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Posted by ミリタリーブログ at

2012年03月14日

怖ろしいこと・・・

市 (2012年03月14日 13:56) │Comments(6)訓練
陸幕じゃなくて陸縛かと。 上陸して来た敵を、何が何でも山に陣取って迎え撃つつもりの人達に、何かを期待するのがそもそもの間違い。 山が恋しくて、市街地でどんなに市民が虐殺されても絶対に離れられません。 LOVE山奥。 穴を掘って待ち続けたい。 迂回なんてするはずない。 絶対にそこに来てくれるはず。 だから町には行きたくないの。 このまま山で過ごさせて。 塹壕の中で夢を見る。 敵が山に来てくれるまで。
自由戦士

この件、怖ろしいことだと感じています。
国民は、このことを識るべきだと以前から
考えていました。
ただ、あまりのことに信じられないで
いたのです。
そう、これを隊員たちの口から直接聞いた
のは、もう10年も前のことなのですよ・・

どうです?
皆さんはこれを信じられますか?

野戦に持ち込むという作戦しか考えない
幹部たちに市街地戦闘訓練をやりま
しょうよ、、と言ってもまず聞いては
くれないのですよ。

そろそろ自衛隊の本性を書く時が
近づいているのかも知れませんね。
  


Posted by 市 at 13:56Comments(6)訓練

2012年03月14日

人は くくらないことです

市 (2012年03月14日 03:02) │Comments(8)語りのプラザ


犬だとハンティングのお供として連れられたりするのですが、銃声には驚かない感じがします。 猫は銃声が苦手なんですね~。 猫用のイヤマフか耳栓でも有れば良いのですが…。 そういえば市郎さんやブログの常連の方々は猫派な感じがするような…。
HiroSauer

市より
Hiroさん、これはこれからの君にとって
とても大切なことなので嫌われることを
承知の上で書いておきますね。

「市郎さんやブログの常連の方々は
猫派な感じがする」
という部分です。
これは観念的なのですよ。
たまたま猫も好きな人たちが書き込みを
したからといって、猫派が多いという
観念を持つのは早計なのですよ。

人々をくくってはいけません。
個人を観て、くくるのもいけません。
それは自分の見識を誤らせるからです。

ムカシ、ワシはSWのリヴォルヴァを
試合に使っていたので「SW党」などと
勝手に呼ぶヤカラがいました。
実はそうではなくワシはパイソンも
ダイヤモンドバックもディテクティヴも
ローマンも大好きで持っていました。
ただSWのトゥリガープルがコルトよりも
良いので試合に起用していただけなのです。
党でもなければ派でもないのですよ。

で、ワシは猫も犬も同じくらい好きです。
ただ、ここでは犬の放し飼いは禁じられて
いるので飼わないのです。犬が好きだから
クサリでつなぎたくはないのですよ。
鳥も好きで、できたらムカシのように
カラスやフクロウを飼いたいです。
でも鳥派というわけではなく、
可能ならチータやポーキュパインなども
飼いたいのですよ。

猫のことでカキコしてくれた人たちの
愛情を感じてワシはとても心が暖まり
ました、、でも彼らのことを「猫派」だ
などとは想像だにしません。
「愛を動物に分けてあげられる人たち」
という受け止め方をしています。

だからといって「動物派」だとくくるのも
イケナイことです。
そんなこと言われたら、
テッポ派、焼き物派、珈琲グラインダー派、
骨董派、写真派、読書派、ジョギング派、
緑茶派、女派(^o^)派派派ノ派
になってしまいますよ。

そういう観念的な人たちに観点を変えて
もらおうと想って考えついた言葉が

「良いモノ党アララギ派」

なのです。
この記事についてはマルパソさんに
解説をおにがいすますね。

良さそうなモノになら党派もなく
興味を持つ、、こういう人たちは確実に
存在し、ここに来る人たちにも多いという
気がします。

ともあれ、ですね・・・
観念的な思考に陥ると、自分を閉鎖的に
してしまうのですよ。

人には、最初に習ったことを正しいと
信じる習性があります。
なので、あとになって違った観点に
でくわすと拒否反応をおこすことがあり
ます。
君子豹変ができないわけですね。

射撃訓練でも、最初に参加したクラスだけ
を盲信し、それが最高だと信じ通す人が
けっこう多いわけですね。
そこに変われない自分があり
そこに自分が向上できない原因があるのに
それさえ観えないのです。

武道でも他流試合を禁じるとかあって、、
これも自分の観念に埋没している証拠な
わけなのですよね。

物事はより正しいと想われる方向に
咀嚼してゆくべきではないかと。

そういった生き方をしたかったら
清水のように澄んで決して観念にとらわれ
ない無味無臭な自分を創っておかないと
常に判断を誤るということになるのでは
ないかとワシは考えるのですよ。

という、世界には多くの考え方がある中の
ひとつの例を書きました。

「良薬は口に苦し」
それをなんとかニガミを感じないように
書いたつもりなのですよ〜(^○^)

もしワシが君の兄だったら、
“ばっきゃろー!! そんな観念的な人間は
ろくでなしにしかならないぞっ!!
阿呆っ、もっと良く考えろっ!!”

と簡潔に終わらせるのですがね〜(*^_^*)


  


Posted by 市 at 03:02Comments(8)語りのプラザ