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2015年05月11日

dnagさんの場合

市 (2015年05月11日 12:54) │Comments(15)語りのプラザ
市郎様、事故のあらましを覚えている限り書いて送信させて頂いたのですがまた迷信ボタンを押してしまったようです。再度書いて送信させて頂きたいと思います。 私の事故は、2012年初夏帰宅中追突事故を起こした事にはじまります。この時は先方も怪我なく無事で、保険で解決できました。過労気味と言うのがこの時の言い訳です。 同じ月に今度は時速5、60㎞位でガソリンスタンドのコンクリート壁に突っ込みました。全身と首を強打しICUに2週間、外科病棟に1ケ月入りました。乗っていた軽乗用車は大破、コンクリート壁は倒れたそうです。問題はこの時運転していた記憶が無く、いくら思い出そうとしても無理だった事です。事故の状況は警察とガソリンスタンドの方に聞きました。ここまでで、依願退職です。 次いで夏、怪我の治らないままながら退院した私は手続きで訪れた建物の4階から下を見ているうちにそこから飛び降りました。クーラーの室外機にバウンドしながら落ちた為幸いひどい骨折や死ぬ事は有りませんでしたが、車の事故より酷い全身打撲と切り傷、頭部損傷を受け再度外科病棟に入院。何故飛び降りたのかは分かりません。無意識の自死希求だったのかと。この時のことも飛び降りる瞬間以外ハッキリした記憶はありません。諸々は後になって警察と施設破損の請求の時に聞きました。外科的な治療と並行して精神科の薬を処方され、身体がよくなったらすぐに精神科閉鎖病棟に移されました。事故で職を失い、次いで精神を病んでいったものと考えていますが、どの要素がどういう順番でこうなっていったのか、分かりません。 2011年までは元気に仕事で飛び回っていたのですが、今は病院の中です。落差が激しいです。 最後に自死希求は怖いものです。無自覚の自死希求は止めようがありませんが、自覚ある自死希求をお持ちの方は手遅れになる前に入院をお勧め致します。 以上、私の事故のあらましでした。 dnag

よく書いてくださいました <(_ _)>
すさまじいばかりの体験ですね・・・。

いったいdnagさんの心になにが起こったのでしょうか・・・

せっかく書いた、このあらましの間に、何か新しく想い出したらそのことを書き込んでいったらよいかと想いますが、どうですか?

他人に読ませるためでなく、自分自身のために解明するつもりで書くのです。
きっとそこから何かが見つかりますよ。






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Posted by 市 at 12:54Comments(15)語りのプラザ
この記事へのコメント
>いったいdnagさんの心になにが起こったのでしょうか・・・
>他人に読ませるためでなく、自分自身のために解明するつもりで書くのです。
きっとそこから何かが見つかりますよ。

→こういう事は見つかるんでしょうか?
自殺を考える事と試みる事は全く違うと思います。
試みてしまったらもう素人には何も出来ないのではないでしょうか?
試みてしまったら「精神病質」ではなく「精神病」なのではないでしょうか?
脳も他の器官と変わりなく病気や機能障害になるのですから、
素人考えは危険ではないでしょうか?
(→イチローさんやdnagさんを悪く言ってるのではありません)
dnagさんはまだ入院治療中だそうですから、
退院、完治後に書かれた方が良いのではないでしょうか?
医療関係の方の意見を聞きたいものです。

ところでdnagさんの最初の事故の記憶が無いそうですが、
頭を打ち脳震盪も起こしていた可能性は無いのでしょうか?
Posted by CYPRESS at 2015年05月12日 01:11
>いったいdnagさんの心になにが起こったのでしょうか・・・
それが、先の投稿以上に事故について思い出せることはあまりないんですよ。特に心に何が起こったかは医師にも聞かれますが全くわかりません。あえて書かせていただくと下記のように先の投稿を補足する程度のモノになってしまいます。

2011年後半から2012年春にかけては幸せでした。仕事も順調で、保育士から講師になって九州某県某市の小学校に配属されました。新しいアパートを借り、ボロボロだった車を買い換え(中古のダイハツですが)、当時付き合っていた女性といつ結婚しようかと話す日々でした。趣味では、東京マルイのXDMを福岡MGCで予備マガジン2本とホルスター、マグパウチと共に購入、これで配属県にあったシューティングクラブでマッチに出ようとしていました。カメラもオリンパスの新型を手に入れ、喜んで街角スナップを撮り始めました。全く問題ないどころかできすぎな日々でした。

最初の事故はよく覚えています。信号停車中の相手車両に私が気づかず追突。程度が軽かったこと、先方様が引退した元警察官の方で処理が速くすんだことで誠心誠意謝罪することで和解させていただけました。事故は学校で職員会議にのぼり、厳重注意を受けましたがそれですみました。
しかし、その後あたりから覚えていないことが増えてきました。
二回目の事故からが覚えていないんです。まず、何のために車に乗っていたのか分からない。警察の話では蛇行を繰り返す不審な軽乗用車があると事前通報があり、見回っていたら私の車がガソリンスタンドに突っ込んでいたそうです。所持品は財布と携帯、オリンパスのカメラだったそうで、後々見たら確かにカメラ内のSDには走行しながら撮ったと思われる画像が残っていました。搬送されたのは大学病院、最初の2日ほどは意識が無かったそうで首を固定され、尿道カテーテルとおむつで過ごしていたようです。ICUは他の病気の重篤な方や車にはねられて骨折した方などと一緒でした。私は骨折や内臓損傷が無かった分軽傷な方でしたが、全身の打撲、特に胸部の打撲の他、手先にしびれが残っていたこと、頭をフロントガラスに打ち付けていたそうで首が危ぶまれたため2週間の長きにわたってICU入りでした。その後ヒト月一般外科病棟に移り、歩行リハビリを受け、まだ完全には痛みが取れていなかったのですが仕事が気になり退院となります。同月内に二度交通事故を起こしたことで職場では退職が決まっていたのでそれは無駄なあがきとなりましたが。  
それからしばらく、自宅アパートに戻っても時間感覚や曜日感覚がなくなる症状がでました。例えば昼過ぎ書店に歩いていき、本を物色。本人の感覚ではほんの1時間程度の在店時間のつもりが実際は夜中の閉店時間まで店にいて、店員さんに帰宅を促される、というようなことがありました。
施設名を書くとそこがどこで何をするところなのか分かってしまうので「ある建物」とさせていただきますが、ある建物にある手続きで出向こうとタクシーに乗ったところまでは覚えています。その後、4階から飛び降りました。飛び降りる瞬間だけは覚えています。
が、その次の記憶は病室になります。全身がくまなく痛かったことを覚えています。
まずその建物の近くの病院に搬入され、そこから運ばれて元の大学病院に逆戻りしました。
2度目なので高額医療費制度の手続きは家族と彼女が手早く済ませてくれたようでありがたかったです。一度意識が鮮明になると背中と頭が無性に痛くなりました。プロスタグランジンという忌まわしい言葉を覚えてしまうほど痛かったこと、飲み薬のボルタレンが欲しかったこと、トイレに難儀したこと、リハビリがさらに痛かったことを覚えています。痛みで眠れず、ベゲタミンという眠剤を飲みました。基本一日一錠なのですが、効かないため2,3日徹夜してベゲタミン2,3錠を隠し持ち、2日目にまとめて飲むということをやっていました。精神科病棟に移る頃には処方された薬や不安定になった時の筋肉注射で意識がはっきりしない状態になっていました。精神科閉鎖病棟では拒食症の人、被害妄想の強い人、まじめすぎて精神を壊した人(ひどいリストカッター)と同室でした。いずれもきまじめな人ばかりでした。大学病院の精神科病棟は3ヶ月でワンサイクルを迎え、患者の状態と関係なく患者の地元の病院に送り込む傾向にあります。その流れで2013年私も地元精神科に転院しました。始めは閉鎖病棟でしたが今は開放病棟に移れています。お陰様でアイパッド、ノートPC、デジカメ(制限あり)の持ち込みが可能になり、タクティカルライフのブログを見ることができるようになっています。
面会も家族のみ可となりました。
周囲はいわゆるメンヘラさん(被害妄想者、自己否定者、自死希求者、度を超した宗教者)と、軽度の知的障害者、認知症初期の老齢の方がミックスされたごちゃ混ぜ病棟です。
私の心のコンディションは薬次第といったところです。エビリファイ、ジプレキサ、セロクエル、リスパダールなどの向精神薬、フルニトラゼパム、ゾピクロン等の眠剤、エチゾラム、リボトリール(実際は発作の薬なのですが神経を鎮めてくれます)等の安定剤を飲んでいます。飲み過ぎですが、他に心を安定させ、眠る方法がありません。(ちなみに認知症の方は塩酸ドネペジル、通称アリセプトという薬を飲んでいます。何故か私も一度処方され「私の記憶の欠損は若年生認知症なのか?」と疑いました。すぐにでなくなりましたが。ともかくこれが処方されるとアルツハイマー)
また、頭痛が絶えず内服用ボルタレンが欲しいのですがこの病院ではロキソプロフェン(ロキソニン)しか出してくれません。起きている時は作業療法(オキュペーショナルセラピー)、読書、散歩などをして過ごしています。特に散歩は重要で、向精神薬を飲んでいると代謝が悪くなり、病院食しか食べなくても途端に肥満します。私も173㎝70㎏だったのが、94㎏まで肥え太り、ひたすら歩いてやっと77㎏まで戻したところです。これら一連の流れの中で結婚はなくなりました。今の趣味はカメラです。フジF200EXRとオリンパスXZ1を持ち込んで撮影を楽しんでいます。もっとも、どこで発表できるわけでもなく、撮った写真はその日のウチに消去する決まりで(他の患者さんの保護のため)撮影結果の残らない、単にシャッターを切る楽しみのためだけにやっていることでシーシュポスの神話的な行為ではありますが。
時間に関する健忘は極々最近になって治りつつあります。が、また今年2月にちょっとした問題を起こし退院はまだ先の事になりそうです。自死希求は大分無くなったんですけどね。薬は一生涯飲み続けるよう言われていますが、これも厄介なところです。

 幸せだったのに、ある時期を境になんの原因らしきものもなくこうなっているのが不思議です。人生を丸々無駄にしたようで悔しいです。
また、こうなった事で迷惑をかけている方々に申し訳ないです。
 市郎様にもこんな意味不明な不快な投稿を何度も読ませてしまって申し訳ありません。
Posted by dnag at 2015年05月12日 06:18
cypressさん、心優しい書き込みをありがとうございます。
仰ること、至極ごもっともです。
今回は相手が市郎さんだったので書かせて頂きました。他では決して語らない類の話です。

それから脳震盪も多分起こしていたと思います。
Posted by dnag at 2015年05月12日 13:05
ご無沙汰です。三十郎改め四十郎です。もうすぐ四十一郎ですが・・・
人間の脳のメカニズムに「記銘」と「記憶」があります。
記銘は一時記憶とも呼ばれ、その後脳内で処理されて記憶として脳内に残ります。
具体的に言うと記銘は目の前の車の色を覚えるなどでありますが、3日前の前を走っていた車の色は覚えてない、などであります。
ですので、頭部外傷やある種の薬剤などの使用歴があると記銘を記憶にすることができません。

なので、「何も覚えてない」から病気というわけではありませんのでご安心を。
私なんかしょっちゅう忘れております。

イヤなことは忘れるという神様からの権利を最大限使いましょう。
Posted by 宇宙四十郎 at 2015年05月12日 14:56
宇宙四十郎さま
>イヤなことは忘れるという神様からの権利を最大限使いましょう。

詳しい説明を有難う御座います。出来たら余計なことは忘れたいと思います。
Posted by dnag at 2015年05月12日 17:15
峠九十郎は、じきに、九十九神に・・・

いやあ、僕も、ジェイゾロフト始め6から7種類、頓服も含めて飲まされてますが、、僕らには、エアガンや、モデルガンという、力強い味方が、手の中にあるじゃあありませんか。うちのなかで、抜き打ち指当しのび撃ち、してるぶんには、,だれも怒りませんよ。
E2や686を、ホルスターから、すぱっとぬいて、勝手に、えつにいってます。
おかしいと感じる人もいるんだろ-な~、デも関係ないなあ--。8っつ目の薬です。飲まなくていいから、あんしん感も有ります。
Posted by 須田浩之スダヒロシ at 2015年05月13日 13:19
ボルタレンは、3つほどの薬とバッティングするのと、薬剤が多いため、急速に、肝臓・脾臓に弊害がでますので、薬剤師と、医師は避けてるのでしょう。
だすなら、座薬で50mgですが、繰り返し使うなら弊害はかわりません。
Posted by 須田浩之スダヒロシ at 2015年05月13日 15:49
須田さん、ジェイゾロフトをお飲みですか!
私も初期に試験的に飲んでいた事があります。SSRIの中では比較的マイルドな良い薬ですよね。
それにしても(私もですが)6、7種類飲んでいるとどの状態がどの薬の薬効によるものなのか分からなくなってきませんか?

E2に686良いですね。でも今の私はナイフ類を始めエアガン等は取り上げられていて使えません。
心の中にP226SAOを携えて居ます。
Posted by dnag at 2015年05月13日 16:01
dnagさん、こんにちは。

西洋医学では、足し算引き算で、単純に、けっかを出します。
薬剤師も同様で、其の、覚える量が膨大であり、組み合わせで出てくるけっかを正確に全て間違えないようにしたけっかの、最も点数の高いお受験が東大医学部の合格ということになります。ここに、外科とか無いかとかその他もろもろが、各自、同数かさんされるのですが。

ですから、ハーバードや、スタンフォードでやってるような、それらをユックリと、組み合わせまで踏み込む、というカリキュラムを付け足すと、東大はじめ、日本の大学も、同じLevelに引き上がります。
ですから、時分の症状のうちの一部を、ネット上で、
      「あくまでも、一部だよ」
というお題目を、念頭に置いて、それぞれの方法論を組み合わせると、、嗚呼、あの薬は、之に効いてくるのねん。というふうに、自動的に出てきます。これが、西洋医学の、ピラミッド積上げ方式です。

僕ですが、母の介護の後(みじかかったなあ)
一昨年なくなった、父の介護が続いたんで、
フリーの専門職の後の、50歳を超えた人間の派遣仕事なんで、選び洋亡く、なかなか、お金が厳しかったんで、時分が、父より倒れた時には、様々あって、、友人の警察官に、「須田さん、どうか、行政を頼ってください」というお言葉で、
数回の門前払いの後に、現在の、医療保護という状態で、くらしております。
E2は現代の、X5に、近いい物、
686は、若き日に、ナガタさんタロさんとともに、PPC挑戦の思いでの、しがみつきどころであります。
ぜいたくですよね。とりあげられても文句は言えない。

でも、ナーフも有ります。
Posted by 須田浩之スダヒロシ at 2015年05月14日 01:06
そうだ、また、書き損じてしまいました、といいますか、足んなかった。

ジェイゾロフトは、mgを、変更変更繰り返しで、先生と相談しとりますヨ。けっこう、ピンポイントに、絞れてるブン、
量が多いと、弊害は出ます。 間、それは、各自で、ですが。

トイガンや、刃物がダメなときは、先鋭的な、レースカーなんかどうですか?
特に、タイトになって、政治的になりすぎて、いまいち、重箱の隅を突っついてるF-1とかは、とりあえず置いといて、
今回の、ル・マンに出てくるニッサンのLMP-1の
とんでもなく、数学的なチャレンジングあふれる試みなど、とても、楽しくて、ワクワクなんですがね。
今まで、長いこと、ポルシェ956シリーズと、マーチの延長線上から、漸々離れなかった世界に(ほかにも、FRは有りますが、アレは、それらの延長からは離れていません、其の証拠に、太刀打ち出来ていない)
素直にデルタウイングでの数学的解析から得られたデータのうち、分散しきって、配置を決めてベストポジションを追っかけてきていた従来型から、全く離れて、集中ユニット方式を組み合わせた上に、コンパクトにまとめあげた今回のマシンは,特筆モノですよ。
これなら、まだ、本もないけど、
ネット上で、旧来の人々が、頭抱え込んで、わからんわからんの連発をよこめでみながら、こりゃあ面白いや、と、ミニ四駆かってきて、FFにしたり、RRにしたりして、技術方面での、社会復帰、!!!と言いはれますって。
ミニ四駆は取り上げられないでしょう。電池入れなくても良いですしね。大体、安い。
Posted by 須田浩之スダヒロシ at 2015年05月14日 01:40
須田さん、ご両親の介護お疲れ様でした。本当に大変だったことでしょう、お察しします。
医療保護受けられて良かったですね、良いご友人がいて良かったですね。

それと、そうなんですよね、ボルタレンは良く効くんですが副作用も強いんですよね。効き目はイマイチですが、総合的に考えるとロキソプロフェンの方が優秀な薬なのかも、です。

>レースカーなんかどうですか?
いや、それが何分大きな事故を起こしてしまったもので車を道楽にする資格が私にはないのですよ。空想やおもちゃのミニ四駆でも憚られるかと・・・。

お互い、世間様に理解してもらいにくい病のようです。一緒に頑張っていきましょう。また面白そうなことがありましたら教えてくださいませ。
Posted by dnag at 2015年05月14日 15:58
いやいや、僕の状況など、東日本の例の件の方々や、現地で今も懸命に活動なさってる方々を思うと、チョット、肩身は狭いです。ですが、頭のなかで考えてることが、もしかしたら、新規性や進歩性が存在するものなら、そう、感じられるのなら、そうではないとしても、表に出す、ことばに出す、玩具でも形に出す、、いずれ形にする、そんなところで、チョコットやってみるのも、なにかいいんじゃないかなと思うんです。家族、と言っても、僕は姉しか残っていませんが、そんな身近な人間でも、心の奥底では間違いなく大きな壁があって、この心理的な物に対しての理解はありません。でも、うまくすると、一人でのくらしが出来るように体が動くようになってきますと、なんかやってないと、貧乏症なんで、やってしまうんですよね。それでもいいんじゃないかと、自分で思い、自分にキメてるんです。隠れてわからないようにしてでも、やめられないこと、コレが玩具だったりするんですが、たったひとつのトミカであっても、握って倒れてれば、9割の人は流石に理解るもんです、の様です。
お互い、背中やら、腹やらに、刃物を突き立てられながらも、まえに進んでいますよ。未だ、死んじゃアイない。
てことは、意味がある、この生に。。
袖振り合うも他生の縁、いい場所で、すれちがえましたね。  良い場所を作ってくれました。ありがたいこってす。
そろそろ、ビアンキ、大詰かなと。
応援してましょう。
Posted by 須田浩之スダヒロシ at 2015年05月15日 06:54
dnagさ~ん(^〇^)/

おいらはアンポンタンなので、これといったカキコは出来ナインだすが、ココロにP226SAOの住まいを構える永遠の中学5年生ではあるのだす♪(唐突な自分語り)

実はおいらもdnagさんとはお逢いしたことがあると想うのだす♪薩摩訓練は総当たりだったので、お顔は分からナインだすが、稽古の愛手をしていただいたハズだと想うのだす、たぶん、きっと♪

また何処かでお逢いした時はよろしくオニガイします~♪
m(_ _)m フカブカ

by イチローさんのスゲー技をくらって大の字にノビたのがおいらだす・・というアピールが出来るホド運動がニガテなオトコ
Posted by マルパソ88 at 2015年05月17日 22:39
マルパソ88さんコメントありがとうございます。
マルパソさんの軽妙洒脱な文章は読ませていただいていていつも心が癒されます。

懐かしの薩摩訓練、本ブログ2011年10月24日「1対1の闘い」の写真で、へっぴりごしでこちらに背を向けている黒シャツ茶ズボンが私です。あの節はお相手(お愛手!)有難う御座いました。

市郎さんが指導者(あるいは授業者)として一流なのをまざまざと見せつけられた半日でした。

またお会いできる事がありましたらその時はまたお愛手よろしくお願いします!

今は、病院から市郎さんトモさんの活躍をお祈りしているところです。

マルパソ88さん有難う御座いました。
Posted by dnag at 2015年05月18日 08:02
∑(◎∀◎ ) エエエ~ッ♪

「1対1の闘い」の写真で、姿勢低く構えてこちらに背を向けている黒シャツ茶ズボンのかたがdnagさんだすってェェ~!!

覚えているだすよ~っ♪
だって、だって、だって!!
その稽古を熱く見つめる左から2番目のオトコがおいらなんだすもの~♪
( ≧▽≦)人(≧▽≦ ) ナカマー♪♪

イチローさんの指導は、用を足しに抜けるのが勿体ないホド良かっただすよね~♪
( ・∀・)(・∀・ ) ネー

by ケイミョウシャダツを知らなくて 検索してみたら耳まで赤くなっちゃったオトコ
Posted by マルパソ88 at 2015年05月18日 12:49
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