2020年02月26日
ミーやんの期末試験
市 (2020年02月26日 11:30)
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│STEEL CHALLENGE
ショウダウンだけどね・・
ラクタンはこんなサイズかな〜と
周囲を茶色に塗ってみたんよね。
ほらね・・
なんとなく本場モンのサイズ比に
なったやろが・・
そこでミーやんにも期末試験を出すのだよ。
これが日本のショウダウンの見取り図ね。
AとBにだけアテンションしてな・・
ボックスからAまでは 2.3mで径10cm
Bまでは6m
実銃の場合は、Aの距離 10yd
プレイトは10インチ
Bの距離 25yd
プレイトは24x18インチね
さあ そこで、
これだけの情報からBのサイズを求めたい、
というワケ。
正解をくれたら、賞品が無いわけではないゾ♪
Bの値を求めよ。
だれのために?・・・
アタイのためによ(^∇^)
(マロンパのように こじつけたな)
薩摩では、自分のことを指す場合に、大人は「オイ」と言い、子供は「アタイ」と言っていた。女の子たちもアタイと言っていた。今はどげんか知りもはんが。
by 正しいショウダウンを作りたいオイドン
2020年02月26日
九九式 ARISAKA SOLD
市 (2020年02月26日 02:35)
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│てっぽ
その昔・・
父は、渡米後に日本軍が使用していた99式歩兵銃を入手していた。
菊の御紋の削られてはいない立派な銃であった。
その作りは秀逸で、ドイツのマウザーに引けをとらないほどの完成度であった。
低空飛行でやってくる戦闘機を狙い撃ちするための対空照尺も備えられており、これによる一斉射撃は米空軍を恐れさせたという逸話もある。
この99式は、空気の乾燥したキャリフォニア州で大切に保存され、革製のスリングも健全なままだった。
こういった日本軍の銃を、父は10挺ばかり収集していたのだが、最近になって そのほとんどを売却してしまった。
この写真は、99式への別離の心を凌ぎながら、剣士郎に持たせて撮影したものだという。売却による収益は、この子の教育費となることは言うまでもない。
父が生まれたのは1943年だった。
日本軍は米国に戦争をしかけ、
物心の付きかけた父の時代には敗戦の色が濃厚となり、米軍の民間区域への絨毯爆撃で日本の人々は逃げ惑っていた。
あまりにも多くの国民が死に、
戦争は終結した。
そして、70数年という歳月が流れた
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
77歳となった父は、米国市民となっており、射撃の教官を務めるまでになっていた。
世の動向は当の人間たちにですら
まったく解らない。
いったい・・・
剣士郎が77歳になったとき、
世の中は、どうなっているのだろうか・・・?
by なぜか しんみりと流転を味わっている父