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2013年03月20日

中央即応集団の幕僚長 退官

市 (2013年03月20日 21:34) │Comments(5)訓練
http://mainichi.jp/select/news/20130320ddm004070023000c.html

発信箱:生き残るために=滝野隆浩
毎日新聞 2013年03月20日 東京朝刊

 先週末、陸上自衛隊幹部の退官記念パーティーが神奈川県横須賀市のホテルで行われた。東部方面混成団長の二見弘幸さん(55)。陸自はこの20年、日本を取り巻く国際情勢に合わせて体質を変えてきた。その変容を最前線で体現した指揮官である。

 東日本大震災でも原発事故対処に当たった中央即応集団の幕僚長として司令官を支えたが、一番輝いたのは10年ほど前の第40普通科連隊(小倉)の連隊長時代。初めて戦地・イラクに陸自派遣が決まる前後だった。二見さんは「戦場のリアル」にこだわった。想定されていた着上陸侵攻より、市街戦が起こる確率が高いのに教範も装備も訓練計画も乏しい。ならば自分たちで考えるしかない、と。

 駐屯地内に市街地戦闘訓練場をつくり度肝を抜いた。部外インストラクターを平気で招く。最新装備の情報を熱心に集めた。根性とか精神主義を一番嫌った。隊員たちは小遣いをやりくりしてモデルガンを買った。常に手にして射撃がうまくなりたいから。うわさを耳にして海空自衛官や警察、海保の隊員たちまで集まってきた。ひたむきに、納得できるまで合同の訓練は続いた。終われば、当然酒席。知らぬ間に他の機関との連携ができていた。

 トップの意志で組織は変わる、劇的に変わる。小倉に通いながら、そう実感した。冷戦が終わったものの東アジアの戦略環境は厳しくなり、自衛隊に「リアル」が求められていた。そのとき、保守的な陸自という組織の大変化は末端から始まっていた。「私はただ、任務を達成して生き残る隊員を育てたかっただけ」。二見さんは控えめだ。パーティーには40連隊の仲間も多く集まり、あのころと同じ、うまい酒を飲み交わした。(社会部)

市兵衛は
この日の来るのを怖れていました
とても残念です。

二見さんが 第40普通科連隊の
の連隊長をしていたとき、隊員たち
は彼のことを「との」と呼んでいま
した。殿様の「殿」です。

二見さんが「突撃せよ」と言えば
なんのためらいもなく命を投げ出せ
る・・・そういう空気と迫力が
小倉軍には横溢していたのです。

今の自衛官たちが89式を持つ時に
「撃つ相手以外の人に銃口を
向けるな」ということを実行して
いるとしたら、それは二見さんの
流れをくむ隊員だといえます。

今でこそ、アメリカにもエアガン
を使ったリアルな訓練が増えつつ
ありますが、二見さんの下では
当たり前に使っていました。

そして自衛隊が画期的な訓練銃と
して89式エアガンを導入するに
至ったのも、二見司令官の要望が
元となっています。

続きはまた・・・市
  


Posted by 市 at 21:34Comments(5)訓練