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2015年01月04日

村野君のお母さん・・・

市 (2015年01月04日 13:25) │Comments(8)語りのプラザ
実はここに書こうか、個人的にお知らせしようか、隠したままでいようか迷っていた事があります。でも時間があるので、やはり皆さんにも見て頂こうかと。 6年前程から同居している母ですが、杖を突いて歩けていたのが体を支えるようになり、ここ2年程は通院など、私が車椅子を押していました。 ところが11月、何時ものように杖で壁を叩き、階下で私を呼んでいました。しかしこの日は全身が痛くて動けないと、少し上体を起こそうとしても「痛い、痛い」と全く動けなくなってしまいました。 ケアマネージャーさんからも「少しでも何かあれば、救急車を呼んでください」と、言われていたので、119番をコールしました。救急外来で6~7時間かけて調べてもらったところ、血液に炎症が見られて、股関節の内部に液が溜まりそこに雑菌の感染があるとの事でした。 入院加療が必要だが整形外科では大手術の患者でいっぱいの為入院できないとの事で家に帰ってきました。 地元の総合病院でもやはり無理との事で、市役所の方の計らいで介護施設に入所ということになりました。 ところが12月下旬に39度近い熱を出し、病院に運ばれました。主治医の方より肺炎であると告げられました。そして「ご家族で、人工呼吸器まで着けるか、それともこのまま自然に任せるか、どこまで治療するか考えておいてください」と。 ところが幸い抗生物質が効き、37度まで熱が下がりリハビリができるようになりました。 先日の「お題」人と出会うと言う事ですが、私には記憶がありませんが、人間まず母が最初でしょう。そして分かってはいる事ですが、出会えばいつかは別れが来ると。 病院のベッドに横になり、「もしもこのまま逝ったらごめんね」と話す母は、骨と皮だけです。やはり何時かは来る日が近づいているのでしょう。それでも私に変わりはないか、猫は元気か、2人ともちゃんと食べているかと、こちらの心配事ばかり話します。改めて、親の無償の愛という言葉が浮かびます。 今日も母の好きな「カルピス苺味」を持って、会いに行ってきます。 もう一度家に帰れるのか、それともこのままなのかは未だ分かりません。しっかりとした答えは出せません。でも会ってできるだけ話をして、顔を見ていようと思います。話といっても私には上手い話は出来ません。猫の話をするくらいです。 でも、血の繋がりは無くとも、人には見返りを求めない態度で接したいと思います。
TROOPER(村野 浩)

「もしもこのまま逝ったらごめんね」と話す母・・・

なんと素晴らしい言葉だろう、と琴線に触れる
想いがする・・・
まるで人生の極致を垣間見るようだ・・・。涙

君と出逢って、お母さんの話を聞いてから
というもの、ワシはずっと気にかけて
見守っているんだよ・・・

なぜかと言えば、自分の死に方が、
残された家族に与える影響を知りたいと
想っているから・・・も、ある・・

お母さんが逝ってしまったら、君は
どうするのだろうかと予測したり
お母さんには君のためにも早く逝きたいと
いう気持ちがあり、そのことで彼女はきっと
悩んでいるのではないかと考えてみたり・・・

“澄まないね・・ワシは他の父親たちよりも
ずっと先に逝く宿命なんだよ・・・”
と、子どもたちの眼をみながら心の中で
よくそう想うので、君のお母さんの迷える
気持ちはよく解る。

人間、生まれてくるときはドラマティックな
盛大さをもって生をさずかるものだけれど、
逝くときは(例外はあるとしても}
自分も周囲も もの悲しい別離の感情に
浸されることになるよね。

『親が死に、子が死に 孫が死ぬ』
と、詠ったのは一休さんだったと想うけど
彼はこの句を「目出度い句と」して詠った
と言われている。

たしかに、死ぬ順番が狂うのは
逆仏(ギャクボトケ)となってメデタク
なんかないよね・・・

ヒトは、だれでもが逝く、という覚悟は常に
もっておくこと・・・

で、ね・・・・・・
いよいよ将来の見込みがないという局面に
なったら、ワシの場合は決して延命措置など
しないでほしいのだ、、と家族にも告げてある。
ナナにはとっくに約束させてある。

これが親としての、子を愛する者としての
純粋な気持ちなんだ。

君に延命措置をするな、とは言わないし
したほうがよいとも奨めない。

ただ、覚えておいてほしいことは、
自分の存在が自分の息子にとって重荷と
なった場合、親の気持ちとしては
謝りきれないほどの葛藤に苦しむものだ
ということ・・・

生きながらえてごめんね、
早く死ぬけどごめんね・・・

この両方の狭間で親は哀しむわけだよ。

えーと・・かえって迷わせることに
なったかもね・・・

お母さんの容態についてはメイルで
知らせてくれ。もちろんここでも良いよ。
このひとつのストーリーを見守りたいヒトも
かなりいると想うから・・・。

厳粛なる気持ちにて。市
  


Posted by 市 at 13:25Comments(8)語りのプラザ

2015年01月04日

喜多長より

市 (2015年01月04日 00:41) │Comments(4)語りのプラザ


イチローさん
新年、明けましておめでとうございます。
無事に到着して何よりです。お正月に間に合わなく申し訳なく思っております。
イチローさんとの馴れ初め、ご紹介頂きありがとうございます。
イチローさんと御逢いしてから、もう10年以上の月日が経ちました。。。。
あの出会いで、自分の人生が根本的に覆りました。

すべてはガンキッズで、、、、逢わなければ、今の自分 もいなかったのです。
あの時、友人がバッテリーを買ってきてくれと頼まなければ・・・鹿児島空港で営業がイチローさんを見つけてくれなければ・・・今の自分は存在しませんでした。
ひとつ前のブログではありませんが、必然と偶然がうまく重なり、今のこの御縁があります。有り難い事です。
いつしか、キタチョから喜多長と呼ばれ、仕事柄全国をあちこち行くのですが、またそこで、たまたま名古屋や宇都宮近辺で、偶然にもイチローさんにお会いする時も”ほんとあちこちにいて、工作員みたいやな”と、、、、 自分でも驚くほどのご縁に支えられております。

まだ、イチローさんにはお話していませんでしたが、四国の松山 に行った時、ホテルのロビーでイチローさんと同じような格好の紳士をお見かけました。
目が合いまして目礼をしたのですが、紳士の方が
”このバック(タクレット)どこで買ったのか??”
と聞いてきたのです。
”これは戴いたものなんです”と答えると
”このバックのデザインは誰か知っているのか?”と聞いてきたので
”はい永田市郎さんです。そのイチローさんからプロトを戴きました。と答えると相手がビックリされました。
”自分はイチローさんから喜多長と呼ばれてるんです。と切り出すと
”君が喜多長君か”と驚かれました。
件の紳士は、実はアメリカ人でダラスにお住まいの事、お墓参りを兼ねて、松山に帰省されたとの事、
多数の銃を保有している事 、
そしてイチローさんのブログはいつも見ているとの事
でした。
その時に住所もお名前もお聞きしませんでしたが、
思いがけない地でご縁が広がり本当にありがたいと感じた瞬間でした。またお会いできないかと松山に行くといつも念じております。

そういえば、マルパソ君もそうですねぇ。彼は、鹿児島のナイフ訓練で連絡を頂いたのですが、最初は連絡はしたもののいや行くのをやめようか、どうかとさんざん悩んだメールを送りつけた挙句、参加して、今やイチローさんの生き字引的存在ですね。
当時、自分に送ってたメールをここで公開したいくらい、イチローさんと出合って彼も変わった一人ではないでしょうか??

これからもご縁を大切に精進してまいります。
イチローさんをはじめ、またこのブログを拝見されていらっしゃる方々、今年もどうかよろしくお願いいたします。
もし皆さんお逢い出来ましたら、お気軽に”喜多長”とお声かけください。
乱筆乱文そして長文、失礼いたしました。
喜多長
  


Posted by 市 at 00:41Comments(4)語りのプラザ