at 2011年08月26日 15:07
長文だなぁ~ 疲れた。
団塊の世代は私らより4年以上先輩諸氏であろう。
私は 『 サンフランシスコ講和条約 』の年に生まれた。日本がメリケンより事実上独立した年でもある。
さすがに米兵を見ることは無かった。『ぎぶ み~ ちょこれーと 』もない。
野犬がブロイラー犬を育てて、それを繰り返しパラレルワールドが出来あがっていく。
今の若い奴は・・・と若い奴が言う。サイクルの短い世界となっていってる。
この歳になって趣味で仲間が増えた。このブログのイチローさんとも話が出来る。趣味の為、各地に遠征もしてる。
歳は嫌がおうにもとるもので、今年KANREKIを迎えるが、良い時に良い趣味を見つけたかなと思うときもある。

まだまだ自分は若いなとエッセイ読んで思った。 おーちゃんでした。
Posted by おーちゃん じぇい じぇい 中野 at 2011年08月26日 18:18
市郎さんの

『人生は出逢いのドラマだ』

もう、読みました?!

人生は出逢いのドラマだ
http://ichiro.militaryblog.jp/e250362.html

2011年8月26日のブログです。

市郎さんが
ミリタリーブログで
ブログを始めたのが
2011年8月25日ですから、
その次の日にアップしたのですね。

初日だけで8本のブログがアップされています。
http://ichiro.militaryblog.jp/d2011-08-25.html

ミリタリーブログの3コラムのフォーマットは、
メインのコラムがピクセルで固められているため、
写真が大きいと写真の右側が表示されません。

例えば、コレ、、、
http://ichiro.militaryblog.jp/e250173.html
(お、タケちゃんじゃ〜ん!)

実際にはこういう写真だということを、
当時どれだけの方が気付いていたでしょう?
//img01.militaryblog.jp/usr/ichiro/blog_ichi0825_a.jpg

写真が大きすぎると、
思っていたようには表示されない。

せっかくの市郎さんの写真が、
ほどなくして横幅512ピクセル(以下)になり、
今に至ります。

あ〜もったいな〜い!
もっと大きな写真で観た〜い!

SIG SAOの写真、
もっと大きく観た〜い!

前にもどこかで書いたかもしれませんが、
『ハイパー道楽』のヤスさんがアップした
YouTubeのビデオをフルハイビジョンで再生すると、
横幅1920ピクセルの大きなSAOの写真が堪能できます。
https://www.youtube-nocookie.com/embed/umaINGJE7Lg?rel=0

ね? でっかい写真、イイですよね!

「タカさんのブログの写真、デカすぎます!」

夕べもタケちゃんから怒られ、
イヤ、アドバイスがありました。

エ〜?!
でもなんかヨクな〜い?
おっきいほうが?、、、
http://takatake.militaryblog.jp/e685054.html
http://takatake.militaryblog.jp/e678697.html
http://takatake.militaryblog.jp/e678699.html

まぁ、僕のどうでもいぃような写真は
小さくてもなんてことはないのですケド、
とはいえ、せっかくの記録だからさぁ
何でも大きくとっておきたいと思ってサ。

あ、そうだ!
画像ファイルのタグに、
style="width:100%;height:auto;"
を追加すれば大丈夫かも。
あとで自分のブログで試してみますね。

ハナシを戻します!

『人生は出逢いのドラマだ』

実はこのエッセイ、
オリジナルは
2009年9月21日に執筆され、
実際にはその2カ月後の
2009年11月9日にアップされています。

こちらがその時のブログです。
http://www.ichironagata.com/blog/2009/11/post-15.html

情報商材の販売ページのように長いです。
スクロール、スクロール、スクロール。

とにかく読ませてくれます。
読み始めたら途中でやめられません。

なんなのでしょう?
なんとも引き込まれます。

このワザを体系化できたら、
フィリップ コトラーのように、
文章作法の神様になれると思います。

“「幸せ」
これが目標なのだと想う。”

エッセイは
この言葉から始まります。

2009年11月9日。今から6年前。
市郎さんが65歳くらいの頃です。

今は僕もそう思います。
それしかない、
それに尽きると思っています。

エッセイは続きます。

“大金を握りしめるとか、有名になるとかの目標を持っていたとしても、それはそれでよいが、そこからくるブレのために痛い精神の代償を支払うことになる。それより、もっと遠いところにある「幸せ」というターゲットを見失ってはイケナイと想う。”

「僕に言っているのですか?」

思わずモニターに聞いてしまいました。

このタイミングで、
この言葉ですかいな?

と、、、

まぁ、人生いろいろ、
皆さんもいろいろあると思います。

いろいろありますよね(笑)。

「幸せ」ってなんなんだろう?
「幸せ」ってどんなんだろう?

お金はある。
欲しいもので買えないものなどない。
時間もある。
行きたければどこでも行ける。
いつまででもいたいだけいられる。
ウチに来る人は
誰でも受け入れてきた。
プライベートでもビジネスでもそう。
お金がないと言われても、僕にできることなら
何でも(無料で)手伝ってきた。
時間で仕事はしない。
結果がすべて。
借りより貸しを作ろう。
徳を積め。
人生は、
貸し越しだ。

、、、

でも、
何かが違う。
何かが足りない。
なんで〜?
「幸せ」って、なに〜?

その頃、僕は、
ヒプノセラピスト(催眠療法士)になるための
勉強をしていました。

誰かを癒すとか
その人の悩みを解決するとかというよりも、
自分のことをもっと良く知りたいとか、
自分の悩みの根本的な原因を見つけ、
納得したりそれを認めたり許したり放したりとか、
自分の内側にある罪悪感とか劣等感とかエゴが、
いったいどこから来ているのかを知りたかったからです。

どうして僕は、
このタイミングで
この世に生まれてきたんだろう?
この世での自分の役割って
なんなんだろう?

なんとも答の見えにくい、
やっかいなテーマにチャレンジしていました。

そんな時です。
市郎さんのエッセイは、まさに
言葉のカタチをした爆弾でした。

生意気だと取られても構いません。
まさに、いろいろあった人の言葉です。

じづら(字面)と行間に、
想いがにじみ出ています。

僕はたまたまご縁があって、
ヒプノセラピーを通して気がついたことを、
市郎さんは、
澄んだ心で受け止める準備がいつでもできていて、
だからこそ、
これだけいろいろなことに気がつけるのだろうな、と。

すんごくツラい気持ちになったりしないのかなぁ?
本当に何でも自分で熟考して咀嚼できるのかなぁ?
誰かに聞いてもらいたいとか、思わないのかなぁ?

こんなにも自分に正直に生きていけるものなの?!?

、、、、、、

?!?!?!

「強いなぁ! もう」

ちょっとハラが立ってきて
泣きたくなったのを覚えています。

市郎さんとケンと3人で、
新宿の歌舞伎町一番街の入り口左角の
2階(3階だったかも)の食堂で、
お昼ご飯にとんかつ定食をいただきました。

今から30年以上前、
僕が19歳の時です。

「これから、
 チャレンジャー(のどなたかの所)に、
 大切な話をしに行くんだよ。その話をね、
 この(隠し)マイクで録音するんだよ」

ケンと僕にそう言うと、
市郎さんは、新宿の街に消えていきました。

この人が、
あの市郎さんなんだぁ。

へぇ〜、
これがアメリカのパスポートなんだ。

あ、シューティングレンジの
メンバーズカード、もらっちゃった。

それにしても、なんか、
おっとりしてんなぁ、、、

禿げたらまた塗るのサ、っていうか、
PPCのグランドマスター、っていうか、
ウ〜ム、、、
イメージしていたのと、、、
ちょっと違うかも、、、

あ、でも動くと素早い。
それも、かなり素早い。
瞬発力あるなぁ〜、、、

ウォーミングアップ〜?!
あ、手加減してくれてる。

ウ〜ム、、、
ヒョウヒョウと
っていうんだっけ?
つかみどころなさ過ぎ。

なんか、、、
よく、、、
ワカラン、、、

あれから25年。僕は
銃とはまったく関係ないところで、
いろいろやっていました。

一所懸命、
その時その時を、
その時の自分なりにやっていました。

人のお世話になり、
人に迷惑をかけ、
人を傷つけ、
自分なりにやってきました。

で、

どうして見つけようとしたのでしょうね?

ある日、
ケンや市郎さん、金子君やカール、
てっちゃんやトモちゃんたちの「今」を、
インターネットで見つけようとしました。
(余計なこともたくさん読みました、、、)

市郎さんの

『人生は出逢いのドラマだ』

を読んだ時、

「あぁ、やっぱり幸せになろう」

って、思いました。

幸せになってもいいんだ〜って。
幸せになってもいいんだよって。

世の中のすべての人たちが
「いろいろある」んですけど、
それ(その経験)を自分以外に伝えるのって、
なかなか簡単ではないと思います。

市郎さんは、
それ(自分の経験から学んだこと)を、
なんとか伝えようとしていました。

“実は、一家の幸せこそが我々の究極の目標なんだとワシは信じている。小さいも大きいもあるもんかい、ドアホ!
タクティカル ライフを通じて、ワシはこのことを訴えたい。

幸せになるための思考
幸せをゲットするための努力
価値観の構築
こういったことのノウハウを書きたい。
しかし、ワケの解ってない君たちに、これを説明するのは至難のワザだと想う。”

一方に伝える気持ちがあっても、
もう一方に受け取る準備ができていなければ
決して伝わりません。

「え〜? なんかこの人、ウザくな〜い?!」

で、終わってしまいます。

「せっかくのチャンスだったのに、
 もったいないなぁ、、、」

黙っていますが、
気付いた人はみんな
そう思っています。

澄んだ心で受け止めるのって、
トシをとればとるほど難しいようです。

今までの自分の人生になかった考え方を
あらためて受け入れるのって、
自分の価値観が否定されているかのようで、
ほとんどの人たちが抵抗します。

それでも市郎さんは、
人なつっこく僕たちに
伝えようとしています。

べつにイイじゃん今から変えれば!
たった今、違うと思ったら直せば良いし、
そうだと思ったらそうしてみれば良いじゃん。

って。

“幸せになるための思考”
“幸せをゲットするための努力”
“価値観の構築”

市郎さんは、
タクティカル ライフを通じて、
まずはこの3つを伝えようとしています。

実はコレ、
ひとつのことを言っています。

「幸せになる方法」

価値観を再構築することで、
幸せになるための思考ができるようになり、
幸せをゲットするためのコツがつかめる。

そして、
君もあなたも、
「幸せになれ」と。

市郎さんは、
市郎さんのブログを読んでくれる
すべての読者に、

幸せになって欲しいんです。

ひとり残らず
幸せになって欲しいんです。

市郎さんが幸せだから、

おまえも幸せになろうゼ。
一緒に幸せになろうゼイ。

って。

今の自分が幸せで、
その幸せを心から喜べて、
それを自分以外の人に素直に言えて、
自分以外の人も幸せになれば良いなぁ
って心から思える人。

地球上に何人くらいいるでしょう?

あなたは自分の幸せを実感していますか?
あなたは自分の幸せに感謝していますか?
あなたは人の幸せを心から喜べますか?
あなたは人の幸せをイメージできますか?

日本ではなかなか市民権が得にくい
「銃」というテーマを通して、
「永田市郎」を媒体に
「幸せ」についてお話ができるなんて、
なんだかすごくトクした気分です。
どうもありがとうございました!

30年前は
ケンの所に居候していました。

30年後の今は
市郎さんの所に居候しています。

毎日が幸せです。

本当に有り難いっす。
感謝感謝。謝謝です。

候(字が違う?)は
イヤがられるけど、
居候は最高だよ〜!

ケン! 遊びに来てよ。
SFOまで迎えに行くよ。
10kmでも20kmでも、
一緒に走るよ。

“ほんとは一行20文字にしたいのですが、そういう方法ってあるのですかね〜??”

ず〜っと気になっていたのですが、
一行20文字に整えたものを
PDFファイルにしました。

みなさんにも、
自由にダウンロードして
読んでいただけるようにしました。

コンピュータの大型画面でも、
タブレットでもスマートフォンでも
いつでもゆっくりじっくりしみじみ読めますので、
幸せになりたくなったらいつでもどうぞ。

2段組
http://goo.gl/NINLnd

3段組
http://goo.gl/Bp62vn

iPhone用(1段組)
http://goo.gl/j7rvqd

iPhone用(1段組 写真付き)
http://goo.gl/gDBrrj

iPhoneでしたら、
iBookにダウンロードすれば、
オフラインでいつでも読めますよ。
(iPhone 5以降の画面に合わせました)

Taka

追伸です。

今、気がついたのですが、
http://www.ichironagata.com/blog/2009/11/post-15.html
では、
ちゃんと一行20文字で
掲載されていますねぇ、、、
Posted by TakaTaka at 2016年02月05日 11:33
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<ご注意>
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