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2017年01月12日

「一粒の砂」 その壱

市 (2017年01月12日 13:59) │Comments(7)一粒の砂
「ビアンキカップへの道」を書いていたケンが新しい長編小説をMJマガジンに連載することになりました。
そこで、より多くの人に読んでほしいと想い ここに転載させてもらうことになりました♪
お楽しみくださいな(^-^)/


 『一粒の砂 Ichiro 永田 伝』

   その壱:大蒜

 “ お~い、トモ。そろそろ昼食にするかぁ”
 パワーカスタムを相棒とし、ムーヴァー撃ちに三昧となっていたイチローだったが、朝練用にと準備した実包を撃ち終えたこともあってか、一緒にムーヴァー練習にはまっていたトモにそう言うと、
 “ ケンとテツヤにも声を掛けてきてくれ! ”
 と、続けた。
 “ わかりました~! ”
 返答したトモはムーヴァーレンジ横にあるプラクティコウレンジへと走った。すぐ隣のレンジと言っても200m ほど離れており、叫んだくらいでは声は届かない。しかも、ケンもテツヤも練習中となればイヤマフを着けているだろうし、何よりも、自分たちの射撃に夢中となっている二人に余所の声が届くはずもない。

 “ ケンさ~ん! テツヤさ~ん! そろそろ昼食にしませんか~!! ”
 15 ヤード先の2 枚の的に向かいウィークハンドでの6 連射を繰り返すケンとテツヤに走り寄ったトモは、二人の背中に叫んだ。イヤマフを着けていようと、これなら確実に聞こえる‥‥という大きな声だった。
 “ あれ? もう、そんな時間? ”
 イヤマフを外したテツヤは振り向きながら答えた。
 “ ええ。こっちは実包も切れましたし、イチローさんも、そろそろ昼食にしないかって‥‥”
 事務的に答えたトモは、そこで少しばかり目つきを変えて、
 “15 ヤードからのウィークですか。やりますね‥‥”
 と、ケンとテツヤの練習ぶりに感心の様子を見せた。

 イチローとトモが、そしてケンとテツヤの四人が、来る日も来る日も取りつかれたようにガンを撃ち続けるのは、一ヶ月後、ミズーリ州はコロンビアで開催される射撃大会『ビアンキカップ』出場のためだった。年に一度、5 月の末に開催される『ビアンキカップ』は、全米はもとより、世界各国から射撃を愛するシューターたちが集まる場でもあった。
 その『ビアンキカップ』だが、試合は四種の競技から成っている。一つはイチローとトモが撃っていたムーヴァー(ムーヴィングターゲット)であり、もう一つはケンとテツヤが取り組んでいるプラクティコウであり、それ以外にもバリケイド、プレイト(フォウリングプレイト)がある。
 プラクティコウという競技では、近くは10 ヤードから、遠くは50 ヤードからの射撃を求められるが、ルール上、10ヤードにおいてウィークハンド(左手)のみでの射撃も含まれており、多くのシューターたちを悩ませてきた。どう攻略するか、どう自身の射撃力を鍛えるかが問われる。
 10 ヤードでのウィークハンド射撃は難敵。
 それを熟知するトモは15 ヤードからのウィークハンド練習を繰り返すケンとテツヤの狙いを汲み取ると、≪次は自分もっ!≫ と、心のうちに自身に言い聞かせていた。

 “ やっぱり、15 ヤードから撃っておかないとね”
 ケンが答えた。
 過去の試合でウィークハンド射撃の奥深さと難易度を痛感しているケンは、15 ヤード練習は必須だと断言する。そこはテツヤも同意見だったことからプラクティコウの練習時間のほとんどを、15 ヤードからのウィークハンド特訓に費やしていた。
 “ ちょうど腹も減ったし、食べたら午後は50 ヤードかな”
 15 ヤードラインに立ったケンは後方の50 ヤードラインを見ながら言った。
 “ そうだよなぁ。50 ヤードも撃っておかないとなぁ”
 テツヤも、遠くの50 ヤードラインに目を向けると同じことを言った。

 “ じゃあ、車を回しますから‥‥”
 四人が乗りこみ、トモがドライブする車は、トモの彼女のアキが昼食の用意をしながら待つ家へと向かった。

 順番が逆になった感もあるが、射撃練習に打ち込む彼ら四人と、その射撃を自由に行えるこの地について少し触れておきたい。

 日本人シューターたちの師となるイチローは、1970 年代に日本の銃器専門誌である『月刊 GUN』にリポーターとしてデビューした。卓越した写真と親しみ溢れる文章によって多くの読者を魅了し絶大なる人気を博すと、わずか数年の内に月刊 GUN の発行部数を十倍に引き上げ一大ガンブームを巻き起こす。イチロー自身は「自分は読者代表としてガンの魅力と楽しさを伝えるだけ」と公言してきたが、その想いが読者と交響したのか、「イチローの記事は面白い!」といった葉書が月刊 GUN 編集部に毎日、毎週、毎月届くと、それに応えるよう第一特集を任され、時には、2 本、3 本と複数の記事を担当することも増えた。
 読者の生の声に、喜ぶ様にやり甲斐を感じたイチローは、日本のガンマニアたちに人気のガンを意識して選び、紹介を続けた。
 が、あるところで、不安を覚える。
 ≪すでに、人気のガンのほとんどを紹介してきた。名のあるガンは紙面に載せてきた。今後、どういった記事を書けばいいのか? 続けられるのか‥‥≫
 イチローが抱いた不安は、モノを紹介するリポーターとして至極まっとうなものであった。ガンの種類は多い。一つずつ、一梃ずつ紹介して行けば、その全部を見せるのに何年も何十年も掛かるだろう。しかし、それでいいのか? ガンなら何でもいいのか? ただ紹介すればいいのか?
 改めて「ガンリポーター」の意味を、そのあるべき姿を想ったイチローは一つの答えにたどり着く。
 ≪自分の言葉でガンを語れるリポーターになろう。誰かからの受け売りではなく、巷にあふれる書物の書き写しでもなく、自身で良し・悪しを語れるリポーターになろう!≫

 ガンの良し・悪しを語れる。自分の意見を真っ直ぐ言える。
 その裏打ちとして、イチローは自身の射撃の腕前を上げることを目指した。誰もが認める射撃力を身に着けることで、そこを基準としガンを評価できるはず‥‥という判断だった。一つの道具を見事に使いこなせる技を身に着けたとき、その道具に対してブレない自分を確立できると信じた。
 「世界一ケンカが強い男は嘘をつかない」
 そう語ったのは空手家の、故・大山倍達だが、イチローの判断はそこに通じるものがある。
 決心からすでに十余年。イチローは拳銃射撃の世界にどっぷり嵌ると、今も、射撃大会の一つである『ビアンキカップ』にのめり込んでいた。


 そんなイチローを師と仰ぐ一人がケンだった。
 幼少のころからガン好きだったケンはイチローの月刊GUN での記事に感化されると、19 歳の時に初めてアメリカの地を踏んだ。縁あってイチローとの付き合いが始まるや、その伝手もあり、大学を卒業すると同時に月刊 コンバットマガジンにおいてモデルガン リポーターとしての仕事をスタートさせていた。
 ≪いつか、ビアンキカップの大舞台でガンを撃ちたい!≫
 29 歳の時、ケンのその夢は叶った。イチローの助けによって実現した。
 それ以降、毎年、春になるとイチローの元を訪ね、イチローを師とし、他の日本人シューターたちと射撃練習に明け暮れる日々を送ってきた。

 ケンと同じく、毎春に渡米してはビアンキカップを目指す男がテツヤだ。
 高校卒業後に勉学と就職のため、実家のある三重県は津市から東京へと移り住んだテツヤは、モデルガンメイカーのMGC が主催するガンショウ会場でケンに出会うと、それを切っ掛けに親交を深め、共にモデルガンを、エアガンを、そして実銃を撃つ仲間として行動するようになっていた。自然とイチローを師とし、ケン以上に射撃に没頭している。

 もう一人、イチローやケンと同じく、月刊 コンバットマガジンでリポーターとして活躍する男がトモだった。トモがリポーター稼業に就いた裏にはケンとの出会いがあったが、そこには、知られざるイチローの想いと助言が絡む。
 何はともあれ、イチローはもちろんのこと、彼ら四人の人となりについては後々、ゆっくり語る機会もあると思うが、ここでは、イチローを求心力とし、ガンと射撃の魅力に強く惹かれた男たちが一心に、飽くなき練習に身を投じる‥‥といった状況にある。
 
 さて。
 毎日、四人が自由に、好きなだけ射撃練習に励める環境だが、その地は、アメリカはキャリフォルニア州のマリポサという街に位置する。「街」と書いたが、シューティングレンジは人里離れた山中にあり、それは、世界に名を轟かす名シューター、ミッキー ファアラの私有地内に設けられていた。
 1970 年代後半。アメリカでのアクションシューティング界が変貌を遂げ始めたその時期、ミッキー ファアラは現れた。スピード射撃において世界一の座に輝き、数々の記録を打ち立てたミッキーは、彼が運営する射撃スクールに生徒としてやってきたイチローと出会う。
 いつしか、「射撃の先生と生徒」の関係を超えた付き合いがミッキーとイチローとの間に芽生えると、二人は「親友」となり、人生を歩み始める。
 後に、ミッキーはマリポサに800 エイカー(約320 万平米=約100 万坪)という広大な土地を購入し、移り住むと、それを機に私有地の一角に射撃場を造った。ビアンキカップ練習のための射撃場を完成させた。さらになお、その環境をイチローが自由に使うことを認め、許した。
 結果、イチローを師と仰ぐ日本人シューターたちは、イチローの指導の下、我が物顔でプライベートの射場を使えるという幸運を得る。

 大自然の中の専用射撃場。
 そこからは日本でも有名なヨセミテ国立公園の山々を遠くに望め、特に、水と空気が綺麗な土地であった。
 加えて、キャリフォルニアは空気が乾燥しているため、夜になると星空が眩しいほどに広がった。星と星とが限りなく近づき、まるで、黒い画用紙の上に大さじ一杯の砂糖をぶちまけたように「白い点々」が重なる。
 余談になるが、ケンが生まれ育った埼玉県の田舎は国立・天文台も設けられるほどに星の観察に適した地ではあったが、そんな田舎で見あげた夜空の、十倍もの星座と宇宙の大きさを眺められる贅沢ぶりに、ケンは毎夜、感動した。
 特に、クッキリと帯状に伸びる天の川の美しさは例えようもなかった。


 トモがドライブし、四人を乗せた車が向かった先には小さな平屋があった。
 小さな‥‥と言っても日本ふうに表現すれば「2LDK」となるだろうか。見た目は山小屋だがシャワーもトイレも完備された快適なる空間であり、日本からやってきたシューターたちの「我が家」だ。

 “ ただいま~! ”
 “ ただいま~! ”
 一人一人がそう口にしながら家の中へ入ると、アキは昼食作りの最中であった。
 トモの彼女のアキは射撃には興味がないが、自然の中での暮らし、生活への憧れもあり、ビアンキカップ挑戦のために渡米したトモと一緒にマリポサへとやって来ていた。そして、何かお手伝いがしたいと、自ら調理役を買って出たことでシューターたちは練習時間を増やせると同時に食生活の充実も図れ、アキには深く感謝していた。

 “ もう少しでできますよ~! ”
 明るくアキが言った。その手にはフライパンが握られ、5~ 6 本のソーセイジが踊っている。そのソーセイジだが、日本のお弁当箱に入れられる小ぶりの可愛いサイズではなく、コンビニのレジ横で見かける、アメリカンドッグやフライドチキンと並べられる大ぶりのものだった。近年、日本のスーパーマーケットでも取り扱いの増えたジョンソンヴィル社のソーセイジだった。
 ジョンソンヴィルのソーセイジにはチーズの入ったものや燻製されたものなど、何種類もの風味が揃っているが、日本人カップシューターたち(ビアンキカップを撃つシューターたちを、短くそう呼ぶ)にとっての定番となっているのがガーリック風味だった。イチロー、ケン、そしてテツヤもトモもガーリック好きで、色々な種類のソーセイジを一緒に求めるも、ガーリック風味だけはいつも多めに購入していた。
 なるほど。台所に限らず、家の中はどこもかしこもガーリックの香りで満ちている。
 香りに釣られフライパンの中のソーセイジをよく観ると、ツルっとした姿ではなく、「これがソーセイジか?」と疑いたくなる形をしていた。あちこちから「芽」が出ていると言えばよいのか、それとも「棘」と表現すれば近いのか、何かがポツポツと飛び出しているのだ。

 “ おお。きょうも特製ガーリック ソーセイジか。これでないと食った気がしないからな”
 フライパンの中を覗き込んだイチローが言った。
 「特製」というのは、太くて長いソーセイジに先のとがった包丁を何度も何度も突き刺して切れ込みを入れ、そこに、スライスしたガーリックを挿し込んだものだった。1 本のソーセイジにガーリックを何個も詰め込む。通常、香り付けや薬味として利用されることの多いガーリックが、ここでは「具材」となっていた。いや、ソーセイジの大きさに対して使われるガーリックの量を見ると、もはや、「ガーリック風味のソーセイジ」なのか「ソーセイジ風味のガーリック」なのか、意見は分かれるに違いなかった。
 見た目にも香りにも、容赦も可愛げもない。手加減がない。
そんなソーセイジに手際よく、アキは醤油やみりんや砂糖で甘辛く味付けをする。

 “ おお、いい感じだな。でも、まだガーリックが足りないんじゃないか? ”
 まな板の上に残っているガーリックを見つけたイチローは、さらなるガーリックの追加を訴える。“ 遠慮するな、ガンガン入れろ” と、促す。
 “ は~い! ”
 軽く、そして明るく答えたアキは、フライパンの中に、さらに大さじ3 倍分の刻みガーリックを加えた。
 ジュワワ~。
 両目をシバシバさせながらも、アキは菜箸でフライパンの中身を馴染ませる。
 “ よしよし。これでこそ本物のガーリックソーセイジだな”
 イチローも満足げだ。
 と、そんなフライパンの中を眺めていたからか、気が付いたようにイチローが言葉を付け足した。
 “ そういえば、アレも、そろそろ呑みごろか‥‥”
 イチローが「アレ」と呼んだのは、焼酎にガーリックをたっぷりと漬け込んだ「ガーリック酒」のことだった。元気がないと練習も満足にできないからと、練習開始の時期と合わせ仕込んだものだった。
 “ 後で、試してみるか‥‥”
 そう言ったイチローの目の前には、皿に盛られた特製ソーセイジがあった。


 “ いっただきま~す! ”
 そう叫ぶが早いか、四人が四人とも、一斉に椀に盛られた玄米を口に運んだ。もちろん、特製ソーセイジも次々と消えていく。
 “ うまいな~ ”
 “ うまいな~ ”
 “ アキちゃん、料理がうまいよね”
 トモ、ケン、テツヤは、モグモグと口を動かしながらアキの料理を褒めた。
 “ 特に、このソーセイジがいいな”
 イチローも、そう続ける。
 “ そんなことないですよ~ ” と、アキは笑顔で応える。

 “ あれですかね、やっぱり、ガーリックが効いているのがいいんですかね”
 ケンだった。そう言いながら2 本目の特製ソーセイジを口に押し込む。
 “ だろうなぁ。みんなしてパワーが必要だからなぁ”
 イチローが話を進める。
 “ いや~、ソーセイジもイイですけど、この生のカリフラワーもイイですよね。アメリカへ来て、初めて生でカリフラワーを食べたけど、美味いですねぇ‥‥”
 今度はテツヤが言った。
 日本では、カリフラワーは茹でてサラダなどに使われることが多いが、カップシューターたちは5mm ほどの厚さにスライスしたものを生で食べた。塩コショウを振った後にレモンを絞ることもあれば、多めにキューピーマヨネーズを掛けることもあった。
 “ これか。これは美味いな。ワシがFBI のスワットトレイニングに参加したとき、昼時、カリフラワーを齧る隊員がいてな、真似たら美味かったから、それからはこのスタイルだな‥‥”
 イチローだった。
 「FBI のスワットトレイニングに参加‥‥」という件からして、すでに世界観が普通ではないが、特製ソーセイジや生のカリフラワーにむしゃぶりついているケンやテツヤやトモにとっては日常の話らしい。そこには誰も、少しも驚いたふうがない。

 “ そうですね~。本当に、コレうまいな~ ”
 カリフラワーを口に運んだケンが言うと、誰もがウンウンと頷く。
 ただ、異口同音に、美味い、美味しいと彼らは叫ぶが、その食べっぷりを見ていると、本当に味が分かっているのか? 味わっているのか? との疑問が浮かぶ。
 丼ぶりに山と盛られた玄米が、大皿に溢れたソーセイジが、そしてカリフラワーが無造作に消えていく様は、「食を楽しむ」という姿からは遠い。それはまるで、午後からの本格的な練習を前に、身体に力を貯め込むための仕業とさえ思えた。口の中に、肚の中にパワーを押し込む作業と映った。
 
 “ 今から思うと、昔は昼も弱かったですよね。カップラーメンだったし‥‥”
 少し寂しそうな声でテツヤがつぶやいた。
 “ あのころは食事の大切さが分かっていなかったな。それに時間が惜しかったからな”
 イチローが返す。
 食事時間よりも練習時間優先だった時代を思い浮かべる。
 “ ああ、でも、イチローさんが作ってくれたネギサラダは最高でしたよ”
 そう口を挟んだケンは、目の前のカリフラワーの中に「ネギサラダ」を思い浮かべたのか、幸せそうな眼を向けた。
 ケンが「最高だった」と懐かしむネギサラダというのは、通常の、よく見かける親指ほどの太さのネギではなく、九条ネギのような、エンピツほどの太さのネギをぶつ切りにしたものに、タップリのキューピーマヨネーズを掛けたシンプルなものだった。ピリっとしたネギの辛みと、マッタリとしたマヨネーズの甘みが絡み合い、得も言われぬ風味に仕上がっていた。
 “ ああ、あれも美味かったな”
 今度もイチローが応えた。


 思いもよらぬ食事談義が進む中、誰も彼もが二杯目の玄米飯を盛っていた。
 そこでイチローは、トモが日本から持ってきた梅干しに箸を伸ばす。
 その梅干しは梅の名産地として知られる和歌山県で造られた名のある品で、通常、デパートあたりで贈答品として買い求められる逸品だった。イチローが大の梅干し好きと聞きつけ、トモが用意したのだ。
 “ いやぁ。この梅干し、確かに美味いが、ワシらみたいなナラズ者には似合わんな”
 梅干しを口に運んだイチローはそう言った後、「上品すぎる」と付け加えながらも満足した顔を見せた。
 “「ナラズ者」って、なんだかカッコいいですね”
 テツヤが笑いながら言うと、
 “ まあ、ワシらみたいに、玄米喰って、山の中でテッポー撃ってる者は、世間から見ればナラズ者よ。う~ん。ナラズ者はいいな。死ぬまでワシら、ナラズ者でいような! ”
 と、ここでもイチローが応える。

 “ 確かに、シアワセ者ですよねぇ。何がどうなって、こんなにシアワセになったのか‥‥”
 ケンには似合わぬ、少しだけ真剣な口調だ。
 昔はモデルガンで遊んでいて、バカだ、クズだ、落ちこぼれだと蔑すまれていたというのに、気が付けば、大好きなガンと射撃に夢中になれる毎日があり、しかも、それが仕事の一部になっている。
 それはどういった経緯からなのか。
 考えて分かるコトではないが不思議な流れだけに気にもなる。それはテツヤもトモも同じだった。運が良かったのか? たまたま、そういう星の下に生まれたのか?
 “ そうだよなぁ。ワシも昔はアメ横へ通ってモデルガンを買っていたのになぁ。いつの間にか本物のテッポーだからなぁ‥‥”
 イチローさえも同じ意味のことを言い出すと、さらに、
 “ それにしても、昔のアメ横はすごかったな。雨が降るとぬかるんでなぁ。田舎の養鶏場みたいな臭いもしたっけなぁ。本物のテッポーが欲しければ、ガード下の怪しげな暗がりに行けば、いつでも手に入るって感じだったなぁ。ケン、そうだったよなぁ”
 と、自然に、ケンに同意を求めた。
 “ いや~。アメ横に通い出したころには、街も道もきれいでしたよ。立派なビルもいっぱい建っていましたし‥‥”
 ケンが答えると、驚いたふうの口調となったイチローは、
 “ えっ! そうなのか? ケンがアメ横へ行ってたころは、道はぬかっていなかったのか? ワシとケンは、幾つ違うんだ? ”
 “ 十七歳、違いです”
 ケンが即答すると、イチローはさらに驚いた口調となって、
 “ えーっ! じゅうななーっ!! そんなに違うのかー!! ”
 と、返したかと思うと、直ぐに落ち着いた口ぶりを取り戻して続ける。
 “ いつも、何でも知ったふうな、エラソーなことを記事に書いてるから、ワシとは同じ部活の、先輩・後輩くらいだと思ってたよ。 ふ~。あぶない、あぶない”
 そこでみんなして笑い転げる。


 肚もくちくなると直ぐには射撃練習も始められない。少しの休憩も兼ね、ケンとテツヤはディロン社製のローディングマシンで練習用の実包を造り始めた。そのマシンは1時間に1000 発の練習弾を造れる性能を持ち、カップシューターたちは1日おきに1000 発から1500 発の実包を造ることが習わしとなっていた。
 “ あのさ~。こうやって練習弾を造るってだけでも、楽しいよね~ ”
 マシンを操作しながらテツヤはケンに話し掛けた。
 “ うん。これ、おもしろいよな”
 テツヤの作業と並行し、ケンは空薬莢の選別を行いながら答える。
 空薬莢の選別というのは、ビアンキカップの練習中、空薬莢を繰り返し利用し実包を造っていくと、ヒビ、その他の変形があらわれるため、それの発見・確認を行い、不備が見つかったモノを排除する‥‥という作業だった。

 “ でもさ。さっきも話が出たけど。気が付いたら、俺、スゲーことやってるなって、ときどき思うんだよ。なんで俺がケンさんやイチローさんと一緒に射撃練習できて、しかも試合にも出られるんだろう‥‥って、思うんだよ。ヘンだよね”
 何がどうヘンなのかの説明は抜きに、テツヤは、さらに自身の想いを語り始めた。
 テツヤはその辺、気が回る性質ではなかった。

 “ 前にも話したけどさ。以前、イチローさんと一緒にピッツバーグのポリスレンジで射撃した時さ、途中で昼食ってなって、リラックス気分で食べ始めてね‥‥。ほら、あそこって広くて景色もいいし、ピクニック気分だったわけよ。ああ、俺、ガンマニアとして、最高の時を味わっているなぁって。そこで気を良くしてさ、手元のガンを構えて、空撃ちしたんだよ。そしたら、バーン!って弾丸が発射されて‥‥。昼食で、みんなイヤマフ外してたんだよね。ああ、いやさ。イヤマフを外してたとか、そういうレベルじゃないよ。セイフティエリアで、いきなりバーン! だよ。もう、その場で撃ち殺されても文句の言えない失敗したんだよね。俺‥‥”
 いつもは陽気なテツヤだったが、過去の失敗を思い浮かべたせいかどうも元気がない。
 “ でさ。その失敗だけでも充分に出入り禁止だと思うけどさ、ケンさんも知ってのとおり、俺って、何度も何度も失敗してるだろ。それでも、今、ここで射撃ができてるのって、自分でも何だか分からないんだよね”
 テツヤは、何かをケンに相談したいという気持ちからではなく、ただただ、整理しきれないながらも自分の過去と現在とを思い浮かべ、自分なりに自身の生きざまを理解しようと努めているのだった。
 “ う~ん。まあ、テツヤも失敗は多いからなぁ。でもな、それを言い出すと、コッチは、テツヤ以上に震えるような失敗をしでかしてるからなぁ‥‥”
 真顔となったケンは自身の過去を想い浮かべると、そう返答した。
 “ 二十歳になったばかりのころだよ。イチローさんの大事な三脚を足蹴にしたんだよ。あれを想い出すと、本気で死にたくなるな‥‥”
 元気のないテツヤに逆に心配されるほど、ケンの声は小さくなった。よく見ると今にも泣き出しそうだ。
 “ おおっ! あの話だね。あの、「ビアンキカップへの道」でも書かれていた話だね”
 と、失礼なほど嬉しそうに反応したテツヤは、少し元気を取り戻す。
 “ あのさ。ケンさんは大変だと思うけどさ。俺、カップを撃ってて、スゲー嬉しいんだよ。だって、試合が終わった後、ケンさんの「ビアンキカップへの道」を読めるだろ。あの記事の面白さはさ、ただの読者じゃダメだよね。一緒にカップを撃ってるから分かる部分ってあるからさ。今年も楽しみなんだよ‥‥”
 と、ますます元気になったテツヤは実包造りにも熱が入る。
 その辺の単純さもまた、テツヤの性質だった。

 重いのか、それとも他愛がないのか。どちらとも取れる会話を続けながらもケンとテツヤの二人は快調にマシンを動かし続け、1 時間半ほどで2000 発の実包を造り上げた。
 “ どうする。直ぐに練習に行こうか。午後は50 ヤードも撃ちたいし”
 大量の実包をアンモバックに詰めながらケンが言った。
 “ そうだね。でも、もうすぐトモちゃんも戻ってくるだろうから、それまでもう少し練習弾を造っておこうぜ”
 と、テツヤが提案する。
 ケンとテツヤの二人が練習弾を造っている間、先に午後練習に出かけているトモは、そろそろ休憩と自身の練習弾造りのために戻ってくるはずで、それと入れ替えに出かけようという話でまとまった。
 そこで実包造りを再開すると、ほどなくトモは戻ってきた。家に入るなり、
 “ いや~、ダメですね。いくら撃っても「一発病」から抜けられません‥‥”
 そう切り出した。
 トモの言う「一発病」とは、気持ちよく、良いグルーピングで射撃ができているにもかかわらず、なぜか、一発だけ、突発的に外すという症状だった。もちろん、突き詰めていけば、外すのは未熟だからであり射撃力の低さが原因ではあるが、どこでどう外すのかが見えていないため練習のしようが、対策の練りようがないことが問題であった。
 “ おいおい、トモちゃん。一発だけならいいよ。こっちは外しっぱなしだから‥‥”
 苦笑まじりにケンが答えるとテツヤも笑った。
 そこにイチローも戻ってくる。

 ケンとテツヤが射場に向かおうとすると、さすがにこの時間帯では暑すぎるから、もう少し後で一緒に出掛けてはどうかとイチローが誘った。確かに、午後2 時前後の日差しは
容赦がない。
 そこへ、タイミングを見計らったようにアキはウーロン茶を入れると、それぞれに手渡した。
 そのウーロン茶を口に運びながら、唐突にテツヤは話し始めた。
 “ イチローさん。さっき、実包を造りながらケンさんとも話してたんですけど、やっぱり、俺、スゲー運がいいっていうか、何でみんなと一緒にカップに出られるのかって、思うんですよ”
 テツヤの中では順序も筋道も通っているようだが、脈略はデタラメだった。
 そこで、そこからのテツヤの話を要約すると、イチローさんもケンさんも、そしてトモちゃんも雑誌でライターとして活躍しており、そこに一人、部外者の自分が加わっていられるのは望外の幸せ、幸運だと力を込めるのであった。
 すると、それを聞いたトモが、
 “ テツヤさんがそう言うなら、自分こそ、たまたま‥‥”
 と、こちらもまた自身の過去を話し始める。
 フムフム‥‥と、イチローもケンも、トモが語るがままに聞いていたが、そっちの話も要領が悪い。何をどう伝えたいのかが見えてこない。そこでトモの話も簡単にまとめると、昨日・今日、仲間に加えてもらった新参者の自分に、こんなに良くしてもらってどう応えればよいのかが分からない‥‥と、しんみりとした。

 “ まあ、細かいことはどうでもいい。アメリカで好きなテッポーを撃ててるってことは、それだけでハッピーだからな”
 イチローはそう纏めると、少しだけ説明口調で、
 “ 何がどうなって、今の自分の人生があるのかなんて分からんしな。ワシも、まさか、アメリカで好きなテッポーを撃って、それで生活するようになるなんて思ってもいなかったからな。テツヤ、想像できるか? テッポーの写真を撮って、そのテッポーがイイとか悪いとか好きに書いて、それで暮らせてるんだぞ。そんな人生ってあるか? ”
 と、投げかけた。
 イチローの口から「そんな人生ってあるか?」と問われると、テツヤはもちろん、トモにもケンにも答えようがなかった。確かにとんでもない人生とも思えるし、イチローの能力からすれば当然とも考えられる。
 “ 何がどうなって、ワシはこんな人生を歩んだのか、説明なんてできんだろ”
 なるほど、誰にも説明はできない。たまたまかもしれないし、イチローのたゆまぬ努力の結果かもしれない。が、説明はできない。

 “ そうですねぇ‥‥”
 そうテツヤは独り言ちした。
 何かを納得したふうのテツヤだったが、そういえば‥‥と、改めて話を続ける。
 “ イチローさんは、どういった理由でアメリカへ渡ることになったんですか? 決めたんですか? ”
 これまで、イチローに纏わる話は数多く、直接本人から、もしくはイチローを知る人々の口から聞いてきたが、「なぜアメリカへ?」は、テツヤも知らなかった。

 “ あれ? 話していなかったか? ”
 そう答えたイチローは視線を窓の外へと向けると、一瞬、自身の過去を振り返る様子を見せた。
 が、ほどなく、ゆったりとした口調の中にも確固たる意志を感じさせながら、言葉を選び、それでいて、いつもの柔軟さを保ったまま、三人に向かい、話し始めた。
 “ 昔、日本に居たころ、写真を撮っていてな。仕事で写真を撮っていてな‥‥。でも、自分の人生を自分でハンドルできないってことに耐えられなくて‥‥。もう、生きていてもしょうがないなって気がして、死ぬことにしたんだよ。でな、どこで死のうかって、東名高速を駆りながら考えてな‥‥。それなら富士の樹海がよさそうだって‥‥”

 ケン、テツヤ、トモの三人はイチローの言葉を聞き逃すまいと自然と前のめりになる。
 そんな彼らの想いとは関係なく、イチローの話は淡々と、いや「粛々」と続くのであった。
  


Posted by 市 at 13:59Comments(7)一粒の砂

2017年01月12日

負けるも、また愉しからずや♪

市 (2017年01月12日 12:25) │Comments(5)語りのプラザ

雨にも・・負けて

風邪にもすっかり負けて

夏の暑さにも負けて

冬の寒さには完全にやられ

訴訟だろうがなんだろうが
ほっておいて
ただひたすらに家にこもる・・・

そんなワッシになっちゃった(^◇^;)

はい、夜になりました・・・
ずっと家にいましたよ〜ん(^○^)

一日中、ずっとアホなアクション映画を観てすごしましたよ♪
だって読書しても脳に入らないので(^_^;

するとノドの痛みは消えました・・・
けどアタマは重く、腰がギシギシ(◎-◎;)

ナナ奥も同じ症状で、もっとひどいです(>_<)

なんと長いフルーでせう・・・

ヘンリー君はダイジョブかな・・・?



  


Posted by 市 at 12:25Comments(5)語りのプラザ