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2017年06月07日

想い出は遠くなりつつ・・・

市 (2017年06月07日 23:04) │Comments(5)ビアンキカップ市ホルスタ


出場35回目のビアンキカップが終わり
子どもたちとのスキンシップも取り返し
溜まっていた雑用も少なくなってきました。

なぜか直ったハズのアキレスが痛み
ヒザだの腰だのの関節に鈍痛を
感じながらカップの想い出が
よみがえりつつあります。

そして、あの興奮のルツボのような
光景と体験は数々の薄い絵となって
宇宙のかなたに飛び去りつつあるような
感覚があります。

想い出だけが人生なのかも
しれませんね。

想い出がないと、心にはなにも
ありませんからね。

さて、今年の試合では
プロトタイプ3号のホルスタを
使い、とても快適に撃てました。

さらなる改良を加えるために
昨日から集中力を注いでいます。

未来のためになにかをすれば
想い出も濃密になりますからね♪

ホルスタ作りで感じたことは、
考案したホルスタを作り
室内でドロウの練習をして良いと
想っても実際に射場で撃ってみると
それほど良くはなく、
さらに、それで試合に挑んで
一種の極限状態で使うと
これまた意外な問題点が発見される
のだということが解りました。

なので、ミズーリ入りして練習を
しているあいだも、本戦に入って
からも、あれこれとアイディアが
わいてきたものです。

そして、あらためて、

ホルスタとはなんぞや??・・・
と、初心にもどりました。

自分は、どれくらいホルスタについて
知っていのか??・・・

これまでに、何種類のホルスタを
使ったというのだ??・・・

経験豊富とはいえ、
それぞれの製品の特徴をしっかりと
把握できているのか??・・・

食わず嫌いで使わなかった
ホルスはないのか??・・・

と、そういった気持ちで世界大会に
やってくるシューターたちの腰まわりを
観察していましたよ。

〈・・・さてさて、なんかしなくっちゃ・・・〉
とまあ、そんな気分堂のカワラセンベイの朝を過ごしています。
(そんなのあったっけ?)

 市 (^-^)/
  


2017年06月05日

一粒の砂 第三話 「タクシードライバー」

市 (2017年06月05日 14:11) │Comments(5)一粒の砂
一粒の砂 Ichiro 永田 伝
第三話 タクシードライバー
by Ken NOZAWA


 うだるような夏の暑さが懐かしく思い出される季節になると、午後六時を回るころには日の光も急速に力を失い、視界も遠くまで届かなくなった。
 静岡へ向かい東名高速を駆るイチローは車のヘッドライトを点ける。そのライトが照らすのは単なる車道ではない。
 闇夜へと放射される光の帯は、どう生きるべきかの天示としてイチローの眼には映っていた。
 自分と写真との関係をどう築くか。
 自分の人生をどう創造するか。
 そこに迷いのあったイチローにとって明瞭なる目標を掲げられた今、身体の奥から気力が湧く想いに違いない。

 これで積極的に人生を進めるだろう‥‥と、思えるのだが、ハンドルを握るイチローには依然として、何かに悩んでいるような、いや、どこか苦しんでいるような面持ちがある。
 新たな問題でも起こったか? 
 いや、そんなはずは無い。生まれ変わった自分を実感じ、先輩・北野のアパートを発ってから一時間足らずでしかない。
何とも理解し得ない状況だが、そのとき、イチローは小さくつぶやいた。

 “固いな‥‥。ダメだな‥‥”

 自己に対しイチローが発した言ではあるが、何が固いのか、そしてダメなのかは、もうしばらくイチローを見守らないと分かりそうにない。
 こんなとき、視界の暗さと車内の空間の狭さはものを考えるのに都合がよい。
 静かに思考を深めるイチローは、自分の過去の言動を思い返し、それらを整理すると、やがて一つの結論を導き出せたようであった。
 “柔軟さが足りなかった。この一件は学べたな‥‥”
 曖昧さのない声でそう言うと納得した顔を見せ、先ほどまで悩んでいた(いや、悩んでいたのかどうかも分からないが)人物とは思えぬほどに瞳に力を取り戻し、静岡を目指した。

 はて?
 イチローは何を否定し、何を想い、そして発見したのか?
 「アメリカで新しい人生をスタートさせる」という決心に光明を見いだし、喜んだはずのイチローが、ここに来て、別の何かに引っ掛りを持ったことだけは彼の様子から見て間違いないが、それが何かは察せられない。
 何が固いのか? 何がダメなのか? 
 柔軟さ? 学べた? 
 そのどれもが気になる。

 ここは、イチローの生き様と、その人物像を語る上で重要かつ不可欠な部分でもある。詳しく触れたいが、それには、やはり時間を遡る必要がある。イチローが写真専門学校へ通い始めた時代まで戻る必要がある。


 高校を卒業したイチローは、自然、写真専門学校へと進んだ。望むとおりの道を進んだ。
 当時の日本は高度経済成長の真っ只中にあり、会社勤めとなることが、サラリーマンの道を選ぶことこそが、安定した生活と未来が約束される正しい判断といった考えが若者たちの間に「常識」として浸透していた。そのことは先述したとおりである。
 そのため、家業が街の写真屋で、それを継ぐことが決まっている‥‥といった状況ならいざ知らず、自由に自身の将来を決められるにも関わらず写真専門学校を選ぶなど、とても正気の沙汰とは思えないと、高校時代の級友たちはイチローを嗤った。有り得ないことだと吐き捨てた。
 不当にバカにされるのは癪に触るが、反面、世間の評価を気にすることの無意味さをイチローは深く知っていた。世の非難にも甘言にも大した意味など無く、ましてや、それらが人生を左右するはずもない。自分の人生は自力で切り開くしかないと幼少のころから痛感し、悟っていた。
 さらに、イチローの選択を露骨に否定し嗤った級友たちの言動は、彼らが、根拠の無い優越感に浸るための振る舞いであることも、イチローは熟知していた。
 人は知らず知らずのうちに「比較」で生きていく。そのため、自分自身の道を見つけられない者は、自信を持って歩める道を見つけられない者は、誰でもいい、何でもいい、強い意思を持って生きる者を否定することで、相手を貶めることで、自分の存在感を、いや、安心感を得ようとする‥‥という「人の心情」を、その歳のイチローはすでに理解していた。


 迷わず、意思と意志を持って写真専門学校へと進んだイチローは、写真好きの仲間たちと出会う。それぞれに写真のことを、目指すべき将来の姿を語り合った。
 あるときイチローは写真学校の友人たちとの会話の中で、「自分の姉はアメリカに住んでいる」と話した。それは海外旅行の自由化が認められる以前の時代だっただけに、羨ましがる顔を見せる者もいれば、海外に住んでいるという話を現実のものと受け止められない者もいた。友人たちの反応は様々ではあったが、その中の一人、内藤は真っ直ぐに、素直に返してきた。
 “そうかぁ。自分が永田だったらアメリカへ渡るなぁ・・・”
 その言葉にイチローは反応した。
 やはり、そう考えるか‥‥と、感じ入った。
 実は、イチローの姉・八重子が渡米するとき、それはイチローが十六歳のときであったが、“いつかイチローもアメリカへ渡るのよ”と言われたことを、写真学校に入学した十九歳までの三年間、イチローは忘れたことが無かった。また、そんな姉に向かい、“自分も必ずアメリカへ行くよ!”と訴えたことも、昨日のことのように覚えている。その決心は日記にも記していた。
 だが、写真学校卒業後に就職し、日々の忙しさがイチローを疲弊させると、いつしかアメリカは遠い存在となっていた。
 手に余る量の仕事も苦にはならないが、会社での同僚との付き合い、飲み会、しきたり、しがらみに時間を奪われ、気を殺がれる日々が繰り返されるうちに、自身を、願うように燃焼させられない現状に、窮屈さに、疲労を覚えていった。
 そんな無理をしてまで周りに合わせる必要は無いだろ‥‥という意見は今の時代だからこそ言えることであって、また、歳を重ねた者だけが口にすることを許される言葉であって、二十歳を少し越えたばかりのイチローが、仕事が元で生まれる疲労も無駄な付き合いも、社会人の誰もが負うべき義務の一つなのだろう‥‥と受け止めたことは、無理もない話であった。
 結果的に、知らず知らずのうちに、息をするだけの毎日を「仕方の無いこと」と納得せざるを得なかったイチローを、誰も嗤うことはできない。
 ただ、残念でならないのは、忘れることの無かった「渡米」という目標が、決心が、朧となり霞んでいったことだった。

 虚無なる時間が何年も流れるうち、イチロー自身、「日本社会の常識」というカラーに思考を染められてしまっていた。高校生時代の彼は、そよぐ風や新緑の芽生えからも美しさを感じ取り素直に感動できたが、今、その真っ直ぐな心は蝕まれていた。心は忙殺されて‥‥。いや、病んでいた。身体の病ではない。生来、イチローが持っていた「素直に目標へと向かう」という心を失う病であった。

 「心の病」を感じながらも特効薬がないままの日々を送っていたイチローは、息抜きにと、時々通っていた映画館に、東京は飯田橋にある映画館に入った。放映されていたのは黒澤 明の『生きる』であった。
 『生きる』は昭和27年に公開され、ヒューマニズムを色濃く描いた名作として高い評価を受けている。
 同作品は、市役所で無気力な仕事を繰り返してきた渡辺勘治(主演:志村喬)が体調不良を感じ、病院で診察を受けるところから始まる。医師からは胃潰瘍だと伝えられるが実は胃癌であり、余命いくばくもないと知り得たことから自暴自棄となる。しかしやがて、残された時間を捧げたいと思える対象を見つけ出し、生きた証を自力で掴もうと生きる‥‥というものである。
 人は残りの人生の短さを実感じたとき、その掛け替えのなさに初めて気づかされる。
 人は残りの人生の細さを悟ったとき、生きていることの喜びと美しさを知らされる。
 死は普遍的に人と関わる問題だけに、それを扱った一編の小説や映画が、観る者の一生を左右することは度々起こる。
 イチローにとっての『生きる』が正にそれであり、自身と渡辺勘治とが重なった。

 「渡米する」という決意を持っていたものの今日までそれを実行せず、大切な時間を無駄に捨ててきたのは、仕事が忙しいからと、自分は長く生きるからと、それを言い訳にして「一歩」を踏み出せなかったが故だ。もし、残された人生が、時間が、一年や二年であったとしたら、こんな怠惰な日々を過ごしたはずが無い。それは断じてないッ!
 ああ、自分は何と愚鈍なのだ。遅鈍なのだ‥‥。 
 イチローは自身を恥じた。

 無意味に、愚かに生きてきた過去を悔やむのではない。恥じたのではない。残された時間が一年や二年と知れば行動に移せたはずのものを、根拠も無く先は長いと決め付け、言い訳とし、行動に移せなかった自分というものを、その考え方を、生き様を悔い、恥じたのだった。
 そこで目覚めたイチローは残りの人生を想う。

 『生きる』の渡辺勘治に残された時間は半年だった。対して自分はどうだ。今が二十八歳だ。人生を健康に生きられるのは六十年か七十年として‥‥。いや、その年数には保証も何も無い。自分勝手な願望でしかない。とすれば、人生は五十年か。そういえば、信長も、人生は五十年‥‥と唄っていたな‥‥。それを思えば自分には二十二年ある。
 いや。二十二年もあるッ!

 人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり
 ひとたび生を得て 滅せぬもののあるべきか

 伝統芸能で演じられる作品『敦盛』の一節であり、織田信長も好んで舞ったとされる言葉を思い出しながら、イチローは自身の未来を想像った。
 ≪よし、生きるぞ。残りの人生を活きるぞッ!≫
 強く、強く決心した。
 だが、そのためには仕事を辞めなければならない。
 写真と決別れなければならない。
 写真家としての人生を諦めることを想うとイチローは寂しさを覚えたが、ここは決断するしかない。

 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ

 ふと、イチローの脳裏にその言葉が浮かんだ。
 もちろん、諦めるのは、切り捨てるのは写真だけではない。アメリカへ渡るとなれば全てをゼロからスタートさせることになる。この日本において、別段、財産と呼べるものは何も無いが、それでも、三十歳を過ぎたところからのゼロスタートとなる渡米が、これからの道が、ヌルいはずがない。
 それでも‥‥と、イチローは自身に言い聞かせる。
 死に場所としてアメリカはいい‥‥と、ひとり頷く。


 決心するとイチローの行動は早かった。
 渡米するには準備が必要で、その準備を整えるには協力者が欲しい。そうなると思い浮かぶ人物は一人しか居なかった。静岡県に住み、開業医として地域住民の健康維持に尽力している兄、勝男しか居なかった。

 ≪まずは兄貴に相談に行くか≫
 そう判断するや車に乗って静岡を目指し、その途中で川崎に住む先輩・北野のアパートに立ち寄った‥‥というのが、実の流れであった。

 が、そうなると不可解なのは、なぜイチローは車を駆らせ長兄・勝男の家を目指しながらも悩んでいたのか、死も悪くないと想ったのか。さらには、北野のアドバイスを受けたとき、初めて自身に「渡米」という選択があると気づいたふうに喜んだのか。
 実は、それら不可解と思える流れの中にこそ、イチローがつぶやいた「固い」や「柔軟さ」の真意があった。

          ◆   ◆   ◆

 ≪渡米には金が必要だな。となると出費は抑えたい‥‥。静岡の兄貴のところに、しばらく厄介になるか‥‥≫
 そう考えたイチローは静岡へと向かったが、車を駆らせるや、直ぐに過去のことが想い返された。写真に人生を注いできた自分の姿が想い出された。中学時代の園田先生の顔が、高校時代のイトーサンの顔が、次々と浮かんだ。
 いつか、写真を通じ、自分の世界観を、自身の何たるかを表現したいと願ってきたが、その全てを諦めねばならない。「写真と決別して悔いなし!」と、自分自身に断言できるのか? それでいいのか?
 イチローは自問自答した。
 渡米するという決心を覆す気は微塵も無い。だが、それは、同時に「写真を捨てる」ことを意味しており、そこに思考が届くと心も曇った。
 “アメリカへ渡ってからも自由に、好きに写真を続ければいいだろうに‥‥”
 無論、その意見もあるはずだが、それは余裕があっての渡米か、もしくは後々の人の声であって、食べていける保証など無いまま新たな人生を歩もうとするイチローには、写真を残すという、残せるという想いは皆無であった。

 “う〜ん。どうしたものかな‥‥”

 イチローの口から苦悩の声が漏れた。
 渡米は揺るがない。つまりは写真を切り捨てる。
 だが、写真抜きの自分の姿は思い浮かべられない。

 そのとき、イチローには、人の一生は選択の連続で織り成されているのだと感じられた。
 目の前に二つの道が、時には三つ以上の道が並び、その中から一つを選ぶ。言うまでもなく、二つや三つの道は同時に選べず、後になって引き返すこともままならず、いったん選んだ道は自力で切り進むしかない。それが人生ではないかと思えた。
 ——— と、そこに考えが及ぶと、イチローの迷いは失せた。
 二つの道を同時には選べない。後になっての引き返しもできない。
 ならば、進むべき道を決めた今のいま、悩むことに何の意味がある。
 悩みを抱えたままの決心は、ブレイキを踏みながらの前進でしかない。
 道の選択では、誰ひとりとして、正しいか間違っているかなど分からない。
 いや、そもそも、人生において、選択した時点で「正しい道」も「間違った道」も無い。
 選んだ道を、進んだ道を、後から振り返って正しかったと受け止められるか否かは、本人の行動で決まってくる。
 どういった決心で道を歩んだかによって決まってくる。
 大事なのは「覚悟」のあり方だとイチローは自分に言い聞かせた。

 “写真でダメだったら、死ねばいいんだろ?”
 そう、級友たちに断言した高校生のころの自分は、よほど肝が据わっていたと思い返す。
 写真でダメだったら死ねばいいという覚悟は、アメリカでダメだったら死ねばいいという覚悟にもつながる。そこでの「死」は諦めから選ぶものではない。敗れたからの死ではない。
「どこで死ぬか。どう死ぬか」とは、「どこで生きるか。どう生きるか」である。それらは同意語であって反対語ではない。
 “——— そう思うと、死ぬのも悪くないな‥‥”
 どこか確認する口調で、イチローはそれを声にした。
 ≪最終的に、結果的に、自分の人生の幕引きを自分でやることになったとしても、それは自分なりにどこで生きるか、どう生きるかを選んで、事実として生きた後のことだからな、まあ、そんな人生があってもいいだろうな‥‥。
 でも‥‥。その前にッ!≫

 そんな考え事をしていたからか、イチローには珍しくぼんやりとしていたようだ。気が付くと「川崎」の標識が目に入り、少し慌ててハンドルを切った。

 先輩・北野が住む川崎のアパートへ着くと、イチローは、仕事で必要と思われる要件を手早く伝えた。気持ちは静岡へと向かっていた。
 いつもは人懐っこい話しぶりを見せる永田が、今日は、心ここにあらずといった様子。≪これは何かあるな≫と感じた北野は、何かあるなら話してみろと促す。
 そこで、実は‥‥と、イチローは語り始めた‥‥というのが二人の会話の流れであった。
 どこから、なにから話せばよいのかが分からないイチローは、事の起こりを一から語り始める。自身の写真への想いと、このまま仕事を続けるのは辛く、辞めて、新たな一歩を踏み出したいことを伝え、最後に、自分なりに結論を出せ、それは、アメリカに住む姉を頼り渡米するもの‥‥と結ぼうとする前に、北野が、“確か、永田には、アメリカに住んでいるお姉さんが居たよな。俺だったら‥‥”と返したのだった。
 イチローは北野の話を止めずに黙って聞いた。
 北野の口から「アメリカ」という言葉がすんなり出たことに驚きを覚えたが、それ以上に、何気なく他人が発した「アメリカ」という音の響きが、その鮮烈さが、イチローの身体を揺さぶった。
 “アメリカ‥‥。アメリカか!!”
 いまの自分の、こんな状態、こんな条件があるなら、渡米という選択は特別でも何でもない一つの答えなのだと、そう感じながら北野の言葉を聞いていた。


 再び東名高速を駆り始めたイチローは「渡米」という決心に喜びを感じアメリカの景色を思い浮かべたが、思い直し、
 ≪いや、ちがうぞッ!≫と、自身を否定した。

 その昔、写真専門学校へ通っていたころイチローが「自分にはアメリカに住む姉が居る」と語ると、友人の一人、内藤は、「自分が永田だったらアメリカへ渡るなぁ‥‥」と、当然という顔で言った。
 仕事に、いや会社での人付き合いに息苦しさを感じると言えば、先輩・北野は「確か、永田には、アメリカに住んでいるお姉さんが居たよな。俺だったら‥‥」と、即答した。
 対して自分は、何年もの時間を無駄にしてきた。十六歳のころから渡米を考え、決心もしていたはずなのに、ぐずぐずと決断ができなかった‥‥と、イチローは自身を省みた。
 なぜ、他の二人には即断できたものが自分にはできなかったのか?
 それは自身のモノの見方や考え方に、思考に柔軟性が足りないからだと思えた。

 なるほど、それはそうかもしれない。
 だが、内藤も北野も、彼らにとっての渡米とは「夢」であり、実現しえない別世界の話に過ぎない。その意味では勝手気ままに何でも口にできる。良いも悪いも無い。好き勝手に、無責任に何でも言える。前・後を考える必要が無い。
 しかしイチローは違う。
 渡米となれば仕事を辞め、写真とも決別し、明日はどうなるやも知れない現実世界に飛び込むのだ。となれば、軽く、いい加減な気持ちで、右とも左とも選べるはずが無い。
 立場が違えば、状況が異なれば、答えを出すまでに時間が掛かるのは無理もない。
 少し乱暴に言ってしまえば、健康な状態と病んだ状態とでは、同じように体力も思考も発揮できないように、イチローが「渡米」という決断を下すまでに時間を要したことは自然であった。
 
 ——— と、そこまでを分析したところで、それでもなお、イチローは自身を否定した。
 ≪ダメだな‥‥。固いな‥‥≫
 そう、自分自身を否定した。

 人が判断を迫られるのは、重大な決断を迫られるのは、余裕のあるときとは限らない。いや「重大な決断」という時点で余裕など無い。
 右を取るか。左を取るか。
 そこに自分の人生が掛かるとき余裕などあるはずがない。
 つまるところ、自分が「渡米」という道をすんなり選べなかったのは、これまで、自分の人生を真剣に捕らえず、大切にもせず、無駄に生きて来たからだろうな‥‥。
 イチローは、そう解した。
 続けて ——— 。
 立場、状況に関係なく、たとえ苦しみ病んでいたとしても、最適‥‥とはならずも、より適した道を選べるか否かは「理」に背かざることだと、自分自身を諭した。
 体調にも感情にも左右されず、より正しい道を選ぶための拠り所は「理」であると、イチローはもう一度繰り返した。
 “柔軟さが足りなかった。この一件は学べたな‥‥”
 最後にそう口にしたイチローの顔は、すでに別人であった。

          ◆   ◆   ◆

 昭和四十年代の静岡はまだまだ田舎だった。
 東京と比べると駅前でさえ時間の流れはゆるかった。
 長兄・勝男に会ったイチローは、現在の希望と将来の目標を伝えると、「好きにしてよい」という返答をもらえた。
 勝男は末弟のイチローには才能があることを早くから見抜いており、我慢をしてまで日本で暮らすより、アメリカでもどこでも、自身が望む地で自由にやらせた方が可能性を伸ばせると信じていた。

 こと、そうなると話は速い。
 東京での仕事を辞めたイチローは家財道具を三菱ボンゴに詰め込むと、新天地の静岡へ、勝男の家へと拠点を移した。

 ≪ここは、のんびりしていて いいなぁ‥‥≫
 どこまでも広がる青空。雄大にそびえる富士。それらを眺めながらイチローは二度、深呼吸をした。
 東京での仕事に‥‥。いや、人間関係に嫌気が差していたこの時期、遠くまで視界が届くという一点だけでも充分すぎる癒しとなった。目も愉しませてくれる。
 ≪ここから始まる。これから始める!≫
 そう思うと心も躍ったが、静岡の地には友人・知人は一人もおらず、もちろん土地勘もない。イチローは、何から、どう始めるかを決めてはいなかった。



 ≪そろそろ、何か仕事を始めないとな‥‥≫
 引越しから早一ヶ月。イチローは漠と、そう考えていた。
 何を仕事に選んでもよいが、二年か三年後には渡米したい。どういった仕事があるのか、どんな仕事が向いているのか。資金を稼げるならどんな仕事でもよいが、そう思うと逆に、これといった一つに絞り込める要因はなかった。

 その日も、行き先を決めずに街中を車で駆っていたイチローは、少しずつ見慣れてきた風景の中に季節の移り変わりを感じていた。静岡へやってきたばかりのころと比べると、街を歩く人たちの服装が黒味を増している。厚みを増している。そういえば、このところ朝夕はめっきりと涼しく、寒くなってきた。これから冬になり、そして春になり、そうやって時間は流れ、暮らしは変化し、大局的に見てしまえば毎年が同じ流れの繰り返しではあるも、しかし一人ひとりを観ればそれぞれに悩みも喜びもあって、懸命に生きている。
 ≪人はおもしろいな。うん。おもしろい≫
 それは写真家としての習性からか、もしくは持って生まれた性質なのか。イチローは単なる一個の人の中にドラマを感じるようであった。そのため、自然と人を観察するクセがある。意識しての観察ではない、映画を観るような気持ちで人の言動を愉しめるのだ。

 ゆるりと駆りながら、そろそろ帰るか‥‥と思ったときだった。道端に立つ老婦が、こちらに、イチローに向かって手を振っているのが見えた。
 ≪え? だれ?≫
 その老婦に見覚えはなかった。そもそも、この地には、まだ友人・知人と呼べるものは居ない。いったい誰だ‥‥?
 横目で老婦を見ながらその前を通り過ぎた。通り過ぎた後もバックミラーで様子を窺っていると、イチローの直ぐ後ろを駆るタクシーがスッと、その老婦の前で止まった。
 ≪ああ。タクシーか‥‥≫
 手を振ったのはイチローに対してではなく、その後ろを駆るタクシーへの合図だったわけだが、その一瞬の出来事にイチローは興味を、面白みを感じた。
 未知のもの同士が、客と運転手という二人が、一方が手を挙げることで出会い、希望する場所まで送り届け、そこで別れ、仕事として成立・完結する。
 イチローはその一連の流れに、自分の知らなかった世界観を覚えた。
 ≪タクシーの運転手もよさそうだな。尋ねてみるか≫
 そう思い立つとすぐさま、いくつかのタクシー会社へ問い合わせ、感触を確かめることにした。

 昭和四十年代。静岡市内には複数のタクシー会社があった。その内の何社かで話を聞くと、どこも運転手希望者は大歓迎で、会社の負担で二種免許も取れるからと、異口同音にイチローを誘った。その時代、タクシーを利用する客の数は右肩上がりの状態にあり、全国どこでもタクシー会社には勢いがあり、一台でも多く営業車両を増やし売り上げにつなげたいと、運転手の引抜合戦さえもあった。
 日本の高度経済成長時代を象徴するひとコマだ。
 話を聞いた数社の中からイチローは、黄と白のツートンカラーがトレイドマークとなっている不二タクシーへの入社を決めた。
 
 不二タクシーの創業は昭和二十七年。現在も静岡県静岡市に本社を構える老舗タクシー会社である。創業以来、黄をイメイジカラーとしてきたが、これはニューヨークのタクシーを参考にしたことと、黄は幸運の色と知られており、それらから決定されている。
 また、「不二タクシー」の名称の由来だが、古代、富士山は、不尽山とも不死山とも、さらには不二山とも呼ばれており、その、「二つと無(不)い」にあやかり、他社に負けない日本一のタクシー会社を目指すという志と願いを込めてのものであった。
 タクシー業務は二十四時間となるが、無論、一人が丸一日を通して勤務することは無い。早番、遅番、そして深夜番の三交代が一般的で、そうやって市民の足となり、バスや電車では賄いきれない交通手段としての一端を担っている。

 不二タクシーに入社したイチローは二種免許も取得し、実務に就けることとなった。
 仕事であるからには客を拾わなければ何も始まらない。客を見つけるには駅前での待機や街中を駆って探す「流し」があるが、そこはやはり経験がものをいう。いつ、どのへんを駆れば上客を拾いやすいかは新人には分からない。ただ、先にも触れたように、この時代のタクシー需要は高く、大通りを中心に流していると困らないほどには客を拾えた。
 今も、こちらに視線を向け、手を挙げる一人の婦人を左前方に発見したイチローは静かに近寄ると、音を発てずにスッとタクシーを停めた。自動ドアを開け婦人を迎え入れるが、そこでイチローは声を発した。
 “どうぞ!”
 開いたドアから車内の運転手を、イチローを見た婦人は、一瞬、驚きの色を顔に浮かべ、恐縮しつつ車内へと身体を移した。そのときイチローはまた声を発する。
 “ドア閉めま〜す!”
 そうやってドアを閉めると、続けて、
 “どちらまで行かれますか?”
 と、ここでも笑顔を向けながら、優しく、自然な声で婦人に問いかけた。
 “ああ。ええと‥‥”
 余りにも、過去に自分が利用してきたタクシーの運転手たちとは様子が、勝手が違うイチローを目の当たりにして、その婦人は言葉に詰まった。こんなタクシー運転手も居るのかと、行き先を伝えながらイチローの存在を、珍しい動物でも発見したように見入っていた。
 実は、その婦人が驚いたのには理由がある。
 昭和四十年代。その前の三十年代。タクシーそのものは便利な交通手段として重宝されてはいたが、決して褒められる存在ではなかった。いや、褒められないどころか、タクシー運転手には最低限の社会常識も無く、世の落ちこぼれが身を落とす下卑た職業の一つだと、誰もが見下していた。それというのも、昭和三十年代になって交通量が増えると都心部では渋滞も見られるようになり、思うように車は駆れず、歩合で収入が増減するタクシー運転手たちは速度制限無視、赤信号無視、さらには強引な追い越し‥‥といった違反を日常的に繰り返し、少しでも早く目的地までたどり着いては客を降ろし、次の客を見つけて乗せるや急発進するという運転が常で、そういったタクシー(運転手)は無法者、乱暴者といった意味合いで「神風タクシー」と呼ばれ、交通手段としての利便性とは裏腹に、客たちは、タクシー運転手とはできるだけ関わりたくない、話もしたくないと決め込んでいた。そういう風潮があった。
 もう一つ ——— 。
 「風潮」と言えば、当時、タクシー運転手は客よりも偉い存在で、「乗せてやる!」といった態度で接し、利用する側は、「どうか、乗せてください」と、頭を下げて懇願するという空気もあった。

 だというのに、この運転手はどうだ。ドアを開けるや“どうぞ!”と挨拶をしてくれた。ドアを閉める際には“ドア閉めま〜す!”と気を配ってくれた。しかも、“どちらまで行かれますか?”と、尊敬語まで使っている。余りの出来事に、もしかしたらこの運転手、私を騙そうとしているのかも‥‥と、客の婦人は運転手を、イチローを疑う始末であった。
 ちなみに、昭和四十年代にはタクシーの「乗車拒否」も大きなニュースとなって新聞やテレビで報道されることが多かったからか、昭和四十年以前に生まれた者の多くは、今でも、近距離でのタクシー利用をするとき、“近くですが、いいですか?”と、乗車前にタクシー運転手に声をかける。
 初乗り運賃を下げ、近距離利用の客数を増やすといった昨今のタクシー会社の姿勢とは隔世の感がある。


 さて。
 婦人客を驚かせたイチローの営業スタイルだが、もちろんその日が特別というわけではなく、いつも、毎日、誰に対してもその姿勢を崩さなかった。イチロー自身、これまでタクシー運転手たちの言動・悪評は見聞きしており、もし、自分が客を乗せる側に立つことがあれば、気持ちよく利用してもらおうと以前から考えていた。
 さらに、タクシー運転手になろうと決めたとき、「この仕事をしっかりとやり遂げて見せる」という誓いを自身に対して立ててもいた。そこで、どうすれば一人前に、他人に認めてもられる仕事ができるのかと考え、その結果からの営業スタイルでもあった。
 タクシー運転手には特別な資格も高度な技術も必要ない。言ってしまえば誰でも就ける仕事である。それどころか世間からは、卑しい仕事、底辺の仕事の一つだと見下されている。
卑しいか否かの判断は人によって異なるだろうが、誰でも就ける、決して特殊でも何でもない仕事すら満足にこなせないようでは、この先、自身の進む道を自力で切り開くなど遠く及ばない話であると、イチローは自分を戒めていた。
 
 早番も遅番も、そして深夜番もイチローは勤めていったが、仕事を始めてからしばらくすると、不二タクシーに、会社に、「永田という運転手のタクシーを利用した者だが‥‥」という客からの電話が何本も届くようになった。

 “あなたの会社に「永田」っていう運転手がいるでしょ。あの人いいよ。ああいう人を雇っているところは安心できるから、今後も利用させてもらうよ”
 “先日、おたくのタクシーに乗ったらね。すごくいい感じの運チャンでね。「永田」っていったかな。ああいう人は珍しいねぇ”

 そのどれもが例外なくイチローを褒め、今後も不二タクシーを使いたいと、そう一方的に伝えては電話を切った。
 感謝の電話が増えるほどに、上司も同僚たちもイチローに一目を置くようになった。
 “永田は普通じゃない。特別なんだな”
 と、そう、上司も同僚もイチローを評した。そんな評価を聞くたびに、イチローは、
 ≪何も特別なことはしていないよ。当たり前のことだろ≫
と、内心思い、何がどう普通じゃないのか、特別なのかが分からなかった。
 “普通じゃない”と言われるのは、たぶん「普通」という概念が、個々人によって違っているからだろうとは想像できるが、とはいえ、どう考えても、自分の営業スタイルは極々真っ当な行いであって、誰にでも直ぐに、当たり前にできることであるだけに、やはり「特別」と評する周りの者の言葉を理解し切れなかった。
 人一倍の洞察力を持つイチローではあるが、自身のこととなると見えないこともあるらしい。
 いや、見えないのではない。
 イチローの資質から生まれる自然な振る舞いは、他の者には「特別」と映る言動ではあっても、彼の目には少しも違和感が無いだけに、気づきようもないと言うべきだろう。
 更に説を加えるならば、誰もが、何らかの才を持って生まれるのであれば、他人から評される行動を取れるとき、「これが自分の才なのでは」と気づきもするだろうが、本物の才を持つものは希少なだけに、才を「才」とは感じない。
 天才が、自身を天才だと思いもしないように。


 客にやさしく接するというイチローの営業スタイルは、資質と思考の二つから生まれたと考えるのが正しいはずだが、実は、イチローの中には、もっと別の切実な理由があった。
 タクシー運転手となったものの静岡の土地勘はなく、目的地までの道順を客に教えてもらうことが度々あり、となれば関係を悪くすると仕事にならず、稼ぎにならず、元も子もない‥‥という、同僚には語れない事情があった。
 何はともあれ、未知の人と出会い、目的地まで届け、そこで仕事が完結するという流れの単純明快さには、写真撮影の仕事とはまったく別の世界があり、どんな仕事もそれぞれに興味いものだとイチローは思った。
 また、「未知の人との出会い」とは言ったが、客の流れを気にして観て行くと一日の中で、ある種の法則性が、規則性があることにイチローは気づき、そこも興味を引いた。
 朝。一日の始まりにタクシーを利用する客といえば、会社のお偉いさんといったふうの男性が多かった。実は、それほどのお偉いさんでもないのだろうが、それでも一般のサラリーマンとは違い、どこか難しい顔を作っている。
 それが昼時になると、少しいいところの奥さんといった感じの客に替わった。デパートへ買い物にでも出かけるのか、小洒落た服装と、庶民とは違うのよ‥‥といった空気感を纏っている。
 日が傾き夕刻になれば、バーかキャバレー勤めのマダムだろうか、化粧といい、服装といい、ハッキリと会社勤めの女性とは別の雰囲気を漂わせ、時々、愛想笑いなど浮かべながら話を弾ませるも、どこか冷静に計算している様子が垣間見える。
 やがて深夜となり日付が変わるころには、馴染みの店でどっぷりと呑んだのか、すっかり出来上がった男たちや、その店で働く女たちをよく乗せた。
 その後、深夜とも早朝とも呼び難い時間帯では、堅気とは思えない無口な男たちが客になった。こんな時間に活動するなんて、どんな仕事をしている男なのかが気になるが、そのへんの会話が成されることも無く、イチローも口を閉じたまま指定された町までタクシーを駆らせた。
 そして、そろそろ日も昇ろうかと思われる時刻、暗闇の中に浮かぶ白衣を見かけると、それは病院勤めの看護婦たちだった。重い責任を受け止めながら献身的に勤め、疲れ切っているであろう彼女たちの、それでも紀律を失わない彼女たちの視線は、凛々しくも可愛らしくもあった。

 一年という時間の中に変化があるように一日という時間の中にも変化はある。
 浅く見ると同じことの、似たことの繰り返しと思えながら、まったく同じ日の繰り返しは無く、そう受け止めることで、イチローはタクシー運転手の仕事にも飽きを覚えなかった。単純作業の繰り返しの中にも微小なる差異を見つけ出せるのはイチローの観察力の、洞察力の高さが関係していたが、それもまたイチローの資質の一つであった。

 飽きを覚えなかった‥‥といえば、中には珍客もあった。
 現代風に言えばホームレスだが、当時は「乞食」と呼ばれていた物乞いが、あるとき手を挙げてイチローの運転するタクシーを停めた。その風貌はどこから見ても客とはなりえず、無視して通り過ぎる同僚・同業者もあったろうにと思いながらも、イチローは男の前で車を停めた。ドアを開けると何食わぬ顔で乗りむ男に、イチローが“どちらまで行かれますか?”と尋ねると、“駆って下さい”という返答であった。どこまでという指示は無い。ただ、“駆って下さい”とだけ言って、そして直ぐに続けて、“メーターが上がる前に停めてください”と付け足した。
 ≪なんだ? どういうことだ?≫
 そう訝るイチローの顔色を察したのか、男は、
 “前からいちど、タクシーっていうものに乗ってみたかったんですよ‥‥”と、誰に向かうでもなくつぶやいた。
 2kmにも満たない人生初のタクシー乗車は、その男にとって一日の食事よりも貴重で試したかった体験なのかと、そんなこともあるのかと、イチローは驚くよりも考えさせられた。飢えと共に育ってきたイチローにとっては有り得ない選択だが、その男には有り得た。それだけでも、人、一人ひとりの違いというものを思い知らされた気がした。

 またあるとき、公務員を思わせる真面目さを匂わせながら、それにしてはどこか鋭さも持った男性が乗ってきた。
 警察官か? それとも消防士か?
 そう観察しながらもイチローは、いつものように行き先を訊ね、軽い会話を進めながら車を駆らせていると、その男性はいきなり質問をぶつけてきた。
 “運転手さんには、何か目標が、やってみたいことがあるんでしょうね”
 おや!? と思ったイチローだが、何も隠すことは無いと、渡米を考えているのだと、ありのままを伝えるとその男性は、やはりッ! と頷き、話を続けるには ——— 。
 “実は、私は銀行の融資課で仕事をしていましてね。企業に融資するかしないかを決める仕事で‥‥。
 融資する・しないの判断って聞けば、多くの人は決算書を元に決めるんだろうって、もしくは担保の有無で決めるんだろうって、そう考えるでしょうけどね‥‥。
 そう簡単なものじゃないんですよ。
 実際には経営者の「人物」を観るんです。もちろん決算書も担保も大事ですけど、それだけじゃ会社が持つ可能性は浮かんでこないんでね。そんなとき、何ていうか、経営者の熱意というか真剣みと言えばいいのかな、そこを観るわけです。
だから私は、初めての人に接するとき、クセなんでしょうかね、ついつい、「この人物に融資できるか?」っていう目で相手を観てしまうんですよ。
 まあ、職業病でしょうねぇ‥‥。
 そんな目で運転手さんを観ていたら、「この人物になら融資できる!」って最初に感じましてね。この人は、何か大きな目標を持って、そこに向かって生きているんだろうって、そう思えたわけです。はっきりと確信できたわけです。
 やはり、私の目に狂いは無かったですね‥‥”
 と、先ほど、なぜあんな質問をぶつけたのかの説明をしながらも、自分が仕事のできる銀行マンであると、暗に仄めかす口ぶりであった。
 “ああ、そうだったんですか。それは何だか嬉しい話ですけど、融資してもらってもアメリカに行ってしまうと返済もできませんからね”
 と、イチローは話を合わせる。
 ≪この仕事、なかなかに面白いな≫と、心の中で独り言ちした。
 

 イチローがタクシー運転手となって半年も過ぎただろうか。仕事にもすっかり慣れ、自分専用の車も持てるところまで会社の信頼を得ていた。
 運転手が不慣れなうちは、まだまだ安心して任せられないうちは、一台の営業車を複数の運転手が共有使用するのが普通で、自分専用車を持たせてもらえると、そこから自信と喜びが湧いた。

 いつものように営業終了後、「相棒」の車を洗っていると、先輩運転手の上田が帰り際、嬉しそうにイチローに声をかけてきた。何でも、これから家に帰ると至福のときが待っているのだという。楽しみにしているTV番組があるのだという。それを観ながらビールを飲むのが生甲斐だと、声を弾ませ、目を細めた。
 “ああ、テレビですか‥‥”
 イチローの、「なんだテレビか‥‥」という反応を少し面白くないと感じたのか、山田は、
 “あれか。永田君はテレビを観ないのか?”
 と、少し問い詰める声で聞き返した。
 “はい。テレビは観ないですね”
 小さな声ではあるもののイチローがしっかり返答すると、山田はさらに、
 “なんだ。観ないのか。テレビは面白いぞ。あれはいいぞ”
 と、今度はなぜか自慢げに、言葉にも力を込めて言い返した。テレビを観ないのは変わり者だとも言いたげだ。
 “そうですか。何か面白い番組でもやってるんですか?”
 イチローが逆に質問すると、ここぞとばかりに山田は声を大きくして言った。
 “あるよ。ナイターだろ。それにドリフターズだろ。あれはいいよ。面白いよ!”
 野球のナイトゲイムを「ナイター」と呼んでいた時代だった。ドリフターズの「8時だヨ! 全員集合」が記録的な視聴率を上げている時代だった。山田はその二つが好きで楽しみなのだと、ここでも繰り返した。

 ≪えっ!? 野球? ドリフターズ?≫
 イチローは声には出さず、ただ、山田の顔を見返した。
 ≪本気で言っているのか? この大人が‥‥≫
 イチローには、山田の言葉が現実のものとして聞こえなかった。
 自分よりも一回り以上も年上の、この大人が、ビールを飲みながら、そういったテレビ番組を観ることが好きで、しかも生甲斐だとさえ言っている。
 それは本当なのか? 本気なのか?
 
 イチローの顔に「納得できない」という様子を見た山田は、別の質問を投げかけた。
 “永田君はテレビも観ないで、家で何をしてるんだ?”
 そこでイチローは真っ直ぐに、事実を答えた。
 “読書です。読書に時間を使っています”
 そのイチローの返答は山田には予想外だったようで、声をひっくり返しながら、
 “はぁ? 読書? 読書ってあれか? 本か? 本なんて読んで面白いのか? あんなもん、何で読むんだ?”
 自分とは別世界の生き物を相手にするような視線をイチローに向けながら山田がさらに質問を続けると、ここでもイチローは真っ直ぐに答えた。

 “自分の将来のためにです”

 なんだ? こいつはやっぱり変人の類いだな。
 イチローに向ける視線の色をそう変えると、山田は、
 “いけない、いけない。早く帰らないと‥‥”
 と、イチローとの会話を切り上げ、その場を離れた。

 一人になったイチローは洗車を続けながら、≪そういえば前にもこんなことがあったな‥‥≫と、東京での会社勤め時代に同僚と交わした会話を思い出した。

 それは、仕事が終わった後、同僚たちが飲み会を開くというところから話は始まった。
 昭和三十年代、そして四十年代。大人の遊びの代表といえば酒を呑むことだった。手軽に安く憂さ晴らしができるからと、毎日のようにどの会社でも飲み会が開かれた。
 イチローにも声がかけられ、顔を出すのは、一緒に酒を呑むのは、仕事の一部だと言い張る同僚さえ居た。
 そんなものかと気乗りしないままイチローは参加したが、意味を成さない同僚たちの会話に、美味くもない酒を呑むことに、無駄にお金を使うことに、どうにも我慢がならなかった。立ち上がったイチローは同僚たちに向かい、訊ねた。
 “飲み会、飲み会って、いつ勉強するの?”
 “家に帰ってから勉強するの?”

 突然のイチローの言葉に、皆、シーンとなった。
 ≪あいつは変わりモンだな‥‥≫
 と、そんな評判が立ち、イチローは同僚たちからも浮いた。
 後日、心配した一人が、
 “永チャン。社会人になった、もう勉強なんてしなくていいんだよ”
 と、言い訳するようにイチローに伝えた。
 それを聞いたイチローは、何てことを‥‥という気持ちで、
 “勉強して次に進むもんでしょ。それが人でしょ”
 と、普段から思っていることを口にした。

 
 人、それぞれに思考も嗜好も異なる。
 正しい・正しくないという分類はできない。できるのは、好き・嫌いだろう。
 イチローは、そう分けて解した。
 自分とは別の思考や嗜好を持つものを否定はしないが、理解したいとも、仲間になりたいとも考えなかった。
 個々人、好きに判断し生きる。自由に道を選ぶ。
 少なくとも自分は、常にそうありたいと願う。

 その瞬間、なぜかイチローには最近観た映画のいちシーンが思い浮かんだ。
 『栄光のライダー』
 バイクレースに挑む男たちの生き様を描いた作品だった。
 ≪あれをやってみるか‥‥≫

 イチローの渡米が、また少し遠のきそうな気配を見せた。
  


Posted by 市 at 14:11Comments(5)一粒の砂

2017年06月05日

子どもたちも見てくださいな

市 (2017年06月05日 08:58) │Comments(4)語りのプラザ
朝からトンデモなく哲学的問題提起が。
“生きるものは、エゴと打算のカタマリであることでしか命をつなぐことはできない・・・”
これって、間違ってますの・・・?

お答えしましょう。地リスさん。
先ずは結論から。
けっして間違っていません!。
では何故か?。
地球に生命が誕生して数十億年。今地球上に存在しているのは過去の生存競争を勝ち抜いた者達。 生物とは生命とは?。 生存中は外部から物質を取込みエネルギー変換し、子孫を残す。そして死(存在の消滅)を迎えるもの。 生存の為のエネルギーを得るには外部から物質を取込む必要があり、物質が有限である限り他との競争が生じる。 自己増殖や単性生殖ではない両性生殖で子孫を残す場合では、相手が有限である限り他との競争が生じる。 これらの競争に勝ち残る技に秀でた者達のみ生き残り、変化に適応して進化し現在の生物群になっている。 この2つの競争にはエゴ(自分の利益だけを考える)、打算(利害や損得を見積もる)がないと勝ち残れない。 エゴと打算のカタマリでないと子孫を残せなかった。エゴと打算のカタマリであればあるほど子孫が反映した。 今地球上に繁栄している全生物はエゴと打算のカタマリであるが故に存続と言えるのでは?。 確かに群として社会性に富んだ種も存在しますがそれは生存に必要なエネルギー源である物質を得る方法が効率良く、もしくは物質が豊富に有る為に生存競争に余裕があるからであってけっして生命生物の本質が変わるわけではありません。 と、エンジニアっぼく、精神論とか哲学論とかを持ち出さずにまとめてみました。 どーでしょ?、地リスさん、
MIZ


MIZさんくらい解った人なら安心でございます
(^^)
あなたもきっとイチローさんのように「もののあわれ」を感じている方なので、リスなど撃てない人だと想いますわ。
あ、クマやイノシシや鹿でしたら、どんどん撃って食料にしてくださいな(゜◇゜) そのほうが牛や豚などを殺し屋に頼んで殺させて、自分たちは虫も殺さぬ涼しい顔で美味しい肉だけ喜んで食べているジョーチャンぼっちゃんよりはずっとマシですわ(∩.∩)
ワタクシたちだって、どんなに殺されても穴掘りは断固としてやめませんが、これも一種のエゴで、これなしには地リスとしてのアイディンティティーが成り立ちませんからね(^-^)


これがワタクシとホウイチの子どもですのよ、かわいいでしょ(∩.∩)
たしかもっといたような気がするのですが、ワタクシたちの世界には2つ以上の数はありませんから、3匹いたろうが、なんてイチローさんに指摘されてもなんのことやら解らないのでございます
(^_^;
まあ、子どもがいくら食われてもまた産めばすむことですから、想い出に残すやら墓をたてるみたいな儀式めいたことはいっさいやらないのです。

それでは、これで失礼いたします_(._.)_

ビアンキカップに行かれたままもどってこないイチローさんを待ちわびながら・・・
 
 ホウイチの妻より


  


Posted by 市 at 08:58Comments(4)語りのプラザ

2017年06月04日

ホウイチのエッセイ

市 (2017年06月04日 09:36) │Comments(7)語りのプラザ


えー・・・わいがホウイチじゃ(^-^)/
このさいゆわせてもらうけんどもな、アメリカの人間界におけるワイらは「害獣」ちゅう指定がなされているんじゃ。

害獣→ためにならん動物→好きに殺して遊んでよい・・・と、こういうことですな。

どおしてそうなのかとゆえば、わいらが穴を掘ると牛が足を突っ込んでコロブだとか、床下に無数のトンネルを作りまくるので家が傾くだとか、そぉーゆーことが人様の機嫌をそこねるらしいんじゃ。

ちょっとばかしの土地を持った人なんか、友人なんかを呼んでバーベキューパーティーをやりながらわいらを見つけてはライフルで撃って遊ぶわけで、わいらが撃ち殺されるのは普通の出来事なんじゃわ。

わいの兄さんなんか、子を守るために岡の上で空を見上げながら鳥の来襲を見張っとったとき100m先からライフルで撃たれて転げ落ちて、そのコロガルようすが可笑しいと人間達は大笑いしながら喜んどったわ・・・。また小学校の子どもたちが土地をまわりながらリスを撃ち殺し、バケツいっぱいの死体を持ち帰って大人達にほめられとるのもよう観たもんじゃ。

ようするにわいらは「動物以下」の存在でな、蟻みてえで動物愛護協会やらの庇護もなくて狩猟制限の枠もなく、撃ち殺して遊ぶ生きた玩具みてえな存在なんじゃわ。

そんなわけじゃから、わいらはいつ殺されるかしれたもんじゃなく、いつもヒヤヒヤでビクビクの生活をしとるんじゃ。

そんなわいらに比べたら人間はなんて幸せな動物じゃと想うんだよな。

ま、リビアやアフリカの国々のように自国で戦争が始まって難民となって家族が殺害されたり離散しながら逃げ惑うような場所に住んでいる人種はともかくとして、ジャパンのような豊かな国で住んでいるヤツラは贅沢を言っちゃいかんだろうな。

生き物にとって1番大切なものといえば、まずは「命」だろが?・・・
わいらとちがって日本人は侵略者から遊びで撃ち殺されるわけじゃないんだからな・・・そこんとこを忘れちゃいかんわな。

命の次に大切なのは「水と食い物」だろ?
日本人は、仕事がなかろがカネがなかろが飢えて死ぬようなことはなかろうが。
飢えて死ぬ人もいるようじゃが、本人に生きる気があれば食い物を盗んで警察に捕まったりすれば食わせてはもらえ、生活保護というワイら動物界では信じられないような有り難く嬉しいシステムもあるじゃないか。

ワイらのように、他の動物に親が食われるとか、子が食われるとか、妻が食われるとか、そんなこたまずないんだろ?

命と食い物の次に大事なものは家じゃろうけど、ホームレスでも楽しそうに生活している人間も多数いるじゃないか。むしろ家のローンなどで苦しみながら働いている人よりホームレスのほうが明るい顔をしているように見えることがあるのは気のせいか・・・。

ワイらは穴を掘って、その中で眠るが、その理由は寝ているあいだに他の動物に襲われて食われるからであって、その心配がなかったらクマやイノシシのように地面に転がって眠れるんだわ。

いつ殺されるか判らん、いつ食われるか判らん。趣味も楽しみもなく、ただ一日を生きてられたら幸運だというワイらから見るに、人間とはなんちゅう幸福な生き物かと想うわな。

ワイらはな、
朝起きて、食い物にありついて、夜になって眠れさえすれば、それで充分なんや。

明日の心配は明日するんじゃ。

明日の心配を今日するとしたら、アサッテやシアサッテや来週や来月や来年の心配もせんとならんで、それじゃワイらは発狂するしかないんじゃわ。

まあ、リスと人間とをくらべるのは変かもしれんが、おまいさん方もワイらも同じ地球に貼り付けられて住んでいる四つ足なんだし、互いに脳も心臓もあって赤い血が流れているという共通点があるんだから、そこんとこをよぉーく考えてみたらどうなんじゃ?・・・

今日は感じるところあって、イチローさんから習った日本語で人間についてのエッセイを書いてみたんじゃよ。

くだくだと長いこと書いたが、
よーするに言いたいことは、

どうせそのうちに死ぬんじゃから、その時がくるまで気持ちを張りながら、自分の範囲で出来ることをやりながら焦ったり悩んだりせんで、元気よくワイらのように生きろよな、、と言いたいだけのことよ。
 by Houichi
  


Posted by 市 at 09:36Comments(7)語りのプラザ

2017年06月04日

ホウイチの妻より

市 (2017年06月04日 09:29) │Comments(3)語りのプラザ


ワタクシ、ホウイチの妻でございます。
子どもが三人おりますの。
はじめは夫がイチローさんに近づくのできっと殺されるにちがいないと想っていましたところ、夫はイチローさんからいただいた落花生をホッペにいっぱい持ち帰ってきて子どもたちに食べさせ、それでワタクシが間違っていたことを認識いたしました。夫は子どもたちには落花生をやりますが、ワタクシにはいっさいくれません・・・ですからワタクシも勇気をもってイチローさんの近くにまいりました、するとイチローさんは・・・

“お、かあちゃんもやっと来たな♪”

と笑って、落花生を惜しげもなくポーンとくれました。

“どうだい? 美味しいかい? かあちゃん?”

かあちゃん、というハシタナイ呼び方にはワタクシの自尊心が少しキズつくのです、が、子持ちなのはまぎれもない事実ですし、イチローさんの屈託のないザックバランな態度はオンナとしてのワタクシの気持ちを惹きつけるものがありました(*^_^*)

ワタクシはイチローさんを夫よりも気に入ってしまい、すっかりなついてしまったので、こんどは夫のほうが心配をし始めましてね(^_^;・・・こないだなんかこんなこと言ったのでございますよ・・・

“おい、いくらなんでもイチローさんはオトコなんだから独りで逢いにいくなよ、美リスのオマエは女ざかりなんだしナニされっかわかんないからな・・・”

それを聞いたワタクシはハッとしました。いつしかイチローさんを愛していた自分を自覚したのです(*^_^*)

そんなことがあってから、イチローさんを見上げるワタクシの視線は熱くなっていたに違いありません、、じっとイチローさんをみつめるワタクシのつぶらな瞳を上から覗き込みながらイチローさんは言いました。

“ねえ、かあちゃん、こんどジュンとケンを連れてくるから子どもたちからの手渡しで落花生を食べてよね・・・”

ワタクシはだまってうなずきました。でも、生まれてこのかた、こんな悲しい気持ちになったことなどありませんでした。心の中は涙の嵐でした。

どうしてワタクシではいけないの(+_;)

どうしてワタクシは人間様になれないの(;。;)

でもね・・・

でもね、それはそれでいいのです。
じつはそれよりもずっとずっと大切な願いがあるのです。

それはね、
あの薫り高くて美味しい落花生をね、たまにいらしてワタクシたちに恵んでくださること・・・
(゜◇゜)

もうこれ以上のことなどいっさい望んでなどいませんの。これが正真正銘のワタクシの本心でございますのよ。

まあ!!・・・
動物は打算的だからなぁ、
ですってぇ?・・・(@_@;)

アナタ方、人間様の中に打算的でないお方ってどこにいらっしゃいますの???

えっ?・・・教えてくださいな。

イチローさんは、いつもこのようにおっしゃってますのよ、、

“生きるものは、エゴと打算のカタマリであることでしか命をつなぐことはできない・・・”

これって、間違ってますの・・・?
どなたか応えてくださいませな・・・。

 ほういちの妻より
  


Posted by 市 at 09:29Comments(3)語りのプラザ

2017年06月03日

卓球台

市 (2017年06月03日 14:23) │Comments(4)語りのプラザ


まえにも書きましたが、ジュンがスペリングビーで3位になったので、お祝いに卓球台を飼ってやりました。
ラケット四枚とボウル付きの卓球台が2万円ほど(∩.∩)安物ですがヤッスーイ(゜◇゜)

じつは、自分の家に卓球台があって家族で楽しむ、、というのはひとつの夢だったのです♪
子ども達も卓球のできる背丈に達したのでコレサイワイと(^^)

んで、ワシの腕前はどうかとゆいますと、ピーング ポーング とゆーちょうそのものなもので(^_^; このトシまで卓球で遊んだのは合計しても74回あるかどうかのドシロートなんですよ。でも、これは敏捷性を養ってくれると想うので子どもたちにはやらせたいのです。

で、ところでドイツでは世界卓球大会の真っ最中ですね〜!!

ミウちゃんがアジア大会以来どれだけ成長したかが気になっていたのですが、かなり腕を上げていますね〜♪
見どころは世界の女王 テイネイさんとの対決!!!
前回は運がよくて勝ったので次はアブナイと想っていたのですが、テイネイさんの対石川戦を見るに、素晴らしいけど それほどの進化は見られないという気がするのでミウちゃんは勝てるという気がしています。ま、シロートの見方ですけどさ。

それと、すっごい少年が現れたもんですね〜
\(^O^)/
13歳という子どもなのに日本チャンピオンを下し、タイワンの主砲をも潰し、世界を仰天させています。

今回の日本選手たちの活躍は、国民に自信を与え、少年少女に夢を与えるのではないかと♪

 市

  


Posted by 市 at 14:23Comments(4)語りのプラザ

2017年06月01日

バリケの娘たち♪

市 (2017年06月01日 22:31) │Comments(2)ビアンキカップ


おはばんわぁ〜(^O^)/

子どもたちと濃密な時間を過ごす一方、溜まった雑用や本用(雑用の反対語のつもり ^^)をこなさなければならなくてブログをサボッていました\(__ )スマン

ちょっとまだ忙しいので、お茶にごしにバリケイドのかわゆいオナゴたちのフォトなどごらんください。
Photo by トモかタクミ (←と断りをいれるのは構図がアマイので自分のだと想われたくないから(^○^)

 市  


Posted by 市 at 22:31Comments(2)ビアンキカップ