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2013年03月09日

マックは「 羅生門」を見ました。

市 (2013年03月09日 04:06) │Comments(5)語りのプラザ
イチロー様

羅生門を見ました。
はずかしながら、感想文をお送りします。

羅生門の感想文
光と影を効果的に使っているようでした、
雨や、切り株、柱などを前に持ってくる表現が多かったように思いました。
森の中を走るシーンのカメラの構図も今までにないものがあり、切り替えのタイミングも鮮やかでした。
今までと違い、身につまされて考えさせられる内容でした。
自分の都合のいいように記憶も変えてしまう。その通りだと思いました。
事実を、自分を、ありのままに認識するのは難しいですね。
私の中にグサリときました。
まっく

「自分を、ありのままに認識するのは難しいですね」

そうだね、自分はスゴイ人なんだと勘違い
している人には、自分を直視することは
できないと想っていいね・・

だいたい、スゴイ人になりたいと想うこと
からして間違っているわけで・・

スゴイ人になって尊敬されたいと願い
それを目指すとしたらゴール設定が
間違っているわけだけど、
それを理解するのはとても難しいね。

「私の中にグサリときました」
そのグサリときた部分は時がたつと
風化し劣化しフェイドアウトされる
ので、常に磨いて新鮮に保つこと・・

一時的な感動なら誰にでもある、
モンダイは「残せるかどうか」だ。

風化させないで自分に取り込めるか
どうかで人間の実力に差がつくのだよ。

ようし、次は「野良犬」をイッてみよう!

この映画の町の風景はワシの育った
環境と同じようだと想ってほしい。
ようするに、戦後は日本中がこのような
雰囲気だったのだよ。

で、この映画での射撃場面だけど
どうも実弾射撃を写していたような気が
するんだよね〜
  


Posted by 市 at 04:06Comments(5)語りのプラザ

2013年03月09日

し〜がこぉもとぉけえて〜♪

市 (2013年03月09日 01:51) │Comments(7)語りのプラザ
>市郎さん おはようございます。 初めてコメントさせて頂きます。市郎さんやこのブログで語り合っている皆様の邪魔にならないように静かに覗き込んでいましたが、映画談義に花が咲いているようなので私も少しお邪魔させて頂きます。どうかお許し下さい。銃と射撃と映画が好きです。射撃はド下手糞、銃の知識は並以下なので市郎さんの記事やブログを拝見させて頂きながら楽しくカタツムリのようにやっています。正直に申し上げますと、『七人の侍』を見たのは昨日です。映画好きなんて言ってますが『生きる』もまだ見ていません。黒沢映画を見るのが初めてなわけでもありません。最初に見たのは『夢』です。小学生の頃でした。日本兵の亡霊や、派手な放射能霧よりも狐の嫁入りが好きでした。天気雨が降るとビクつきながらもワクワクしていました。二十歳くらいのときに『隠し砦の三悪人』、『羅生門』、『デルス・ウザーラ』、『どですかでん』などをわーっと見ました。今もあまり変わりませんが無知で未熟だったせいか作品の本質を殆ど掴めていませんでした。せいぜい、〝固くるしい日本で大胆で自由な映画つくりやがってこの野郎、俺だって頭ん中の絵コンテ実写化してぇよ!!〟と嫉妬にのたうちまわるくらいでした。それから時が経っても頭の中の絵コンテは実写化されませんでした。自分の無力さを色んな言い訳をしながら趣味だけはのうのうと続けてTACTICAL LIFEに辿り着きました。市郎さんはブログ開設当初から〝『生きる』は良い映画だから見て欲しい〟と仰っていて下さっていたのにも関わらず、私は『七人の侍』と『生きる』は避けていました。怖かったのです。自分のちっぽけな価値観が壊れるのを恐れていました。特に、『生きる』だけのタイトルの映画なんては他には知りません。この一発は強力そうで、見た終いには自分がバラバラにされてしまいそうな気がしてなりません。ですから『七人の侍』を先に見ました。傑作だったのは当たり前でした。私などがこの作品を小賢しい美辞麗句で褒めちぎっても今更なので、拡大解釈するとまるで人質救出の想定訓練から実戦までの全行程を見ているようでした。警察の特殊犯、或いはグリンベレーが任務を遂行しているようにも見えました。扱いは傭兵でしたが。私だけでしょうね・・・。もちろん、弱者であっても狡猾なお百姓さん達、侍に強い憧れと同時に恨みを握りしめている者達の悲喜交々。様々な人生の試練が凝縮されていたのは理解できました。  
市郎さんと堺さんのやり取りが無ければ私はこの映画を見なかったかもしれません。『生きる』も見たくなりました。恐怖が大分薄らぎましたので。私の勝手で申し訳ありませんがお二人に感謝をしております。長々と失礼致しました。
小僧っ子

「無知で未熟だったせいか作品の本質を殆ど掴めていませんでした」
と、自分の直すべき所をまっすぐに
観るのは洞察のはじまりで
とても良いことだと想います。
ちなみにワシも自分は未熟だからもっと
見識をひろげなければ、、と毎日のように
考えています。

自分は未熟だ、と真剣に考えることの
できない人は、心の成長が始まっていない
か止まっているかのどちらかだとワシは
想っています。
傲慢なうちは成長などできませんよね ?

小僧っ子さんが、これを機に黒澤作品を
観るようになり、感動を覚えるようになり
物事を真っ直ぐに観られるようになったら
ワシとしては望外の喜びです。

望外とは大げさだと想われるかも
しれませんが、人間ひとりの心が成長する
ということは、とても年月のかかることで、
あるとき、ある機会があってポンっと
ワンランク上に上がるというのは奇蹟に
近いことだと感じているのですよ。

小僧っ子さんの心の奥深い部分に
“このままトシをとったらまずいので成長しなければイケナイと・・・”
という気持ちが無意識に醸成されており、それが膨張して一触即発状態になっており、そんな時に黒澤談義に触れてボカンとハレツしたのではないかとワシは想像しているのですがね、、で、ここで小僧っ子さんのような人が出てくるというのはワシにとっては大きな収穫なのですよ。

収穫という意味は→達成感です。
こういうことがたまにあると、このブログの存在感が感じられ、ワシも続けていく活力をもらえるのです。

ワシは、長いことひたすらな気持ちで自分の成長を求めてきたので、同志・・とくに小僧っ子さんのような新米さん(^^)が入ってくると嬉しいのですよ。

マックのハナシを少ししましょうね。
彼とは長〜いつきあいです。

「堺の仕事はなんなの?」
「はい、コンピュータプログラマーです」
「そうか、じゃマックと呼ぼうかな」

なんでもそういうことでマックと呼ぶようになったらしいです(^^)
当時のワシはコンピータはマックしか知らず、音速のマッハは「マック」と発音するわけで、やがてマック堺は世界一のスピードシューターとなりました∈^0^∋

そのマックですが、ウチに来ても練習練習練習で、常に練習練習練習で、ゆっくりハナシをしたくても練習練習練習で、素晴らしいシューターながら彼の将来を想像すると、やがて燃え尽き、社会の片隅で忘れられていくという懸念があり、そういうことに備えるハナシをしたかったのですが練習練習練習でトリツクシマもなく・・(^_^;)
で、、間にはいろいろとエピソードがありましたが、ここにきてマックに心境の変化が訪れ「貝のように閉じこもっていた」マックが映像について学びたいと・・・

オツキアイして10年とかが経ち、ここでようやく「黒澤映画を観るべきだ」というワシの助言が出たわけです。
つまり伝家の宝刀的な助言を抜く機会がようやくやってきたわけですよ(^o^)

ワシの経験から観て、助言というのは素晴らしいものではありますが「人は助言なんて聞きたくない」というのが普通だと想っています。
人が助言を聞くのは「自分が成長したいと痛切に願っている時だけ」という条件があるようで、エゴという強力燃料で頑迷列車が爆走している時は助言なんて線路の上にとまった蝶ほどの存在でしかないのですよね(^_^;

で・・音速を超えて走っていたマックがスゥーとワシの前に停まりました・・そして問いました、

“イチローさん、どうも線路が見えなくなってきたので、これからは荒野を走ることになりそうなのです・・・”

“じゃまず「七人の侍」というテクストを読んでくれ・・そこに荒野を走るヒントが隠されているから・・”

とまあ、そういう会話があったのではなく、これはワシの主観的な状況描写というわけですがね(^_^)

じっさいは
“あの映画を観てないとは呆れたやっちゃな〜、しゃーねぇな〜マックわぁ〜”
という会話でしたがね(^。^)(^○^)

つまり、マックがワシの投げる言葉をキャッチできそうだったので丸損を覚悟で、小判をネコにやるような気持ちと糠に釘を打ち込むという想定の元に(^o^)チャレンジしたわけです。

したらマックは
“良かった〜!! もっと学びたい〜!!”
と反応し、古くからの黒澤ファンも大喜びとなり、横で黙って見ていた小僧っ子さんも、、そしてマウさんもようやく人生の悟りを開くきっかけに(^◇^)

しかし皆さん、
黒澤映画は成長のためのトゥールですから、それをどう使うかで効果は違ってきますよ。ああよかった〜・・で終わるのか、自分の精神の燃料として心に取り込むのか、、そこらが君の洞察力にかかってくるわけです。

しかしですね・・・

ただ青い空を見上げているだけ

曇った空を眺めているだけ

降りしきる雨や雪を観ているだけ

そよぐ風を感じているだけ

花や樹木を眺めているだけ

寄せては返す波を観ているだけ

犬や猫を眺めているだけ

通りがかる人々を観ているだけ

これらのどれでもいいのですよね、

「じっと観る そして感じる」
その習慣を持つことで、人は限りなく成長できるのだと、ワシは信じているのです。
 
終章
では、今日という良い日を記念して歌など唄いましょ〜!(^^)!♪

♪春になぁれば しがこも溶けて 
どじょっこだの小僧っ子だぁの 
夜が明けたと思うべな〜♪

解説:
しがこ というのは氷であり、
いずれの人も心の底に凍った部分を抱えており、それがコダワリの元凶であり、これを溶かすということが夜明けにつながるノデアル。

う〜む・・我ながらこのユーモアセンスに感心するノデアルのである(^○^)市
  


Posted by 市 at 01:51Comments(7)語りのプラザ