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Posted by ミリタリーブログ at

2014年08月29日

プラチナカップのお知らせ♪

市 (2014年08月29日 12:16) │Comments(4)訓練
んんっ?迷信ボタンを押しちゃったかな? ならばもう一回(汗) まうさんに言いたい事先にかかれちゃったよ。 にしてもSIGのSAOいいですねぇ。欲しい~♪つーてももう無理かぁ。ざーんねん。 SAOとは全く関係ない話ですが、今度カズヤとプラチナカップ30周年記念マッチを開催いたします。 イチローさんすみませんがこの場をお借りして宣伝させていただきますね♪ その経緯はカズヤのブログを読んでいただくとして・・・ http://uzi9mm.militaryblog.jp/e537534.html http://uzi9mm.militaryblog.jp/e577909.html ケンさんがイチローさんの「シューティングマッチを日本で広めたい」 という意志を実現するため始めたプラチナカップですが、第1回試合からもう30年も経つのですねぇ。シミジミ 月例プラチナカップは最初ビアンキカップのフォーリングプレイトのように横一文字に並べられたターゲットの配列でした。それを5mの距離オンリーで撃ってましたね。 それはそれでエアガンシューティング黎明期にはよかったのですが、そのコースを長くやっているうちにシューターがナレきってしまいシューティングテクニックの向上を見込めなくなってしまいました。 その当時の現状をイチローさんとケンさんが打破すべくデザインしてくださったのがあのカシオペアプレイトです。 イチローさんも覚えていらっしゃると思いますが、ケンさんの家の座敷で、イチローさん、ケンさん、朋ちゃんとでどんなコースにするか話し合いましたねぇ。 出来上がった新コースは横一文字のターゲット配列が廃止され上下に激しいジグザグ配列になりました。 これはシューターに流し撃ちをさせず、ターゲットをはっきりと一枚一枚狙い直しさせる目的でそのように決められたんですよね。 それはアメリカへ実銃の試合に出場する日本人シューターにとって反動を伴う射撃に前もって必要な技術を身に付けるにはもってこいのコースでした。 イチローさんの親心はこうしてシューターに技術の形で伝わったのですねぇ。(またもシミジミ) さらにこのコースは右から撃てば次は左から。ワンハンドオンリーも同じく右から左から撃たせ、最後はタイムトライアルと至れり尽くせりで、まさしくシューターに苦手分野をなくさせ、射撃の総合力を鍛えまくる内容になりました。今からみても素晴らしいコース内容です。 そんなわけでこのカシオペアプレイトで30周年記念試合をジャパンスティールチャレンジの翌日9月15日に埼玉のブルーターゲットさんで開催します。 興味のある方は是非ここを見てくださいね。 http://uzi9mm.militaryblog.jp/e577909.html 以上試合の宣伝失礼しました。m(_ _)m
メタボ哲也   


Posted by 市 at 12:16Comments(4)訓練

2014年08月29日

困らすワミの報告

市 (2014年08月29日 09:58) │Comments(1)語りのプラザ
http://www.awf.or.jp/pdf/0031.pdf

クマラスワミ報告とは1996年1月から2月にかけて国連人権委員会に報告された「女性への暴力特別報告」に関する報告書なのだそうです。
日本の慰安婦について論じた文書だそうです。
一読しておきましょうね。

そして、
「クマラスワミ報告書」に対する日本政府の反論文書の要旨というのも読みましょう。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140401/plc14040109280021-n1.htm  


Posted by 市 at 09:58Comments(1)語りのプラザ

2014年08月29日

吉田清治著書より

市 (2014年08月29日 02:22) │Comments(2)語りのプラザ
女工たちは竹かごの中から貝殻を、手早く鉄わくの中へ入れ、足踏み機械を操作すると、一銭銅貨より小さなボタンを同時に十個ばかり作っていた・・・・隊員たちがすばやく工場内の二か所の出入り口を固め、木剣の先を突きつけて、女工たちを起立させた。
「体格の大きな娘でないと、勤まらんぞ」と山田が大声で言うと、隊員たちは笑い声をあげて、端の女工から順番に、顔とからだつきを見つめて、慰安婦向きの娘を選びだした。
 若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。娘がおびえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわって行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・女工たちはいっせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打ちすえていた。・・・・女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人であった。
「私の戦争犯罪・朝鮮人強制連行」より

しかし、この本に記述されている城山浦の貝ボタン工場で十五~十六人を強制徴発したり、法環里などあちこちの村で行われた慰安婦狩りの話を裏ずづけ証言する人はほとんどいない。
島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信想性に対して強く疑問を投げかけている。城山浦の住民のチョン・オクタン(八五歳の女性)は「二五〇余の家しかないこの村で、十五人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語った。>

http://www.tamanegiya.com/yosidaseiji.html
↑ 詳しくはここでどうぞ。  


Posted by 市 at 02:22Comments(2)語りのプラザ