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Posted by ミリタリーブログ at

2015年03月29日

シュアファイヤ社のスタジオ

市 (2015年03月29日 13:02) │Comments(2)語りのプラザ


半年に1回くらいはシュア社の大きな工場で
撮影をするのですが、今回は初めて本社にある
アートディパートメント(広告製作部)で仕事を
しました。ここには社員のフォトグラファーや
ディザイナーたちがいてカタログやビデオを
作っているんです。
で、ジーンはここで週に二日間くらい来て
ビデオ製作をしています。シュア社が出して
いる動画のほとんどはジーンの作品です。

“社員になれと言われたけど断ったよ”
“良い仕事をしたかったらフリーでいなさい”
ジーンも父の教えを守っています(^^)


ピンチヒッター市番♪
コンバットタクティクスの表紙撮影に
やってきた父をジーンはかいがいしく
手伝います。彼のボスが、今日はイーチの
撮影を見学だ!・・・と、このフォトを撮って
くれました♪
どっちみちヒトツしかないスタジオを使う
ので、そうするしか・・・(^_^;


この人がフォトグラファーのジョン君。
人柄が良くて、シュアの仕事では助手を
やってくれるので助かります。
ワシも自分のテクを惜しみなく教えます。
ただ、フォトというのはテクを真似でき
るだけではダメで、クリエイターとして
自分のスタイルを確立できないと
ディレクターたちは認めないわけで、
そこんとこが修行のしどころなんです。


イーチがキャメラをのぞいているって
ちょっと珍しいシーンですね(^^)
は〜、こう見えるのかぁ(^o^)と自分でも
見つめてしまいました。

画面の隅々をギロギロッと見回し、被写体が
長四角のフレイム内で鋭い存在感を示す構図
はどのアングルか?・・・と、緊張感をもって
見据えているところですが、どうもそれほどの
感じには見えませんね。
マ、ソンナモンデショーネ(^o^)


タクミに作ってもらった「色変えライト」には
皆さんオロロキ(^o^) フォグ(霧)を吹いて
みせたらオオオー\(^O^)/と歓声が(^○^)
あ、このフォトはサカサですね〜(◎-◎;)


シュアファイヤの皆さんが協力してくれた
のでスムースに撮影できました〜(^。^)
この拳銃を撮影デース♪


社員400人からを抱えるシュア社の
オーナー社長とは長いつきあいです。
はじめは取材かなにかで行き、
“よかったらロウライト トレイニングに
招待するがね・・・” と誘われ、メイナード訓練
に参加、目からウロコがハラハラと落ち(^^)
それっきり社長の友人に・・(^○^)

“イーチはカイチューデントーの撮影なんて
したくないだろね〜”

“いや〜、退屈で難しいサブジェクトなので
イッショケンメに撮ってみるよ〜”

と、そんなことから仕事をもらいましたよ
(*^_^*)

ジョン社長は、まったく気さくでイバルなんて
ことはゼロで、根っからのエンジニアでいつも
未来のプロダクツに心を投入しています。
研究が生き甲斐という人なので気が合います♪
今回も機密のプロトを見せてくれましたが
生き残るためのアイディアをひねり出すのって
困難だけど面白いな〜とつくづく感じました。


  


Posted by 市 at 13:02Comments(2)語りのプラザ

2015年03月29日

文武両道

市 (2015年03月29日 02:02) │Comments(1)語りのプラザ
イチローさん、オハこんばんわ!
差別ですね・・・。
ちょっと違った視点ですが、私は学校でず~っと差別されていました。小さい頃から体が小さく、成人になっても身長159cmでした。 学校では運動能力がどうしても劣り、当時からいじめの対象でした。人は自分と違う(特に劣る)ものを見つけ出し、自分の優越感に喜びを見つけるようです。私はたまたまであった担任の先生達が良い人で、自殺にまでは至りませんでした。 もう一つ、自分に課題を出しました。身体を徹底的に鍛える、です。そのおかげで高校では1人で5人を退ける事ができました。 日本人と言うのは島国で単一民族で育つ。ところが同じ遺伝子を多く持つのにやはり差別が生まれてしまう。悲しいことです。
イチローさんの「嫉妬ネラー」も同じようではないでしょうか。 イチローさんはアメリカに渡り成功してジョブにも恵まれ、生活もハッピーであるのに何故自分は違うんだ。許せない。と言ったような感覚があるのでは。 もう一つ、日本人は白人コンプレックスが多いです。自分でオートバイ屋をやっていたおかげで沢山の外国人のお客様、それを乗り越えて友達、ができました。もちろん日本には多くの外国人が居ます。見ていると 「白人には媚びる。黒人は怖い。インド、中東、日本人以外の黄色人種は自分たちより下だ」 そのような感覚がとてもよく見て取れます。これも悲しいかな、事実です。 最後に1番仲が良く、毎日遊びに来ていたカナダ人の友達が言っていたこと。
「ヒロシ、あのな女は日本人が世界一なんだぞ!確かに白人にも良い女は居る。でもな、たまに物凄く臭いんだ。でも日本人は絶対そんなことはない!内面も良い。とにかくヒロシ、彼女は日本人にするんだぞ!」
TROOPER(村野 浩)

ケンカに強ければイジメに遭わない!!

とワシが悟ったのは小学校3年のとき、
鹿児島から佐世保に引っ越しした時でした。

近所の子たち、クラスの生徒たちは
ちょっかい出してきました。
いじめる機会を狙っているように感じて
不安でした。
鹿児島でもそうでしたが、弱い者とみると
よってたかってイジメルというのが
子供世界なのだと心に刻まれたのです。

「強かオトナになれ」

母親からは、そう教えられて
いました。。

ある朝、共同便所の通路で用をたして
きたばかりの近所の子と鉢合わせと
なりました。ワシより大きめの子です。
いきなり組み付いて来ました。
ワシは相手の脇の下に右手を入れて
力いっぱい左に押しました。すると
彼は意外にも軽く浮いてドサリと壁際に
倒れました。
終始無言の瞬く間の勝負。
これが佐世保における初戦でした。

そして、その日の夕方・・・
子ども達が集まっているのを遠くから
観ていたら朝の子が他の仲間をつれて
近寄ってきました、そして・・

“コレは強かど〜”

と、皆に紹介してくれたのです。
そして瞬く間に仲間に入れてもらえ
その子の家にも上がり込むようになり
チャンバラも強かったのでガキ大将への
道をつきすすむことができました。

「人間は、強い者に媚びて、弱い者には
たかるものだ」

と、いうことをワシは子供の頃から
身体で覚えていたのです。

そして、大人の世界は もっとそれが
熾烈なんだということを徐々に解り
ながら育ちました。

ランディーが4歳くらいになった頃でしたか、
“スクールに行くとイジメル子たちがいるので
カラテを習いなさい、そして弱い子たちを
守ってあげなさい・・・”
と言って道場に通わせました。

日本人は米国では小柄なのでイジメ対象に
なりやすいわけで・・・

ところがランディーはスクスクと大きくなって
大柄で、ケンカはもちろん強くなり、学校の
弱い子達はランディーのもとに集まり、
不良グループは
“ランディーとはファックするな” という
オフレをだしていました。
(父親は射撃とナイフの名人でオソロシイ奴
だというウワサもあって(^o^))

そうそう、ランディーの父とボクシングを
したいという高校生が親たちを連れて来て、
そいついきなり右の大ぶりスィングで
きたのでダックでかわしたらひっくり返って
どういうわけか顔を地面に叩きつけて
鼻血ダラダラとなって勝負アリとなり
「触れもしないで勝った」という
ウワサがオオゲサにつたわり(^0^;)

と、いうわけで、
「ケンカ強ければ七難隠す」とまでは
言えませんが三難くらいは隠すのだとワシは
想っています。

日本で昔から言われている「文武両道」と
いう言葉は、

「学問をよく学び、暴力で来られ
ても、これを制するチカラも備える」

という意味ですが、これを我が家の家風に
したいと常々考えているのです。

と、そういうわけで、ケンシロとジュンには
ブラジリアン柔術の道場に通わせています。

人が差別意識をもっているのはかまわない、
だが、それを顔に出して実行されるのは困る。
と想うわけで、それを抑える方法といえば
文武両道の精神なんだと想うのですよね。



  


Posted by 市 at 02:02Comments(1)語りのプラザ