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2016年10月26日

黄泉の国・・・

市 (2016年10月26日 23:46) │Comments(7)語りのプラザ


兄の名は、勝男でした。
生まれた頃、永田家は海産物問屋をやっており、主な商品は屋久島で作ったカツオブシ→そこからカツオ→勝つオトコ・・と名付けられたそうです。

そのカッチャンが亡くなり、しばらく経ってから、あのカッチャンは もうこの世にいないのだという実感に包まれています。

ワシはボンヤリしているよりも何かをしたくなり、アルフォンソが届けてきたスラブをカットしカンナをかけサンダーをかけていました。その間、頭の中ではカッチャンとの想い出のシーンがゆっくりと浮かんでは変わり、浮かんでは変わり・・・なんだか自分も黄泉の国にいて家具作りをしているような気持ちになりました。

身体に重量がないような、ふわふわとした気分・・・目の前に11フィートもの長いスラブがあり、それを加工しながらTVを乗せるための台を作っているというのに、なぜそんなものを作っているのかよく解らず・・・そう、まるで矛盾だからけの夢の世界で なんの違和感も感じることなく黙々と仕事をしていたのです。

そんなところにナナ奥がカキフライと玄米を持って来てくれ、板に腰掛けて食べました。

さくりとトンカツソースのかかったカキフライをかみました。

う、うまいっ!!!

自分でもびっくりしました。

衝撃的に美味しいのです!!

瞬時に人間世界に戻ったような気持ちでした。

で、、このフォトは黄泉の世界で仕事をしていたときの感じを再現しようと試みた作品です。

見た目には不気味な世界でも、本人はそこでぬくぬくと楽しく生きている・・・人間世界とはそういうものかもしれませんね。

このフォト・・そこはかとなく超現実的ではありませんか・・・?





  


Posted by 市 at 23:46Comments(7)語りのプラザ

2016年10月26日

兄との会話

市 (2016年10月26日 02:02) │Comments(16)語りのプラザ


今朝はブログを開く余力など自分にはないだろう、と想いました。が、朝のお茶を飲んでいると兄が心の中にしっかりと生きていることを感じ、元気がでました。うなだれていてもしかたないのでブログを開き、コメント欄を読みました。

すると・・・・・・
これまで経験したことのない多くのコメントが
(*^_^*)

皆さんからの一様なお悔やみの言葉・・・・・・

ていねいにすべて読みました。

そして、なぜか読み終わってから
初めて涙がハラハラと・・・

自分でもらい泣きかよ (^_^;

ありがとう、皆さん<(_ _)>


このフォトは、兄への尊敬をこめて撮影したイチロー若きころの渾身の一作です。
ニコンFに180ミリのレンズという組合わせで撮りました。
トライエックスというフィルムを使い D-76という現像液を2倍に薄めて現像するという最高なモノクロの処理です。でも古い写真の複写なので画質は落ちていますが・・・

得意の早撃ちでパシッと撮ったので本人は撮られたのも知りませんでした。

ここは浜辺、兄は乾いた砂をつかんでパラパラとくりかえし落としながら話していました。

“人間の存在なんて、この一粒の砂みたいなものじゃないかと想うんだよ・・・”

と、そんな話をしており、この言葉は後々のワシに大きな影響を与えてゆきました。

「人生は、人と人との出逢いで展開されるドラマだとオレは想う・・・」

「人の求めるべきは栄光ではなくて、自分の幸せなのだぞ」

こういった珠玉の言葉は、じつはすべて兄からのパクリなんです。

「いいかイチロー、人の世でおこることのほとんどは、どうでもよいことなのだから、そこをよく考えて行けよ」
渡米するにあたって兄は100万円くれながら、そう言いました。

“うん、自分がのたれ死にしようが どうなろうが どうでもいいことだ・・・もともと細事にこだわるのは性に合わないことだし・・・”

そういった考えをもってワシは異境の地にチャレンジしました。

そして5年後に なんとか食えるようになって休暇で日本に・・・

兄はスキヤキを作ってくれ、暖かいもてなしをしてくれました。話題はいつも哲学のこと・・・つまり人はどう生きるべきで、どういう価値観を持つべきかということです。

「かっちゃん、この5年間 ずっと考えていたんだけど、かっちゃんは世の出来事のほとんどは どうでもいいことだと言ったよね?」

「ああ・・・言ったよ・・・」

「そこで聴きたいのだけど、いったいどういうことなら どうでもよくないの?」

その質問に兄はギクリとしました。

あ!! やはり兄もその先までは行ってなかった・・・どうやら弟が兄の精神世界に入ってきたナ・・・とワシが客観的に感じた瞬間でした。
そこでたたみかけます、
「自分の生き死になど どうでもいいことだから受け容れられる、けど、自分の子供が奪われることになったら、それもどうでもよくはないのかな・・・?」

「・・・・・・・・・」
兄は沈黙しながらスキヤキを焼いて配っていました。

それもどうでもいいことだと言えば、反撃があるだろう・・・
しかし、どうでもよかないと言ってしまえば、これまたキツイ反論が待ち受けている。
兄としても、なかなか返事のできない局面でした。

弟は5年間の間に、現実社会のありようをカナリ学んでいました。
自分の答えは持っていたのです。

「けっきょく、一粒の砂でしかない我々は、いかなることが起ころうと、そのすべてを受け容れながら未来に向かうしかないのじゃないの?・・・どうでもよくはないと唱えても、人智でそれを越えられない場合は多すぎて・・・だから起きてしまったことは、もうすべて どうでもよいと考えて先に進むしかないのでは?・・・」

そのころのワシは、失敗をしても後悔するのは二秒間だけにして、即座に未来に立ち向かわなければ時間の無駄になる、という強い気持ちを持っていたのです。

こうした会話などを通して、未来の危機に備える心や、今という時を大切にすることの重要さを互いに磨いてきたのです。

ちなみに どうでもよいこと、
の意味は「拘るな」という意味です。

ものごとに拘らないで生きろ!!!
これが兄の哲学でした。


ふと西の空を見ると、雲ががかかって光が薄いです。

ああ・・・こういう日は曇りのほうが心に優しくていいなぁ〜♪

市  


Posted by 市 at 02:02Comments(16)語りのプラザ