2016年12月21日
シカゴから来たスナイパー
市 (2016年12月21日 15:42)
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│語りのプラザ
そのムカシのこと・・・
Fort Ord という米陸軍の基地でFBIのスワット訓練がたびたびありました。
で、この発音ですが「フォート オード」ではまったく通じなくてね〜(>_<)
「フォードァ」としか聞こえなくて、そう発音すると通じてね〜(^0^;)・・・
それはともかく、新しいFBIスナイパーがやってきたのは、そこでした。
“ハァイ♪ 私の名はデイヴ ウエバーです。逢えて嬉しいですよ(^^)”
と、いきなり親しげな握手でした。
背が高くて、ちょっと面長で、すごくハンサムで、それに知的な風貌でね・・・なんで俳優にならんのかと聴きたいほどでした(^-^)
その優しい男が、サンフランシスコFBIトレイニングユニットに派遣されてきたスナイパー教官だったのです。
シカゴからやってきたプロのスナイパー・・・その柔和さ、その冷徹さ、その底知れぬ強靱さにワシは驚いてしまいました。
男惚れとは、このことかと(^。^)
やがて、デイヴは我が家に遊びに来るくらいに親しくなりました。
そんなある日、
“デイヴ、ワシもボルトガンのひとつもゲットしたいのだけどアドヴァイスしてよ・・・”
と、頼んだのです。
すると彼は、
“そうだな〜・・・マクミランもいいけどHSプレスィジョンに興味あるな〜・・・ストックはナニナニでバレルはナニナニで、ほんでもってナニナニはナニナニで・・・”
と、知らん言葉をいっぱいならべて(^◇^;)
“ま、なんでもまかせるから注文してよ”
と、頼みました。FBIスナイパーからの注文ならメイカーもリキを入れて作るだろうと予測したわけです。
“イーチ、こいつは素晴らしいスナイパーライフルになるぞ!! 最新型のな(^^)・・・”
この時のデイヴは、自分のことのように興奮していました。そのライフルがどんなに良いものであるかについてワインを飲みながら熱く長く語りました。
その表情を観ていたワシは、あることを内心で決めたのです。
そして、デイヴの指定したところに小切手を送り、待つこと2カ月ばかりだったでしょうか、、新型の真っ黒なスナイパーライフルをデイヴがニコニコ顔で訓練所に持ってきました。たしかに、そいつはすごいオーラを放っていましたよ。
デイヴは、そのライフルについて ひとしきり説明をしました。そして、それをワシに渡してくれました。
そこでワシは言ったのです。内心で決めていたことをね(^-^)
“あのね、デイヴ・・・ワシはこの銃よりデイブの持っているヤツが欲しいんだけど、こいつと交換しちゃくれないだろうか・・・”
“なんだって?・・・・・・”
“このライフルはデイヴの理想の作品だよね?・・・つまりプロ仕様の最高なヤツ・・・デイヴのようなプロが使うべきだと想うんだよ・・・それにワシはデイブのウッドストックにあるDWの文字に惚れているんだし・・・”
“とんでもない、それはないよ、まず値段差が大きすぎるし・・・”
デイヴは強く辞退しました、が、
“考えてもみてよ、デイヴがワシの立場だったら同じ事を考えやしないか?・・・マスター(師匠)には最高の銃を持ってもらい、自分はマスターのをいただきたいものだと・・・そう想うのがフツーだと・・・”
と、決してユズル気配のないワシに彼は押されてしまいました(^o^)
デイヴ ウエバーは、嬉しさと照れくささとの板挟みになった表情で、心をこめてお礼を言ってくれました。
ワシもまた、憧れていたデイヴのライフルを手に入れることができ、上機嫌で持ち帰りましたよ(^。^)winwin
そして年月は容赦なく経ちました・・・。
ある時、コクサイ産業から電話があって、デイヴの銃をエアガンで作るからストックを貸してくれと・・・
だめだよ!!
と、ことわったのですが、絶対に返すからと、しつこく言うので、まあしかたない、とストックだけ外して貸し出しました。
そしてやがて・・・
そろそろストックを返してよ、
と言うと、
じつは無くなったんだ、たぶん○○○ファイヤー○○○のあいつが盗んだのだと想う。
かなりショックでした(;。;)
ものすごくガッカリしました(-_^:)
で・・・やがて、残されたデイヴのレミントン700のアクションを使って別なスナイパーライフルを作ってもらいました。
そして、残ったのが、このスコープだというわけです。
ウィーヴァー社製、倍率は10倍。
今は30mm以上の時代です。
鏡胴1インチのスコープよりも30ミリが良いとされています。
使わなくなって久しいデイヴのスコープ・・・よく見えるところに置いていました。
でも、アートスコープもシカルベキ理解者のもとに行き、多くの銃を手放している今、この思い出の強いデイヴのスコープも手放すことにしたのです。
スコープはなくても、鮮烈な想い出は消えませんからね。
小さなロマンを秘めたスコープですが、ウチの子ども達にはキョトンな世界で(^_^;
それよりか、当時リアルタイムで記事を読んでくださった読者のほうが価値を感じてもらえると想うのです。
いつの日にか、子供たちは、こうして出来たオカネで自分たちが育てられたのだと、誰からか聴くことがあるでしょうね・・・。
と、そんなワケで、デイヴ ウエバーのスコープをヤフオクに出しました。
続いて、ホルスタも3点ばかり出ますよ♪
↓ヤフオクへのご案内です。
http://page23.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/o167704999
市(^-^)/
2016年12月20日
ミッキーとの出逢い
市 (2016年12月20日 20:08)
│Comments(14)
│語りのプラザ
「人生とは人との出逢いで構成されたドラマのようなものだ」ウチの兄貴がどこで聞いたかいいことを言っていた。 たしかモデルガンチャレンジャー誌のデービスカスタム エアウルフの出だし部分だったと記憶しています。 でも意外とミッキー ファアラさんとの出逢いについてはあまり語られて来なかったように思います。 お時間に余裕のある時にでも、お聞かせ頂きたいと思います。
@ヘンリー
なぜか夜中の2時に目が覚めて・・・(^_^;
眠くなるまでかきましょう・・・
★ミッキーファアラと逢う★
ガンズアンモという雑誌社に行ったとき、そこの編集長がミッキーファアラというシューターがIPSCで優勝したと言いました。
そのころのワシはサンフランシスコ ベイエリアではボブチャウの1911を使い、ベスト5という まずまずの成績を維持していました。
世界一になった男、ミッキーファアラ・・・
逢ってみたい・・・そして、できれば教えを請いたいものだ。
そのためにはいったいどうすればイイのだろうか・・・と、雑誌に出てくるチャンピオンの姿を観ながら逢うための方法を模索していました。
そんなある日のこと、
ロサンジェルスに出張撮影の仕事があり、最終日は昼に終わったのです。
ランチをすませてクルマを走らせ帰途につきました。
やがてクルマはロサンジェルス圏から出て、山道にさしかかりました。すると気になるロードサインが見えたのです。
“ハッ!! この道を行くとミッキーが使う射場があるんだ!!”
と、雑誌記事の記憶がよみがえりました。
“行ってみよう!!・・・ダメモトだ!!”
急にワシはステアリングを左に切って射場のある地区を目指しました。記事を読んでいたために、射場のある地区の名前を知っていたのです。
そして射場はすぐにみつかりました。
ワシはしずしずと射場に入りました。
50m級の拳銃射場が両側にズラリと並んでいます。そのひとつで数人のシューターが練習をしていました。
“なるほど、さすがは世界一のIPSCシューターを産んだ射場ではないか、スケイルとディザインがシスコとはまったくちがう・・・”
クルマの中から総本山で撃つシューターたちの技量をはかりながら感心していました。
やがて、
うしろでちょっと大きなエンジン音がしたのです。
ふとリアヴュウミラーを見ると、ベージ色のトラックがゆっくりと通り過ぎていきます。そのドライヴァーの横顔が一瞬だけ見えました。
“ああっ!! ミッキーだぁ!!”
雑誌で見ていたミッキーの横顔です。
ワシは、迷うことなくミッキーの後をつけました。
“逢える予感があった、だから自分はこうしてやってきて、必然的にミッキーを見つけたのだ・・・”
と、そういう確信があったのです。
ミッキーのトラックは薄茶色のトラックで後ろにTOYOTAと書かれていました。カスタムされて腰高になっています。
“うんうん♪・・・ミッキーは日本車に乗っている・・・ということはジャパニーズに嫌悪感をもってはいないという現れだ・・・これならワシを意味もなく嫌うことはあるまい・・・”
と、そんなことを考えながら射場の奥深くまでついて行きました。
やがてミッキーは、誰もいない射場に停車しました。ワシは20mほど間隔を開けてクルマを停め、車内から見ていました。
そこにはフォーリングプレイトが二基ありました。
腰にギアを付け始めたミッキーにワシはゆっくりと近づきます。
“ハロウ・・・私はサンフランシスコのシューターなのですが、ここで見学させてもらってもよろしいでしょうか?・・・”
そういうと、ミッキーはチラリとワシの眼を見て、オッケイとうなずきました。
ミッキーは、10ydから撃ち始めました。
1911をスイと抜き、確実にプレイトを倒していきます。なんというスムーズなドロウなんだろうかと驚きました。
どうしても、この男から学びたい・・・そのためには近づく必要がある・・・ワシの存在を認識してもらう必要がある・・・しかしワシは無名であり、有名人のミッキーにとってはなんの価値もないジャマクサイ東洋人でしかない・・・なんとかここで自分の存在を少しでも印象づけたい・・・そうだ、1911はワンコースも撃てばタマをこめる必要がある、その時にまた近寄ってタマゴメを手伝おう・・・
ミッキーの射撃を観察する一方で、ワシはシタタカともいえるサクセンを立てていましたよ。
やがて20個あまりのカラマグをもってミッキーは机に戻ってきました。
ワシは無言でそれらにタマをこめ始めました。サッサッサとミッキーよりも素早くこめるワシを見たミッキーは、話しかけてくれました。
“サンフランシスコの射撃は盛んかな?”
“ここと比べると小さいですしシューターの数は40人程度しかないのです、ですから私はここで学びたいと考えています・・・”
こうして、最後までミッキーのタマゴメに付き合いました。なにしろワシはノーバディー(価値のない無名人)ですから、なんとか相手の役立つことをしてみせる必要があり、それで自分のことを認識してほしかったのです。
そして夕刻となり、ミッキーのタマも尽きました。
ワシはセッセと、これまたミッキーよりも速いスピードで地面のヤッキョーを拾って箱に入れました。
“ではね、マイクドォルトンという私の相棒にコンタクトして、シューティンスクールを受講することをすすめるよ・・・”
そうミッキーは言って、電話番号をくれました。
サクセンは当たり、ミッキーはワシのことをキビキビとよく手伝う熱心なヤローだと好感をもってくれたわけです。
そしてミッキーとマイクが運営する射撃クラスを受講しました。
クラスの最後には試合があり、ワシは1等をとり、もらったトロフィーを参加していた小年に渡してやりました。
マイクドォルトンも、そんなワシに大いに好感をもつこととなります。
こういった一連のワシの行動は、計算されたモノがなくはないのかもしれません、が、これがワシの性格でもあります。少しでも相手に奉仕してあげたいという気持ちがいつもワシの心にあり、それが多くの友人を作る元素となっているのです。
こうして幾度かのISI教室を受講しているとき、大きなチャンスがやってきました。
マイクとミッキーが共著で、セルフディフェンスの本を出版することになったのです。
“イーチは撮影をしてくれんか?”
“オフコース♪ ノーチャージでいいよ”
本のための撮影をすることで、ミッキーとマイクの技術のすべてを観ることができる・・・これはワシにとって大きなメリットだったので無料で引き受けました。
“よし!! イーチはウチに寝泊まりしてくれ。撮影が終わったあとも、いつでも我が家に泊まってロサンジェルスでの常宿として使ってくれ・・・”
これが決定打となり、ワシとミッキーは共に夢を語り合う親友となりました。
やがてミッキーはマリポサに広大な土地を買い、まずはトレイラーハウスを建てて住み、やがて本格的な家を建てました。
“このトレイラーにはイーチ以外の人には住ませたくないので住んでくれないか?・・・”
と、ミッキーは言い、離婚したてのワシはマリポサに移り住んだ・・・・・・。
というストーリーだったのです。
サクセスするためには、自分の売り込みをしなければ成りません。
しかし、売り込むためには、売れるだけの資質を備える必要もあります。
資質とは、努力して構築するものです。
勤勉でなく、チンタラ生きている人は、ゆっくりと負のスパイラルに巻き込まれて下に下に墜ちていくものです。
諸君!!
どんなにトシをとってからでも遅くはないです。自分のエゴを捨て、ナチュラルな人格を自分で形成し奉仕の心をもてば、賢い人々からも好かれるようになれます。
弱い人を見守り、成長しようとする人には手を差し延べ、できる範囲で助け、一期一会の出逢いを大切に想うこと。こうすることで自分の人生は豊かになるのです。
人生を開拓するのは、君自身です。
市(^-^)/
@ヘンリー
なぜか夜中の2時に目が覚めて・・・(^_^;
眠くなるまでかきましょう・・・
★ミッキーファアラと逢う★
ガンズアンモという雑誌社に行ったとき、そこの編集長がミッキーファアラというシューターがIPSCで優勝したと言いました。
そのころのワシはサンフランシスコ ベイエリアではボブチャウの1911を使い、ベスト5という まずまずの成績を維持していました。
世界一になった男、ミッキーファアラ・・・
逢ってみたい・・・そして、できれば教えを請いたいものだ。
そのためにはいったいどうすればイイのだろうか・・・と、雑誌に出てくるチャンピオンの姿を観ながら逢うための方法を模索していました。
そんなある日のこと、
ロサンジェルスに出張撮影の仕事があり、最終日は昼に終わったのです。
ランチをすませてクルマを走らせ帰途につきました。
やがてクルマはロサンジェルス圏から出て、山道にさしかかりました。すると気になるロードサインが見えたのです。
“ハッ!! この道を行くとミッキーが使う射場があるんだ!!”
と、雑誌記事の記憶がよみがえりました。
“行ってみよう!!・・・ダメモトだ!!”
急にワシはステアリングを左に切って射場のある地区を目指しました。記事を読んでいたために、射場のある地区の名前を知っていたのです。
そして射場はすぐにみつかりました。
ワシはしずしずと射場に入りました。
50m級の拳銃射場が両側にズラリと並んでいます。そのひとつで数人のシューターが練習をしていました。
“なるほど、さすがは世界一のIPSCシューターを産んだ射場ではないか、スケイルとディザインがシスコとはまったくちがう・・・”
クルマの中から総本山で撃つシューターたちの技量をはかりながら感心していました。
やがて、
うしろでちょっと大きなエンジン音がしたのです。
ふとリアヴュウミラーを見ると、ベージ色のトラックがゆっくりと通り過ぎていきます。そのドライヴァーの横顔が一瞬だけ見えました。
“ああっ!! ミッキーだぁ!!”
雑誌で見ていたミッキーの横顔です。
ワシは、迷うことなくミッキーの後をつけました。
“逢える予感があった、だから自分はこうしてやってきて、必然的にミッキーを見つけたのだ・・・”
と、そういう確信があったのです。
ミッキーのトラックは薄茶色のトラックで後ろにTOYOTAと書かれていました。カスタムされて腰高になっています。
“うんうん♪・・・ミッキーは日本車に乗っている・・・ということはジャパニーズに嫌悪感をもってはいないという現れだ・・・これならワシを意味もなく嫌うことはあるまい・・・”
と、そんなことを考えながら射場の奥深くまでついて行きました。
やがてミッキーは、誰もいない射場に停車しました。ワシは20mほど間隔を開けてクルマを停め、車内から見ていました。
そこにはフォーリングプレイトが二基ありました。
腰にギアを付け始めたミッキーにワシはゆっくりと近づきます。
“ハロウ・・・私はサンフランシスコのシューターなのですが、ここで見学させてもらってもよろしいでしょうか?・・・”
そういうと、ミッキーはチラリとワシの眼を見て、オッケイとうなずきました。
ミッキーは、10ydから撃ち始めました。
1911をスイと抜き、確実にプレイトを倒していきます。なんというスムーズなドロウなんだろうかと驚きました。
どうしても、この男から学びたい・・・そのためには近づく必要がある・・・ワシの存在を認識してもらう必要がある・・・しかしワシは無名であり、有名人のミッキーにとってはなんの価値もないジャマクサイ東洋人でしかない・・・なんとかここで自分の存在を少しでも印象づけたい・・・そうだ、1911はワンコースも撃てばタマをこめる必要がある、その時にまた近寄ってタマゴメを手伝おう・・・
ミッキーの射撃を観察する一方で、ワシはシタタカともいえるサクセンを立てていましたよ。
やがて20個あまりのカラマグをもってミッキーは机に戻ってきました。
ワシは無言でそれらにタマをこめ始めました。サッサッサとミッキーよりも素早くこめるワシを見たミッキーは、話しかけてくれました。
“サンフランシスコの射撃は盛んかな?”
“ここと比べると小さいですしシューターの数は40人程度しかないのです、ですから私はここで学びたいと考えています・・・”
こうして、最後までミッキーのタマゴメに付き合いました。なにしろワシはノーバディー(価値のない無名人)ですから、なんとか相手の役立つことをしてみせる必要があり、それで自分のことを認識してほしかったのです。
そして夕刻となり、ミッキーのタマも尽きました。
ワシはセッセと、これまたミッキーよりも速いスピードで地面のヤッキョーを拾って箱に入れました。
“ではね、マイクドォルトンという私の相棒にコンタクトして、シューティンスクールを受講することをすすめるよ・・・”
そうミッキーは言って、電話番号をくれました。
サクセンは当たり、ミッキーはワシのことをキビキビとよく手伝う熱心なヤローだと好感をもってくれたわけです。
そしてミッキーとマイクが運営する射撃クラスを受講しました。
クラスの最後には試合があり、ワシは1等をとり、もらったトロフィーを参加していた小年に渡してやりました。
マイクドォルトンも、そんなワシに大いに好感をもつこととなります。
こういった一連のワシの行動は、計算されたモノがなくはないのかもしれません、が、これがワシの性格でもあります。少しでも相手に奉仕してあげたいという気持ちがいつもワシの心にあり、それが多くの友人を作る元素となっているのです。
こうして幾度かのISI教室を受講しているとき、大きなチャンスがやってきました。
マイクとミッキーが共著で、セルフディフェンスの本を出版することになったのです。
“イーチは撮影をしてくれんか?”
“オフコース♪ ノーチャージでいいよ”
本のための撮影をすることで、ミッキーとマイクの技術のすべてを観ることができる・・・これはワシにとって大きなメリットだったので無料で引き受けました。
“よし!! イーチはウチに寝泊まりしてくれ。撮影が終わったあとも、いつでも我が家に泊まってロサンジェルスでの常宿として使ってくれ・・・”
これが決定打となり、ワシとミッキーは共に夢を語り合う親友となりました。
やがてミッキーはマリポサに広大な土地を買い、まずはトレイラーハウスを建てて住み、やがて本格的な家を建てました。
“このトレイラーにはイーチ以外の人には住ませたくないので住んでくれないか?・・・”
と、ミッキーは言い、離婚したてのワシはマリポサに移り住んだ・・・・・・。
というストーリーだったのです。
サクセスするためには、自分の売り込みをしなければ成りません。
しかし、売り込むためには、売れるだけの資質を備える必要もあります。
資質とは、努力して構築するものです。
勤勉でなく、チンタラ生きている人は、ゆっくりと負のスパイラルに巻き込まれて下に下に墜ちていくものです。
諸君!!
どんなにトシをとってからでも遅くはないです。自分のエゴを捨て、ナチュラルな人格を自分で形成し奉仕の心をもてば、賢い人々からも好かれるようになれます。
弱い人を見守り、成長しようとする人には手を差し延べ、できる範囲で助け、一期一会の出逢いを大切に想うこと。こうすることで自分の人生は豊かになるのです。
人生を開拓するのは、君自身です。
市(^-^)/
2016年12月20日
風邪がなおって♪
市 (2016年12月20日 12:51)
│Comments(5)
│語りのプラザ
ばんにちわぁー(^O^)/
葛の粉(多分ニセモノ)に生ショウガをすり入れてお湯で溶いて朝晩のんでいたら ノドの痛みはほとんど消えましてね(^^)
腰の鈍痛も遠のいたので、今日は1万歩あるきをやったところ身体がシャンとなり、血圧も124にもどりました(^。^)
さてと、鉄砲でも撃つか・・・
そういえば日本滞在中にISIからメイルがとどきましてね・・・ISI射場を閉めるというのですよ
(>_<)・・・
なので来年のWCSは開催されないようなのです
(×_×)とほほほほ
ま、本命はビアンキカップなので、そっちに集中できて良いのかもしれませんがね・・・
市
2016年12月20日
ビストの缶バッジ発売です♪
市 (2016年12月20日 06:20)
│Comments(9)
│語りのプラザ
こんちわっす!バットンです。
無事にご帰国されてなによりです。来日中は大変お世話になりました! さて、Be Strong 缶バッジの販売&習字サインの配布を始めました (‘・ω・́)ゝ
http://baton.gunsmithbaton.com/web/Gunsmith_BATON/Ichiro_autograph_badge.html
このブログ記事に写真がある方は、習字サインをご希望の方は、缶バッジをご購入いただき(発送方法はDM便)、備考欄に「●●のサイン同梱」と記載していただければ幸いです。 >イチローGUN団並びに関係者のみなさま …ただ、習字サインの多くが行方不明になっていまして、田村装備開発の訓練のとき、まとめてイチローさんにお渡ししたのですが、その後、お持ちの方がいらっしゃいましたら、お手数ですが、Gunsmith BATONまでご連絡下さい。みなさんに配布の手配をいたします<(_ _)>
(株)バトンTrading
市より、
バットン将軍からもどってきたオートグラフはKOちゃんに渡して配ってもらい、それでもたくさん残ったのでスーツケイスに入れておき、その後は忙しくて忘れてしまい、けっきょく持ち帰ってきました(^◇^;)
正月にヴワカモノ組が渡米するので、また持ち帰ってもらいまっす(^^)
2016年12月19日
濃密なる日曜日
市 (2016年12月19日 11:53)
│Comments(7)
│語りのプラザ
今日は日曜日でした♪
ブランチをたべました。
ブランチというのは、ブレックファストとランチの合成語なのです。日曜日はゆっくりと起きて10〜11時ごろに食事をとる→朝でも昼でもないところから、アメリカでは「ブランチ」と言うのです(^^)
そして父親はオモムロに長崎のカステラを開きました(^o^)
“これはね、ほんとはね、大人だけのケイクなのだから子供にはやらないのだよ・・・だけどね、ダダはとても良い人だから子供たちにも分けてあげるんだよ・・・でもこれはとてもハイクラスなケイクなのだから大きなカタマリを口にほうりこんでバクバクと食べてはいけないのだよ、、すこーしずつゆっくりと食べないといけないのだよ・・・”
こうしてモッタイつけて皿に載せてやりました。
するとケンシが言いました・・・
“ダダー!! これ味がないよ(^_^;”
“え、そんなわけないよ・・・”
と、見ると、カステラをゴマ粒くらいにつぶして食べているではありませんか(^◇^;)
“いや(^0^;)あのね、親指のアタマくらいのサイズで食べていいんだよ(^o^)”
“ほんとだー!! うわーおいしー∈^0^∋”
ワシは、小学3年から卒業するまで佐世保に住んでいましたが、長崎カステラという高級なモノは1度も食べさせてはもらえませんでした。大人達がたまにフンパツして食べるものだという認識で育ちましたよ。なので、大人になって♪サンジノオヤツハブンメードー♪は食べられても、本場の長崎カステラは、このトシになって初めて食べたのではないかと・・・(^。^)
と、いうわけですよケンさん(^○^)
高級なおみやげ、有り難うございました
<(_ _)>
“ダダー、今日はバーンデイかみてよー、燃やしてよい日だったらファイヤやろうよぉ(^^)”
ジュンがそうせがむので火をおこしました。彼女は薪がもえる様子をスケッチしています。
“ダダー!! キャッチボウルやろー♪”
“よっしゃー!!”
ヘンリー君からもらったグラブをさっそく試したところ、すんごく良いモノでした(^-^)/
そして散歩も・・・
木登りに目覚めたジュンは、手ごろな樹をみつけてはチャレンジします。ちょっとコワイのですが、マシラのごとく木登りをやっていた自分の子供時代を思い返すと、ムゲに止めることはできないのですよね〜(^_^;
そんなわけで、3週間の留守をイッキに埋めきるように濃密な日曜日でしたよ(^O^)/
市
2016年12月18日
奇蹟の出逢い
市 (2016年12月18日 15:02)
│Comments(4)
│語りのプラザ
人と人との出逢いから始まるドラマ、
それが人生だ。
と、亡くなった兄は教えてくれましたが、
出逢いというのは、それ自体が奇蹟の
産物ではないかと・・・
高速道路の桜島インターで間違って甘い珈琲を買ってしまい、しかたなくキタチョーのブラックと半々に混ぜていたら、、「ナガタイチロウさんですか?」と呼ばれ、見るとそこには警察官の警部タイプのような紳士が(゜◇゜)
「はい、そうです」と応えると
「あー良かった(^^)ビックリしました、鹿児島育ちとは知っていましたが、まさかここでお逢いできるとは(^o^)」
きけば高校の先生でした(^^)
その次は、鹿児島のラグーンというサバゲ場に行ったときのこと、着いてクルマのドアを開けたとたんに、ある少年がワシの目をしっかりと見つめながら「ナガタイチロウさんですか?」とこれまた礼儀正しく挨拶をしてくれました(゜◇゜) おかげで30分間のガンハンドリング講座を開くことに(^o^)・・・この少年と弟には必ず再会したいものだと願っています。
そして帰りの飛行機に乗ろうとユナイテッドのカウンターに入ろうとしたら、そこにメンタマ大きくした青年が立ちはだかりました。
「あの、ナガタイチロウさんですよね?」
「はい、そうです」
「すみません、つい呼び止めてしまいました
<(_ _)>ほんとにすみません・・・あのう、訓練にはなんとか参加したかったのですが予定がありまして・・・」
「で、どちらにお出かけですか?」
「はい、仕事でカールスバッドへ行きます」
「で、乗る飛行機は?」
「UAのサンフランシスコ行きです」
「わっ(゜◇゜)一緒の便ではありませんか!!」
かくして、2人でカキアゲうどんをいただきました(^^)
そして機内で食べるためのカツカレーも(^○^)
彼の仕事はアクアリスト→水族館の管理などする人です。
魚のディザインはアート好きな神たちが描いたとしか想えませんけど、、といったハナシが弾みました♪
鉄砲がそれほど好きなわけではない、ブログに書き込んだこともない、でもイチローさんの物事に対する考え方やライフスタイルが参考になって・・・なのだそうです。
こっそりと彼にニックネイムをつけていました。
「レゴランダー」です(^-^)
これには意味があって・・・(^^)
でも、プライバシーを気遣って、これ以上は彼の書き込みを期待しませう(^-^)/
市
それが人生だ。
と、亡くなった兄は教えてくれましたが、
出逢いというのは、それ自体が奇蹟の
産物ではないかと・・・
高速道路の桜島インターで間違って甘い珈琲を買ってしまい、しかたなくキタチョーのブラックと半々に混ぜていたら、、「ナガタイチロウさんですか?」と呼ばれ、見るとそこには警察官の警部タイプのような紳士が(゜◇゜)
「はい、そうです」と応えると
「あー良かった(^^)ビックリしました、鹿児島育ちとは知っていましたが、まさかここでお逢いできるとは(^o^)」
きけば高校の先生でした(^^)
その次は、鹿児島のラグーンというサバゲ場に行ったときのこと、着いてクルマのドアを開けたとたんに、ある少年がワシの目をしっかりと見つめながら「ナガタイチロウさんですか?」とこれまた礼儀正しく挨拶をしてくれました(゜◇゜) おかげで30分間のガンハンドリング講座を開くことに(^o^)・・・この少年と弟には必ず再会したいものだと願っています。
そして帰りの飛行機に乗ろうとユナイテッドのカウンターに入ろうとしたら、そこにメンタマ大きくした青年が立ちはだかりました。
「あの、ナガタイチロウさんですよね?」
「はい、そうです」
「すみません、つい呼び止めてしまいました
<(_ _)>ほんとにすみません・・・あのう、訓練にはなんとか参加したかったのですが予定がありまして・・・」
「で、どちらにお出かけですか?」
「はい、仕事でカールスバッドへ行きます」
「で、乗る飛行機は?」
「UAのサンフランシスコ行きです」
「わっ(゜◇゜)一緒の便ではありませんか!!」
かくして、2人でカキアゲうどんをいただきました(^^)
そして機内で食べるためのカツカレーも(^○^)
彼の仕事はアクアリスト→水族館の管理などする人です。
魚のディザインはアート好きな神たちが描いたとしか想えませんけど、、といったハナシが弾みました♪
鉄砲がそれほど好きなわけではない、ブログに書き込んだこともない、でもイチローさんの物事に対する考え方やライフスタイルが参考になって・・・なのだそうです。
こっそりと彼にニックネイムをつけていました。
「レゴランダー」です(^-^)
これには意味があって・・・(^^)
でも、プライバシーを気遣って、これ以上は彼の書き込みを期待しませう(^-^)/
市
2016年12月18日
冬の散歩
市 (2016年12月18日 13:57)
│Comments(6)
│語りのプラザ
留守の間に
こんなに雨が・・・♪
そういえば
ここ数日のあいだ日拳でいためた腰骨に
時々鈍痛を感じていたのです(^_^;
でも、帰国したらコロッと直り
5千歩あるいてもヘーキです(^^)
雨上がりの美しい自然の中を
喜びを感じながら歩きました。
XD9というピストルを携えてね(^-^)
市(^-^)/
2016年12月18日
風邪をひいてた・・・
市 (2016年12月18日 07:55)
│Comments(12)
│語りのプラザ
このクルマ、ワシがぶつけて壊しました。
アタマもケガしてます。
くわしいハナシはジラースとして、昨日は縫った頭皮の糸をナースに抜いてもらいました♪
田村学校 訓練生の皆さん、ワシ全快しましたのでご安心を(^O^)/
で、ドクターいわく、
“血圧が162もある。耳の中が赤いぞイーチ、ノドもハレてる・・・フルー(風邪)にかかっとるな・・・自覚症状はないかい?”
“とくにありましねーだよ・・・”
“フルーのタイプが判らんのでクスリはださんが、重くなったら戻ってくるべし・・・ところでホルスタをゲットしたので また射撃を教えてくれんか?”
“いつでもええでがすよ♪”
まあ、四日ほどまえからノドが少し痛かったのですが、訓練で大声を上げていたせいだと想っていたのですよね(^_^;
あらら(^_^;) そーいえば疲労感がなくはない・・・
で、8時になって娘とハグして横になると もう眠い・・・すぐに気を失ってしまいました。
ぐーぐーぐー(~0~)
ガギグゲゴー(-_-)zzz
朝、アレ? 娘がいない!!
家族だれもいない(@_@;)
時計を見ると昼をすぎてた(◎o◎)・・・
人間って かくも長く眠れるものかネ (゜◇゜)
さてと、かるいジョギングでも始めましょかね〜(^^)
市
2016年12月16日
帰国しました
市 (2016年12月16日 23:09)
│Comments(12)
│語りのプラザ
ユナイテッドエアのジェットは、1時間も遅れて離陸しました。
ズゴーンと猛烈な速さで8千キロばかりを飛ぶも、到着は遅れ、フレズノ行きの便への乗り換えには間に合わないという状態に( -_-)トホホホ
ところで飛行機博士のMIZさん、この翼は40年モノの骨董機では??
ところが!!・・・ (゜◇゜)
この日、サンフランシスコもフレズノも大雨で欠航ケダラケ市ハイダラケ(^◇^)ワシの乗るローカル機も2時間遅れでやっと来ましてね〜(^^)
おかげでスシと暖かいお茶にアリツキましたよ♪
そしてナナ奥の待つフレズノに到着、子ども達の学校に直行し、父と子たちは雨の中でヒシと強く抱き合いましたヽ(^0^)ノ
日本に行く時は そうでもないのですが、アメリカにもどる時は睡眠不足となるのがツネで・・・帰宅すると夕飯も食べずにバタンQ→12時間も眠り続けましたよ(^^)
はやく日米間を2時間で飛ぶ旅客機を完成させてもらいたいものですが いつになるのですかねMIZさん?
と、いうわけで、久しぶりに美味しい緑茶をたっぷりと飲みながら朝を迎えていまーす(^O^)/
市
2016年12月15日
エアポートホテル
市 (2016年12月15日 08:41)
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おはようございまーす(^O^)/
昨夜は羽田エアポートのとなりにあるホテルに泊まりました。
ベッドがアメリカなみに大きく、マクラもよっつあり、部屋の広さもまずまずなのでカンフィーです♪
風呂にも久しぶりに四肢を伸ばして入れましたよ(^。^)
値段は米国なみに お高いですけどネ(^_^;
でも、日本のビジネスホテルは一泊4千円〜6千円で朝食が付き、キャリフォニアにはこんなに清潔で安いホテルはなく、旅費を抑えられるので大助かりでしたよ。
なにしろ ただ寝るだけですしサ(^^)
ところでプーチンさんが来日していますね〜・・・
日本から強奪した島々を半分だけ返すから日本企業はロシヤにカネを注ぎ込めー!!! みたいな要求をするのがセキノヤマではないかと(-_-;)
日本政府は プーチンさんのハナシを聴いただけでお引き取り願うという強い態度で接してもらいたいですよ(`ヘ´)
市
2016年12月14日
ラストナイト
市 (2016年12月14日 21:02)
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茂原駅の近くにあるホテルです。
典型的なビジネスホテルです。
ルームナンバーは210(^^)
SIGのP210ではありませんか(^○^)
部屋に入ってキーホルダーをこのように突っ込むことで電気が点きますが、解らなくて困ってしまう外人さんもいるでしょうね(^_^;
アメリカのホテルは広いので、この狭さには大喜び・・・でも、日が増すごとにつらくなってくるのはイナメません(^0^;)
トモの家に行く道にこんな魚屋さんがありました♪ 新鮮な魚が安い!!
アジとイカタコのサシミをいただくにあたり トモコレクションから選んだサカズキは、なんとナナ奥の作品(^○^) (右下)
いなか生活者のトモの庭にはシャモや猫たちが仲良く徘徊しています。
ウチでもニワトリを飼いたいのですが、コヨーテやボブキャットの襲撃を防ぐのが難しいのですよね・・・。
長旅もラストナイトを迎えました。
明日は帰国となります。
市(^-^)/
2016年12月13日
羽田に飛ぶ・・・
市 (2016年12月13日 21:12)
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九州の南端にあるカイモン岳です。
兄の家からは、この富士山のような形の山が間近に見えているのです。
高さは1000mくらいでしょうか・・・。
孤独になった姉を残して去る時に相応しいような雨が降り、山は霧に囲まれていました。
独りでバスで行く、、
というのに喜多長がやはりきてくれてエアポートまでドライヴしてくれました。今回の薩摩への旅では、喜多長が迎えから送りまで完全にやってくれたのです。もちろん長崎までの行き帰りやら、その他の訓練まですべて付き添ってくれました。
“なんて素晴らしいお友だちなの・・・”と、姉や姪もしきりに言ってました。
ありがとう喜多長<(_ _)>
あ、関東で手伝ってくれたKOちゃんもね(^^)
中学のころ、鹿児島から東京に出るためには汽車で24時間もかかっていたのですが、今はジェット機で90分くらい。ギュイーンとパワフルに飛び上がり、グォーンと矢よりもずっと速く飛びます。
アメリカからですと10時間以上もかかるのでイヤンナッチャウのですが、鹿児島から羽田くらいだと快適です。途中で出された珈琲も飲めないことはありません(^^)
これは千葉の上空でしょうか・・・不思議なくらいに平和な日本の大地が広がっています。
ジェット機は、着陸すると大仰な音をたてながら逆噴射をかまし、このように逆毛をたてて急激にブレーキをかけます。よくハネがもげないものだと感心しますよ。
こうして羽田に着陸しました。
じつは、ちょっとユーツな気持ちで鹿児島エアポートに着いたとき、アメリカからメイルの着信があり、ある親しい女性の癌の摘出が成功したというニュースが入ったのです♪ 彼女は最初の手術が始まったとたんに心臓が停まって中止、、そして二回目も心臓停止!!・・・アメリカにもどってまず1番の心配のタネはこれでした・・・。それが今回は成功したそうなのです(^。^) 急に目の前が明るくなりましたよ(^○^)
そんなところに指宿夫婦も送りにきてくれて(いったんは ことわったのですがね(^_^;) 4人でトンコツラーメンを食べました(^o^)
と、いうわけで、今は内地(^○^)に落ち着きました。
しかしホテルの狭いことせまいこと(^0^;)
市 (^-^)/
2016年12月12日
熟考の日
市 (2016年12月12日 23:19)
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朝はカツオさんが亡くなっていると気がつかずに私だけ起きてね・・・昼頃になって起こそうとしたら、いつものように安らかな寝顔でね・・・だけど触ってみたら身体が冷たくなっていてびっくりしてね・・・病院の先生に電話をしたらすぐに来てくれてね・・・でも警察の人も何人もきて事件じゃないかといろいろと調べてね・・・先生は「老衰」と診断書に書いてくれてね・・・そのうちすぐに大学病院から遺体を受け取りにきてね・・・献体を希望していたもんだから急いで取りにきたわけなんだけど、私はカツオさんに付いていきたいと言ったんだけど「もういいですから」と言われてね・・・あんまり人の出入りがあって泣くひまなんかなくて、ショックでぼんやりなっちゃって・・・・・・
と、淡々と語る姉さんの声を寝転んで聴きながら、ワシは兄の死のことよりも、このアキコ姉さんをどう守っていけるのかと考えていました。
中学を出て上京し、この兄夫婦に高校生活をまるごと面倒をみてもらい、兄はカネを出してくれましたが、日々の炊事洗濯などのすべての労働は、この優しく献身的な姉さんにやってもらったわけなのです。なので彼女はワシの母なのだと想っています。ここでこそ頼れる弟を演じる必要があるのです。
幸いなことに、息子の1人がすぐ近くに住んでいてくれ、娘も夫をホッポラカシテ来ていてくれるので淋しい想いはしないですみそうなのですが、心にぽっかりと空いた穴から認知症が入り込むのではないかという不安があり、この予防について熟考しなければならないと考えていたのです。
この場合、手持ちの駒はいくつあり、打開策はいくつあるのか・・・?
今日一日という日は、昼寝を3度もしながら思案に明け暮れていました。
明日は、この大切な姉さんを甥と姪に托して出なければなりません。辛い帰郷のおわりには 哀しい別れが待っています。
今回の旅は、自分を含め、世の人々の複雑な苦しみや困難を垣間見るものがありました。
人々が生きるということは、かくも困難なものかと思い知らされる旅でもありました。
市
2016年12月12日
兄の居た場所
市 (2016年12月12日 10:35)
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│語りのプラザ
この場所に、
兄はいつもいました。
ここで一緒にお茶を飲みながら、人はどう生きるべきかを語り合いました。
そして今は、いません・・・
この、兄のいた場所に座り、その空間を埋めています・・・
横になり、目をとじて
自分の呼吸の音を聴いています。
空気を吸う音、息をはく音・・・
その音だけをじっと聴きつづけていると、雑念が消え、自分が生きていることが実感されます。
今日は、このようにノタリと過ごします。
市
2016年12月10日
長崎の夜
市 (2016年12月10日 21:48)
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│訓練
あっ!!・・・
というまに1日がおわり、ファミレスで酒なしの祝杯です(^^)
応援に来てくれた佐伯元警察官もイチロー訓練がお気に召したモヨウでした(^o^)
では、明日の訓練に備えてガッツリと眠ります
(^-^)/
市
2016年12月10日
ミーティング
市 (2016年12月10日 06:33)
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│訓練
まずはみんなで食事会でした♪
クラブマガのインストラクター、ケンさんと新聞記者さんも合流です(^^)
証書へのサインは夜のうちにやっておかないと当日は忙しすぎるので頑張ってやりました。
さあ、いよいよ「ハニビーコンセプト」の長崎訓練が始まりまーす(^O^)/
市
2016年12月09日
長崎に集結
市 (2016年12月09日 17:44)
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│訓練
長崎に着きました。
この四人はボランティア(すべて自費)で集まってくれました♪
なんと嬉しいヤツラでしょう(^-^)
ゆっくりとモノスゴク狭い風呂に入ってくつろぎました(^0^;)
これからミーティングです。
では、また(^O^)/
市
2016年12月07日
弱い人々を守る訓練
市 (2016年12月07日 08:05)
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│訓練
市郎さま こんばんは(*^^*)
週末はお世話になります(*^^*)
Ken from Nagasakiでございます。
長崎県での護身術講習会の主催者である、コミュニティ・ケア・クリエーション研究会の連絡先が変更になっております。
『095-813-5223』です。
昼間、担当者が在室の場合のみ対応可能となっております。以上何卒宜しくお願い致しますm(__)m
Ken from Nagasaki
武道の心得のない、まったくのシロートが、守るべき人々の安全を考えるという講習会です。まだ定員に達していないそうなので、志ある方々はどうぞ電話をしてみてください。
市
2016年12月06日
職員向けの訓練
市 (2016年12月06日 22:51)
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│訓練
こんばんわぁ〜(^^)/
とつぜんですが、
この土曜日に、このような講習会をやります。
なぜか長崎県で・・・(^o^)
興味のある方は御連絡くださいな(^^)
by あれこれと忙しく
眠くてたまらない市(-_-)zzz
2016年12月05日
羽田空港にて
市 (2016年12月05日 15:57)
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│語りのプラザ
もう60年ちかくまえのことです・・・
この羽田空港から姉と姪がアメリカに向かって飛び立ちました。
当時はプロペラ機でしたよ。
二人を見送りに来て、飛び立つ飛行機にむかって ちぎれるほどに手を振ったことを甘哀しく想い出しています・・・
人と人は・・・家族もそうですが、
ある瞬間に どうしようもないチカラによって別離を迫られるものだということを この時から様々なカタチで体験してきました。
訓練生のみなさん、
とてもとても楽しい時間をいただきました(^^)
さようなら、
また逢う日まで・・・グスン
市