2016年08月08日
KOちゃんの母様が逝って・・・
市 (2016年08月08日 21:55)
│Comments(18)
│語りのプラザ
お世話様ですm(__)m
日曜日は朝から暑く(>_<)少し動いただけで汗がダラダラ〜(。。;)
で!夜は仲間の町の花火大会でしたのでo(^-^)o いっぱい綺麗な花火&美味しいビヤ−を〜( ^^)Y▽☆▽Y(^^ )
2次会は仲間の家でその後自分は車でお寝んね〜(∪o∪)。。。
その時突然!携帯がケタタマシク鳴り響き(゜▽゜) って実際はマナーモードだったのでブルブル震えてただけなんですけとね〜f^_^; おふくろの施設からで呼吸が止まったとのこと(@_@) 皆様には色々ご心配かけましたが! 8日AM3時 永眠しましたm(__)m 最後は自分が誰かも!? 生きて居るのか死んで居るかも解らない常態でした(´〜`;) 自分父親も母親も大っ嫌いでしたが。 1つだけ! 産んでくれてありがと〜m(__)m おかげでイチ様やその仲間達に皆さんに会えた事を感謝しますo(^-^o)(o^-^)o あ〜すみません(>_<) 何だか目から水が出て来ました(T_T) ホントにありがとございますm(__)m
KO-1
訃報とはいえ、それほど悲しくはない別離のようでほっとしているよ。
どんなに嫌いな親でも亡くなってしまうと、不思議なことに憎しみは消えてしまうもの・・・。
「人を許せない」と想っているうちは、その本人の心に有害なシコリがあるということだから、これでKOちゃんも憑きものが落ちたように素直な気持ちになって歳をとっていけるのではないかと。
人は、産まれた瞬間にタイマーが作動し、定められた日時まで生きて、ある瞬間に死ぬのかもしれない。
ただ我々はまだ、そんな生命のプログラムがあるのを識らないだけ、だという気もする。
はっきりしているのは、
「人は必ず死ぬ」のだということ。
若いうちは、どうもこのことを実感できないもので、そのために日々をオロソカにしながらチンタラと過ごし、物事を深く考えもしないで箱庭の中で起こっている小作りな喜怒哀楽とでもいうか、およそ万物の霊長とは言い難いような愚かさと幼稚さをもって生きている・・・←これは誰のことを指しているかというと、ワシのことで、自分自身をじっと観察してきて解ったことなんだよね(^0^;)
ワシがこうなんだから、きっと諸君もそうだろうと勝手に決めているのさ(^^)
でも、一方、ワシはこう考えることがあるんだよ・・・
自分という存在がなかったら、この世の中も存在しないのではないか、、ということだ・・・。
自分がそこにいなかったら、そこに町があって,人々がいて、それは地球の一角にあって、地球は太陽系にあって、太陽系は銀河の一端にあって、星々がぽっかりと宇宙に浮かんでいるという事実が本当にあるのかどうかなんて、どうして解るのよ・・・??
自分が産まれたとたんに世界が開かれ、その世界は自分のために準備されており、自分が去ると同時に「世界というバックグラウンド」や自分と関わりをもった人物たちも、自分が愛したモノなども消えてしまう・・・と、そういうことではアリエナイと言えるかな?・・・
世界の中の自分が細々と たよりなく生きているようでもあるけど、じつは自分が世界の中心にいて、世界は自分の周りで回っているのかもしれないよ。
そこらにはえている1本の草花を観察するに、その草花に太陽の光が降り注ぎ、夜は美味しそうなツユがしたたり、自分なりに精一杯の花を咲かせ、蜂だの蝶だのと多くの訪問者があり、風がそよいで自分のDNAを運んでくれ、やがて役目を終えたかのように枯れていく・・・そういうのを見ていると、世界はその草のために準備され壮大なドラマが展開されているのを傍観しているワシ自身があるような気がすることがある。
男が垂れ流す精子は何兆億個に達するのかは想像外だけれど、その中から数個の生命が産まれる。
そういうことを想うと、我々の存在は奇蹟なのかも知れない。
奇蹟なのだけれども、なにしろ数が多いので奇蹟だと認識するのには難がある。
しかし、よくよく考察するに、やはり君たちとワシの存在は奇蹟的な産物だとしか想えないのだよね。
・・・・・・とくに何を言いたいのでもない・・・今朝は4時ごろ目覚めて、KOちゃんのコメントを読み、暖かいグリンティーをいれ、それを外に持って出て飲み、涼しい夜の気配の中で満天の星を見上げながら人の死について考えていたら書きたくなってね・・・これが73歳まで生きたヤロー、つまりショクンの先輩の感性というわけだね(^^) ここでそういった心を覗くことができるショクンはシヤワセだわ(^◇^)どれくらい理解してくれるか知らんけどさ(^○^)はっはっは
ここに生き残っている者たちよ、
もっと存分に生きようではないか!!
by イーチェ
日曜日は朝から暑く(>_<)少し動いただけで汗がダラダラ〜(。。;)
で!夜は仲間の町の花火大会でしたのでo(^-^)o いっぱい綺麗な花火&美味しいビヤ−を〜( ^^)Y▽☆▽Y(^^ )
2次会は仲間の家でその後自分は車でお寝んね〜(∪o∪)。。。
その時突然!携帯がケタタマシク鳴り響き(゜▽゜) って実際はマナーモードだったのでブルブル震えてただけなんですけとね〜f^_^; おふくろの施設からで呼吸が止まったとのこと(@_@) 皆様には色々ご心配かけましたが! 8日AM3時 永眠しましたm(__)m 最後は自分が誰かも!? 生きて居るのか死んで居るかも解らない常態でした(´〜`;) 自分父親も母親も大っ嫌いでしたが。 1つだけ! 産んでくれてありがと〜m(__)m おかげでイチ様やその仲間達に皆さんに会えた事を感謝しますo(^-^o)(o^-^)o あ〜すみません(>_<) 何だか目から水が出て来ました(T_T) ホントにありがとございますm(__)m
KO-1
訃報とはいえ、それほど悲しくはない別離のようでほっとしているよ。
どんなに嫌いな親でも亡くなってしまうと、不思議なことに憎しみは消えてしまうもの・・・。
「人を許せない」と想っているうちは、その本人の心に有害なシコリがあるということだから、これでKOちゃんも憑きものが落ちたように素直な気持ちになって歳をとっていけるのではないかと。
人は、産まれた瞬間にタイマーが作動し、定められた日時まで生きて、ある瞬間に死ぬのかもしれない。
ただ我々はまだ、そんな生命のプログラムがあるのを識らないだけ、だという気もする。
はっきりしているのは、
「人は必ず死ぬ」のだということ。
若いうちは、どうもこのことを実感できないもので、そのために日々をオロソカにしながらチンタラと過ごし、物事を深く考えもしないで箱庭の中で起こっている小作りな喜怒哀楽とでもいうか、およそ万物の霊長とは言い難いような愚かさと幼稚さをもって生きている・・・←これは誰のことを指しているかというと、ワシのことで、自分自身をじっと観察してきて解ったことなんだよね(^0^;)
ワシがこうなんだから、きっと諸君もそうだろうと勝手に決めているのさ(^^)
でも、一方、ワシはこう考えることがあるんだよ・・・
自分という存在がなかったら、この世の中も存在しないのではないか、、ということだ・・・。
自分がそこにいなかったら、そこに町があって,人々がいて、それは地球の一角にあって、地球は太陽系にあって、太陽系は銀河の一端にあって、星々がぽっかりと宇宙に浮かんでいるという事実が本当にあるのかどうかなんて、どうして解るのよ・・・??
自分が産まれたとたんに世界が開かれ、その世界は自分のために準備されており、自分が去ると同時に「世界というバックグラウンド」や自分と関わりをもった人物たちも、自分が愛したモノなども消えてしまう・・・と、そういうことではアリエナイと言えるかな?・・・
世界の中の自分が細々と たよりなく生きているようでもあるけど、じつは自分が世界の中心にいて、世界は自分の周りで回っているのかもしれないよ。
そこらにはえている1本の草花を観察するに、その草花に太陽の光が降り注ぎ、夜は美味しそうなツユがしたたり、自分なりに精一杯の花を咲かせ、蜂だの蝶だのと多くの訪問者があり、風がそよいで自分のDNAを運んでくれ、やがて役目を終えたかのように枯れていく・・・そういうのを見ていると、世界はその草のために準備され壮大なドラマが展開されているのを傍観しているワシ自身があるような気がすることがある。
男が垂れ流す精子は何兆億個に達するのかは想像外だけれど、その中から数個の生命が産まれる。
そういうことを想うと、我々の存在は奇蹟なのかも知れない。
奇蹟なのだけれども、なにしろ数が多いので奇蹟だと認識するのには難がある。
しかし、よくよく考察するに、やはり君たちとワシの存在は奇蹟的な産物だとしか想えないのだよね。
・・・・・・とくに何を言いたいのでもない・・・今朝は4時ごろ目覚めて、KOちゃんのコメントを読み、暖かいグリンティーをいれ、それを外に持って出て飲み、涼しい夜の気配の中で満天の星を見上げながら人の死について考えていたら書きたくなってね・・・これが73歳まで生きたヤロー、つまりショクンの先輩の感性というわけだね(^^) ここでそういった心を覗くことができるショクンはシヤワセだわ(^◇^)どれくらい理解してくれるか知らんけどさ(^○^)はっはっは
ここに生き残っている者たちよ、
もっと存分に生きようではないか!!
by イーチェ