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2012年09月04日

ゼロコウデイのススメ

市 (2012年09月04日 07:52) │Comments(12)語りのプラザ
鬱になってしまう人は、大概に自身の精神状態の管理が「ぶきっちょ」で「コントロールが下手」なのも「事実」です。 「主観」の占める割合が多いので、「客観的」に。 「失敗してしまった!ダメなヤツ」ではなく、「失敗した。これからもこう言ったことあるだろう。対処法を模索しよう」 といった感じでしょうか。なじるのではなく、対処法などを「学ぶ」方に意識を持っていく。
むうた

市より
「覆水盆に返らず」というコトワザがあり
ますよね。その意味は
一度こぼれた水は二度と盆の上に戻る事は
ないという意味で、まあワシとしてはこの
タトエには“グラスに注がれた高級ワインを
落っことして割ったらワインは土にしみ
こんで飲めなくなるというのにしたら
どうですか?
でも太公望さん、実のところは別れたオナゴ
が復縁してくれとゆった時、すでにオナゴは
トシで魅力がなく、しかもアナタには三人の
かわゆい妻たちがいたのでしょ?”みたいに
安いつっこみを入れたくなりますが ◠‿◠ϡ

むうたさんの言うように、
失敗ちゅうのはだれにでも、、ほんとに誰
にでも しかも何回も何度も幾度もあるわけ
ですよね〜

ワシの人生の壁を超えたいという人は、
その壁の高さに阻まれることになりますゾ
ちゅうのは、ワシの失敗と挫折は半端
じゃなくて、それらが壁に塗りこまれて
そびえているのですからね(^w^)

ボンクラなワシが30才くらいになって
やっと気がついたことですが、、

「時間は一秒たりとも もどっては来ず、
失敗した時点で座り込むと時は
まるでロケットのように天空高く飛んで
いってしまう」
という、あったり前のことでしたよ。

で、ノロいとはいえ、ワシはそこからの
咀嚼力が山登りのような確実さで向上した
のですよん。その登りは今も続いている
のですがね・・・
今日はフリーなので
そこんとこをザっと書きましょう。

思い悩む時間は無駄だ。
過去を見ていると自分は腐る。
そうしていても何も好転しない。
ロケットの後を追うしかない。
失敗した自分は愚かで不注意だった。
しかしもっといけないのは、
そういう自分を改善しないことだ。
傷物になった自分だが、このまま
座視しているとひび割れは大きく
なるばかりだ。
幸いに時の流れは多くのトラブルを
解消してくれる。
恥ずかしさに耐え、苦痛に耐え、
絶望感にも疲労感にも耐え、
ここで立ち上がって登り始めれば
20年後に今を振り返り、そこで
ようやく自分は許されるはずだ。
モンダイは自分が今度シクジリを
おかしたときに、どう対処するかだ。
対処とは、どの時点で立ち上がるか
ということだ。

失敗したら三日間停まるのか?
挫折したら一週間寝込むのか?
しくじったら明日までうじうじと
後悔するのか?

いや、それらに費やす時間の差が
人間の精神力の差となりそうだ。

どのようなことがあっても、
いかなる挫折があっても、
どのような不幸に襲われても
明日には、、
そう、一晩寝た後にはファイトできる
スタンスをとろう・・・

いや、まてまて、、
どうして明日まで待つのだ??

今日の悩みは寝る前に
片付けるほうがよいのではないか?

拳法の試合では一瞬の油断で
カタをつけられるが、意識あるかぎり
それを後悔などせずに立ち上がって
ファイトするではないか。

拳銃の試合でしくじっても
撃ち続けるではないか。
そしてくじけることなく次の週も
来月も来年も挑戦するではないか。
自分の失策に拘泥していたら、
そうはいかないハズだ。

そう、拘泥とはドロのように自分に
コダワルこと。泥沼のなかでもがくこと
ではないか。
どうして大切な自分を自ら泥沼に
蹴落としていられるというのだ!!

「しまった〜!!」という気持ちを引きずる
時間を拘泥タイムと呼ぼう。

この拘泥時間が自分から鮮度を剥ぎ取り
腐らせるのだ。

よし、では、失策の後の拘泥タイムはどれ
くらいまで短縮できるかを考えよう・・・

それは失策の内容と重さによるが
それらに関係なく立ち上がれる強さ
を構築する必要はあるのだが、、

ともあれ、24時間ではどうだ?
これ以上は自分にとって害だろう。

いや12時間かな??

だったら6時間にできないか、、

うむうむ、
つきつめたら3分もあれば良さそうだ、、

・・・先週は拘泥タイムは3分にしたいと
考えたな、、
そもそも拘泥することをゼロにしたら
どうなのだ??
3分間も悩み込んで何が得られるというのか?

ではこういうのが閃いたぞ・・・

失敗する→しまった〜!!と心で叫ぶ。
その「しまった〜〜」という2秒間で
拘泥をブロックする。

しまった〜、、と言いながら
自分の眼をグーイと進行方向に向けるという
習慣を心に刻み込むのだ。

ゼロ拘泥・・・なんと素晴らしい発想か!!

もしも、自分自身を幸せに導きたかったら
これしかあるまい・・・。


長い年月を経て、このように考えてきた
わけですよ。

そのころ、哲人の兄は言ってました。

“イチロー、こだわらない心を持てよ、
この世の中の出来事のほとんどは
どうでもよいことなのだから、それが
解れば拘りはなくなるはずだぞ”

この言葉に関して、ワシはたっぷり2年は
咀嚼を試みましたよ。
なるほど、なるほど、、と、兄の言葉は
心にしみこんできました。

そしてそんなあるときに、ハッとしました。
その思いつきについて かなり考えたのです
が、それは難しい問いでした。

次に屋久島の兄に逢った時に問いました。

“この世の出来事のほとんどはどうでも
よいこと、、だという教えは解ったよ、、
で、ここで聞きたいのは、
では、どうでもよくないことって、
どのようなことなの?・・・
どうして すべての事がどうでもよいのだと
言えないの??”

この事への咀嚼はとても難しいとワシは
考えていました。

そして、兄は無言でじぃ〜と庭を見やりながら
思考していました。
ワシは庭の樹木を眺めながら気が楽になって
いました。
イッショケンメに自分のトラックを走って
バトンタッチがすんだような気持ちでした。

そうして、それから数年が経ちましたが
その問題はいまだに解けていません。

物事を考えるうえで雑念は多く、、
最近想うことは、、

「人間ってどうやら客観的に物事を
考えることはできない」

ということです。

せめて「客観的ふうに考えよう」と
ワシはそう想っていますよ。

で、こんなことは言えませんかね〜、、

鬱の人も鬱でない人も、
アタマの良い人もワルイ人も
賢い人も愚かな人も

つまり全ての人々がですね、、

「自分に厳しく他人に優しく」
という単純素朴なテツガクを持てたら
素晴らしい社会が構築できるかと・・・

しかし、現実はその逆で、
これが地球の人口増加をなんとか抑えて
きたともいえるので、、つまりこれは
かなうことのない理想論かと、、
自然の摂理に反する考えかと。

でも、そうかなぁ〜?
そうですかね〜??

生きている間は諦めたくない
課題だと想いませんか?

で、皆さん、世の中では何を信じていけば
よいのか判りませんよね?
そんな中で真実らしいことを探すとしたら
これなんかどうです?

「ショクン、100年もしないうちにワシも君
たちも死に絶えて存在しなくなるんだよ。
そこんとこを咀嚼できたら、今をどう生きれ
ばいいかのヒントくらいは得られるだろに。
まずは思い悩む自分は愚かなのだと自覚
したらどうだい?」
















  


Posted by 市 at 07:52Comments(12)語りのプラザ