2015年06月09日
ナウリン ロングスライド
市 (2015年06月09日 10:52)
│Comments(12)
│てっぽ
暑いからといって逃げ帰るイーチ・・・ではあったが、その前に寄り道して長刀を連射したのである。なんだかロングスライドにしては敏捷さのあるナウリン・・・さては内側をくりぬいてあるのだろうか?・・・分解してみようかと想ったがスライドが熱くてメゲタわ(^◇^;)ツギノキカイにしよ。
と、いうわけで、ヨシや、オヌシ危ないぞ・・・(^-^)ニヤリニコニコ
でもワシ負けるように努力してやるので
これを↓モチキチクレロ♪
これを氷水で割って寝る前に飲むのって、灼熱の日々にいいんだわ(^o^)
これ60度やけんどメチルでも足して72度にしてんか(^○^)
ちなみに「負けるように努力する」の意味は、ズバッと速く抜いてターゲットを慎重に狙いながらできるだけ速く連射するが、もしも全部当たっても責任は持てない・・・という意味なので、もしも不測の事態になってもドナン返せ〜みたいなこといわれたらドナンショー(^◇^;)
ショッチュー、ショーチューもろて、えろうスンマヘンなぁ〜<(_ _)>・・市
2015年06月09日
Day 5
市 (2015年06月09日 10:24)
│Comments(5)
│訓練
暑いよ〜(◎-◎;)熱いよ〜・・・
105度→40度超え(@_@;)
マルパソや、今日はムーヴァーの5日目じゃったか?・・・
これが本日のセーセキ(^_^;
つけといてな、タノムよん。
早々に逃げ帰ってビール飲んだ市より
2015年06月09日
永田のストーリー
市 (2015年06月09日 10:10)
│Comments(3)
│語りのプラザ
書き忘れましたが屋久島、ご存知の通り1か月に35日雨が降ると言われるほど水量豊富な島です。その水もまた美味しいです。水の心配は一生しないですみます。 学校は永田小学校があります。 屋久島には離島には珍しく高等学校まで揃っています。 大きな欠点は移住者には仕事が少ないことですが、写真家ならば逆に仕事が増えそうな土地柄であるとも言えます。 市郎さんが永田に来てくださったらな〜と思うdnagでした。
dnag
ずいぶんとくわしいですね〜(^o^)
では、永田の話などひとつ・・・
そのムカシ、米国の市は日本の兄を訪ねた・・・
兄は静岡でクリニックを開業していた。
あのさカッチャン、ワシ、永田のルーツを調べに来たんだよ・・・
ほう・・どこに行くんだ?
屋久島の永田に行ってみるよ・・
そうか、どんなところか観てきてくれ・・
そして永田に行った市は、オジイサンを知っている人たちを探していろいろと聞く・・
オジイサンは永田甚太郎・・だったと想います。
彼は屋久島を飛び出して鹿児島に移住した。
内地では海産物の人気が高いことを察知し、屋久島にもどってカツオブシを作るというビジネスを開く。
やがて永田村の家々は屋内にゴザを敷いてカツオをならべ、カツオブシを作るという仕事でたいへんに潤った。
孫の名前は「勝男」と命名。
それがウチの長男のカッチャンです(^o^)
そして孫娘には「八重子」と名付けました。
八重岳のことですね(^◇^)
どうして市を「画寿丸」にしなかったのだろう(^○^)がじゅまる君っていいじゃん(^◇^)
でも、息子だった徳平さん(市の父)は魚業がいやだったか、もうからなくなったかで鹿児島で本屋を開業する。
その町は加治屋町という。西郷さんの住んだ場所だったので、もしも時代が合っていたら逢っていたハズ(^^)
しかしやがて日本陸軍の暴走で真珠湾を攻撃し、待ってましたとアメリカは日本を木っ端微塵に叩きまくり、鹿児島も空襲に見舞われてオヤジの本屋も焼失・・・ここから永田ファミリーは多くの人々と同様に極貧に耐えながら生き延びることとなる・・・。
七人兄弟の末っ子だったイチローは1943年生まれ。戦争のまっただ中で生まれ、最初に覚えた言葉は「タイヒータイヒー!」と叫ぶこと。
空襲のたびに大人たちが「退避、退避」と叫ぶのを聞いて覚えたという。
本の虫だった父親は博識で「アメリカはな、何でも一番の国なんじゃよ、利口さも強さも馬鹿さもじゃよ」と子ども達に教えた。
若い頃には米国への密航を企て、横浜から出る船に潜り込んだが見つかってツマミダサレたという(^-^)
それはともかく・・・
屋久島の永田浜に産卵をしにやってくる大ウミガメたちを観た市は、その自然の魅力が忘れられず・・・年老いたら自分も子ガメたちを連れてもどろうかという漠然とした考えをもつにいたるノデアッタ。(*^_^*)
以上が永田のストーリーです。
市
dnag
ずいぶんとくわしいですね〜(^o^)
では、永田の話などひとつ・・・
そのムカシ、米国の市は日本の兄を訪ねた・・・
兄は静岡でクリニックを開業していた。
あのさカッチャン、ワシ、永田のルーツを調べに来たんだよ・・・
ほう・・どこに行くんだ?
屋久島の永田に行ってみるよ・・
そうか、どんなところか観てきてくれ・・
そして永田に行った市は、オジイサンを知っている人たちを探していろいろと聞く・・
オジイサンは永田甚太郎・・だったと想います。
彼は屋久島を飛び出して鹿児島に移住した。
内地では海産物の人気が高いことを察知し、屋久島にもどってカツオブシを作るというビジネスを開く。
やがて永田村の家々は屋内にゴザを敷いてカツオをならべ、カツオブシを作るという仕事でたいへんに潤った。
孫の名前は「勝男」と命名。
それがウチの長男のカッチャンです(^o^)
そして孫娘には「八重子」と名付けました。
八重岳のことですね(^◇^)
どうして市を「画寿丸」にしなかったのだろう(^○^)がじゅまる君っていいじゃん(^◇^)
でも、息子だった徳平さん(市の父)は魚業がいやだったか、もうからなくなったかで鹿児島で本屋を開業する。
その町は加治屋町という。西郷さんの住んだ場所だったので、もしも時代が合っていたら逢っていたハズ(^^)
しかしやがて日本陸軍の暴走で真珠湾を攻撃し、待ってましたとアメリカは日本を木っ端微塵に叩きまくり、鹿児島も空襲に見舞われてオヤジの本屋も焼失・・・ここから永田ファミリーは多くの人々と同様に極貧に耐えながら生き延びることとなる・・・。
七人兄弟の末っ子だったイチローは1943年生まれ。戦争のまっただ中で生まれ、最初に覚えた言葉は「タイヒータイヒー!」と叫ぶこと。
空襲のたびに大人たちが「退避、退避」と叫ぶのを聞いて覚えたという。
本の虫だった父親は博識で「アメリカはな、何でも一番の国なんじゃよ、利口さも強さも馬鹿さもじゃよ」と子ども達に教えた。
若い頃には米国への密航を企て、横浜から出る船に潜り込んだが見つかってツマミダサレたという(^-^)
それはともかく・・・
屋久島の永田浜に産卵をしにやってくる大ウミガメたちを観た市は、その自然の魅力が忘れられず・・・年老いたら自分も子ガメたちを連れてもどろうかという漠然とした考えをもつにいたるノデアッタ。(*^_^*)
以上が永田のストーリーです。
市
2015年06月09日
ヨシごろしの長い拳銃
市 (2015年06月09日 00:03)
│Comments(2)
│てっぽ
イチローさん、お疲れ様ですmightyshrikesです。 暫くぶりのWCSですね、しかも今回はアイアンサイトで出場との事。 でも実用性・実戦性という点ではアイアンサイトは最も身近かもしれませんね、っていうか基本形ですか。 それと今回の相棒は6インチ2011じゃないですか、S・セガール氏が愛用していると言っていたのがコノ6インチ2011タイプなんですよ(彼は、たしかSTI製)。 あとスライドはナウリンでしょうか?リムキャットでしょうか?遠景なので断定はできないのですが。 また後日、今回の6インチ2011のフォトなど見せて頂けると嬉しく存じます。 それにしてもWCSのイチローさんは楽しそうなお顔で撃っておられますね。 こちらまで楽しい気分になりました、だもんで小生も6インチ2011インフィニティを久しぶりに撃ってみましたヤッパ6インチはスライドアクションが独特で面白いですね。 5インチより若干ゆったり動くといいますか、けっこうコントローラブルですよね。 それでは、また。
mightyshrikes
そーなんですよ(∩.∩)
STI ロングスライドなんですよ(^。^)
ミッキーファアラにナウリンが捧げた作品です♪
あるとき、カネがいるから買ってくれんかと頼まれたのでハイハイハーイ♪と(*^_^*)
これは、コレクターアイテムとして価値が高いのではないかと・・・
でも、コレを撃ちたくてね〜・・・(^^)
WCSのような早撃ちではロングスライドは良いのかどうか?・・・たぶん5インチのほうが俊敏で良いと想います。
今の時代、ロングスライドは無意味とも言えます(^_^;
でもさ、このバントライン スペシャルはあまりにもタタズマイが素晴らしくてね〜(^o^)
でもって、前回ヨシにヤラレタので、これでシカエシをしてやるのです(^○^)
え?・・・あ、はい・・・ R226マウントとダットサイトは外しました。だってR226を載せて勝ったらヒキョーじゃないですか(^◇^)
ヨシだってヤル気をなくすでしょうし(^○^)
ちなみに昨日の成績は 108.09秒でしたよ。
どうだい、ヨシ・・(^^)・・
よほどガンバランとアカンでぇ〜(^。^)
え?・・どないするねん?
ほら、なんとかいわんかいな・・∈^0^∋
市